33 吠えた殺し屋
「ねー先生……」
夜に近い夕方。洞窟でボウイが俺を見上げた。退屈で、眠そうな目だった。
「本当にこんなんで倒せるの? ちょー強いんでしょ? タナカって」
彼が指差したのは――水を電気分解する装置だった。洞窟の上に掘られた穴の下に配置され、ビスコーサの魔術回路がモーターを動かし、二枚の金属板に電気を送っていた。
「何してるのかよく分かんないんだけど……、もっかい説明してくださいっ」
「電気分解で、酸素と水素を作っている。よく燃える空気だと思えばいい。その中で水素はかなり軽いから、自然に上に行く」
「燃える空気が上に……。上にはあの地下室の家があるんだよね?」
「ああ。俺が昨日、ひとりで忍び込んだあの家だ。あれは上っていった空気が逃げないように、蝋で隙間を埋めていた」
「それで……それでどう死ぬの?」
「俺たちが吸う空気とは違う空気を吸うことになる。それで窒息して死ぬんだ。アイツが地下室に入った、次の呼吸でな」
「へー? それでイケるんだ。……まーやっぱ良く分かんないんだけど……。で、たぶん燃やすんだよね?」
「ああ。上手くいけば爆発になって、証拠ごと消える」
「ば、爆発。それだけで殺せそう……。でも、どうやって火を着けるの?」
「罠の発動パターンは三つ。一つはタナカ自身の持つ明かりだ。二つ目は部屋の奥、俺とアリアンナがいることになっている小部屋。そこには明かりを灯してあるから、タナカが扉を開けた瞬間にドカン、だ。これでなら運良く窒息しなくても確実に殺せる」
「もーひとつは?」
「これだ」
頭上の穴からぶら下がる、二組の導線を指した。
「注文して作ってもらった……電気を通す紐だ。いざという時にはこれに電気を通す。すると上で火が着く」
静電気で発火する事故を人為的に起こすということだ。
これで、どういう場合でもタナカは窒息死もしくは爆死する。
「でもさ、爆発はダメって言われてなかった?」
「あれは、地下室に何度も火薬を運び込むときにバレるから駄目だと言ったんだ。これなら蝋燭を持ち込むだけで工作ができるし、穴を掘るのもここからで済む」
「ふーん……。でもさ、どうしてタナカが来るって分かるの? 他の人が来るかもじゃない?」
「あのとき情報を流せとだけ注文したが、奴隷商も素人じゃない。そこは分かっている。タナカだけに情報を教えたはずだ」
「そんなことできるんだ」
「彼女の奴隷はどこにでもいるからな。……さて、そろそろ離れるぞ」
「ん? はーい」
装置を放置して、一緒にその場を離れた。
そして、待った。
「……」
「……」
「…………」
「…………」
ボウイが俺を見る。それから装置の場所を見て、また俺を見た。
「…………まだ?」
「タナカが来るまでの辛抱だ」
「なーがーくーなーいー?」
「長い。そういうものだ」
「…………」
「…………」
「まだ――――」
その瞬間。
ドンッ。と鈍い音が洞窟中に響き渡き、辺りが僅かに揺れてパラパラと砂が降ってきた。
そしてあの穴から騒がしい音がして、いくつかの瓦礫が落ちてきた。
「…………いま」
「ああ。掛かった。これで終わりだ」
「おー。……おー……」
彼は感心したような声を出してから、気の抜けた声を出した。
「……なんかさ」
「なんだ」
「……地味じゃない? 爆発って、もっとこー、さ? そこがドドドドッて崩れるかなって思ったんだけど」
「洞窟中が揺れただろう。それに瓦礫も落ちてきた。タナカは爆発の中にいたし、運良くそこで生き残っても生き埋めだ。掘り起こされれば、そのうち死体が出る」
「そ……っかぁ……」
「それより、まだ仕事は終わってないぞ」
「え、でも……まさか……」
嫌な予感がしたらしく、彼は真っ先にスコップを見た。
「そのまさかだ。掘った穴からこの洞窟がバレないように――あの周辺を崩すぞ」
「嘘でしょ。え、危なくない?」
「危ない。だから――ゆっくり慎重にな」
「まーたーじーかーんーかーかーるー!」
ボウイが倒れ、大の字になった。
