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貴いお方が裸同然とはどういう了見だ  作者: 能村龍之介
殺し屋、なんか転移するの章
30/118

25 お嬢さまだって生きている

「ふ、不甲斐ないことこの上ありませんわ……」


 額の横がやや赤いツキユミが、しょんぼり下を向いていた。


「あ……アタシの……み、見たくらいで気絶とかさ。あ、アタシたちそういうんじゃない……じゃん」


 顔の紅潮が止まらないテンテルも、じっと下を向いていた。


 どうにか測るところまでこぎ着けて、店主が仕立てるための時間を待っているときだった。


「そ、それは……そうですが……それはそれとして、恥ずかしいと言いますか、申し訳ない気持ちでいっぱいで……」


「……じゃ、さ。ツキユミの……見せてよ」

「な……!」


 またずいぶんと話が急展開したな。


 これも、俺が出すという『ガチ恋発情フィールド』とやらのせいなのだろうか。いったいどうしてそんな体質になったのだろう……。


「ほらその、お互いさまってやつ?」

「そ、その理屈はおかしいですわ! やはり、そうした関係になることを望んでおられるのですね……」


「ち、ちげぇし」

「いえ。ならばこのウルトラお嬢様ツキユミが、覚悟をもってテンテルさまと契りを結ぶ所存ですの!」


「うわ暴走すんな!」

「暴走などしておりません! イジャナ家から地域に圧力を出して、内縁からの事実婚でフィニッシュですわっ!」


「やーめーろー!」


 心中お察しするぞ、テンテル。あの暴走、アリアンナと同じだ。


 それより、ツキユミが元来からのウルトラお嬢様だったという方が衝撃的だった。会話がさっぱり頭に入ってこない。


「やっぱ見ないから! 冗談! 冗談だから!」

「じょ、冗談なのですか? まぁ……。はしたない所を、お見せしてしまいました」


「時々そうなるよな。なんで?」

「昔から張り切りすぎてしまうことがあるのです。常々、直さねばとは思っているのですが」


 あれは嘘だな。職業病とも言うべきか、素人相手なら観察せずとも分かる。嘘のサインを、臭いのように嗅ぎ取れた。


 彼女は……テンテルに友だち以上を求めているのだろうか。


「ふーん。ま、アタシたちはそーいうんじゃないし。だって……その」


 テンテルが気恥ずかしさで言いよどむ。ツキユミは、静かに言葉の続きを待った。


「と……」

「…………」


「……ほら……さ」

「……ああ。ええ、左様です。テンテルさまは」


 細指がしなやかに、モジモジとした手に重なる。


「わたくしの、友だちですわ」

「ん。……へへ」


 照れくさく笑うテンテルと、僅かに影のある笑みを浮かべたツキユミ。


 すれ違い、か。……まあ、部外者の俺が口を出すべき問題ではないな。


 店主がやって来て、トレーに乗せた下着を差し出す。上下一式を3セットだ。それはシンプルなグレーのスポーツ下着のようだが流石にゴムは使われず、紐で結んで使うタイプだった。見た目の華やかさより、機能性を重視している。テンテルのズボラを見抜いたのだろう。


