42 まずは、潜伏の根回し
目の前の、微笑みを見た。五十代の男。白髪の混じる無精髭。
…………。
振り返るが、彼の脚は森の入り口に落ちたままだ。
また、男を見た。
あれは……間違いなくモーニングスター神父だ。似ているだけではない。癖のひとつひとつまで同じだ。
…………嘘だろ……夢でも見させられているのか。殺しても死なない相手がそうポンポンと出てきていいのか、この世界は。
彼は後ろ手に組んだまま、俺の前に立ち止まり、大きくため息をついた。
服の、腕のところのしわが不自然なできかたをしている。普段、ああいう姿勢はしないのだろう。つまり、後ろに何かを隠し持っている可能性が高い。
「……まさか、悪魔の力を使うとは思いませんでした」
「まさか、生き返るとはな」
「参ったことに、状況がうまく飲み込めないのです。ご説明をお願いできますかな」
それはこちらのセリフなのだがな……。
「お前をペテンにかけた。さっきお前に会わせたのは悪魔でも何でもない偽物。ただの怪物だ。神に会うために、騙した。悪く思うな」
「ふぅむ。金銭目当てではない、と。罪を犯しておきながら省みず、主に会えるわけがございますまい」
「出てこないなら引きずり出すさ。それより、お前はなんだ。どうして生き返った」
「これが、主より授かった力。悪魔と戦うための力なのです」
彼は微笑んだまま、両腕を広げた。
「神という強大な存在に敵対できる悪魔は、また強大な存在です。人間ほどに小さな存在が、どうしてそれと戦うことが叶いますか」
「主より、か。オーブの魔術かなにかじゃないのか」
死んだあと、別の場所で生き返る。本当にルイマスと同じ状態らしいな。
「生まれ持っての力ですとも。これが――奇跡の力。とでも申し上げましょうか」
「なるほどな」
風が吹き、草が鳴く。
それが止んだとき、神父が口を開いた。
「それで、いかがなさいますか?」
「迷っている。それはお前もだろう」
「ええ。あなたは間違いなく、悪魔の味方です」
「そうでないと証明する方法はあるか?」
「ありません。悪魔ならば、魔除けが効くか否かで分かったでしょう。しかしあなたは……どうやら、人間でありながら主の敵となった者。さて、どういたしましょうか」
「助ける気などないくせに、ずいぶんと臭わせるな」
呆れた奴だ。神の戦士みたいなことを自称していた割りに、手口が殺し屋と似ているとは。
「おやおや。どうにもあなたは……勘が鋭いですね」
神父が、背に隠していたものを取り出す。
ロッドの先の、刺鉄球。モーニングスターだった。たった今投げたアタッシュケースの中に入ってるはずのものだ。
まさか、武器と一緒に生き返るのか。
「これは、鍛冶屋に特注した品ではありません。私と共に、生まれた武器です」
彼は柄を撫で上げて、先端の刺に指先を当てた。
「母の腹を貫いたこの刺が、星の輝きに似ているとは思いませんか。これが私の名前の由来です」
明けの明星、か。
――――待てよ。
「…………星の輝きを、知っているのか」
「ええ」
「お前、何歳だ」
「はて」
「まさか神か」
「いいえ」
「…………天使か?」
「……さて」
参ったな。ルイマスと一緒どころの騒ぎではない。
そもそも人間じゃなかったか。
……ああ。だからか。
双子神の塔を調べているとき、その神が双子だということは分かっていたが、その名前までは見つからなかった。
彼はそれを迷わず、ファスティウスと呼んだ。きっとそれは、ちゃんと調べたから知っていたのではない。
人類が忘れた神の名を、覚えていただけだったんだ。
「お話はもう、いいでしょう? それでは、悪魔狩りとして貴方を処刑いたします」
「死ぬのは俺の方じゃない。悪いな、何度も殺して」
神父が動くと同時に踵を返し、駆け出す。向かうは森の奥。
背後を振り返る。全力疾走ならこちらの方が早い。身体能力が高いわけではないらしい。技量は同じくらいのようだが、あのモーニングスターは肘から指先くらいに長く、俺のナイフ以上だ。
ならば、こちらはそれ以上に長い武器を調達するまでだ。
立ち止まり、落ちていたものを拾う。神父の脚だった。足首を掴み、鈍い重さの太ももを担ぐ。
彼はまっすぐに走って来て、五歩の距離で止まった。
互いに得物を持ち睨み合う。互いに、出方を伺っている。普通の戦いなら先に出た方が負けるだろう。
お望み通り、こっちから行ってやる。
彼の脚を振り上げ、大振りをする。
モーニングスターでの防御を見定め、先端の鉄球に叩き付けた。
刺が肉に深々と刺さる。それと同時に手を離して左肩でタックルをした。
彼がよろめくのを手応えで感じ、右手で懐からナイフを出す。
神父からは俺の背しか見えない。
