26 それでもふたりは生きていく
「リムアのやつ、来なくなっちまったなぁ」
武器庫。キャシディが汗くさくなった訓練着を脱ぎ、普段着に首を通しながら言う。
「……彼には悪いことをしました」
俺も着替えながら答えた。
テンテルを帰した後、手口とカバーストーリーを考え、調査と工作を進めた。ダッチョウが妹の下着で自慰したことを広めたのは印象操作のためと、彼の行動をコントロールするためだった。
そして、今日が実行の日だった。
「いや、ありゃお前が正しいし、テンテルちゃんが暴れまわったのも正しい。確かに可愛いし、手を出したい気持ちも分かるぜ? でも思うだけにしとかなかったのはアイツが悪い」
「ですが、一応仲間でしょう。庇うべきだったのかなって……」
「おいおい。庇うべきだっての。女の子が困ってれば女の子の味方すりゃいい。お前がそうしたようにな」
着替え終え、彼はロッカーに装備をぶち込んだ。ごちゃりとしていて、さっき準備するときも手間取っていた。
「テンテルちゃんの味方になってやってんだから、カッコいいぜ、お前」
キャシディは俺の肩をポンポンと叩き、その場を後にする。
俺も着替え終え、騎士団本部を出た。少し迂回し、街の宿へ向かう。
石造りの入り口を抜け、木張りの床を鳴らす。受付に会釈をして階段を上がり、いくつか目のドアへノックせず入った。
「あ。来たね」
テンテルが俺を見て、安心したように微笑んだ。その前に見えた不安の表情は、計画実行前の依頼人にはよくある顔だ。
「どう? 問題とかない?」
「滞りなく進んでいる」
「そっか……。そっかやっと終わんだなぁ……」
ベッドにバフンと、仰向けに倒れた。彼女はそれでもそわそわと、すぐに起き上がる。
「いつ?」
「もうじき、とだけ言っておく」
「早く、やってね。なんかさ、ずっとアイツのこと憎んでたら、なんてゆーかさ……怒るの疲れちゃったっていうか……。もう、終わらせてくれればそれでいいから……」
「もちろんだ。確実に始末し、確実に逃走する。その準備を惜しまないからこそ、時間がかかる」
「いいね」
それではと立ち上がったとき、ノックの音。
「失礼いたします」
「あ、ツキユミ! 入って!」
ツキユミの声に、テンテルは嬉しそうに返事を返した。静かに扉が開き、しずしずと入ってくる。
「あら。アランさまもいらっしゃっていたのですね。今晩は風が心地よいことで」
「こんばんは。様子を見に?」
「もちろんですわ。とても酷い仕打ちを受けたのですから、心の傷は深くて然り、友人が側にいるべきときではありませんこと?」
「その通りだね」
公的には、テンテルは兄に犯される危険性があるのだと匂わせつつ、テンテルの意思で一時的に家出しているという設定にしている。当然、ツキユミに対しても同じ嘘をついている。
するとツキユミは、テンテルの宿泊費を出してくれた。俺も、彼女らの友人という設定なので半額負担している。
「……ねぇ、ツキユミ」
「いかがなさいましたか?」
「……ごめん……」
「あら。その謝罪は……? 申し訳ありませんが、わたくしには心当たりがありませんの」
「……色々だよ。宿のお金とか……」
「それはわたくしの意思です。……他にもなにかございましたか?」
「…………その、さ。あのクソにやられたの、ブラとパンツ一枚ずつさ、捨てちゃった……」
ツキユミは嫌な顔ひとつせず、テンテルの隣に座った。
「わたくしでもきっと、同じこと考え、同じことをしました。汚された嫌悪感に触れたくもなくなり、汚れの中に残されたテンテルさまとの思い出を、見捨てたくないと葛藤し、始末するのです」
「……そっか。そーだよね。やっぱ、分かっちゃう?」
「友だち、ですから」
