27 サイコキラー
「行ってらっしゃーい」
俺を見送るのにも慣れたソフィアが、腕を振った。
四股の生活も過ごせば慣れるもので、これだけ性に乱れた彼女たちも、しっかりと生活リズムを作っていた。
朝。家で起きるのは俺とソフィア。朝食後、アリアンナが来て、ソフィアと一度する。
その後、騎士団へ出勤。この間にボウイが――暇ならば――ソフィアの家に来る。どうやらここで開発に勤しんでいるらしい。
アリアンナに送ってもらって帰宅すると大抵ソフィアと一緒にボウイがいて、三人で始める。少しあとに仕事終わりのビスコーサがやって来て四人になる。
それからは、帰るまでずっと乱交している。俺が夕食を作っても、落ち着いて食事を取って、というよりもセックスの合間に腹を満たす程度に済ませる。
そして各自帰宅し、ソフィアと一緒に眠る。
とてつもないが、こういうスケジュールで成り立っているし、破綻の兆しも見えない。
初めてここへ来たとき、ソフィアの格好を見て娼婦館ではないかなどと疑っていたが、まさか俺がここを娼婦館にしてしまうとは思わなかった。その事実に気付いたとき、愕然としたものだ。
まあ、きっとこれ以上ひどいことにはならないはずだ。
テンテルとツキユミはそれぞれ依頼者と関係者だったのに、俺に発情しなかった。これはいい兆候だ。俺のガチ恋フィールドとやらも限界を迎えつつあるのだろう。
「行ってきます」
「また夜にな、ソフィア姫。ハイヨーっ!」
馬を走らせ、居館へ向かう。いつもの大通りの風景を眺めていると、その中に――組織の案内人がいた。彼はニコりと俺を見て、路地裏へ。
「……アリアンナ様。止めてください」
「むっ?」
「この近くでの用事を思い出しました」
「よし分かった。どうどう!」
減速しきるか否かで飛び降りると、アリアンナは「では先に行っておるぞっ」とまた馬を加速させた。
騎士団はシフト制度を取っているものの、出勤時には常に居なければならない決まりがなく、決められた仕事以外は自由にできる。ただ、大抵はそうした時間に訓練だの自己研鑽だのをするのだという。
つまりシフト以外を殺し屋仕事に当てている俺は、いわゆる『怠け者』だった。
路地裏を抜け、組織の洞窟に入る。
「来てくれましたね」
「意味深長に立っているのは、『来い』と言っているようなものだ。何の用だ」
「最近はどうやら暇なようじゃないですか。せっかくなので、オレの案件を手伝って欲しくてね」
「ほう? 不可侵の決まりは無いのか」
「有りますよ。『依頼主を裏切るな』という決まりに間接的に触れるんで」
男は平然と言ってのけた。
「俺は一応、組織の部外者扱いなんだがな。ボスに怒られるぞ」
「酷いなぁ。オレなりにアンタを信用しているって言ってるんです。たまには趣を変えてチームプレイ、してみましょう」
「そうか。なら、ひとつ貸しだ」
「あはは。殺し屋が貸し借り、ですか。やっぱり変わってますね。ずいぶんと上品なもんです」
……ふむ。つかみ所がない男だな。
常々思っていたが、彼は嘘の臭いどころか『本当の臭い』すら消し去っている。見ようによれば嘘にも本当にも見え、判断に困る。それが、嘘を見抜ける者への対策に効果的だと知ってのことだろう。
奴隷商のようでもあるが、彼女は結局俺に人間性に見せた。だが……。
案内人は、そうした気配が全くない。
「仕事をするなら、呼び名がいるな」
「そうですね。ではジミーと呼んでください。いま考えたにしては悪くないでしょう?」
「分かった。ならジミー。案件の説明を」
「話が早いですね。今回のターゲットは――浮気をしたという女です」
「浮気?」
よくある依頼だ。しかしそれくらいならば、俺が手伝うまでもないと思うが……。
「どうして手伝って欲しいか、ですよね。役者がもうひとり必要になったんです。ハニートラップ要員ですよ」
「俺にターゲットを誘惑して欲しい、と」
「そういうことです。恥ずかしながら、そっち方面の嘘はさっぱりなものでね。女を誑かす嘘が上手いアンタに任せたいんです」
汚名も汚名だな。好きでハーレムを作った訳ではないのだが。
