20 難攻不落の落とし方(後)
昼前。MMMの自宅だという豪邸の一角、客間で紫スーツと、五人のボディガードに囲まれた。
こちらの見込んだ通り、ボディガードたちの面子が変わっていない。始末するのはこの顔ぶれたちだ。
「いったい、どういうことですかァ……ナァ?」
ガルニエ――受付嬢を始末したと言うと、ボディガードが調べに行き、それが戻って報告を受けるなり、MMMからこの返事が帰ってきた。
「どう? 何がです?」
「争った形跡はおろか、血すら残っていないとは。本当に殺したんでしょうねぇ?」
「ええ。完全に証拠を消したので、行方不明という扱いになります」
MMMは何かを考え、フゥとため息をついた。
「まぁ最初のことで、こちらの業務指示ミスと納得しましょうじゃないですかマイパートナー。次からは死体をワタシに見せなさい。それが殺人証明です」
「し、しかしそれでは」
「おぉっとぉ、ビークワイエットゥ。隠滅ならワタシに死体を見せてからすればよろしい違いますかなぁ?」
高圧的になってきた態度に尻込みするフリをした。最初は親しげにして段々と恐怖で支配していく、ということだろう。それにまんまと掛かってやらねばな。
「しかし……フゥム。参りましたねぇ」
「きっちり仕事した以上は、報酬は払って貰わなければ――」
「――ノン。そこはきっちり支払います。ワタシの杞憂は別にある」
MMMが、俺の顔を覗き込んだ。
「アランという殺し屋の腕。本当に信じていいものですかねぇ」
「……証明しましょうか。ひとり殺して」
振り返って、ボディガードの面々を見た。彼らは一歩引いて、剣に手をかけたり俺を睨んだりとしている。
その中で、一人を指差した。
「そこの、あなた――」
言いながら、MMMの顎の下にナイフを滑り込ませた。
「ムゥッ!?」
彼は驚くが、斬れてはいない。当てたのは刃の裏だった。
俺はナイフをテーブルへ置いた。ボディガードたちは困惑して、柄から手を下ろす。
「ゥワンダフォウ! そのテクニック。意識の操作が上手いようですねぇ」
「どうも」
ニコニコと上機嫌なMMMが、一番近場の部下を呼ぶ。
「そこ。来たまえよ」
「はっ」
「彼らを見たまえ」
「……? はっ」
部下は素直に振り返り、同僚たちに胸を張った。
「諸君。なぜ、動かなかった?」
「……え」
「アラン君はのミスはワタシからの命令ミスだった。だが君は? どうだね?」
「そ、それは……」
「職務怠慢はァ、いけないですよねェえ~~~?」
MMMが困惑したボディガードのショトートソードを抜いてそのまま脇腹に突き刺した。
「――っ!」
そのまま持ち手をガチャガチャとねじって、男の横腹をえぐった。
「な……かはぁ…………」
そして「なぜ」と言うことすらできず、そのまま絶命した。
絶句するボディガードたちの前で、MMMは両腕を広げてスピーチの姿勢になった。
「見たまえ、これがボディガードの職務怠慢の結果、命を損失するということだ。ミスは許されない。重要な任務についていることを……決して、忘れるな」
「は……はっ!」
緊張した面持ちの残り四人が、背筋を限界まで伸ばした。
……ふむ。新たな補充はあるのか? これが『五人だと秘密を保つのに苦労するので一人を殺して人数を減らしつつ、最大限の恐怖心を与える』という狙いなら、ターゲットが一人減る。俺としても助かるんだが……。
「ではアラン君。あとの処理を任せよう」
「死体処理を?」
「もちろんですとも方法は指定しなァい。金の心配なら不要ですよぉ、きっちりと払おう。成果には報酬を、損害には罰を」
「そうか。なら、構いませんが」
「では頼んだよ」
言うだけ言って去ろうとする背を呼び止めた。
「次の一手についてビジネスの話をしたい」
「……ほう? では……いいね?」
紫スーツの指示ひとつで、ガードたちが一斉に部屋の外へ出ていった。
「プロのプランをお聞かせ願いましょう」
MMMはハンカチで、血濡れた手を入念に拭きながら座り、聞く姿勢を取った。
「次は、残りの“無駄銭集めたち”を全員始末しようと考えてます」