つまり――俺が右手でナイフを構えたことすら分からない。
そのまま腹へ深々と突き刺した。狙い通り。肝臓の位置。
彼の身体を更に押し、ナイフを引き抜きながら倒す。
神父は力が抜け、仰向けのまま痛みに喘いでいる。
この位置は死ぬまで数分かかる。少しでも時間稼ぎをしなければ――。
「か……ぁあああ……!」
神父が腕で身体を持ち上げた。
肉からモーニングスターを引き抜いて、地面に叩き付ける。
這うようにしてその上へ。彼はそのまま――。
「おい、よせ」
――固定された刺へ顔を叩き付けた。
びくりと身体が痙攣して、そのまま動かなくなった。
「……クソ」
……なるほどな。死んでも生き返るということは、死ねば怪我を治せるということでもある。なら怪我を負わせるどころか、拘束しても自殺で抜け出せる……か。その上、殺せば殺すほど俺の手口を覚えていく。
厄介なんてものじゃない。
急ごう。俺が神父を解体して撒いた時間は、城下町の中心くらいからここへ歩いて来るまでとほとんど同じだ。つまり城下町で生き返っている可能性が高い。
頭の回る相手なら、人質の一人でも取るはずだ。ステイシーは見つからないとして、最小限の八人には警告しないと。
草原を急ぎ、森の縁を辿っていく。走り続けてたどり着いたのはソフィアの家だった。
いつものリビングダイニングにはソフィアと、待機状態のドゥカがいた。
「ソフィアさん」
「あっ! アランさん。お帰りなさーい」
彼女は嬉しそうに、パタパタと駆け寄ってきた。
「アリアンナさんから聞きましたよぉ? 新しい子が怪我を治してくれた、って」
「もう聞いたんですか、あの……」
「はーい、お自野さんのことです。聞いたどころか……なんと……もうえっちしちゃいましたっ」
そんな事をサプライズ発表されても困るんだが……。
「知ってます? お自野さん……すっごく可愛い声出すんですよっ?」
「ということは中に?」
「いまーす」
ソフィアが振り返ると同時に、寝室から二人が出てきた。
「アラぁああああン!」
「おほ……おほほほ……」
相変わらずの大きすぎる声のルイマスと、ドゥカのディルドを片手にだらしない顔で笑い続けるお自野だった。
なんだあの絵面……。
「ええ娘をチョイスしたのぉおおおお!」
「おっほっほ…………女の子をオンナにしてしまうなど……なんたる破廉恥……目眩くえろすにござる…………」
…………。
……とにかくここに四人、か。半分が居てくれるとは都合がいい。
「みなさんにお話があるんです。大事な話です」
俺が言うと、ソフィアとルイマスは素直に聞く姿勢になり、ドゥカが起動して「お話デスね」と俺へ向き、お自野がニヤニヤと俺へ来た。
「おっ。分かってるにござるよ~。大船に乗った気にあられい」
彼女が言っているのは、殺し屋であることを隠すために口調を変えていることだろう。一応、ソフィアには完全に知られていないし、ドゥカとルイマスとお自野は別件で俺が殺し屋だと知っている。
――いやどっち道それ言っちゃダメだろ。
「えっ。お自野さん分かってるんですか?」
「え? あ。うん……」
さらに突っ込まれてどもり始めた。もうダメだあの忍者は。
「これから言います。実はとある神父の方に命を狙われています」
「へっ!?」
「なんじゃとぉおおお!」
「あ、アラン殿!? ほ――」
「でもッ! 大丈夫です」
あっぶねぇあの忍者。『他の人に狙われて』とか言うつもりだったな。
「いいですか、僕のことは知らないと断言してください。あのモーニングスターって人は僕を悪魔だと勘違いしている」
「でも……勘違いだったら、どーにか説明とか、できませんかっ?」
「それはダメです。悪魔の味方だなんて勘違いが広がったら、みんなが危ない。僕は彼が諦めるまで身を隠します。でも、絶対に無事ですから」
俺が言い切るか否かで俺の胸にすがりついて、見上げてくる。
「う~でもっ、どれくらい隠れていれば安全なんですか? いつ……帰って来るんですか?」
「分かりませんけど、きっとそんなに長くありません」
そう言い切ってもソフィアは不安な顔を止めなかった。
言葉では……無理か。
彼女の顎を持ち上げ、そのままキスをした。
「ん……」
「……待っている間に、どんな指輪がいいか、考えておいてくれませんか」
「……えへへ。しょーがないですね……」
ソフィアは顔を真っ赤にしてうつ向き、指先をもじもじしながら垂らした手を揺らした。
よし。お前にはこれが効く。なんて思ってたら、お自野が寄ってきた。
「アラン殿っ。せ、せっかくなので拙とも……」
お前……。だがこのタイミングでしないのは不自然か……。
仕方ないので、お自野を首から抱いてキスをした。
「おほ……接吻はこんなにも……良いものでござる……」