 それにしても、ずいぶん服の時代が飛んだな。ドロワーズすらすっ飛ばすとは。


 それを言うなら、女が下着を着けている時点で妙なのだが。現世の歴史と照らし合わせると、こうまで差異が出るものだな。


「さぁ、仕上がりました」

「まぁ、素敵ですわ。ねぇ、テンテルさま?」

「ん。いーね」


 ツキユミが店主を気遣ってか、全て取ってテンテルへ渡す。ここまでくると、母と子どものようだ。


「ご予算と相談し、綿のみを使っています。長くお使い頂けますよ」

「それ良い。長持ちが一番だわ」


「いけませんわ。穴が空くほど使い古すより、また仕立てて頂きましょう?」

「えー。穴が開いても穿かない?」


「まぁっ!」


 驚き、ふたりで同時に笑い始めた。


「じゃー、穴が開いたら、また来よ?」

「喜んで。……それでは早速、お召しになさっては?」

「うーい」


 テンテルが試着室へ向かい、店主がお釣りをツキユミへ渡し、ツキユミが代金すら圧倒的に凌駕するチップを店主へ返した。


 そうして店主は驚愕の表情で店の奥の金庫へ向かい、彼女とふたりきりになった。


「申し訳ありません、アランさま」


 ふたりでばかり会話していることへの謝罪だろう。


 ずいぶんと……良くできた人だ。


「気にしなくていいよ。仲がいいんだね、ふたりとも」

「ありがとうございます。テンテルさまは……その、お恥ずかしい話なのですが、わたくしのただひとりの友だちなのです。今日、もうひとり増えましたが」


「光栄だね。ただひとりの、だったんだ? 顔が広いものだって思ってたよ」

「顔は広いですわ。ですが……顔見知り止まりでもあります」


 ツキユミは、慈愛に満ちた目で試着室を見た。


「色々と、わたくしに教えていただけるのです。父が下々の者と呼ぶ、お屋敷の皆さまが仕事でなさるようなことを。お話を伺うたび、わたくしはそんなことも知らなかったのかと、驚くばかりです」


 何もかも任せきりで、お嬢様という存在に傾倒していたのだろう。


「世間知らず、というものかな。自分も世間知らずで申し訳ないんだけど、イジャナ家ってどういう家系(かけい)なんだ?」

「よく仰っていただけるのは、『大市場の産みの親』です。厳密には語弊がございますが」


「大市場の? 凄いな。国の経済を支えているじゃないか」

「うふふ。恐れ多いですわ。出店している方々からいただいている土地の賃料だけで、ここまで成長してしまいましたの。ただ、わたくしはこれだけではならない、と存じております」


「他にも投資を考えているのか?」

「はい。わたくしがイジャナ家の跡取りとなりますので、今から様々な根回しをしております。収入源をひとつに頼れば、いつか大市場が何らかの理由でなくなったとき、家ごと倒れてしまいます」


 将来をしっかりと見据えているようだ。彼女が跡取りで、親も安心しているだろう。


 だが……金に強欲になり、誰かに恨まれるようになればきっと、彼女がターゲットになる日が来るかもしれない。そうなって欲しくはないな。


「それに……富を一か所に集中させるべきではありません。賃料を下げたり、新たな事業では十分な教育と報酬と……フフフ。その全てについて、いまこの時からシミュレーションを繰り返していますのよ」


 ……無用な心配だったな。彼女なら、大丈夫だろう。


「そういえば、先ほどテンテルさまの、お互いに何もしてない人である、というお言葉に感銘を受けましたわ。わたくしは本当に家のことばかりで、自立のためになにもしてなかったのですから」

