17 依存症
入り組む洞窟の出口。墓場の裏から出られるという岩の裏で、案内人と二人。
彼は洞窟の壁によりかかり、ニヤニヤとしている。
「奴隷商に会うならここです。昼は大市場のバーにいますよ。二段目の右奥です」
「そうか。すまないな」
「いいですよ。アンタはちょっと特殊ですけど、もう仲間なんですから。期待してますよ」
立ち去ろうとすると、ちょっといいですかと呼び止められた。
「なんだ」
「で、揉み心地はどうでしたか」
誰も触れたことのないというジェーンの身体に興味が湧いたのだろうか。変なヤツだな。
「帯で絞められていたせいか、妙に弾力があった」
「へぇ。さすが巨乳を揉み歩いているだけありますね」
「不名誉をどうも。尋ねるほど揉みたいのか」
「いいえ? まさか」
なんだお前。
言い返したい気持ちを抑え、「俺からもひとつ良いか」と返した。
「ボスはなんであんな格好を?」
「あれはボスの趣味です。いい趣味ですよね」
もはや理由すらないか……。まぁ、あったところで、なんだがな。
岩を登って上から覗くと、どうやらここは墓場の一番奥で、大きなモニュメントの裏のようだ。周囲には誰もいない。
「では、また」
案内人の言葉を背に、岩から降りる。
道へ出て少し歩くと、ここが大市場の側であると分かった。人混みへ紛れて大市場の下り坂へ。坂の途中で二階に入り、右の奥を目指す。
途中に服屋があったので、上着を買った。ボウイに貸したのはソフィアの父の形見だ。後でこれと交換で返してもらうか。
二階の奥まで行って着いたのは、バー、こむらがえり。嫌に日本の路地裏を感じるその看板を横目に中へ。
カウンターといくつかの座席。ラックに並ぶ酒の数々。よく整った内装だが閑散としている。
マスターは無口にカウンターを磨いていて、俺が入店しても見向きもしない。伏せた目のマスターの前に座った。
「どうも。奴隷商人がここにいると聞いてきたんですが」
「…………」
反応がない。合言葉か、紹介が必要なのだろう。奴隷商へ戻るとは言ったものの、マスターに話が通っているわけではないようだ。
「――ベル」
店の奥へ呼び掛けた。
すると小さな足音がパタパタと響いて、赤ずきんが顔を覗かせた。
「……アランさん」
続けて奴隷商も顔を出す。マスターが少し慌てたように視線を動かしていたが、へなへなの笑顔が制した。
「あぁ大丈夫大丈夫。彼は敵じゃあないよ。お酒を一杯、わたしの奢りで。どうぞ座りなよ、アラン君」
促されるまま奥の席に座った。
「さてさて。聞きたいことは山ほどある」
奴隷商はものすごい猫背で姿勢が低く。テーブルの背が高いこともあって、彼女の胸がテーブルに乗った。
わざとかも知れないが、もう面倒くさいので何も言わないでおこう。
「構わない。少し、こっちの都合で振り回してしまったからな」
「まずひとつ。確認だけれど、キミは“組織”に入ったのかな?」
暗殺者組織に名前は無いらしく、呼ぶときは単純に“組織”というらしい。
「ああ。もう情報が?」
「いやいや。キミが組織に入って出てこれたのなら、一員になったということだからね。そうかそうか。まぁ、それが賢明だよ。あそこを敵に回すと本当にヤバいからね」
それはあの試練の時に感じたことだった。小細工で突破したものの、あいつらと戦うのは無茶だ。良くて一人相討ちにできる程度だろう。
「さて。そうなるとね、キミにはもう一つの顔を見せなくちゃあいけないね」
奴隷商が手を組んだところで、ベルがつたない手で酒を運んできた。二つのコップの液体がこぼれないよう、じっと二つとも見つめている。
「……お酒……です……」
「やあ。持ってきてくれたね」
「ありがとう」
二人して酒を受け取ると、奴隷商が「お駄賃だよ」と金を出した。
「それで、もう一つの顔というのは?」
「情報屋さ」
「ほう?」
彼女は酒で口を濡らし、組んだ腕をテーブルへ乗せた。そこへ彼女の胸がむにゅりと乗る。そこへ更に、乳房へ指をぷにゅぷにゅと沈ませてみせた。ここまで露骨だと、無視するのはむしろ不自然か。
誘惑……か? この世界に来る前なら間違いなく誘惑だと言えたのに、正直もう自信がない。
もし、理由があるとするなら……。
「……それは、ロリコン検知のために?」
「ん? あぁ、そうそう。ずっとやってたから癖になっちゃってね。この胸が薄い服もね。あえてそういう格好をしているわけだ」