「実行はいつだ?」
「今夜です」
「準備期間はないのか」
「いりませんよ。アンタの仕事は簡単です。第四出口の近くにバーがあるでしょう。そこでナンパして、近くの宿に連れ込むんです。そこはお楽しみ連中贔屓なんで、防音がしっかりしてます」
要するにラブホテルということだろう。現代のホテルはしっかりと監視カメラが設置されていて、むしろ犯罪利用はしにくい。特にラブホテルはその防音性から犯罪に使われやすく、その対策で防犯設備をかなり充実させている場合が多い。
この世界は――テンテルが泊まっていたホテルもそうだったが――監視カメラがない代わりに部屋数が少なく、店主に顔を覚えられやすい環境だ。同じく犯罪利用されやすいのであれば、ことさらに記憶されるだろう。
「三人で同じ部屋に入るつもりか」
「そこは安心してください。そのホテルは構造上、受け付けからは部屋の出入りが見えません。発情した方々のプライバシー保護と建築デザイン様様です。オレが事前に押さえておいた部屋があるんで、そこに連れ込みましょう」
「……ふむ。そうか」
口振りから察するに、警備もいないのだろう。店側があえてそういう構造にしているのであれば、むしろ犯罪利用を前提にしている可能性がある。
「そのホテルは、なにか……犯罪者が集う場所なのか」
「なんせオーナーからしてクスリのディーラーですから。結構多いんですよ。股間の快楽に覚醒剤を上乗せする人」
「それを先に言え」
「言ってませんでしたっけ。それは失敬」
彼はヘラヘラとしている。本当につかみ所のない男だ。
それから詳しい情報を聞き、終わると同時に彼は背後へ下がった。
「それではまた今夜。ターゲットへのラブレターには十時に会うと書いたので」
「もうひとつ聞かせてもらおう」
「なんですか?」
「これはボスの命令だな」
ジミーの表情が、少しだけ怯んだ。どうやら図星か。
「そもそも、俺の存在を前提にした作戦の組み方をしている。誘惑の嘘が苦手と言うなら、普通は誘惑以外の嘘を利用するだろう」
「うーん。隠そうとしていたことを察して欲しいものですね」
さて……。今のやりとりは嘘だろうか。本当だろうか。少なくともボスの命令であることは間違いない。だが、見抜ける嘘を吐いたのはわざとなのだろうか。
仮にそうであれば、少し考えれば誰でも見破れる程度の嘘をあえて吐き、俺が見破ることで『見破れるレベルの嘘しか吐けない』と誤認させるつもりなのだろう。本物の嘘を、浅い嘘で覆い隠すということだ。
ジミーの言葉はいったい、どこからが嘘なのだろう。
「下手なプライドを出すな。仕事の邪魔だ」
今はとりあえず、引っ掛かった振りをしておこう。
「ま。事情が分かったのならネタばらしもしましょう。これはボスの命令です。きっと、オレの手口やアンタの手口を知っておきたいんでしょう」
「俺もお前も一匹狼だ。お前の邪魔をしないということで貸しにしてやろう」
「やぁそれは助かります。ではオレは準備してきます。ああ、逃走経路についてもオレに任せてください。何てことはない。窓から逃げるだけです」
ジミーは洞窟の奥へ消えていった。少しして、踵を返した。
そうして騎士団へ出勤し、夜になり、アリアンナの送り迎えを断ってバーへ向かった。
夜の街、風に吹かれながら建物へ入る。
指定されたカウンター席に座り、カクテルをひとつ。それを飲み干す前に、赤いドレスの女がやって来た。
「美味しそうなお酒ね」
「ヴェスパーだ。昔、ジェームズという友人が考えたものでね」
「ふぅん。なら、私もそれを」
彼女はなんの躊躇いもなくバーテンダーへ頼んだ。
「強いぞ」
「これからの夜に、何を躊躇うことがあるの?」
「この夜は長いからな。明ける前に眠ってしまうのは勿体ない」
女が、カウンターで俺と手を重ねた。
「そうね。だけど、セックスだけじゃ天国に届かないの。お酒はきっと……翼の血液なのね」
「……しっかりと届けるさ」
また少し酒をあおる。ふたりで一杯ずつだけ飲んで、バーを出た。
女は少しふわふわ頭を揺らし、空笑いのように声を出す。