「生きてきた文脈が違うのだから、知っている領域も違うと思うよ。なんというか……機能美と、様式美、というか」


「生きるための文脈と、人らしくある文脈、でしょうか。フフフ。また、感銘を受けてしまいましたわ」


 彼女は微笑んで、切なげにうつ向いた。


「……わたくしがテンテルさまに返せるものは、お金しかありません。何も知らず、恥じ入るばかりです」

「お金か。むしろ甘やかしているような気もするけど」


「わたくしには、それだけ価値のあることですから」

「だからってなにも、無理に交換しようとしなくて良いんじゃないかな」


「いいえ。愛することは与えることではありません。与え合う(・・・・)ことですの。友愛でも、恋愛でも、家族愛でも。きっと、その本質は変わりませんわ」


 ……段々と自分が恥ずかしくなってくるほど良くできた人だな。


「ですから、ウルトラお嬢様として……いえ。いち友人として、テンテルさまに相応しい人でいたいと存じています」

「いいと思う。思うんだが……」


「いかがなさいましたか?」

「ウルトラお嬢様って、何だい」


 ツキユミは俺をじっと見て、首をかしげた。


「ウルトラお嬢様は、ウルトラなお嬢様ですわ?」


「急にバカにならないでくれるかな?」

「し、仕方ありませんの。これはとにかく……説明が難しいのです。どの言葉も、適切でない気がして……」


 結局、一番気になるところが分からない。気になってしまって話に集中できないだろう。こんなモヤモヤを俺の中に残すな。


 シャッ、と試着室のカーテンが開く。タンクトップの肩紐で隠していた胸に、ブラジャーが入った。どうにかスポーツマン風のファッションに見えなくもない。


「へへーん。ケ・ン・ゼ・ンでーす」


 テンテルが、服の裾を上げる。中にはちゃんとパンツがあった。よし、それでいい。


 なんだか布地が肉に貼り付いて谷間になっているのさえ見えているが、それくらいなんだ。さっきまでモロだったんだぞ。


 そう思っていたら、ツキユミが「きゃっ」と小さく悲鳴をあげながら、顔を隠した。


「そ、そんな、ハレンチ過ぎますのぉ~……」

「バっ……バカこの、変な言い方すんな!」


 テンテルがバッと裾を下ろし、顔を赤くした。


 ……そうか。普通は、ツキユミみたいな反応が正しいはずなんだった。


 俺は……ずいぶんと染まったな……この世界に……。


 三人で店から出て、どこへともなく歩く。


「次はどーしよっか」

「それでは次は、行く宛を決めましょうか」


「やっぱそーだよねー」


 もはや理由すら無く集まっているらしい。集まることが目的になった学生のようだ。


「じゃー……あ、じゃーメシ行こ」

「よろしくってよ。参りましょう」


「……今日は一人多いことだし? たまには? 家系(いえけい)いっとく?」


 家系……たしかラーメンの味だったか。それがあるのか……? まぁ……味噌カツがあるくらいだしな。きっとあるのだろう。


「あ、あれは遠慮させていただきたいですわ。一口で死を覚悟いたしましたの」

「ちぇっ。あ。スイーツにしよーよじゃあ」


「まぁっ。……アランさまは」

「構わないよ」


「素敵ですわ! それでは参りましょう!」

「いぇーい」


 ふたりが和気あいあいと向かう。俺はその後ろを歩いた。


 とりあえず、ツキユミがテンテルにとっての『喪える人』であることは間違いない。彼女の命がリムア殺しの、契約の口実になるだろう。


 ……だが、どうするべきかな。あの兄に向かう確かな殺意を、一緒に肩の荷として担いでくれる友だちがいる。それをわざわざ外から解決しようとしなくても良いのではとも思える。


