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貴いお方が裸同然とはどういう了見だ  作者: 能村龍之介
殺し屋、なんか転移するの章
33/118

28 挑むは神の塔

「ねえ、アラン君……だっけ」


 騎士団の館、その廊下で、見知らぬ男に声をかけられた。彼は確か、新しい武器庫の管理人だったか。


 わざわざ声を掛けてくるとは、何の用だろうか。


「どうも。俺の装備品になにか不備が?」

「不備? いやいや、そんなのじゃないよ。ちょっと……頼み事があって」


 彼はどう言おうかと少し考え、洗いざらい言うことを選んだ。


「キャシディがね、そういう頼みごとをするならアラン君がいいって言ってくれててさ。……どうかな。礼はするから、もちろん」


 キャシディから面倒ごとをたらい回しにされたようだ。


「内容によりますね。僕にだって解決できないことはあります」

「ああえっと、内容は……まぁ人の説得……かな。自分の親戚に有名らしい賢者がいるんだけど、もう、あれもこれもって頼んできてさ。お使いとか、草摘んできてとか、自分でやればいいのにさ。でも忙しいからって、押し付けてくるんだ」


 彼は頼まれると断れない(たち)らしい。実に好都合だ。


「それで?」

「なんでも、ライバルがどうとかこうとか言ってて、たぶんそのせいなんだよ、めちゃめちゃ研究にのめり込んでるのは。だから……えー……どうにか説得できないかなって」


「うーん……。そもそも説得できそうなのか? 雰囲気というか」

「……難しいかな……」


 彼の顔にはすでに、諦めの表情があった。


「……やるだけやろう」

「えっ? いいの?」


「成功したら……僕の頼みごとも聞いてくれるかな。まぁ、貸しってヤツ」

「いいよ。もちろん。ありがとうねぇ」


 彼は微笑んだ。


 ……なんだか、嫌な予感がするな。


「ところで、君の名前は?」

「あぁゴメン。自己紹介がまだだったね。ジョンだよ」


 よし。お前はターゲットじゃないな。ターゲットは名前が凄いことになっているという法則があるのだ。彼はそれから外れる。


「分かった。知ってるみたいだけど僕はアランだ。それじゃあ、親戚の人について教えてくれるかな?」




 そしてやって来たのは、塔だった。石造りの円筒で、十数階建てのそれなりに高い塔だ。


 双子神の塔の片割れで、昔は神聖視されていたし、今でも研究が盛んにされている『オーブ』なる物を安置する場所でもあるらしい。


 しかし、今ではオーブ研究のために籠った変わり者の賢者の住処である。そういう認識がされていた。


 ローズマリー王国城下町からそこまで遠くない位置ではあったものの、ソフィアの家からだと城が邪魔で見えず、今まで気付かなかった。


 とにかく入ってみるか。石のアーチをくぐり、塔を時計回りに渦巻いて上っていく階段をゆく。


 ジョンは来ていない。賢者のお使いをこなさねばならないらしい。


 いくつかの窓を通り過ぎ、最初の踊り場。右手には扉があった。


「すみません。いらっしゃいますか」


 ノックして呼び掛ける。返事はない。もっと上だろうか。


 さらに上がり、踊り場の扉をノックし、さらに上がり……。そうして、結局最上階まで来てしまった。もうひとつ上がれば屋上だ。


 ……居てくれよ。留守だったらこの塔を上がり直すハメになる。やや緊張してノックする。


「いますか?」

「おん? なんじゃ」


 返事があった。ほっとしながら扉越しに話を続ける。


「ジョンに頼まれて来ました。入っても?」

「ダメじゃ」


「どうしてですか」

「知らん人間を不用心に入れるわけがないじゃろ。これでも(わし)ぁ、賢者だぞ」


 凄まじい正論に、思わずため息が漏れた。まぁ、普通はそうだよな。


「なら、扉越しにでも構いません。話だけさせていただきたいのです。研究にのめり込み過ぎだそうですね」

「……やれやれ。入れ」


「いいのですか?」

「強盗がそう、説教を垂れるわけがあるか」


 言葉に甘えて、中へ入った。