その夜の、円卓。ボウイを帰して、俺とアリアンナだけの空間だった。
彼女はただ真顔で、あのときと同じ椅子に座っていた。
「……それで、どうなった」
「始末した。さっき騒動があったのを、聞いたか」
「ああ。ある家が爆発して、周囲の家の者から怪我人が出たらしいな。その中心の家は木っ端微塵と聞いたが……」
「タナカはその家にいた。爆発の中心だ」
「そうか。そうか……こんなにもあっさりと……」
アリアンナは力が抜けたように、だらしのない姿勢で座った。
「…………昔のように、話し合えたらよかった。それで……済んだのであればな……」
「人は変わるものだ。もうとっくに、昔のダンビラポイントは死んでいた」
「そんなこと、この我が一番よく分かっている」
彼女は立ち上がり、俺を抱き締めた。
「……分かることと、割り切ることは別よ。昔の面影がどうしてもな」
アリアンナの腕に、ぎゅっと力がこもる。
「……側で一緒に変わっていけたのであれば、こんなに切なくなることもなかったであろうか」
「そうかもな」
「……そんな思いを、もうさせてくれるなよ」
返事をせず、ただ抱き返す。
……アリアンナを追い出せなくなったか。まぁいい。ならばこれ以上恋人の輪を広げなければいいのだ。
「……帰ろう」
「うむ。……時に、ルイマス姫は?」
思ってもない名前に一瞬、何のことかと思った。
そういえば彼女――あるいは彼――は行方不明になったのだった。ソフィアに誘拐され、散々した後眠り、起きたと思えば俺を探すと言って街へ出た。
それきり家に帰らず数日。ずっと街をウロウロしているらしい。奴隷商が言うにはあちこちで騒ぎを起こしているのだとか。
「さあな。だがきっと、その辺の誰かに保護されんじゃないか。警備に保護されたら、そういう話が騎士団に上がってくるシステムなんだろう」
「むぅ……心配だな。探してから戻ってもよいが……」
「仮にも人を殺した日だ。今日はおとなしくしていよう。探すなら明日からにしよう」
「分かった」
そうして騎士団を出た。彼女の馬に乗せてもらい、蹄のリズムを耳に家に戻る途中。街の門から出て少しのところで、誰かが馬の前に飛び出してきた。
夜の闇に紛れてやって来たのは――。
「アランさん。アランさん。アセアセ」
ステイシーだった。
「むっ! ステイシー嬢か!」
「どうした」
相変わらず顔も声も無表情だが、明らかに挙動が焦っている。馬から降り、彼女の肩を持って落ち着かせてやる。
「落ち着いて話せ」
「みー、大戦犯しました。完全なるやらかしです。ショボン」
「戦犯……。いったい何を?」
「今日の夕方、城の裏手のところでバッタリと『クソデカ傷だらけ筋肉ダルマ』と会ったんです」
思わず振り返ってアリアンナと顔を合わせた。明らかにダンビラポイントの特徴だ。
「それで、みーを『ぞんび』と見るや否や殺しにかかって来ました。相手は話も通じないし、殺意しかありませんし、命の臭いが濃すぎて気分も悪くなるしで散々です」
「それから?」
「みーはこの世界で既に、みーを狙うやつを大勢殺しているので、まぁいいやと思ってツバみさいるを発射して当てました」
「動機が軽すぎる……ん、当てただと? 待て、それはいつのことだ」
「何時とは言えません。ただ、まだ空は青かったです」
あの爆破より前だ。
さっと背筋が冷たくなる。
まさか、殺す相手を間違えたか。関係のない者を吹っ飛ばしたんじゃないのか……。
「戦犯ぽいんとはここからです。なんか……アイツ生きてました」
「え?」
「そのままの意味で、生きてました。以前も言ったと思いますが、みーの中には人間が思い付くより沢山の菌がいます。恐らくその中で――『ぞんび化ういるす』を引き当てたのかもしれません。こんなことは初めてなので、確かとは言えませんが。シュン」
アリアンナも馬を降り、ステイシーにつかみ掛かるように詰め寄った。
「は、話が見えてこん。つまりその、ダンビラポイントは――ゾンビになったのか」