彼女は布地が薄くなっている胸を持ち上げ、ぷるんと落とした。布一枚だけのようで、押さえるものもなく揺れた。
「この胸に釘付けになるか、子どもの身体をじっと見るか。知っていたかな。ロリコンは目線で分かるんだ」
すると、奴隷少女が得意気な顔になった。
「……アランさん知ってるよ。おしえてくれたの……」
「そうかいそうかい。ちゃんと教わったこと覚えてたんだ。ベルは偉いねぇ」
「……んふふ……」
彼女は照れ笑いする少女の頭を撫でた。
「ついでに聞くが、ならボスの格好にも理由が?」
「あれは彼女の趣味だ。いい趣味をしているよねぇ」
奴隷商は舌なめずりをする。
ひょっとしたら案内人の嘘かもと思ったが、そんなことはなかった。あれはどういう趣味なのだろうか。
「話を戻すけど、まぁ奴隷は便利だからねぇ。コネは領主に王国、組織以外の裏界隈までなんでもござれさ」
「ずいぶんと簡単に売る。お客様情報というものだろう」
「あ、あ、あー。勘違いしないで欲しいんだが、組織にしか売らないよ。あそことの信頼は厚いんでねぇ。ズブズブだよ、ズっブズブ」
なにやらズブズブを強調された。ここ最近発情されまくっているせいで、下ネタかと構えてしまう。
ともあれかなり取引の数が多いらしい。それはつまり暗殺者が必要とするような情報が多いということだ。
「それで、情報の確かさは? 情報源はあくまでも奴隷からだと思うが」
「間違いなく確かさ。奴隷商を続けるコツは奴隷の信頼を得ることだからね。まあ、信じられないならボスにわたしのことを聞くと良い。それで、ウチからの情報が金を払う価値があると分かる」
「聞かなくても十分だ。早速だが欲しい情報がある」
「おや。先にボスへ裏取りはしなくてもいいのかな」
奴隷商は少し呆れたような表情をしている。裏界隈に限らず、目の前の事に飛びつく前に精査するというのは常識だ。だが――。
「俺の腕を知って、嘘を吐けるのか」
奴隷商は驚いたような顔をして、額を覆って笑い始めた。
「あはははっ。ありゃりゃ、一本とられちったよ」
一通り笑って、ふぅと一息ついた。
「ま。どんなに腕が良くたって、袋叩きにゃ敵わない。だから先んじて警告しておこう」
剽軽な気配が消え、その皮の下に隠されていた冷たい表情が露になる。
「組織との信頼を侮辱すれば、全ての刃がお前に向く。いいね?」
「無論だ」
「よ~し」
また剽軽な表情に戻った。
「おっと、ビジネスの話の前にあのことを話しておこうね。興味本位で聞くんだけど、どうして幼気な少女に金を貸したのかな」
「殺人依存症にさせないためだ」
「ほほう? 依存症、ね」
奴隷商と一緒にベルを見た。赤ずきんは話が退屈らしく、さっぱり聞いていない。奴隷商はそれを認め「続けて」と促した。
「親切心とやらに惑わされてタダで仕事をすれば、依頼人は対価も支払わず『殺すことで解決できる』と無意識に学ぶ。そこに一度殺人を依頼したということも相まってタガが外れ、なんでも殺して解決しようとし始める。人は、救われたという経験から行動に依存し始める。二度と選びたくないと思わせるには、大金を支払わせるのが効果的だ。何度も払えない程度のな」
「依頼人の暴走は殺し屋としての失脚……ってわけだねぇ。どこの界隈でも親切心はロクな結果を呼ばないもんだ」
口ぶりから、奴隷商の世界でもそうらしい。
「ともあれ、判定上あの子はまだうちの商品だ。だから返済が終わるまでウチで働いて貰うことにした。どこに売れば社会勉強になるだろうと頭を悩ませていた矢先だったから、正直助かったよ。最近のロリコン野郎ショタコン野郎は中々分かりにくいからねぇ」
「それで六本もズタズタにするハメになったわけだ」
「あっはは。そうそう」
奴隷商は薄目のまま、両眉を上げた。
「――それに、なんにでも対価はあるべきだって価値観は、道徳より先に来るべきものだからね。金貨五枚は中々にヘビーだけど、良い学びになると思うよ」
「そうか。まあ、金さえ支払って秘密を守れるなら、どうだっていい」
「いいね。じゃ、どんな情報をご所望で? ターゲットについては秘密にする契約があるから言っても構わないよ。ま。どういう情報が必要かで大体検討はつくんだけどね」
俺が黙って店のマスターを見ると、奴隷商が笑った。
「あれはわたしの兄だよ。光の当たらない仕事をしているのは一緒。口は堅いよ」
「保証は?」
「声を捨てた」