 中にいたのは、豪華な椅子の柔らかそうな座面に身を預けた、ローブに身を包んだ老人だった。まさに賢者だ。


「初めまして。アランといいます」

「儂のことはもう知っとるな」


「いえ」

「知らんとな? いかんぞ、きちんと勉強せねば」


 知らないというのは噓だった。オーブに関する研究を少し探れば、あちこちに彼の名が出てくる。学校で使う教科書にも、偉人として紹介されていた。


 もっとも、彼のライバルと呼ばれた男もそうだったのだが。


 しかしそうした偉人というのは見習う所ばかりを紹介し、往々にして美化される。ならば彼を知らない体で会話し、生きた彼の情報を得る方がいい。


「では名乗っておくが、儂はニコラス・テラリス。オーブ研究の第一人者じゃ」

「第一人者。自分で仰るのですか」


「実際、儂が一番よく知っておるわ。それにそう名乗らねば……忌々しいあの男が優れていると認めることになる。ええいルイマスめ……」


 テラリスが拳を握る。そして客の匂い――まとわりつく殺意が滲んだ。


 ……ふむ。依頼主は服が凄いことになっている女だけかと思ったが、そういう法則は無いのか。


「ルイマス?」

「……いや。気にするな。あんな男の話など。それより……お前は儂の何をどう説得する気じゃ?」


「ジョンさんが言うには、研究に没頭しすぎだと。それであれこれ頼まれるのが嫌なそうです」

「嘘をつけ。嫌なら断るじゃろ」


「断れない人もいるんですよ」

「いやいや、あやつはいつも笑顔じゃった。……本当に?」


 (かたく)なそうな老人の表情が、一瞬にして子犬になった。


「ええ。迷惑しているからどうにかしてほしいと」

「……そうじゃったか……。うぅむ……」


 テラリスはうつ向いて、「そうならそうと言えばよいのに」と呟いた。


「なら、ちゃんとした業者に頼む。足労、済まんかったな。ジョンにも伝えといてくれ」


 あまりにもチョロすぎて、思わず目を剥いた。


「ものすごく物分かりがいいですね……?」

「賢者じゃからな。……そうか……迷惑じゃったか……」


 いよいよ落ち込み始める。


 賢者とは言うが、その実態は『調子に乗りすぎたおじいちゃん』だ。


「……ところで、どうしてそんなに研究に勤しんでおられるんですか?」

「む? ……ま。ルイマスのヤツめのせいじゃ」


「ジョンさんはライバルがどうこう言ってましたけど、もしかしてそのルイマスが?」

「そういうことじゃな。あいつの悪ふざけのような揺らぎ情報伝達理論が、もう完成間近だと言うんじゃ。そんなものはオーブ研究どころか、魔術の理論体系を汚染しかねん」


「ほう。それより先に、テラリスさんの理論を完成させようと?」

「そうじゃ。樹状鍵(じゅじょうけん)分野の、非接触伝達理論がもうじき形になりそうなんじゃ。今までは経験式なんじゃったけどな? そこの欠けたところをうまいこと埋めると、他の理論との連携がうまくな……。とにかく、もうじきできそうなんじゃあ……!」


 彼はもどかしげに悶えた。


 ……殺意はあったが、これは手出しするべきじゃない、か?


 例えばエジソンとテスラのような、憎み合いながらもお互いにあらゆる理論を完成させた者たちがいる。殺意はあっただろうが、二人の理論は後生で存分に活きたのだ。


「それに、儂が一番であると証明されれば、あやつを止められる。どうにかしてあやつの犠牲者を増やさんようにせねば……」

「……犠牲者?」


 思ってもなかった言葉に、思わずオウム返ししてしまった。すると老人は深刻な表情で深く頷いた。


「あやつが住んどる塔には、罠が仕掛けられておるのじゃ。それを知らんで登ろうとして、もう何人も死んどる。噂じゃが、その復讐をしようとした遺族や、遺族に雇われた殺し屋も塔を登れずに返り討ちじゃ」


 話が予想外の方へ動き始めた。ルイマスはそんな場所に済んでいるのか。


「じゃあ、ルイマスが出てきた時に話をつければ……」

「アイツは塔から降りんのよ。魔術で食い物も育てるし、理論書なんかも布で風受けを作って、塔に吹く風に乗せて飛ばしておる。学会の会費もじゃ。信じられるか? 塔のてっぺんから銅貨を落とすんじゃぞ」