「そう思います。あの明らかにヤバそうな奴が、もしかしたら……みーと同じくらい不死身になった可能性があります」
「ふ、不死身だと!?」
「落ち着け。まだそうと決まった訳では……」
「えぇい、落ち着いていられるか! もしそうならば――」
「そうならばァ」
背後。城の入り口の方角。聞き覚えのある声がした。
三人で振り返る。そこには巨体。黒く煤けて、奇妙に歪んだ鎧を身に纏う、ダンビラポイント・タナカがいた。
「このオレがァアアア! 最強の騎士になったと言うことだァアアアッ!」
「だ、ダンビラポイント……。貴様……」
「あぁ分かるぞ。やはりお前の『臭い』だったか。お前だって思ってたんだ。誰がどこにいるのか臭いで分かるってのはいいなァ!」
ゆっくりとこっちへ近付いてくる。それに対してステイシーがバッと前に出た。
「ここはみーに任せて、ゆーたちはルイマスを探してください」
「ルイマスをか?」
「この世界で死と生に一番詳しいのはあの転生クソジジイです。早く」
言うなり彼女は自分の指を食いちぎって、大男に投げ当てた。当然指などでは彼はびくともしていない。
「――行くぞアリアンナ!」
「うむっ!」
それとほぼ同時に俺たちは馬に乗る。
騎士も殺し屋と同じくらい、対応力には長けているようだ。
「逃がすかよォ! このオレをォオオオ! 殺そうとしやがったメス犬がァアアア!」
「ゆーの相手はこっちです。ワンちゃんを悪口に使う外道筋肉おバカさん」
俺たちが馬で迂回するのをタナカが一気に詰め寄ってくる。
その瞬間、ステイシーが指を失った手を前に差し出した。
「――すていしー秘密ウラワザ真拳」
タナカが背中に指ミサイルを受け、よろめいて膝をついた。その隙に距離を離して城へ向かう。
振り返って見ると、タナカが起き抜けにステイシーの首を掴み上げているところだった。
「く――ステイシー嬢は本当に大丈夫なのか!」
「アイツの不死身は本物だ。問題はどれだけ時間稼ぎしてくれるかだ」
「そう言うならば信じよう。それで――むぅ!?」
城下町の入り口、門番をしていた警備が無惨に殺されているのを見つけた。手足が無いか、有っても無茶苦茶な方向に曲がっている。
俺たちが出てからほとんど経っていない。その一瞬でこんな状態にしてしまったのか。あまりの早業で騒ぎにすらなっていない。
駆け抜けると同時に、アリアンナが呆れたような声を出した。
「全く。あの噂話に尾ひれが付いていなかったとは恐れ入った。化け物に成り下がったか」
「感心している場合か。とにかく大市場に向かえ」
「大市場だと? 大勢が死ぬぞ!」
「情報屋がいる。そいつなら知っているかもしれない。何より――臭いを誤魔化すなら臭いの中に飛び込め」
「否! 臭いがそこで消えたならばあやつはその策に気付く! 気付けば皆殺しを厭わぬ男だ。貴様を下ろして我が陽動する!」
騎士の誉れとやらも厄介なものだ。だが言い争っている暇もない。大市場に最も近い場所に着いてしまった。
彼女を、信じるしかない。
「分かった。合流地点はあの出入り口。合図はルイマスの声だ。アイツを拾って草原を逃げ回るぞ」
「うむっ! では行けい!」
彼女の言葉と同時に飛び降り、大市場へ駆けた。
城下町の入り口で起こった惨劇を知らぬ人々を縫い、退かし、バーに駆け込む。
乱暴に扉を開いた瞬間、寡黙なマスターが――俺の死角で――ナイフの柄を握った。
「驚かして悪いな。奴隷商を出してくれ。緊急の用事だ」
武装解除でもして敵意がないことを示そうかとも思ったが、その前にマスターは頷き、酒の棚の側にさりげなく垂れたロープを引いた。
ほどなくして、奴隷商が出てくる。
「どうしたんだい。そんなにドアの音を響かせて」
「ルイマスの居場所を知りたい。情報はないか」
「最後の騒ぎは娼婦街。つい今しがた届いたばかりの情報さ」
「分かった。訳は後で」
彼女の「あ、ちょっと」という声を背に飛び出し、大市場を抜けて洞窟へ入る。