「ンン~~……。三十人近く該当する以上、無謀に聞こえますがまずは最後まで聞きましょうか」
「方法は単純ですよ。理由を付けてターゲットだけを出社させ、そこを襲撃する。そして俺が脱出したあと、身代わりに罪を着せて、報復と銘打って公的に始末すれば、会社は被害者でいられる」
「ターゲットだけが残ったタイミングでの虐殺ぅ……? 都合がよすぎる気もしますがねぇ?」
「一日、いや二日前に通告すれば問題ないです。その通告が漏洩した結果、会社を襲う強盗が発生したのだと言える。そのためには、“社内のセキュリティを全てダウンさせる”必要があります」
「強盗が襲撃する理由を作る……と? それなら現実的ですナァっ。ハッハッハッハ!」
MMMが大袈裟に笑い、「これもお願いします」とハンカチを床に転がった死体へ投げた。
「二日という数字。これにはどんな意味があるのかね?」
「そこが、残りを一気に始末したい理由です。三十人を段々と始末していけば、流石の無駄銭集めたちも我々が殺しているのだと気付く。そこで騒ぐだけならまだしも、組織以外の殺し屋を雇ったりしたらかなり面倒なことになります。一日だと短すぎますが、二日なら漏洩の可能性が出てくる」
「フムゥ。ガルニエ殺しが着けた火が燃え広まるまでのタイムリミット――という訳ですな」
「かつ、強盗からすれば短い準備期間になり、これは虐殺の理由にもなります。今日にでも通達を出し、すぐに決行すべきです」
「良いでしょうっ!」
MMMは迷うこともなく、即決した。プロと見て完全に委託することにしたか。さすがにビジネスマンとしてのプロ意識が高いな。
「では無駄銭集めのリストを作って渡しておく。そちらも準備を進めたまえ」
「ええ。リストが終わるまでにこの死体を始末しておきますよ。ではノコギリをください」
当日。全ての仕事を終え、誰もいないビルのある一本の柱に寄りかかって座り、MMMを待つ。
上を見上げた。このビルは中階層までが吹き抜けになっていて、その中に浮く鯨のオブジェはいつも通りと言わんばかりにふわふわと静止していった。
……あれを……どうにか使えたような気がするんだがなぁ……。
あまりにも血生臭い空間で、少し気分が悪くなってしまっていた。壁や床、そして、俺のシャツの腹の辺り。どこもかしこも血塗れで、荒れていた。
複数人の足音がする。見上げると、MMMとボディガードが四人。
「これはいったい……どうしたことかねっ!」
怒り声だった。
「……どうも……」
「どうもじゃあない! 返り討ちにあったようだがぁ? 取り逃したように見えるがネェッ?」
「ターゲットは……全員始末した……死体は社長室の……近くのバスルームに……」
「…………では、どうして死にかけているのかね?」
「本当に……強盗が来やがった……。上に……」
「人数は」
「ふたり……男と女だ……」
MMMは、ため息をついた。
「やれやれ計画は思わぬ方向に進んだようだ……ンだがッ! 実行可能なようですなぁ」
「ああ……。あいつらを実行犯に仕立てあげれば……」
「言われずとも。そこ。手伝ってやりたまえよ。残りは強盗を始末しに行きましょう。やれやれ、手間が省けましたなぁ……ハァッハッハ!」
MMMはボディガードをひとり残し、階段を上っていった。
もっとも偉い者が、自らの脚で階段を毎日登り降りするというのも妙なものだな。
「……さて。じゃ、手伝ってやるから楽にしな?」
残った男が、剣を抜いた。
「……? なぜ剣を……」
「あれ? まだ分かってない? 誰か他のヤツを身代わりになんて面倒なこと、する必要はねえ。お前を殺せば一挙に解決、だろ? そういう計画ってわけ」
「ま……待て……。組織を敵に回すことになるぞ……」
「へへへっ。だからってまぁ、オトクには敵わないだろ?」
男は剣を杖にしてしゃがみ、俺と顔を合わせた。
「悪く思うなよ?」
男の右手を掴んで固定し、剣を動かせないようにし、鎖骨の上にナイフを突き立てた。
「――思わないから安心しろ」