「ところでアランさまは、どのような所以(ゆえん)でテンテルさまとご友人に?」

「友人じゃねーよ。コイツはクソがよこしてきたスパイってやつ」


「いけませんわ。そのような言い方は」

「む~……」


 さらりと(たしな)められたテンテルを横目に、微笑みを作ってツキユミへ向いた。


「でも事実だよ、リムアに言われて来たんだ。引きこもりって聞いてたから、力になれないかなと思って」

「まぁ。やはり紳士ですわ。いえ、騎士さまと申し上げた方が正しいですわね」

「なーにが紳士だ」


 テンテルはわざとらしく自分の身体を抱いた。


「アタシは歪んだ歯車……。シャカイにはまれない存在……。無理にはめれば回転をぶっ壊す呪われた……え~……女子。だから家に居るのは運命的なね?」

「色々と仰っていますが、要するにコミュニケーション不全ですわ」


「あぁ~~!! 正論やめろコラっ!」

「うふふっ。申し訳ありません。本気では思っていませんのよ?」


「思ってないクセ的確なの止めてくんない? ダメージ入ったら冗談じゃねーからね? あー慰謝料要求だわ~」

「あらあら。では本日のスイーツはわたくしが持ちましょう」


「あー傷癒えたわ~」


 甘やかしてるな……。それにはツキユミ本人も気づいていないようだ。


 店に到着する。老若男女を客にしたスイーツ店なので、俺が不自然に浮かなくてすむ。


 とはいえ、このふたりに対して大人の男のである俺は十分に怪しい。ひとまず、どちらかの父親風に過ごしておく。


 この店はラックに並ぶ菓子やパンをトレーに取るという方式で、俺は即決して会計した。


 テンテルも一瞬で選んだが、ツキユミはまだひとつ目で悩んでいた。


「まぁっ。もう選ばれたのですか?」

「これじゃん? やっぱ」


 彼女のトレーには、シンプルなドーナツにハチミツをかけたものが五個。


「以前もそのひと種類ではございませんでしたか?」

「これなんだって。好きなもん一本勝負でしょだって。そうでもないもの食ったら損じゃん」


「まぁ、またそのような……。様々なものを楽しんだ方がお得ではありませんこと?」

「えー? でもこれが良い」


「普段の食事でも、野菜も食べなくてはなりませんよ」

「やーだー。炭水化物しか勝ーたーなーいー」


「あらあら……」


 ツキユミは苦笑いしながら、テンテルへ金を渡す。


「わたくしはまだ悩みます。お先によいテーブルを見繕ってくださいな」

「うーい」


 テンテルも会計を通す。一緒に四人がけのテーブルへ着いて、座った。


 彼女はドーナツをちびりとかじり、まだ悩むツキユミを横目に呟く。


「…………あのさ、アラン?」

「うん?」


「なんか……変なこと言うかもしれないんだけど。やな予感がしてんだよね」

「やな予感? それはどんな?」


「友だちと一緒ってときに、やなこと思い出したくないじゃん。でも、ツキユミといるのに、なんだかダッチョウ(クソ)を思い出しちゃってさ。これ、やっぱイヤな予感ってやつだよね」


 ……なるほど。ツキユミからの恋愛の視線を、テンテルが無意識に観察して、兄と同じ視線として解釈してしまっているらしい。


 色々とこじれているな、この二人。だからといって俺が何でもかんでも明かして、かき乱す意味はない。気付かないフリでやり過ごそう。


「……だったら、家に帰ったら、気を付けた方がいいかもね」

「ん。ちゃんとこれ、隠すわ」


 テンテルが、ぎゅっと下着の入った紙袋を抱き締めた。その顔はなんだか、幸せそうだった。


「……ツキユミが測ってくれたんだしさ……」

「お待たせしました」


 やって来たツキユミのトレーには、小さな一切れのガトーショコラと、色違いのマフィンを二つ。クリームの乗ったツイストドーナツが一つ。


「ほんと少食だよね」

「満腹になろうとしていないからですの」


「そーゆー? 金がいっぱいあったらいっぱい食いたくなんないの?」

「そのようになったことは、ございませんわ? まず健康があり、楽しみがあり……。言われてみれば、食欲の優先順位は低いですわね」


「へぇ~。意外だわ」


 言いながらハチミツドーナツを口いっぱいに頬張り、頬をモフモフと動かした。


「テンテルさまは気持ちよい程に召し上がっておられますが、それにはどのような理由が?」

「え。ふいはい(くいたい)……ひょっほわ(ちょっとま)……。食いたいから」


「まぁ。かわ……なるほど道理ですわね」


 可愛いと言いかけたな。俺が何もしなくてもそのうち決壊しそうだ。まるで綱渡りを見ているようだ。


「ところで……アランさ」

「ん?」

「金欠なの?」


 ふたりが俺のトレーを見た。


 食パンでチーズを挟んだものがひとつ。自分でサンドイッチを作れるコーナーがあったので、いつものクセで作ってしまった。


 これは俺が、張り込みのときにいつも食っているものだった。ターゲットに位置がバレるような臭いはなく、満腹になって眠くなりにくく、意外と腹持ちが良い。なにより質素すぎて美味いも不味いもないので、メシを無心で食えるという利点があった。