「ウフフ。私はね、どうやってもきっと……天国には届かないの。地上から飛べればきっと届いたんでしょうけれど、地獄からじゃ、どんなに羽ばたいてもたどり着けないから。それでも――」
俺の腕に抱き付いて、熱い体を預けてきた。そっと抱き返すと、また笑った。
「――貴方なら、届かせてくれる気がするの」
ホテルへ入る。情報の通り、受け付けと部屋への廊下が分離していて、誰かが出たり入ったりしても分かりにくい構造になっていた。
宿泊費を差し置いても、薬物売買だけで相当に儲かるのだろう。
「チェックインしてくる」
「えぇ……早くお願いね……? 私もう……止められなくなっちゃっているから」
廊下で彼女と別れ、フロントへ向かい、その両方の死角に入った。
少し周囲を見て、MMMの時にあったセキュリティ類や警備がいないことを確認し、建物の構造から部屋の窓がおおよそどの方角であるかを推理する。どうやらジミーの作戦はしっかりと考えられているようだ。
そして廊下に戻った。
「もう。待たせ過ぎよ。前戯も要らなくなっちゃったわ」
「すまないな。なら……最初から天国へ押し上げてあげよう」
「一番奥で……掻き回してね……」
事前に伝えられていた番号の部屋に着き、ドアを抜けた。
「ここの防音はどの程度かな」
そう言いながら、部屋の奥、ベッドの隣にあったふたり掛けのソファに座った。脚を組み、頬杖を着く。
「どれだけ喘いでも文句は言われないわ」
彼女は我慢しきれず、ドレスを脱ぎ、濡れた下着を見せつけてきた。
「すごい……こんなに溢れて止まらないなんて……」
それにしても……俺の特異体質はまだまだ健在か。どうしてこう……みんな発情するのだろうか。
女は下着を下ろし、股との間に糸を引かせた。
「早くぅ……私を支配して……自由にして……天国にイかせてぇ……!」
「……はぁ。ジミー、いつまで突っ立っているつもりだ」
俺が言うと同時に――彼女の後ろ、ドアの後ろに隠れていたジミーが女の腹にナイフを突き立てた。
「はぐ……ぁえ……?」
ジミーがナイフを引き抜いて笑い、それでやっと彼女は背後の男に気付いて弱々しく暴れ始める。
「落ち着いてくださいよ。お望み通り、天国に送ってあげますから」
「は……ひぃ……! や……」
虚しい努力だったが、一発だけ、彼女の肘がジミーの顔にかすった。
それで、ニヤけ顔が無表情に変わった。
女を投げ、タンスに叩きつけた。腹と背の痛みで起き上がれない彼女を、ジミーは改めて起こした。
「落ち着いてください。お腹を刺したんですから、ひどい出血ですよほら。生き残りたいですか?」
「や……やぁ……」
女の手に顔を退けられそうになりながらも、顔を逸らして面と向かい続ける。彼はまた笑顔になった。
悪趣味なものだ。
「ほら。落ち着いて。心臓がバクバクだ。出血で死んじゃいます。怖がらないで。怖がる顔はダメです。深呼吸ですよ。ねっ」
その説得に、女は混乱しながら数回深呼吸した。
その顔が少し、落ち着いたとき。
ジミーが平手で、彼女の顔を叩いた。
「…………っ?」
「痛いですか?」
「い……いた……」
「痛いなら、痛い顔しなきゃダメじゃないですか」
ニコニコとした顔が、唖然とする女の指をへし折った。
「ひ……ぎゃぁあっ!?」
「あ、いいですね。どうも」
女の顔を掴んでタンスに後頭部を押し付けさせ、即座に動脈を斬った。首の横の深い位置。
血は真横、誰もいない場所へ噴出して、女は絶命した。
「さてお待たせしました」
「ずいぶんと手こずったな」
「ええ。なんで戦いはからっきしです。すぐに殺せるアンタが羨ましいですよ。じゃ、逃げましょう」
ジミーの先導で、窓から出る。
宿の装飾や出っ張りを伝ってゆき、隣の建物に入り……。
そうして、洞窟へ帰ってきた。
「さ、これで終わりだ。俺は戻る」
「ええ。ではまた明日。せっかくなんで、成果報告もご一緒に」
「それぐらい自分でやれ」
「まだ厄介ごとは終わってないんです。オレが生きて帰らなきゃ、ボスも不安で枕を濡らしますよ」
「むしろ、枕が高くなる気がするがな」