そのまま引き抜いた。動脈から鮮血が吹き出し、男は剣か止血かで迷っているうちに気を失った。
さて、これで残りは三人。補充がなかった上、こうして一人を始末できたのは運が良かったな。
柱の裏に隠していた仕事道具の箱を持ち、MMMの後を追って階段を登った。
その、途中だった。
「うわぁあああああ……っ!?」
上から絶叫がして、狂ったように響き回る。
煙玉の火薬とノリで作った炎上罠が作動したようだな。MMMの声ではなかったので、ボディガードの残りは二人。
さて、これが俺の罠かも知れないと感づいたMMMたちはどう動くだろうか。あの罠は中層の一番上に仕掛けてある。そこは吹き抜けの一番上であり――。
――俺があの柱にまだ残っているのか確認できる最後の階層でもある。
「ぎゃあああああっ……!」
また悲鳴。そしてドッ、という肉が石の地面に叩きつけられる鈍い音。
ドリルとノコギリで、手すりと床を脆くしておいたのが上手くいった。あの声はMMMではないので、ボディガードは残り一人。
階段を登り続け、焼けた男をまたいで更に上へ。
…………ふむ。悲鳴がしないな。どうやらかなり慎重に動いているようだ。あの紫スーツはかなり警戒心が強く、ただでさえ罠にかかりにくいタイプだ。流石に全て罠で解決とはいかないか。
ひとりとは、戦わないといけないな。
最上階の一階下で道具箱を開き、釘撃ち機と布袋を取り出し、上へ。
社長室へ続く真っ直ぐな廊下に、ボディガードがひとり。門番のように立っていた。体格が良く、戦士さながらの貫禄だ。
「裏切り者がよぉ……!」
「済まないな」
箱を床に起き、手に納めた袋の口を緩める。
男は鬼のように顔にシワを寄せ、剣を抜いた。
「ぶっ殺す……ぶっ殺してやるッ!」
真っ直ぐ向かってくる。釘を数発、顔に向かって撃つ。相手が顔を防御しつつ突進してくるので、避けた。
背後に回り、振り返った瞬間に袋の中身――灰をぶちまける。
「ぐぁっ!?」
目に入ったようだ。目を押さえようと腕を上げてがら空きになった脇腹へ、釘撃ち機を乱射しながらナイフを取り出した。
精度が悪く、まともに狙撃などできず致命傷は与えられない銃でも、相手に痛みを与えられるというのは十分な機能だ。
釘が深々と肉に刺さり、男はそれでも喘ぎながら剣を振ろうとする。振りかぶりが大きく、簡単に背後へ回り込めた。
相手が振り替える前に、右肩の後ろへナイフを刺した。
「が……ぁあ……!」
振り返れずにもがく男の、後頭部に釘撃ち機を当てて引き金を引いた。
男はあっさりと、人形のようにくずれ落ちた。
精度が悪くとも接射ならば問題はない。鼻の高さ、頭の中心にある小さな脳幹を確実に撃って始末することができる。
死体をまたいで、社長室へ。
高級なカーペット。樫の机。向こうの壁一面に広がるガラス窓。
ここより高い建物などなく、まるで絵画のように空と海の青と草原の緑が爽やかに広がっていた。
MMMは部屋の中心にいた。俺を見るなり怯んで下がって、机に腰を打ち付ける。
「――――アラン」
「どうも」
「どういう……つもりですかな。……全員を殺すなど……」
彼は怯えながらも、俺をしっかりと見据えている。
「お前のボディーガード以外は誰も殺していない。下の惨状は豚の血を撒いただけだ」
「な、なんだと?」
「殺したい者のリスト、あれの全員に出社しないよう呼び掛ける通知書を作って送った。だから最初から誰も会社にいなかった」
「…………や、雇い主殺しなど、組織が許す筈がない! 殺し屋とてビジネスのはずだ。感情で相手を選ぶなどあってはならない!」
「雇い主は別にいる。お前は最初からターゲットだった。他に聞きたいことは?」
詰め寄ると、MMMは俺を見たまま机を回り込み、ガラス窓を背にした。俺は机の前に立つ。
さて、どう殺すか。丸腰の相手は『どうせ死ぬなら』とやけになって突っ込んでくる場合がある。その点、下手に武器を持った者より行動が読みにくく危険だ。
「せっかくの縁だ、きちんと答えよう」
「…………雇い直しましょう」
「ほう?」