「……そうか」
彼女と同じ前のめりの姿勢になり、眼を合わせた。
「マジカルテックカンパニー。そのCEOについてだ」
「MMMかい? ついに来たかって感じだ。アイツは恨まれまくっているからね」
「見るからにガードが硬いようだが、チャンスはあるのか」
「ん~……。正直に言って、かなり難しい。組織にいつか依頼が来るだろうと思って、色々と調べはつけているのだがね――」
要点をまとめると、
・会社にいるときは常に人の目があるため、社内で目撃されずに実行は難しい。
・社外では常に接待か旅行に行くのだが、お気に入りの相手や場所があるわけではなく、どこへ行くか予測がつかない。
・旅行、接待、部署移動でとにかく忙しないため、決まったルートによる移動がない。
・ビルと自宅には魔術の、いわゆる監視カメラやセンサーがあるので夜間の侵入が難しい。
・多忙を極めるせいで、呼び出しがあっても応じることはない。
「――という感じなんだよね」
「なるほど。確かにかなり難しいようだな。暗殺はできても、逃走できないだろうな」
「だよねぇ」
「だが、そこをどうにかするのが俺の仕事だ。情報の値は」
「金貨二枚。案件ごとにね」
「ずいぶんとお得だな」
テーブルへ金貨を二枚置き、席をたった。
「また来る」
バーを出て歩く。
情報は広く、多い方がいい。情報屋からだけでなく、内部の人間の意見も聞かねばな。
着いたのは、ビスコーサの家。
「どうも。ビスコーサさん。預かりものがあります」
ノックをしながら呼び掛けた。返事はない。昼寝だろうか。
…………それともまさか、休職できなかったのだろうか。嫌な予感がする。
「ビスコーサさん?」
試しに扉を引いたら開いた。鍵をかけていないのか。
中へ入ってみる。リビングは散らかっていて、埃が薄く積もっていた。物を動かした痕跡があるので人は住んでいる。
何より、テーブルに俺の穿いていた下着と、マスターベーションに使うような道具が出っぱなしになっていた。そういえばこれも魔術なのだろうか。見るからに電動なのだが……。
部屋の奥。バスルームらしい扉の奥から、ギシギシ、という音がした。
……なるほど。自分で縛りプレイをして玩具を使っていた、か。それで俺が来て慌てて奥へ逃げたと。相変わらず中学生のような真似を。
「俺だ。アランだ。そう慌てるな」
返事はない。
ただ、一定のリズムで縄の軋む音がするだけだ。
…………一定のリズムで?
体当たりするように扉を開けた。
バスルームには、裸でぶら下がった彼女がいた。
「――ビスコーサッ!」
ナイフを取りだし、縄の上を斬って下ろして首に食い込む縄を緩めた。
呼吸がない。脈は……微弱だがまだある。揺れていたのは首を吊ったばかりだったからだ。
胸に両手を当て、肋骨が折れそうなほど力強く、リズムを崩さず。
半開きの口こじ開けながら唇を重ね、息を入れる。そしてまた心臓マッサージに戻った。
「死ぬな。死ぬべきなのはお前じゃあない。生きろ、ビスコーサ!」
何度も、何度も――。
――息を、吹き返した。
大きく息を吸って、咳き込む。
咳き込む彼女の背を撫でて、上着を羽織らせた。
「アラン……さん? ……けほっ……ゴホッ」
彼女は何かを言おうとして、自分の首に引っ掛かった縄に指が触れ、顔を歪ませた。
「……ごめんなさい……」
「謝ることなどない」
「ないわけないじゃないすか……!」
髪をクシャクシャとかき回し、呻く。
「生きることもできないのに死のうとして迷惑かけてもう……もうどうやっても迷惑じゃないすか。もうわけわかんないっす、こんな……、こんな風になっちゃうくらいなら自分――」
――生まれたくなかったです。
そう言って、泣き出した。
「アランさんに……人殺させようとして……最低なのは自分だけっす。自分を殺してください。終わらせてくださいよ……もうイヤなんです……」
ただ彼女を抱き締めた。
「もう、考えなくていい。何も。ただ俺の質問に答えればいい」
彼女は答えない。その代わり、俺の胸で小さくうなずいた。
「誰かに迷惑を掛けて泣ける人と、自分の部下を苦しませるエンターテイメントを作った人。死ぬべきなのは、どっちだ」
「…………」
彼女の縄に手をかけた。
「お前は俺へ依頼することが罪だと、ちゃんと分かっている。だがあのCEOはどうだ。経験上、あのタイプは邪魔な誰かを殺すことが当然だと思っている」