ため息をついて、どこかへ消えていくその背を見届けた。
「行ってらっしゃーい」
ソフィアが、腕を振った。
「行ってきます」
「うむっ。ではまた夜に、ソフィア姫。ハイヨーっ!」
馬に揺られ、城へ向かう。そして昨日の場所へ到着する頃、アリアンナの肩に手を掛けた。
「アリアンナ様。また昨日の場所で下ろして貰えますか」
「いいだろう! お気に入りの店でも見つけたか!」
「そんなところです。それでは」
馬から飛び降り、アリアンナの背を見送った。それから、昨日と同じ入り口から洞窟に入る。
「お。来ましたね」
今日は風が強めで涼しいからか、ジミーは長袖のコートを着ていた。それと、見慣れぬ鞄も。
「チームプレイとやらも、これきりだと良いんだがな」
「同意見です。では早いところ終わらせましょう」
彼の先導についてゆく。
「それで、なにが厄介で俺のおもりが必要になったんだ」
「そうですね……MMMもどきと言えば分かりますか。力があって、金もある。口封じもしようと思えばできる……と、思い込んでる男です」
「なるほどな」
要するに、俺をボディーガード代わりにしたいのだろう。いるだけで相手は手出しできなくなるからな。
洞窟を抜け、たどり着いたのはひとつの家だった。それは他との距離を示すように、孤立して立っていた。
「広い庭だな」
「ここは成金の家です。勇んで土地を買ったはいいものの、それに見合う家を立てられなかったそうで」
「背伸びの結果か」
実際に見て、口止めを恐れるのに納得した。こういうタイプは金を持つことより、金を持っていることを誇示したがるものだ。なので豪華絢爛な見かけに見合った金を持っていない。
そうしたことに金を使いたがるのだから、殺し屋へ支払うのはできるだけ避けたいだろう。だから素人が殺し屋を始末しようというバカな考えに至るのだ。
ジミーが扉をノックする。小さいだけあって、即座に扉が開いた。肥えた中年だ。
「ジミー。来た……か」
細い目で俺を見て、言葉を詰まらせる。
「ええ来ました。中に入っても」
「あ、ああ……構わないが……」
「だ、そうです。どうぞ入ってください」
中年の怪訝な顔など一切無視して、ジミーはコートも脱がず勝手に入ってしまった。
一応、会釈だけして俺も入る。
「さぁさぁみんな座ってください。お祝いのお酒の時間ですよ」
彼は家主のように振る舞い、棚から不揃いのグラスを三つ。それをテーブルに並べた。
俺は座った。家主も、まるで客のようにおずおずと椅子に座る。
そしてジミーは、荷物から酒の瓶を取り出した。
「ウォルターワインの赤ですが、90年産。30年物です」
「そ、その口ぶり……うまくいったんだろうな」
「もちろんです。そうでないと、こんなにお高いお酒は飲めませんからね」
「そうか……よし……。また頼もう……」
男は嬉しそうに手を擦り合わせた。
……まぁ、ジミーは誰を殺したいかで依頼を選んでいるのだ。依頼主がどれだけ無用心でも気にしちゃいないのだろう。
ジミーは、かなり危なっかしい。破滅まであとどれぐらいだろうか。本人は気にもせず、グラスに酒を注いでいる。
「さ。乾杯しましょう」
ジミーがグラスを上げた。……仕方ないな。俺もグラスを上げ、ふたりとグラスを当てあった。
「フフフ……。いい香りだ」
男は酒をくゆらせ、グイと飲み干した。
……引っ掛かるな。確かにジミーが彼を警戒した気持ちも分かるが……決定的なものが欠けている気がする。
殺意だ。彼には、全く殺意がない。
たかだかボディーガードひとり居ただけで、さて殺そうと思っていた気持ちをすっかりと消せるだろうか。殺せない歯痒さで、むしろ殺意は増すものじゃないのか。
この依頼主がそういう男ではなかった、ということだろうか。それだと……なぜジミーはそれを見抜けなかったのだろうか。
俺もワインを飲み、考え事をしていると悟られないよう振る舞う。
……どうしてジミーは、一口も飲んでいないんだ。
「……ん……?」
依頼主が声を漏らした。それから、咳き込み始める。
「おや。口に合わなかったですか?」