「ビスコーサの払った金額を教えていただければァ? その十倍、否そのヒャクバイの金額を払おうではありませんかッ!」
一億円相当か。ずいぶんと大きく出たな。
「……ふむ。お前の提示した金額は、殺し屋というビジネスには魅力的だ。それだけあればもっと機材を買い、情報を買う資金にもできて、殺しの仕事をさらに安定させられるだろう」
「そうでしょう! そうでしょうッ! その通りです!」
「だが……釈迦に説法、とでも言おうか。通じるかは知らんが。お前にビジネスの基本を教えてやる」
「え」
「雇い主を裏切るな」
釘撃ち機を構えて引き金を引いた。やはり精度が悪くMMMには当たらなかった。
「ワッタッ――」
その代わり、MMMが寄り掛かるガラス窓に当たった。
それは、面白いほどあっさりと砕けた。
「――ファアアアアアアア……ッ!!」
紫スーツが宙を舞い、絶叫が尾を引いて落ちていく。たかだか死ぬのにずいぶんと騒ぐな。
さて、ここからだ。道具箱を開けた。
急いで服を全て脱ぎ、全身の血をタオルで拭いてまとめて置き、油を出して濡らし、火を着けた。
用意した別の衣装に着替え、紐付きのハンドパイルとロープを取り出した。
他の物は仕舞って箱を閉じ、取っ手にロープを通してぐるぐる巻きにして背負う。
「よし……」
ハンドパイルを持って一気に階段を下る。
一階にたどり着いたとき、ちょうど入り口から入って来た人がいた。一般人だ。MMMの死体を見た野次馬だろう。そいつは俺を見るなり、指を指した。
「ひ――“バッタのバケモン”だっ!?」
よし、衣装はしっかり機能している。
男を突き飛ばして外に出る。案の定、周囲は警備たちに包囲されていた。
「止まれ! そこを動くなッ!」
言うことを無視し、ハンドパイルの杭を接地させ、その上に足を置いてロープで引いて固定した。
「何を――」
引き金に引っ掻けたロープを引く。
強烈な突き上げがあり、身体が宙へ“発射”された。
「――してぇ……るんだぁ!?」
間抜けな声を飛び越え、家の屋根に着地する。
「ま、待てバッタ野郎ッ!」
駆け出しながらパイルの杭をセットする。近い屋根なら飛び移り、遠い屋根ならパイルで飛ぶ。
そして、大市場前の大通りへ来た。
「な、なんだぁありゃあ……」
「ヤバいのがいるぞ!」
人々が俺を指差している。追ってきた警備たちがその中に突っ込んで、もがいていた。
「待てこの……」
警備たちが道の中心に来たタイミングで飛び、大通りを下っていく。警備は人混みのせいで上手く走れず、あっさりと撒かれた。
人目の無い場所で降り、組織への入り口へ滑り込んだ。そしてそのまま、洞窟の入り口で待つ。
…………。
………………外で足音がする。
「おい! 見つかったか!?」
「だめだ消えやがった。煙みてえに! 夢でも見てたのかよ俺たち」
「バカなこと言ってる場合か探せ!」
二人の足音が、遠くへ離れていった。よし、撒けたか。
そのまま奥へ行って、組織のアジトに帰ってきた。
「やぁ……すごい格好ですねまた……」
案内人が苦笑いした。
俺はマスクを外し、汗を拭く。
「明日の新聞にバッタ人間の文字を載せたくてな」
「バッタ人間。殺し屋グラスホッパーって訳ですね」
「人は押さん」
「?」
呆気にとられた表情を横目に、奥へ。
「あ! ん? あっ! 先生!」
一瞬目を疑ったボウイが走ってやってくる。
「お帰り! その格好カッコいい!」
「仕事を終えた。これは仕上げのための衣装だ」
「へぇ~。なんで買ったんだろって思ってたんだけど……なんで?」
「前に、目撃されたときに印象に残らないことが重要と言ったのを覚えているか」
「うん」
「逆に印象に残すのも手法のひとつだ。例えば女が男装して殺せば、目撃者は男が殺したと言う。そういう風にあえて撹乱するのもいい」
ボウイは一瞬納得したが、すぐに疑問の顔になった。
「でも、じゃあなんでおれに着替えろって言ったの? よく女に間違えられるから、上手く使えるでしょ」
「可愛い顔の子どもと覚えられたら、一瞬で特定される」
ボウイは顔を赤くしてうつ向いた。
「…………ヘンタイ」
なんで……?