「……初めてかな?」
「初めてはアラン殿とがよいと思い、断腸の思いでアリアンナ殿とボウイ殿の接吻を断りもうした」
キスすら初めてだったのに、路地裏で変態騎士と変態少年に犯されたのか。
少し気の毒なことをしたな……。
「潜伏が終わり次第、またちゅっちゅしましょうぞっ」
「うん……」
なんとも言えない気分にさせられたというのに、今度はドゥカがやって来た。
「ワタシもよろしいデスか」
「……うん」
うんとは言ったものの、彼女には口がない。
……とりあえず口の位置にしておくか。お自野と同じように首を抱く。
「これは……どういう行為デショウか? 皆さまがよく、なさる行為なのデスが」
「キスは好きな恋人とするものだよ」
「そうなのデスね。ラーニングいたしマシタ。ワタシにも唇があれば良いのデスが……しばらくは下のお口で代用しマショウ」
「ドゥカちゃん。それじゃ……えーっと、オニクだよ?」
「それを言うならクンニ、デスよ」
「そうそれ~」
アリアンナの下品さとビスコーサの用語をラーニングしてないかお前……? 勘弁してくれ。学んじゃ駄目な所ばかりラーニングするな。
と思えば今度はルイマスが来た。
「ワシもぉおおお!」
普通に嫌だ……。
「分かった分かった」
屈んで首を抱き、彼女の顔に寄って……とめた。
「……問題発生だ。外に付いてこい」
「……!」
キスのフリをやめて、立ち上がる。
「では僕は、急いで身を隠します。いいですか、モーニングスター神父が来ても知らないフリをしてください」
「はーい」
「承知~」
「把握いたしマシタ」
彼女たちの返事に頷きを返して、外へ出る。
「ワシ散歩! ちょっとだけついてく!」
家を出て、裏の雑草がよく伸びた場所の奥にある、ホコリまみれの倉庫へ。倉庫とは名ばかりの、屋根と棚だけのこの場所にクロスボウを隠していた。それといくつかのボルトを持って森と草原の境目へ。
ここから迂回しつつ城下町へ向かう。今まで神父とすれ違わないのは偶然ではない。恐らく彼は城下町の出入り口で待っている。ならば次の手口を用意せねばならない。
ルイマスのでかい声が家まで響かない所で立ち止まり、振り返った。
「神父に狙われていると言ったが、そいつが不死身だ。お前と同じように、死んだ後に別の場所で生き返る」
「オーブの魔術じゃなぁあああ! ならばワシに任せぇええい! タナカと同じ末路を辿らせてやるわぁあああああ!」
「ひとつ、問題がある。アイツはどうやら人間じゃない」
ルイマスの顔に満ちていた余裕の笑みが、すっと消えた。
「本当かは分からないが、天使だ。星の存在した紀元前から生きているようだぞ」
「じゃあ分かりませぇええええん! 生物としての構造が同じでもぉおおお! 内包する情報の重さに違いがありすぎるぅううう! すり替え再定義に使うダミー情報を作れるか分からなぁあああい」
確実ではない、か。
どうすればあんなものを攻略できるんだ。
……。
「……ルイマス」
「なんじゃぁあああ!」
「今のお前で考えて欲しいんだが、神が何か罰を与えてくるとき、何が一番嫌だ」
「んなもん転生できなくなることじゃぁあああ! 死ぬたびに美少女に戻れないとか最悪じゃぁあああ!」
「それだ」
ルイマスがきょとんとして、俺を見た。
「転生できなくさせればいい。転生は、死んだときにするんだろう。なら、そもそも死ななくなればいい」
「それでは意味がないじゃろぉおおおお!」
「死ななくなった上で、肉を再生することができなければ?」
「ひえ……」
彼女は顔を押さえ、一歩引いた。やられるのを想像したようだ。
「そういうことは、できないか」
「それならばできるぞぉおおおい! 生の機能をちょいと破壊すればよぉおおい! なんだって作るのは難しくても壊すのは簡単じゃぁあああ!」
よし、確実な手段がひとつ手に入った。あとはタナカと同じように引き付ければいい。
あの塔に数日籠城すれば、相手から来るだろう。
「よし。ソフィアの家で待機していてくれ。その時になったら呼ぶ」
「分かったぞぉおおおい! しからばチンポを寄越せぇえええ!」
「寄越さない。ドゥカとセックスすればいいだろう」
「やだぁああああ! あいつテラリスの気配するもぉおおん! 生チンポが良いぃいいいい!」
少女が駄々をこねはじめた。
「ねぇえええ! なぁああまぁああチぃいいンんんんポぉおお!」
「あー……取りあえず気が済んだら勝手に帰れ」
面倒なので放置していく。
「んもぉおおお! チンポ探しに行くからいーもぉおおおん!」
そう言って森の中へ走っていった。
…………まさか動物としようとしているのか?
うわ……。
……まあいい。行くか。