「それ……食パンとチーズと……後なに?」

「食パンとチーズだけだよ」


「だけ……マジ?」

「よ、よろしければ、もう一つなにか、プレゼントいたしますわ?」


「……好物なんだ……食パンとチーズ……」


 無理やり押し通すと、ふたりは引いた表情でお互いを見た。


 そうして、食事を終え、また少し店を回り――。


「――本日もありがとうございました。そして新しい友人のアランさまも」


 ツキユミは優雅に一礼する。門限があるのだろうか、夕方前に解散となった。


「んじゃー。また明日」


 ふたりで手を振ると、ツキユミも手を振る。その動作すらやけに洗礼されていた。


「それではごきげんよう。よい一日を」


 ツキユミと別れ、テンテルの家路につく。


「どう?」

「うん?」


「いいでしょ。友だち」

「うん。楽しんでたね」


「え、楽しくなかったの?」

「まさか。楽しかったよ」


「へっへっへ。だろだろ~?」


 ツキユミに見せたような態度を隠さなくなってきた。きっと、少しでも心を開かれたのだろう。


 俺は……まだ迷っている。テンテルの荷を下ろさせるか否か。申し出ればきっと彼女は依頼するだろう。


 だが……。


「そろそろ騎士団に戻るよ。お兄さんには、『説得しても無駄そう』と言っておくよ」


 テンテルには、ツキユミがいる。それでいいだろう。


「いいね。よろしく。……ま、まだ友だちって認めた訳じゃねーけどさ」

「ん?」


「また……来てもいーよ? ……遊ぼ」

「うん。また遊ぼう。それじゃ」


 手を振って、彼女と別れた。




 それから数日。拠点が異常な以外、穏やかな数日だった。


 ソフィアとアリアンナは相変わらずセックスばかりしていて、復職したビスコーサは性に溺れず自制に成功し、ボウイがいよいよメスになり始めたころ。


「む、アラン。どうだ、騎士団にはもう馴染んだか」


 騎士団本部ですれ違ったとき、アリアンナがそう言った。


「お陰さまで」

「うむっ。その適応っぷり、貴様というやつはきっと、どこででも通用するだろうな! わっはっはっ!」


 豪胆に笑う。その様子を見て思わずため息が出そうになった。


「質問があればなんでも聞くがよい! ソフィア姫、ビスコーサ姫、ボウイ姫のあれこれまで、なんでもな!」

「どうして入団から一週間近くすっぽかされたか分からないんですが」


「ぐぅっ!?」


 結局、あの日はまるごとすっぽかされた。その分鋭い言葉を放ち、アリアンナの豆腐のようなメンタルに正面衝突させる。


「そ、それは……むぅ……。も、申し訳ないとは思っている! だが我は股間に正直だ!」

「わー。英雄色を好むですね」


「その通りっ!」


 最近気づいたが、アリアンナは『エロい』や『下品』という言葉で暴走するが、『英雄色を好む』なら平気だった。これはもはや、どうしてと考えるだけ無駄なのだが、便利な攻略法だ。