「………………」
スリップノットの端を、ほどいていく。
「自分を殺してほしいというならば、仕事として受ける。だが、本当にそれでいいのか」
「……………………イヤっす」
縄が解けて落ちた。同時にビスコーサが顔を上げた。
その目に、涙は無かった。
「自分もクズっす。でも、自分が死んであんなヤツが生きるなんて許せないです」
「分かった。頭金を払えば、それで契約は完了だ」
立ち上がろうとしたら、腕を掴まれた。ビスコーサは、また目に涙を浮かべている。
「…………ひとりにしないで……」
「……ああ」
彼女の腕を掴み返して立たせた。
「俺がいる。ここにな」
彼女は微笑んで、貯めた涙を溢した。
「ふふふっ。なんかカッコいいっすね」
「そうか」
彼女は上着を羽織り直して、自分の裸を見て、顔を赤くして局部を隠した。
「……そ、そういえば、ずっとハダカで……。すみませ……」
「ああ、すまない。俺は気にしていないが……」
振り返ろうとしたら、また腕を掴まれた。
「み、見たかったら、見ても……いっすよ……? ただその、ちゃんと裸って見られたことないっすし……お腹ぷにぷにしてるし……アソコの毛とか剃ってないっすけ……。やっぱ……剃った方が好きっす……?」
「陰毛の有無なら気にしたことがない」
「そ、そっすか……ふへ」
彼女は指で毛をぞりぞりと擦った。付き合いたてのカップルのような会話だ。労働は面倒だから避けたいが、彼女は自殺未遂までしているしな……。
「でも……うぅやっぱり見ないでくださ……。アランさんに見られるの恥ずかしすぎ……」
「そ、そうか」
彼女はそっと俺の背後についた。彼女の冷えた体温を感じる。
息が、荒かった。
「……アランさん……」
「悪いが、セックスは……」
「いいんす……。ただ……ここで……したいっす……」
背後で、くちゅくちゅと音が鳴り始めた。
良いとは言ってないんだが……。
「ん……顔……見ないでくださ……恥ずかし……あ……」
ビスコーサがビクビクと痙攣するのを、背中で感じる。
これは、どうするべきなんだ。性欲に依存する彼女を受け入れるべきなのか。
冷静に考えれば……セックス依存症も、殺人依存症も、本質的には同じ。どちらも“依存”なのだ。
ならば答えは一つ。
振り返り、驚く彼女の両腕を取った。止めさせたのに、彼女は腰をヘコヘコと動かし続けている。
「あ……アランさ……」
「最後に飯を食べたのは」
「え……それは……分かんないっす……」
「最後にシャワーを浴びたのは? 昨日はいつ寝ていつ起きた」
「分かんないっす……! はやくオナニーさせてください……お願いっす……イキたいんです……!」
懇願しながら、俺の脚へ股を擦り付けようとする。それを彼女の背後に回り込んで阻止した。
「昨日帰ってから、ずっとしていたんじゃないか」
「だって、とまんないんす! とめられないんですもん……!」
「それでも、とめて欲しい。完全に快楽に依存している」
「でも……なんで……!」
「お前が破滅するのを、見たいわけがないだろう」
「……っ」
彼女の力が抜ける。手を離すが、ビスは腕を掴まれた姿勢のまま固まった。
少しうめいて、振りきるように腕を振った。
「あぁもう……!」
愛液まみれの指を拭く。
俺の上着で。
「……あ! ご、ごめんなさ……拭いちゃ……うぅ……」
「気にするな。良ければその上着はやる」
「ありがとっす……もう、ドジばっか……」
ビスコーサはため息に頬を膨らませ、バスタブのフチに座った。
「その代わり、魔術の腕は一流だろう。技師としての腕も」
俺も、その隣に座る。彼女は少し緊張したように身体をこわばらせた。
「それは……まだまだ三流で……」
「計器を読んだだけで故障の位置も分かって、修理もできるのに、か?」
「そ、それは……もう、自分を誉めてもなんもないっすよ?」
「何かが欲しい訳じゃあない」
「じゃあ。何目的っすか?」
彼女の顔を見た。
いつの間にか、疲れた影は無くなっていた。
「生きて欲しいって、思ったからだ」
「殺し……その」
「ああ。殺し屋なのに、だ」
言いかけて口をつぐんだ彼女の言葉を継いだ。
「……なんだか、変っすね。わ、悪い意味じゃないっすよ?」
誰かの命を奪う職人が、誰かに生きて欲しいという願いを持つ。言われてみれば確かに変だな。
だが殺し屋なんてものは、そんなもんだろう。
「結局、人助けだからな」