「それは……凄いですね、なんだか」

「学会なんぞのお知らせを受けとるのにも、人死にが出ることもあるそうじゃ。イカれた理論を思い付くだけあって、イカれておるわい……。それなのに、あやつの理論に価値があるとお国は見逃しておる」


 トラップタワーの賢者、か。


 ……ふぅむ……どうするべきかな……。


「学会の開催まで一週間……。なので理論の完成が難しそうなら、儂が始末する」

「ま、え、待って。待ってください」


 慌てて止める。初めてこんな慌て方をしたぞ。イカれているのはどっちだお前。


「止めるな……。人類のためであり、学術のためであるぞ……」

「それは……プロに頼むというのはどうでしょうか」


「……? 殺し屋か? さっき言ったろう、殺し屋でも返り討ちにあったと。第一、殺し屋なんてどこにおる」

「ここにいる。お前の目の前にな」


 演技を止めると、老人は驚いて胸を押さえた。


「わぁビックリした。儂を殺す気か」

「お前はターゲットじゃない。俺がここに来たのは偶然で、ジョンの頼みだというのは本当だ」


「ほぉ……そんな偶然があるものだな」


 彼はしげしげと俺を眺めた。意外と肝が据わっている。


「それで、どうする? 依頼すれば、ルイマスを始末しに行ける」

「うーむ……」


「依頼料は、殺せなければ払わなくていい。俺も、無理をして死ぬほどバカじゃあない。無理そうなら引き返してくる」

「……いや。止めておく」


「いいのか?」

「引き返せばよいとは言うが、そういうやつほど引き際を見失って、なんやかんやで死ぬかもしれんしな。老いぼれた儂の依頼のために、若い人の命をかけさせられんよ」


 どうやら、俺の身を心配しているようだ。


「あやつを止められるなら……始末できるなら依頼したい。じゃが、やはり儂にしかできん」

「と言っても、どう攻略するんだ」


「オーブの魔術を使えば入れるのよ。儂だけはな。それでルイマスを……刺し違えてでも殺しちゃるわい」


 老人は言いながら、机からナイフを取り出した。それはいかにも儀式に使うような、曲がった刃をしていた。


「……殺し屋の仕事は、命を張って命を奪うことだ。若い者に未来があると言えばそうだろう。だが、誰しもが素晴らしい未来を迎えられる訳じゃない」


 彼のナイフを持つ拳に、手を添えた。


「お前ほどの偉業を成し遂げられる者は、なおさらだ。素晴らしい未来を掴みとった者が死ぬのを、黙って見ている気はない」

「強情じゃな。……じゃが、儂もよ」


 テラリスは、椅子に深く座り直した。


「……ジョンの伝言は預かった。帰りなさい、アラン」

「だが……」


「ええい、研究の邪魔じゃ。帰れ帰れ」


 手を払い、彼は机に向き直った。迷いの色があったものの、依頼しないと決意したようだ。


 ならば、俺にできることはない。


「……分かった。ではな」


 部屋から出て、階段を……。


「……ん?」


 踊り場に紙が落ちていた。来るときには無かったものだ。拾って読んでみると、


『三つ下の部屋に来てください。鍵は開けてます』


 と、まるで印刷したかのような、精密な字が書かれていた。


 なんだろうか。紙の指示の通り三つ下の部屋まで下り、ドアをノックした。


「……あの紙のメッセージ相手は、俺か? それともテラリスか」

「イエ。アナタで良いデス。入ってくだサイ」


 抑揚のない声。だがゾンビのステイシーとは違って、やけに無機質だった。


 …………まさか……。


 扉を開ける。


 中に居たのは、女……女でいいのだろうか。女の形であることには間違いない。


 艶消しされた、卵のように白いボディ。滑らかに回転する球体間接。光る三角の両目。身体の曲線がやたらと艶かしく、シルエットだけならアリアンナ並みだ。それが裸に、黒いニーソックスと、黒い腕貫と、黒いエプロンを着ていた。そのどれもに黒のレースがあしらわれている。


 …………ロボット出てきちゃった……。


「お……お前は……?」

「ワタシはドゥカ。どうぞヨロシク」


「はぁ……」


 口はなく、口の付近からスピーカーか何かで声を出しているようだ。


「お話を聞いてマシタ。殺し屋だそうデスね」

「ちょっといいか」


「いかがなさいマシタ?」

「お前はなんだ。どう動いている?」


 ロボット以外に形容しようがないが、彼女はいったいどう動いているのだろう。このローズマリー王国にしてはとんでもない技術だろうし、場合によってはこのロボットひとつで革命が起こるだろう。