「……ん?」


 アリアンナが何かに気付いた。視線の先、入り口から入ってくるのは――テンテルだった。


 遠目でさえ分かる、確かな殺意を伴っていた。


「あの子は……いかんな」


 アリアンナが迷わず、真っ直ぐに彼女へと向かった。それを追いかけて並んで歩く。


「いかんとは?」

「あれは誰かを殺す目だ。初めて戦に出る者と、同じな」


 そこは流石の騎士団長か、彼女にも殺意が見えるようだ。


「……あの子はリムアの妹です。以前、会ったことがあります」

「うむ。では最初の説得は任せたぞ」


「ありがとうございます」


 アリアンナを追い越し、キョロキョロと見回すテンテルへ近づく。


「テンテル」

「……アラン」


「どうしたんだ、今日は」

「…………クソを、探しててさ」


「そっか。じゃあ、呼んでくるから、おいで」

「ん」


 テンテルを連れ、階段へ向かう。アリアンナとすれ違い様に「部屋を使っても?」と聞く。


 ただ一言、「構わん」と返ってきた。部下を信頼するというその姿勢は、俺としては大いにありがたい。


 どうして行動を起こすほどに憎悪が膨れ上がったのかは知らんが、とにかくまずはテンテルに考え直させねば。それから改めて、依頼を受けよう。


 二階に上がるとき、階段の下でテンテルが立ち止まった。


 彼女が一点を見つめている理由など、聞かずとも分かった。


 ちょうどダッチョウが、通りかかっていた。


 俺が声を出すより早く、彼女が動いた。服の下から果物ナイフを取り出している。


 彼女の左手を掴んで止める。


「よせ」

「はな――せっ!」


 振りきろうとする腕を離さないでいると、彼女は俺へとナイフを振った。


 その腕の肘辺りに手を添え、切っ先を逸らさせる。


 そうこうしていると、異常に気付いたダッチョウがやって来た。


「おい。いったい全体どういうつもりだ」

「テメェ……!」


「現役の騎士に勝てるかどうかも分からないで、挙げ句兄にずいぶんな呼び方じゃないか」

「黙れ! 黙れよこの……!」


「恥を晒して何がしたい。働くだけの頭がないのならもう家から出るな。ぼくがきっちり面倒を見てやる。来もしない花婿はもういらないな。さ、これで不満はないだろう」


 止まらない言葉に、テンテルはナイフすら取り落として暴れる。


「ざけんな! クソ野郎ブッ殺す! ブッ殺してやるッ!」

「リムア。あとは任せて……」


「離せよこの裏切り者ッ! 離せェッ!」


 無理に引いて、二階へ。そしてアリアンナの私室に入った。


「やめろテメ……うわっ!?」


 彼女をベッドへぶん投げた。ぐるりと回って、バフンと跳ねる。


「……! ……!? …………??」


 唐突な出来事に混乱し、彼女は俺を見た。


 ああいう突発的な怒りは意外と持続しないもので、少し時間を稼いだり、こうして混乱させるとあっさり消えてしまう。


 そのため、強い恨みを持つ者が殺人を犯すとき、楽しんで殺すパターンは意外と少ない。いざというときになって怒りを持続できず、だが計画を開始してしまって引くに引けなくなり、意地だけで押し通してしまうのだ。


「……テンテル。あそこで殺せば捕まってたぞ」

「……でも……でもさ。アイツを殺して……」


「ダッチョウも言っていただろう。現役の騎士にはまず勝てん、だからそこは――プロに任せろ」


 途中まで恨みの混じった視線だったのが、あっさりと変わった。


「……え? こ……殺し屋ってこと?」

「そうだ。そうでもなければ殺せない」


「…………」

「どうした?」


「い、いや……ちょっと……思ってた反応と違って……」


 混乱は、困惑に変わっていた。


 ベッドに座り、テンテルを見る。


「……どうして、こんなことを?」

「…………アイツまた……またやりがったんだよ! アタシの……ツキユミと買ったの(けが)しやがった……!」


「そうか……」


 あの男は、繰り返したのだろう。これだけのことがあっても、きっと反省はしない。


 それどころか、ダッチョウのさっきの発言はテンテルを軟禁して支配しようとも取れるものだった。


「依頼すれば、料金が発生する。金貨が五枚」

「ご、五枚……で、でもまぁきっと」


「ツキユミの命が担保だ」

「……え?」


 楽観しかけた顔が、唖然とした。


「な、なんで……なんでそうなんの!? アタシの命だろフツー!」

「支払わなければ意味がない。殺して満足して、殺されてもいいとなられては困る」


「それは……」

「親友の命を勝手に担保にするのは気が引けるか。だが、結局は金を稼げば良い。親友のためになら、少しは働く気にもなるだろう」


「…………」

「どうする」


「……分かんねぇよ……そもそもそんな殺し屋いんのかよ」

「いる。目の前にな」


 テンテルが、目を見開いて俺を見た。


「……ウソ……でしょ……?」

「本当だ。これでも本業は殺し屋でな」


「……もう……わけ分っかんねぇよ……なんなんだよホント……」


 彼女は膝を抱えた。それから、顔をおおってクシャクシャと擦り、「ぅあぁっ」と気合いの声を上げた。


「するよじゃあ、依頼!」

「いいんだな」


「働きゃいいんでしょ! 働きゃ! アタシだって……もう一度くらい、がんばれるし!」


 もう一度、か。


 以前にも頑張って、そのときは失敗したのだろう。うまく働けなかったか、働き始められなかったか。


 折れた心が、まさか殺し屋への依頼で治るとはな。


「契約成立には、前金が要る。銅貨一枚でも良い」

「……今は持ってない。いーじゃんそれくらい」


「ダメだ」

「なんで」


「口約束は嫌いなものでね」

「…………じゃあ、家に行こ」


「ああ。送るという口実で行く。反省したフリをしておけ」

「それは得意だわ」


 ではと行こうとすると、呼び止められた。


「……あのさ。えっと……」

「…………」


「……なんで良くしてくれるの?」

「殺し屋はそういう職業だからな。行くぞ」


 彼女の手を引き、扉を開いた。

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