テンテルは微笑んで、ツキユミに寄りかかった。
「……でもアタシ、ツキユミに貰ってばっかりだよ」
「そんなことはございません。わたくしこそ」
「え。ウソじゃん、だってアタシなんもないよ? ね、なに貰ってんの?」
「……うふふ。言わぬが華、でしょうか」
「え~言ってよ気になるじゃんか~」
お互いに笑って、頭を擦り寄せあった。
「……さて、俺はそろそろ用事の時間だ。失礼するよ」
「ん。また明日ね」
「次はきっと、三人で語らいましょう。ごきげんよう」
幸せそうなふたりを置いて、宿を出た。
ターゲット、ダッチョウ・リムアの自宅。その裏に待機していた。
夜の闇に紛れ、ただただ、静かに。
そうしてシャワールームの曇り窓の向こうで蝋燭の火が揺れたのを合図に、表へ回る。
周囲に人がいないことを確認した上、テンテルが持っていた家の鍵の複製を使い、中へ。
テンテルが実質家主だった頃よりよほど整理された部屋。いくつかの洗濯物が干されていた。その中からバスタオルをひとつ取った。
一旦シャワールームの扉をそっと開いて中を覗く。裸の男が、バスタブをかき混ぜていた。
バスタオルで両腕を包み、素早く中へ入り、忍び寄るより早く距離を詰めた。
――そして、湯船の中へ顔を押し込む。
ブクブクと泡が吹き出て、ブクブクとした声が響く。彼は抵抗しようと俺の腕を掴むが、腕に巻いたバスタオルを握ってしまい、その手を暴れさせた。
少しして力が弱くなっていき、さらに少しして力が抜けた。
これで完了。腕にタオルを巻いていたので抵抗の際に引っ掻かれず、彼の爪に俺の皮膚組織は残らない。
さて彼は心臓マヒによって気を失い……という筋書きにしたいところだが、それは無理だな。
洗濯かごから彼の脱いだ服を取りだし、着せ始めた。
水がかなりの量、肺や胃に入り込んだだろう。これは呼吸が浅かったり、呼吸をしなかったりする、『気絶からの連鎖』では説明がつけにくい。
それにこの顔を真っ赤にうっ血させた死体は、呼吸をしようとして苦しくなりできあがったものだ。
こういう生活反応から、ダッチョウは健康体であった可能性が高いと判断される。そうなると、警察は次のふたつの判断に迫られる。
殺人か、自殺かだ。
ダッチョウに服を着せきり、使ったバスタオルを絞って、また部屋干しの物干し竿にかけ直した。ダッチョウが使うつもりだったであろう、新しいタオルと着替えを、それぞれタンスに仕舞う。
自殺ならば、どういう順序だろうか。それを意識して作業を進めていく。風呂に入ろうとしていた痕跡を消さねばならないな。几帳面な男が騎士団の仲間から責められ、強烈なストレスから生活をいきなり投げ出し、突発的に死ぬ。そういう筋書きなので食事の材料や干された洗濯物はこのままでいい。
作業を終え、湯船に上半身を突っ込んだ死体を背に、外の気配に細心の注意を払いつつ……。
……人の気配か。扉の、すぐ外。
ゆっくりと扉が開いた。
――クソ。運が悪いことだな。俺も、お前も。
扉を開いて外の者の口を塞ぎつつ中へ引きずり込む。
「……テンテル?」
驚いて暴れる少女の動きが、俺の声で止まった。
「モゴモゴ……!」
「し。静かに。騒ぐんじゃないぞ」
そっと手を離してやると、彼女は数呼吸して、小声で話し始める。
(……ど、どうかなって……)
(来るなと言った筈だ。これで見つかれば、お前が犯人だと疑われるんだぞ)
(だ、だって。……う~……ごめん……)
彼女は泣きそうな顔になった。
典型的な『不安に駆られ、余計なことをしてしまうタイプ』の依頼者だ。ツキユミがいるから大丈夫かと判断したのは早計だったか。
(とにかく、逃げるぞ。逃走ルートは考えてある。黙って、立ち止まらず、いいな)
(う……うん……)