「……とにかく、報告しに行くぞ」
「はーい」
「……それで」
ビスコーサが俺をじっと見た。彼女の家の寝室、ベッドに座って。
「どうっすか? その……もろもろ上手くいきました?」
「その確認をしたい。警備はもう来たか?」
「っす。でも、ちょっと聞いて帰っていきましたけど」
「うまく誤魔化せたか。緊張や……恐怖が顔に出たりは?」
「してないと思うっす。……いや、ぶっちゃけ怖かったすけど、アランさんが着いてくれてるって思ったら、なんだか勇気が出ちゃって……」
一緒に来たボウイが「単純だなぁ」と言えば、彼女はへにょへにょと笑っていた。
「それで、アランさんは?」
「俺に繋がる情報はないはずだ。今回使った道具も、別で買いそろえたものだしな」
「っすか。……じゃあ、終わったんすね」
立ち上がって彼女は、俺を抱きしめた。
「……ありがとうございました」
「礼はいい。ただのビジネスだ」
「ビジネスでも、お礼は大事っすよ」
「そうか」
少し、間があった。離れる気配がなく、ボウイがじとりとした目で俺たちを見つめていた。
「……アランさん」
「どうした」
「…………好きになっちゃったって言ったら、どうするっすか」
「……」
嫌な予感がする。今でさえソフィアとアリアンナを抱えているのに、これ以上は無理だ。
「わ、分かってるっすよ? アランさんには、もう恋人がいるんすよね。でも……意外と首を吊ることが苦しくないって、分かっちゃったんす。アランさんが側に居ないことの方がずっとキツイっす」
「自分を人質にするのか」
「します。だから……。救出、してくれませんか」
彼女から、バスルームで蘇生させたときと同じ気配を感じた。死ぬ者の、暗い気配だ。
……だ、だが、これ以上は……。
「……そ、ソフィアもアリアンナも、捨てるわけには……」
「アリアンナさんとも付き合ってんすか!? じゃあ、そんなに心配しなくてもよかったっすね……よかった」
やらかした。なにがよかっただ。お前はなにをどう解釈した。
どうしてそこで二股かけてると失望しないんだお前。
「ずるい! じゃあおれも!」
ボウイが後ろから俺に抱き着いた。
「な……まてボウイ」
「やだ! 先生と付き合う!」
「いっすね……一緒に幸せになろっす」
「やったぁ! ……あれ。ってことは、おれたちも付き合うってこと?」
「……っすね。ふひひ……」
「なんか……ヘンな感じ。んへへ……」
二人とも幸せになり始めた。いいって一言も言ってないんだが?