「ワタシは魔術と世界のあらゆるマナで駆動する、オンリーワンでフォーエバーな存在デス。ワタシのプロトタイプがあったのでデスが、再現が難しすぎるとのことで、実用化されたのはワタシだけデス。どうデス。超オンリーワンでショウ!」


 彼女は大袈裟に身ぶり手振りし、最後にドンと胸を張った。語尾に『ドヤ』と付きそうだ。


「そう……だな。高性能な家事ロボットだ」

「家事? いいえ、ワタシはセクサロイド。セックス専用のロボットなのデス」


 彼女はエプロンの前を持ち上げ、柔らかそうな素材でできた性器を見せてきた。ついでに胸元のエプロンも絞り、同じ柔らかい素材でできた胸を揺らして見せる。


 ……テラリスも可哀想に。こんなところで、一番知られたくないであろうことを知られるとは。


「ま、未使用なんデスが……。生涯かけてワタシを作ったマスターなのデスが、生涯かけちゃった結果、勃起させられなくなっちゃいマシタ」

「はぁ……」


「なので、この疑似ペニスで性行のフリをしてあげて、楽しませていマス。マスターベーションと言うのデスよね?」


 彼女の腹のカバーがずれ、中からディルドが出てきた。バイブレーションしたり、うねうねと動いたりしている。


「快楽器官を作って頂いたので、ワタシも気持ちよく楽しませて頂いてマス。マスターも非常に嬉しそうな顔でご覧になられていマス。それと」


 彼女はディルドの背を自分の股間に当て、カチャリとはめた。


「このように、男性器としても使用できマス。後付けでも感覚は機能するのデスよ」


 彼女はディルドの先端に触れ、ピクリと腰を震わせた。それから、脚を開いて立つ。


「マスターのお気に入りを実演いたしマスと、ワタシは毎晩こうして、腰を振りながら女性器や男性器を擦って……」

「ドゥカ」


「ハイ」

「止めてやれ。聞いた俺が悪かった」


 いよいよテラリスが気の毒になってきた。この場面を目撃したらショック死するんじゃないか。


「……? 構いマセン。では本題に入っても?」

「ああ、頼む」


 ドゥカはディルドを仕舞ってエプロンを戻し、「では改めマシて」と両手を下腹部に当てた。


「ルイマス殺害の依頼。ワタシからさせて頂けまセンか」

「……それは……ふむ……?」


 この場合は……どうすればいいんだ? ロボットに依頼などされたことはない。彼女の仕事を受けていいのだろうか。ロボットなのだから殺人依存症にはならないだろうが、殺人という解決法があると覚えさせてもいいのか?


「……報酬は金貨五枚。だがその他に条件がある。もう二度と殺人の依頼をしないことだ」

「分かりマシタ。ワタシの倫理回路に記録しておきマス」


 なら……。いや、一応もうひと確認してみよう。


「もうひとついいか。自分はロボットではないと偽ってみろ」

「無理デス。ロボットなのにロボットでないとは主張しかねマス」 


 よし、彼女は嘘を吐けない。ならば大丈夫だろう。


 ……というか、結局服が凄いことになっている女が依頼人という法則が守られたな。


「分かった。それなら受けよう」

「良かったデス」


「ターゲットはルイマス、でいいのか?」

「ハイ」


「……彼のフルネームは?」

「ルイマス・エジリン。デス」


「なんだと……」


 他のターゲットに比べてふざけた要素があまりなく、落ち着いている。こっちの法則が崩れたか。


「……ミドルネームはないのか?」

「あっ。ありマシタ。ルイマス・“アババ”・エジリン、デス」


 アババ……! ターゲットに違いない。やはりこの法則も乱れていないな。


 ……。


 ……だからなんだっていうのだ……。


「それでは、他の詳細についてお話をしマス」


 彼女はおもむろに、床に座った。両足を開きM字開脚になる。


「それに加え、依頼に必要な情報は何でも質問してくだサイ」


 そして、ディルドを取り出した。


「おい、何をしているんだ」

「何と言われれば、マスターベーション、デス」


「見れば分かる。なぜ今?」

「なぜと言われれば、なぜでショウか。よく分かりませんが、エッチなことをしたくてたまりマセン。ワタシは壊れているのでショウか。……いえ、自己診断に問題はありマセンね……」