入り組んだ構造だが、分かれ道にある印を頼りに娼婦街近くの廃屋の床下から出た。そのまま路地から大通りに抜け出る。
そのすぐ側に人だかりが有った。あれかもしれないと駆け寄ると、案の定覚えのある声が響いてきた。
「んがぁあああああ! どいつもこいつもぉおおおお!」
「そっち抑えろ! 暴れるなこの……」
「やめろぉおおおお!」
レイプだかリンチだか知らないが、無理にでも連れ出してやる。声を張りながら人だかりを掘り進め――。
「粗チンか巨根しかおらんのかこの国はぁああああっ!」
「君みたいな女の子がそんなこと言っちゃダメだろ! こういう所は大人になってから来るんだよ!」
「指図するなぁあああ! チンポを寄越せぇえええ!」
こっちはこっちで妖怪みたいだ。なにがどうなってるんだこのバ美肉ジジイは。
「ルイマス!」
「アラぁあああン! お前のチンポは程々かぁああああ!」
話が通じない。なら拳で通じさせる。胸ぐらを掴み上げて顔を殴り抜けた。
投げられたように吹っ飛び、ルイマスは涙目で頬を押さえた。
「ひん……び……美少女の顔に何てことを……スン……スン……」
「バカやっている場合じゃない。早く行くぞ!」
「行かないもぉん……スン……」
「アリアンナが待っている」
言った瞬間にルイマスは立ち上がり、顔に光を灯す。
「それを先に言ぇええええ! メスイキパーティーナイトじゃぁあああ!」
唖然とする男たちを無視して少女と走る。
それから洞窟に戻り、またひた走る。
「ルイマス。悪いが一仕事ある」
「なにぃいいいいいい!?」
「なにぃいいいいいい!?」
「なにぃいいいいいい!?」
洞窟中にこだまし、ルイマスが分裂したかと思うほどハッキリと声が帰ってきた。
「うるさい黙って聞け。今回のターゲットにステイシーのゾンビ化が感染した。転生なんて離れ業をやってのけたお前なら、死に詳しいはずだ。あの不死をどう殺す? あるいは無力化でもいい」
「…………」
「……静かに喋れ」
「その不死は……ステイシーの不死かのぉ……」
蚊の鳴くような声がした。両極端しかないのかお前は。
「どういうことだ」
「重要なのは……この世界の中で成立したことじゃ~……。ステイシーと同質ならどうにもならんが……異質なら術はあるぞ~い……」
「分かった。どこでならできる」
「オーブのあるとこじゃ~……」
ということは、テラリスの塔へ向かえばいいのか。彼の研究成果は根こそぎ持っていかれたが、オーブはまだあの塔の上にあるらしい。
「よし、行くぞ」
街の入り口に近い出口。出てすぐの影に、死体がいくつかあった。どれも一目で死因が分かるほどに損傷していた。
どうやらあの惨劇はここまで延長して来ているらしい。どうあっても死なない武将となれば、もう国を敵に回すことすら怖くないのだろう。
「な、なんじゃぁああ……!?」
「これが解決したい問題だ。じきにアリアンナが来るはずだから入り口で待つぞ。そこでお前は全力で叫べ」
「なんでぇええ!?」
これがもうもう十分に大きく、静かとは言えない街の中心でも聞こえそうな大声だが、確実に届かせるべきだろう。
「お前の声を合図にしたからだ。到着次第――」
「ブワ"ァ"ア"ア"ア"ア"ア"ア"ア"ッッッ!!!」
こいつは本当に人間か? おおよそ少女の声帯から出ているとは思えない声質で、おおよそ人から出たと思えない音量の絶叫が鳴り響いた。
彼女を連れ門に向かう。
「…………よし行くぞ!」
「分かったー」
「声がちょうど良くなったな!」
「ワシはい――おりじゃぞー?」
「何か言ったか!」
言いながら、環境音まで小さくなっているのに気付いた。俺の耳が聞こえにくくなったということか。人の声だけで耳が遠くなったのはこれが初めてだ。
「とにかく行くぞ!」
「はーい!」
二人で走り門に着く。振り返った大通りの向こう。
飛び出すのは馬。アリアンナが前傾姿勢で全力疾走させている。
そして、その5馬身ほど後ろに巨体が躍り出た。馬ほど早くないにしろ、人にしては十分すぎるほどの速度で迫っている。