お前らどうして俺のことになると貞操観念が壊れるんだ。
「じゃあソフィアさんアリアンナさんに挨拶しに行かないっすか?」
「早くいこ!」
「うす!」
駆け出したふたり。その背へ手を伸ばす。
「おい、待……」
引き留める間もなく、とっとと行ってしまった。
異常に成長していく俺の恋人の輪の中で、なぜか俺が一人になっていく気がした。
ビスコーサのベッドに、仰向けに倒れた。
なんでこうなったんだろう。
俺は……俺が悪いのだろうか。そうかもしれない。そうと思わねば、この虚しさをどうしていいか分からない。
どれだけの虚脱感に襲われても、泣くことはない。道理の無い悲しみの発散方法など忘れてしまった。
流れよわが涙、と殺し屋は言った。
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おまけ
きぃっと扉が開いた。
とぼとぼと、ガルニエが帰宅した。
「……ま……」
元気がなさすぎる「ただいま」を呟く。
……来なかった……私の運命……。
なんでだろう。いや、やっぱり何か理由があったんだ。そうに違いない。事故とかに会っちゃったんだ。……違いない……よね……。まさか。まさかね……。
ふと机の上に、見慣れない紙が一枚置いてあるのが見えた。手に取ると、その下には金貨が二枚。
「…………」
嫌な予感がする。いや、いやそんなことはないはず。
恐る恐る、手紙を読んでみる。
『私はあなたの運命の人では無かったようです。お詫びにお金をあげます。さようなら』
ガルニエの中で、何かがキレた。
手紙を握りつぶし、金貨二枚を掴み取って振りかぶる。
「そういうことじゃ――ねえだろぉがぁあああッ!!」
床に叩きつける。手紙は跳ね、金貨が木の床に突き刺さった。
彼女はベッドへダイブし、泣いて転げ回る。
「うわぁあああんっ! わたしの薔薇色結婚生活がぁあぁ……!」
ひとしきり暴れて、そのまま寝落ちした。
そして次の日。いつもの独身の朝。彼女はだらりと起き上がった。
……仕事いかなきゃ……。数日すっぽかしたことを謝ろう。でもMMMのバカが懲罰カード出してくるか。
あーあ。なんかの間違いで死んでないかなぁ。MMMもアランも。
会社が大変なことになっているとも知らず、彼女は身支度を始めた。メイクを終えたところで、置き手紙が目についた。
……あれ。裏面にもなんか書いてる。クシャクシャの手紙を広げて読んだ。
『追記。次の人が運命の人だといいですね』
「…………アラン……」
気付けば呟いていた。こいつ。本当に“分かってない”。そこじゃねえだろ気遣うところ。
「…………お前を殺す……!」
またキレそうになったとき、ドアがノックされた。彼女は怒り脚で向かう。
いま不機嫌マックスなんですけど。勧誘だったらもうキレ散らかしてやる。
ドアを明け、顔を見て、全ての感情が吹っ飛んだ。ものすごい美形が居た。
――え、なに? なんで顔がいい人がここに? なんでじっと見てるの……? どっかで見たことあるような……。
「……あの」
しばらく見つめあって、ガルニエから口を開いた。男はハッとして苦笑いする。
「あっ。ごめんなさい。綺麗すぎてびっくりしちゃって……あ。変な意味じゃないですよ?」
「からかわないでください」
ツンと言い放つ。“また”だったら、今ここで殺す自信があった。彼女の腹からは出し惜しみ不要なほど、憎しみのストックがあった。
下手なこと言ってみろぶっ殺してやるからなァ……。
「からかってません。ところでここがガルニエさんのお宅でしょうか……」
「はい。わたしがそうですが?」
「そうなんですね。実は僕、結婚相談してくれた親切な人から紹介されて来たんです。しがない会社経営者ですが」
会社経営者……! 顔も良くてカネもあるという不平等の権化……!! 口先だけのアランとは違う……!!!
そっか。どこかで見たと思ったら、アホのMMMがちょっと前に会話してた、取引相手の人だ。ちらりとだけ見たことがあった。
…………って、結婚相談? 『次の人』って、まさか。
「……もしかしてその人、アランって人だったり……」
「そうです! ……って、急に来ちゃって、ご迷惑だったでしょうか。申し訳ありません……」
よし。よくやった! よくやったぞォアランっ! 許す。許してやるぞォ~~~……!
「……迷惑ではないです。あの、上がりますか? お茶を出しますね」
「いいんですか? 嬉しいです!」
振り返り、ガルニエはほくそ笑んだ。
待っていろ、私の薔薇色結婚生活……。