扉を抜け、ふたりで闇を抜けていく。裏道を通り、大通りの人通りのない所へ抜けた。
「……これでいい。あとは、散歩を装え」
「そ……そっか……。……マジでごめん。アタシ……どうかしてたかもしんない……」
「……まぁ。かなり運のいいことにどうにかなったからな。必要以上に自分を責めるな」
そう言っても、テンテルは申し訳なさと自責の念で忙しかった。それもいいだろう。
そして大通りの曲がり角。
ばったりと、ツキユミと出会った。
「きゃっ!」
「ぎゃあっ!?」
ツキユミが悲鳴を挙げ、テンテルが悲鳴を返した。
「落ち着いて。アランだ。ほらテンテルも」
「ま、まぁっ。奇遇ですこと。お散歩ですわね。はしたないところを見せてしまいました……」
「ま、まーね……」
テンテルの声が震えに震えている。強烈な嘘の臭いだ。
そしてもうひとり、ツキユミも嘘の臭いにまみれていた。
「……散歩だったら、一緒にどうかな」
「え……い、いえわたくしは……」
「そうだってアラン。ね、無理に誘わなくても……」
「いいじゃないか。三人で散歩。夜風に吹かれよう」
無理に押すと、彼女は折れた。テンテルが俺を睨んだ。
「いいルートを知ってるんだ。外なんだけどね」
そう言って、城壁の外へ出て、草原を三人で歩く。
テンテルもツキユミも、不安が最高潮に達した。先に音を上げたのはツキユミだった。
「……アランさま」
「ん?」
「どのような理由があって、このような?」
「なんのことかな」
「このような人気のない場所へ移動したのは、散歩のためではありません。本当に散歩していたのであれば、最初から――わたくしと出会う前に、外廓から出ていたはずですの」
「鋭いね。どのような理由かと言えば――」
周囲の状況を見て、ツキユミの腕を引っ張った。
そして彼女の懐から、鞘に収まったナイフを引き抜いた。
「アランッ!」
勘違いして慌てて止めに入ってきたテンテルへ、そのナイフを渡す。
「――このような理由だ」
「え……え、ナイフ……? 今これ、ツキユミから……。どういうこと……?」
テンテルが唖然として言うと、彼女の腕にツキユミが抱き付くようにすがった。
「……これは……護身のためですわ! 護身術を習ってから、肌身離さず持っているもので……」
「そうとは思えないな。鞘はすぐに抜けない過剰気味のもので、このナイフ自体からして鑑賞用でいて実用に向いていない。刃の角度も上下も、咄嗟に出すには不便な携帯の仕方だ。護身術を習ったのなら、これくらいの基本は押さえているはずだけど」
反論すると、彼女の優雅が乱れた。
「…………違いますのよ……これは……」
「……えっ?」
テンテルが、声をあげた。
「待って。あそこって……アンタが歩いてたのって、ウチからアンタんちに行くときの道……じゃん」
疑惑の声が一歩寄ると、怯えた少女が一歩引いた。
「…………ツキユミ」
「テンテルさま。わたくしは……!」
「あのクソを、殺そうとしたの」
ツキユミは口で語らなかった。その代わり、崩れた表情が物語った。
それから。沈黙した。
ずっとお互いに、黙っていた。
ずっと待ち続けて……。
「……そういうんじゃないじゃん」
「……え?」
「あのクソには死んでほしいって思ったよ。殺されろって。でも、アンタじゃないじゃんか!」
「で、でも、わたくしは」
言いかけた彼女の肩を掴んで揺らした。その目は、涙で潤んでいた。
「……なんて言えばいいのか分かんないよぉ……でも……友だちでいられなくなるじゃんかぁ……!」
「…………ごめんなさい」
ツキユミは泣き出す。
「だからアタシも……アタシの方がごめんだよ……」
そして、テンテルも泣き始めた。
「なぜテンテルさまが――」