俺とルイマスを乗せるために馬を止めては間に合わない。
少女の腕を掴み、有無を言わさずに背負った。
「しっかり掴まっていろ!」
「分かったぁあああ!」
目前に迫る馬の軌道を予測し、棒高跳びのような助走で走る馬に迫った。
そしてアリアンナが、手を差し出した。
「乗れェいッ!」
その手を掴んで飛ぶ。ものすごい力で引っ張られ、すんなりと馬に跨げた。
「よくやったぞ、アラン!」
「お前もな。このまま双子神の塔に向かえ。オーブのある塔、あそこなら解決できる」
「うむっ、相分かった! こちらも分かったことがある。やはりあの男は不死身だ。警備があやつを取り囲んでクロスボウで蜂の巣にしたが……死なないばかりか傷も治った」
「ステイシーと同じか。本当に厄介なことになったな」
ステイシーと違い、中まで化け物になった男。それが壊れた鎧を鳴らして後ろから追ってきていた。
一人と少女の分だけ重くなった馬は足取りが重く、背後のダンビラポイントと同じくらいの速度になってしまっていた。
ふと思い出すのはステイシーとの登山。彼女は体力という概念がないと思わせるほど疲れ知らずだった。あの武将も同じならずっとあの速度をキープするだろう。
一方でこの馬はあと、どれくらい走れるんだ。
「……く。やはり重いか」
俺の予感に応えるかのように、アリアンナが声を漏らす。
「間に合わないか」
「ああ。このままではな」
「なら、俺が降りる」
「否」
彼女は馬を走らせながら、右手の手甲を脱いで投げ捨てた。それはダンビラポイントに踏み潰され、歪な金属音と共に壊れた。
「知らんだろうが、この四つだけでルイマス姫一人分はある」
続いて左手も外し、全く躊躇せずに捨ててしまう。それも踏み壊された。
「なるほど。だが……いいのか。その鎧を脱がなかったのは、お前にとっての騎士の誉れだったからじゃないのか」
「うむ。長らく付き添った我の誉れだ。我の騎士としての証だ。胴は脱いでも全ては脱げなかった。それは今日までのこと。騎士であるが故にアリアンナ・バーネットなのではないからな。……それに」
右脚。脱いで横へ投げ捨てる。
「もしも本当に、我が騎士でなくなったとしても。きっとお前が我を姫にしてくれるだろう」
左脚。彼女の綺麗な素足が露になった。馬はいつの間にか、その脚どりを軽くしていた。
「そうと知って、この誉れを棄てることに何の恐れがある。だからアラン――」
彼女は言葉と言葉の間に、微笑みの息を吐いた。
「――早く、我の騎士になってくれ」
「……ああ」
ただ、彼女の背を抱き締めた。その手を、アリアンナはきゅっと握った。その手は暖かかった。
追い出そうと思っていたのに、まさかこんなことになるなんてな。一種の天罰なのだろうか。
馬は武将を突き放し続け、相手の姿が闇に消えてしまってしばらくして、件の塔にたどり着いた。
誰よりも真っ先に降りたのはルイマスだった。
「どうする気だ」
「そもそもぉおおお! この世界で成り立った現象はこの世界の法に従うのだぁあああ! ステイシーは不死を持ち込んだだけでありぃいいい! それを成立させたのはこの世界の法じゃああああ!」
「前置きはいい。どうやって死を無くした奴を殺せばいい」
「死は無くなっていなぁあい! 死は生の否定ではなく生という機能の消失でしかなぁああい! あれは生という機能の内部処理構造が変性! 固着! 即ちデッドロックしただけにすぎなぁあああいっ!」
「なら――生の『機能』を修理するということか」
「はい凡骨ぅうううう! 凡骨でぇえええす! 修理じゃなくてすり替え再定義でぇえええす!」
「……そんなことを言い合っている場合か。すべきことがあるなら早くやれ」
「やりながら説明してたもぉおおおおん! ばぁああああああか!」
こいつ……。
いや、ここは耐えろ。殴るな。……今は。
「難しくて何かは分からんが、どうにかできるのだな!」
「できますアリアンナ様ぁあああ!」
「うむ! ご褒美に期待しろ、ルイマス姫!」
……姫?