 ……まさかガチ恋発情フィールドは、ロボットにも有効だというのか。発情もクソも、生殖機能がないだろお前ロボットなんだから。


「デスが人間は、マスターベーションをご覧になるのが好きなのでショウ。ヤりながらでも受け答えの機能に問題はありマセンので、どうぞお楽しみくだサイ」


 そう言いながら、始めてしまった。


 ……えぇ……。




「……どうしてキミ、そんなにゲンナリしてるんだい?」


 奴隷商が俺の顔を覗き見る。


「……無理やりストリップを見せられたからだ。今回の依頼人にな……」

「あっはは! そりゃ災難だったね。キミはそういうので喜ぶ質じゃあないものね。……おっと」


 ベルがよろよろと両手に酒のグラスを持ってやって来る。それを二人で受け取った。


「……アランさん」

「どうした、ベル」


「……元気?」

「ああ。他の人の、肩の荷を下ろしてやっている」


「……んふふ……」


 少女は嬉しそうに腕を頭のところでモジモジとさせた。


 他の依頼主が性の方角に全力なのに、ベルだけはそういう気配がない。


 ……癒しだよ、お前は……。


「……これ……」


 小さな手が机に、銀貨を一枚置く。価値にすれば二万円ってところだろう。


「こんなに?」

「……コツコツ……頑張った……」


「そうか。だが無理はするな。もっとゆっくりでもいい」

「……ありがと……」


 ベルの頭を撫でてやると、彼女は俺の手を取って頬擦りした。それから照れ笑いして、カウンターの後ろに隠れた。


「ベルはね、あれから頑張っているんだよ。この子に相応しい雇い主を探さなきゃね」

「お前でいいんじゃないか」


「……お気に入りの奴隷を手元に置くのは、客の印象が悪い。一番良い商品を売らない商人を信用できるかい?」

「商人が愛用する商品なら信用できる。そこは考え方ひとつだ。自分がしたいようにすれば良い」


 奴隷商は頬杖をついて、「そうだね」と微笑んだ。


「で、今回のターゲットは?」

「ルイマス・アババ・エジリン」


「また……。大物だねぇ、MMMといい……」


 奴隷商は呆れていた。


「大物さだけで言えばMMMと同じくらいだけど、危険さで言えば段違いだ。悪いことは言わないから手を引きなよ」

「身の危険を感じたらそうする」


「感じたら手遅れなのが、殺し屋業界。そうだろう? 全く、本当に面白いねぇキミは」

「ご心配どうも。それで……情報を買いたいんだが」


「悪いけど、それはできないよ」


 彼女はあっさりと言ってのけた。


「どうしてだ」

「簡単だよ。あの塔に入って出た者がいないからさ。すっこしも内部の情報がない。ちょっとしたフィールドワークで分かる範囲でなら、無料で伝えるけど――」


 そうして彼女は語り始める。


・そこは昔から風が吹き続ける地で、風車村がすぐ近くにある。


・塔が立っているのは海のすぐ側の崖上。風は海から吹いてくる。


・塔はオーブの力によって保護され、どんな攻撃でも破壊できない。


・オーブは屋上にあり、外部から攻略しようとすると、怪光線(ビーム)で攻撃される。


「待て。ビームって何だ」

「わたしが聞きたいくらいだよ。なんでも弓矢やカタパルトで屋上のオーブを割ろうとすると、ビームで撃ち落とされるらしいよ」


「嘘だろ……」

「まぁ、そもそも風が強烈でね。物を飛ばしても塔の高さになるころには勢いが殺されている」


「なら、風に吹かれることを計算して塔より風上に放てばいい」

「だから、それを焼かれるんだって。塔より高くなればね」


 彼女は手のひらで塔の高さを例えた。そこ以上の空を飛翔する岩が、ビームに撃ち落とされる。そう想像してみようとしたが、さっぱり思い浮かばない。


「だから風車村では、チキングリルの塔って呼ばれてる」

「チキングリルの塔……?」


「チキン投げ大会のお祭りがあってね。飛ぶ鳥が焼け落ちるのを見て、鶏を塔より高くあげようってことを考えたおバカさんがいたんだよ」

「どういう時代にもそういうヤツはいるものだな」


 酒を一口飲む。奴隷商も一口。