「――おんなじこと考えてたぁ! それでアイツを……殺して貰っちゃったの……」
驚愕の目が、俺へ向いた。
「ああ。俺は殺し屋でな」
さっき角で偶然出会ってしまった時点で、ツキユミがいつかその解にたどり着くのは目に見えていた。だからあえて、正体を明かす。
ここでテンテルがツキユミを口止めできなければ――。
「アタシ……ほんとうにごめん……取り返しのつかないことしちゃった……」
「……テンテルさま……」
「アタシもう……アンタの友だちでいる資格ないよぉ……!」
テンテルはボロボロに泣いて、崩れ落ちた。
ツキユミはその隣に座った。
「わたくしも同じ罪を背負うべき、資格のない人です。ですが……資格が不要だからこそ、愛なのですわ」
そしてそっと、抱き締めた。
「資格のないわたくしを、愛してくれますか」
「……ずっと……大好きだよ……資格なんかなくても……」
テンテルは、そっと抱き返した。
「……ほんとうに、一緒のことを考えてばかりですね」
「一生そうだよ、きっと」
「きっと、そうですわね」
心地よい夜の風が吹いて、俺は懐で浮かせたナイフを下した。
「ありがとうございました、アランさま」
イジャナ家、その騎士団と同じだけ巨大な館の前で、ツキユミがペコリとお辞儀した。
依頼主より先に礼を言う第三者など初めてだ。
「何度でも申し上げますが、このことは三人だけの秘密です。ご安心くださいな」
「ま、そーゆーこと。ツキユミを信じてくれてありがとね」
「気にするな。これで彼女を始末すれば、お前ごと殺すハメになるだろうからな」
俺の言葉に、彼女は少し青くなって「シビアじゃん」と呟いた。
「俺からも再三申し上げるが、ツキユミ。テンテルに経済的な助け船を出すな。依頼主が払ってこそ意味のある金だ」
「承知いたしております」
テンテルが後ろ手に組んで、身体をゆらゆら揺らした。
「あーあ。仕事やだなー」
彼女は、イジャナ家の使用人として雇われることになった。親は娘の熱望に圧されたようだ。
「いけません。公私はきっちりと分けなければ。働いているときはタスクをきっちりとこなし、プライベートでは……」
ツキユミは、テンテルと手を繋いだ。
「……わたくしたちは、ただの親友です」
「……ん。……働いててもしんゆーだし」
「ふふ。そうですわね」
テンテルは目を合わせず、ツキユミとの距離を詰めた。
「……あ。そろそろ行かなきゃ。上司のオッサンに呼ばれてんの」
「あらあら、またそのような……。呼び方から気を付けなければなりませんね」
「はいはい。……ね、アラン」
テンテルは俺の前に来て、見上げてきた。
「……ありがと。ね、そのうち遊びに来てよ。ゼッタイさ」
「その口実で報酬を回収することにしよう」
「そーじゃねーって。バーカ」
テンテルは笑いながら屋敷へ入っていった。
「それでは、わたくしも」
「ああ。……最後にひとつだけ、野暮なことを聞いてもいいか」
「構いませんわ」
「テンテルと、友だち関係のままでいいのか?」
ツキユミは驚いたように俺を見て、頬を膨らませた。
「本当に無粋ですこと。アランさまらしからぬ発言ですわ」
それから、また微笑んだ。
「お答えさせていただくならば、今の関係で構いません」
「そうなのか」
「ええ。友愛も、恋愛も、家族愛も、美しい宝石箱です。そして――」
ツキユミが数歩進んで、優雅に振り返った。
「――箱の中の本質は、変わらず煌めきますから。それでは、ごきげんよう」
無駄のない一礼。そうして彼女は屋敷へと帰っていった。
少し、ウルトラお嬢様が何なのか分かった気がする。
……。
…………いや。
さっぱり分からん。ウルトラお嬢様ってなんだ……?
「はぁ……」
結局もやもやとしたまま踵を返し、騎士団へ帰った。