そういえば、アリアンナはさっきからルイマスの名前に“姫”を付けている。一方ではステイシーには“嬢”だ。
…………まさか。
畜生。よりによってこのタイミングで、こんな最悪のことに気付くなんて。
遠くから、地面を叩くような音が響いてきた。
「――む。来るぞ。間に合うか!」
「いつでもいいでぇええす! ちょっと時間稼ぎしてくださぁああい!」
「よしきた!」
ド。ドっ。ドッ。
その音は重く、とても人が走っている音だとは思えなかった。
「こんな何もない場所を死に場所に選ぶなど、らしくない。誉れとやらで円卓に向かうと踏んでいたのだがなァ」
立ち止まらずに走ってきたはずが、息切れの一つも起こしていなかった。やはり体力が無尽蔵になっている。
「らしくない、か。そのまま返すぞ、弟よ。罠と知って飛び込むとはな」
「どんな罠だか知らんが、不死身になったオレを殺せる罠があるのか。どうだ?」
アリアンナは答えなかった。その代わり、質問を返す。
「……時に貴様。部下はどうした」
その言葉にダンビラポイントは、大笑いした。
「またその質問か。ついこの間に誉れだとか言っていた鎧を捨て、不死身のオレに殺される時になって、痴呆になるとはいい気味だ。そのまま我を失ってそのお仲間さんを殺してみろ」
「そうではない。あの円卓の人間を、何人引き入れたかと聞いている」
男の顔が曇った。
「その必要があるか。お前が死ねば弟のオレが団長に……」
「呆れた弟だ。姉を失脚させて乗っ取ろうというのに何の根回しもせんとは。その上、血の繋がりだけを宛にしていたときた。あいにくだが――」
女が地を踏みつける。素足だというのに、その音はずっしりと重かった。
「――円卓には、無能を率いれる趣味はない。貴様など掃除係にもならん」
「……遺言は終わったか?」
ダンビラポイントが、一歩前に出た。まずいな。もう始まるのか。
ルイマスはまだ何かをしている。宙に文字でも書くような動作だった。
まだ時間稼ぎが要るか……?
「フン。いざ殺す段階になって、お仲間は脚がすくんでいるらしいな。あるいは、見捨てるか? 見捨てるなら」
「はい終わったぁあああああっ!」
ダンビラポイントの声が、あっさりかき消された。
「なんだこのクソガ」
「お前ぇえええ! やはり揺らぎを無くしていたなぁあああ! 構造情報推移がロックされてたぞぉおおおお!」
言葉を遮られ、憎悪を露にした。
「ぎゃあぎゃあ騒ぐなッ!」
「お前の声が小せえからじゃろクソガキぃいいいいッ!」
「まずはお前をブッ殺してやるッ!」
「その前に、ちょっといいか」
俺が話しかけると、ダンビラポイントは舌打ちをする。
「黙れ」
「質問だけさせろ。“臭い”とやらは感じるか」
「あ?」
彼は鼻を鳴らすほどに臭いを嗅ぎ、その顔を青くした。
その反応で十分だ。
「まずは俺が相手だ。アリアンナを相手取るのに、俺すら殺せない訳がない。そうだな?」
「…………当たり前だ。お前ら全員……簡単には殺してやらん」
ナイフを取りだし、ダンビラポイントの前に立った。
……やれやれ。結局こうなるのか。正面からの勝負で無事に勝つ確率はないだろう。
なにかできることは……駄目で元々がひとつ。やるだけやるか。
「……“決闘”の準備はいいか」
そう言うと、ダンビラポイントは鼻で笑う。
「決闘、ねぇ……。お前も誉を信じる痴れ者か。虫酸が走るじゃあないか。……お前の骨とまとめて素手で捻り潰してやる」
そして、腰の剣と棍棒を地面に置いた。
上手くいった。
あとは――急所を狙い打つ隙をどう作るか、だな。
相手は素手。とにかく小回りが効く。いきなり首を狙ったところで仕留めきれない。
よく見ろ。観察をしろ。相手の弱点を見抜け。
相手は西洋式フルプレートアーマーだ。意匠は円卓のものと近いので、おそらく国を出てからも同じ鎧を着続けているのだろう。それがさっきの爆発で一部損傷し、かろうじて狙える隙間がいくつかあった。
その内のひとつ。歪んだ手甲。手首の裏。ひしゃげて割れた鉄の隙間に、彼の素肌が見えた。
「素手? ……後悔するなよ」