「立地やビームで守るぐらいだから、その屋上のオーブが弱点なのだろうな」

「そうだろうねぇ。あくまで予想だけど、中のトラップもオーブの魔力で動いているんだろうね」


「しかし外からの破壊は難しい、か。内部を攻略するにもトラップの内容は不明」

「そ。しつこいけれどね、止めた方がいいと思うよぉ?」


「……ひとつ、考えがある。それでダメなら諦める」


 席を立ち、酒の代金を置いて外へ出た。


 そうして秘密の入り口から洞窟を抜け、アジトへ。


 ボウイの部屋へ行き、『仕事だ』と書き置きをした。彼は今、ソフィアの家で尻を苛められている頃だろう。


 部屋から出ると、笑顔のジミーが居た。


「やぁ、どうも」

「用か」


「いいえ? 仲のいい人とは挨拶をするのが礼儀でしょう」

「仲が良かった覚えは無い」


 彼とは一定の距離を置くことに決めていた。


 あの一件を後から調べてみるに、浮気をしていたという女の不倫相手も、成金の男へ存在しない土地への投資をさせた者も、このジミーだったのだ。


 女が不倫した(うそをついた)から殺したのか、殺すために不倫させたのか。そこまでは分からなかった。彼が騙す人間と騙される人間をターゲットにしているということすら事実かどうか分からない。


 事実なのは、彼にとって嘘がゲームであることと、危険なことに変わりはないこと、それだけだった。


「冷たいですねぇ。次のゲームはよろしくお願いしますね」

「俺は降りる。おめでとう。不戦勝だ」


 彼の肩を叩き、玉座のジェーンの前に立つ。


「何用だ」

「今回のターゲットはルイマスだ」


「それこそ降りろ。(くだん)の塔は、お主とて手に余る」

「作戦はひとつ。それが失敗してから降りる」


「生きて帰る算段がある、ということかのぅ? ならば、やるがよい」

「そのためには情報がいる。外部からオーブを破壊しようとした、今までの失敗のデータだ」


 彼女は脚を組み替え、太ももの肉をぷにゅりと潰した。


「そんなものを知ってどうする」

「法則は、失敗のパターンからも見えてくるものだ。位置と道具が分かる資料か人はいるか?」


「ならば、同じくオーブの破壊に失敗した者がおる。教えてやるから、地図に印でも付けて貰うがよい」

「分かった」


 彼女は頬杖をついて、こめかみをトントンと叩き、ひとつため息をついた。


「時に……ボウイのことなのだが。最近どうも様子が変でな」

「いつもじゃないか?」


「そうではない。少し……気分が悪そうというかのぅ」

「……? 気分が?」


 それは確かに気になる。後で聞いてみるか。


 そう思ったとき、ジェーンが「噂をすれば影が差すか」と顎をしゃくった。ちょうどボウイがやって来たところだった。


「ん? 来たか」

「あ……。先生。こんにちは……」


 彼は少し嬉しそうな顔をしたが、すぐにうつ向いてしまう。本当に気分が悪いらしい。


「どうした」

「……なんか……変でさ……。気持ち悪くてごはんとか食べられないし……」


 病気だろうか。ボウイの額や身体に手を当てると、少し体温が高いようだった。


「風邪……か?」

「でも、なんかそういう感じじゃないっていうか……」


「病気には代わりない……ッスー……」


 我ながらとんでもない考えが頭をよぎり、思わず半開きの口で息を吸った。


「……どしたの……?」


 ボウイは自分も気分が悪いというのに、俺の手を握って顔を覗き込んできた。


 俺の中で『まさか』という言葉がグルグルと巡っていた。だが――。


 ――この世界は俺がまさかと思ったことほど、起こってしまうのだ。


「……ボウイ」

「ん」


「…………俺との子どもが欲しいか?」


 彼は少女の顔を真っ赤に紅潮させて、うつ向いた。


 それから、俺の手をぎゅっと握った。


「いったい何事だ。のぅ、お主?」


 ジェーンは前のめりになり、俺たちをじっと見ていた。


「ボウイは――――想像妊娠している」


 師匠はただ、ポッカリと口を開けた。

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