「い……いや……ゴホッ……なんだこれ……」
「ん~……じゃあきっと、毒が回ったんですね」
「え……? ゴホッ……ぐ……おぇえっ……!」
男が吐く。
「毒を盛られる謂れがない、という顔ですね。ありますよ。アンタには」
「な……なぜ……なんでだ……!」
「嘘つきは許すべきじゃあない。そうでしょう? でも、嘘を見抜けなかった人も許されるべきじゃあない」
「嘘……嘘って……うっ」
うめき、前のめりになったかと思えばそのまま倒れ込んだ。頭から床に落ち、泡を吹いて痙攣し、そのまま動かなくなった。
そしてジミーは、俺を見た。
「解毒剤、欲しいですか」
ひとつの小瓶を机の上に置く。中には少量の液体があった。
「オレのついた嘘、ちゃんと見抜けたならあげます」
嘘……か。
あらゆる場面にあった嘘の中で、俺へ向いていたものか。あまりにも多すぎるが、彼はどこを答えてほしい。
考えろ。ジミーはどんな嘘を吐いた。どこからどこまでが嘘だ。何が嘘だった。
「……あらゆるものが、嘘だ」
「というと?」
「そもそも、ボスの命令で俺たちは一緒に動いていた。だがそれはお前が仕組んだことだな」
微笑むジミーの横に立つ。
「今回のターゲットを俺に魅了させたのは、騙すためではない。“騙した結果を目前で見るため”だ。そしてこうして毒を盛ったのも、今まさにそうやって騙した結果を見るため。お前は仕事のために俺を呼んだんじゃあない。ゲームのためだけに俺を騙した」
そうして、小瓶を取った。止められはしなかった。
「理由はひとつ……俺がお前を騙した仕返し、だな」
「ふっふっふ……なぁんだちゃんと見抜けましたね。ならアンタを殺す理由はありません。さ、どうぞ」
飲んで良いと促され、瓶の蓋を開けた。
…………待てよ。この瓶は……どこから出てきた?
「どうしました? 早く飲まないと……」
「……飲まないと死なない、か?」
俺は瓶をひっくり返し、中身を床へぶちまけた。
ジミーは驚いたようにそれを見る。
「お前が毒を入れたのはあいつのワインだけだ。この男がワインを飲んでから死ぬまでが二分以内。本当に俺が毒を飲んだのであれば、とっくに死んでいるはずだ」
ジミーの右手を取り、無理やり返させる。そして彼のコートの袖をめくった。
中には、瓶を保持できる細いベルトが仕組んであった。だから今日は厚着だったのだろう。
「解毒剤と偽って毒の原液を飲ませよう、か。お前を殺して瓶を奪ったとしても、結果的に俺はゲームに負けることになる。それでお前は満足なんだろう」
瓶を彼の目の前に置いた。
「――く……ははは! わっはっはっはっは!」
ジミーは腹を抱えて、大笑いした。
「だからアンタを気に入ったんです。嘘を吐くのも見抜くのもお手のものだ」
「気に入ったというだけで、ずいぶんなことをする」
「ええ」
「聞いてもいいか」
「どうぞ」
「お前、他に何人殺した?」
普通ならこの一件で、ジミーはかなり立場を危うくするはずだ。なにせ宿の予約をして顔を見られ、女に会うためのラブレターという物的証拠を書いたりしたのだから。
だが、もしそれぞれ『違う人がやったこと』なら。例えば金で雇ったり、例えば脅しのネタを使ったり、そうやって顔や筆を借りたのであれば話は変わる。それだけ徹底するこの男ならば、証拠隠滅もするだろう。
「予想では、何人ですか?」
「ふたりだ」
「なんだ。分かってるじゃないですか」
ジミーは立ち上がり、うんと伸びた。窓から差す陽は彼のすぐ前のテーブルを照らし、カーテンの影が表情を闇に隠していた。
「ですが、アンタでも見抜けなかった嘘がひとつある。なので今回は一勝一敗の引き分けということで」
「ほう? どんな嘘だ」
「……そうですね。特別にネタばらししてあげます」
風が吹く。
吹かれたカーテンが、ジミーの影と表情を暴いた。
「今回の殺しは、仕事じゃありません。いなかったんですよ、ターゲットも、依頼主も。居たのは――」
そこに居た『ひとごろし』は、あまりにも爽やかな微笑みを湛えていた。
「――嘘を吐いた人と、見抜けなかった人だけなんです」