「くははは! とっとと来い腰抜けが!」
巨体へ駆け出す。
あれはもはや全身が武器だ。こちらからの攻撃は通らず、向こうは動きの一つ一つが攻撃になる。
一方で俺は、人を武器にする。
「オラッ!」
ナイフで相手の鎧に切りつける。全く刃が通らず、手がしびれた。その上手首を痛めた。力を込めすぎた。
男は、むしろ驚いた顔をしていた。
「くぅ……なんて硬さだ」
「…………何かの冗談か?」
手首を腹に抱えて擦りながら、地面を探す動作をする。
足元は暗く、よく見えなかった。
「…………く、はははは! わっはっはっは!」
ダンビラポイントは腹すら抱えて笑い出す。
「見ろ! こんな間抜けがお前の部下だと!? 鎧の硬さすら知らん素人だ。ナイフを取り落とした上に敵の目前で探す白痴だ! あーっはっはっは!」
笑いながら俺の胸ぐらを掴み、軽々と持ち上げてきた。
「ああ分かったぞ。オレが素手だからお前も素手になってくれたんだな。そうだろう?」
「い……いや……」
俺を持ち上げる手を掴み返した。
「こうも簡単に引っ掛かるとはな」
言葉を発すると同時に、手甲の破損の隙間から、ナイフを刺し込んだ。
この角度。この位置ならば――橈骨動脈を切れる。親指の下に繋がる動脈だった。
「な――」
相手が慌てて俺を取り落とす。
だがもう遅い。吹き出した血が辺りに飛沫を上げた。鎧越しに止血はできない。
だが――末端の動脈では出血性ショックに陥るまですら長い。
着地と同時に相手の膝を踏み台にして飛び上がり、体重をかけて首にナイフを突き立てた。
これで止め――。
――――――――。
――意識が、戻った。
気付いた時には地面にいた。
呼吸するだけで脇腹が、肋骨がゴリゴリといって痛む。
骨を、砕かれていたようだった。
「お……前……」
ダンビラポイントの声がした。
俺を見下ろして、刺したはずのナイフを手に持っている。首から血が吹き出しているようには見えない。
……頸動脈を外したか。
「ふざけやがって……お前みたいな……名もないクソ野郎に……」
「……く……ぁ……」
声すら出せない。
動こうとすることすら、痛みは許してくれないようだった。
……相討ちすらも失敗か。
重い足音が、一歩、二歩。
それで、止まった。
そして――崩れ落ちた。
「畜……生……が…………」
倒れた彼の首もとを、痛みを忍んでどうにか覗く。
凄まじい血の臭いと、月の光をてらりと反射する血濡れ。
外していなかった。やはり動脈を切ったんだ。もう、心臓がほとんど動いていなかったんだろう。
「アランっ!」
月だけが輝く夜空に、アリアンナが割り込んできた。影になっていて、どんな表情をしているかは分からなかった。
「見事な決闘だった。動けるか」
「……」
やはり声が出ない。経験上、この怪我なら死ぬことはない。肺に骨が刺さっていなければ、の話だが。
「く……どうにか街の医者へ行くぞ。ルイマス姫!」
「……」
ルイマスは、俺をじっと見下ろしていた。
「どうしたルイマス姫! アランを運ぶぞ。手伝ってくれ!」
「…………連れていかなくてもよぉおおい!」
アリアンナが絶句した。
ここに来て裏切りか。やはり元ターゲット。隙を見せたのが間違いだったか。
「な……なにを……」
「なぜならぁあああ! ついでにちょっとした仕掛けをしたからのぉおおお!」
「仕掛け……とな?」
「ワシの転生術をアランにもかけたぁあああ! 死ねば美少女に生まれ変わりじゃぁああああ!」
び、美少女……だと……。もしこのまま放置されて死んだら……ルイマスと同じ末路を辿ることになるというのか。
裏切りではなかったが、裏切りよりもよっぽどヤバい。
「な……! それは。……それはそれで……」
「放置しましょうアリアンナ様ぁあああ!」
「くぉおおおおおっ!!」
気合いで飛び起き、自力で馬へ向かう。
クソ。冗談じゃない。
美少女になどなってたまるか。
「な、なんという生命力だ! だがアラン、無理しなくていいんだぞ!」
「ワシと一緒に美少女になろうぞぉおおお!」
「俺は……俺はごめんだ……! 転生などしてたまるかぁあああっ……!」




