13 サイテーなあれ
目が覚めた。
俺の胸に縋りつくようにして眠っているベルを起こさないよう、ベッドから降りる。
他人と眠っていたのに、身体はすっかりと軽い。深い眠りへ落ちていたようだ。
いつ自分も狙われるか分かったものではない。本来ならすぐ起きられるようにしておかないといけないが、なんというか……。
いつものリビングでテーブルに突っ伏して眠るソフィアの、ずり落ちた毛布を掛け直す。すると彼女の長いまつげが持ち上がった。
「すみません。起こしてしまいましたか」
「いいんですよ。おはようございまーす……ふあーあ」
彼女は伸びをして立ち、そのままキスしてきた。
……不覚も不覚だ。まさかこんな奴に心を許すとは。コイツはお荷物どころか、俺の弱点になる。その危機感は持っている。
「えへへ。おはようのちゅーです、なんて……。調子に乗っちゃいました」
「もっと、乗っても良いんですよ」
……持っている。
立ち上がって、寝巻きの彼女を後ろから抱いた。
「……そういう話、しましょうか」
「ど、どういう話ですか?」
「セックスの話です」
「はふっ……」
ソフィアは両手で顔を覆って悶絶した。
昨日はシャワーの下で裸で抱き合ったものの、交わってはいない。彼女から求めてくることもなかったので、誘いもしなかった。
「だだ、ダメですアランさん……。ベルちゃんに聞かれちゃう……」
小声のソフィアを抱いたまま、寝室へ振り向く。ベッドで眠るベルの一部が見えた。
「あの子は寝てますよ。それよりも、ソフィアさん。僕は貴女をどうしても傷付けたくないんです」
「は、はい……」
「でも、女性の初めてはどうしても痛いらしいじゃないですか……」
ソフィアは上を見て、下を見て、俺の言いたいことを察した。
「…………あ。エッチできないってことですか……?」
「ええ。このままだと……」
「……そ、それはヤ……えぇと……」
ヤダと言いかけた口をモゴモゴとさせ、誤魔化している。その耳に囁きかけた。
「やっぱり……。したいですか、セックス」
「んぁ……!」
ソフィアの全身がぶるりと震えた。鼓膜に性感帯でもあるのだろうか。
「そ、そ、それは……しし、した……」
「した?」
「……ここまで言ったんですから察してくだしゃい……」
彼女は内股になって前傾姿勢になった。危うく背負い投げられそうな勢いだ。よく見れば、彼女の乳袋の先が膨らんでいる。
お前ら胸元の生地薄すぎて性欲センサーになっているの本当にどうにかした方がいいぞ。
「……ですから、ひとつ名案があるんです」
「め、名案……?」
「これならきっと全て解決できます」
「はい」
「ソフィアさん。アリアンナさんとセックスしてください」
「……………………はい?」
彼女は抱かれたまま、首を離して真っ直ぐ俺へ向けた。まさに『目が点』という顔だ。
「アリアンナさんは多くの女性と交わった百戦錬磨の騎士です。初めてのソフィアさんも、きっと気持ちよくしてもらえますよ」
「…………えっと……? で、でも、それじゃ私、アランさん以外に……その……汚されちゃうんじゃ……」
「穢れなき騎士なので問題ないです。もう話は通してあります」
そうはならんだろ。自分ですらそう思う理屈だ。
だが何より重要なのは――この理論はこの世界の人間が持ち出したこと、ということだ。
「は、早いですね……。でも確かに、そうですね……」
ほらやっぱり通じた。やはりお前はこの世界の人間だな。
「でも……アランさんはいいんですか?」
「構いません」
「そうなんですね……。あれ」
ソフィアが何かに気付いた。俺の腕から抜け出す。
「って、もしかしてアランさんが浮気したいってことじゃないですか!?」
ちっ。バレたか。この世界の住民でもそこまでは頭が回るようだ。
やはりアリアンナと恋愛関係になったのは厄介だったな。泣く団長にキスではなく、ビンタでもして目を覚まさせてやればよかった。
「いえ。そういうことではないのですが……」
「そーいうことでしょう! サイテーです! 昨日の夜、お互いに大好きって気持ちが通じあったって思ったのに……あれ?」
また何かに気付いた。
「でも、いつの間に……あれあれ? じゃあもしかしてアリアンナさんと……もう恋人に……? 私の方が浮気相手だったことですかぁっ……!?」
エスパーか何かか? どうしてそこまで分かった。
不味いな。これは流石に嫌われるだろう。騎士団に居場所ができたから、もう大丈夫とはいえ……。ソフィアに拒絶されるのは、思ったより効く。
そう考えていたら、彼女は俺に抱きついて、胸にすがった。
「や、ヤですっ! そんなの……私の方がアランさんのこと好きなのっ!」
……あれ。
「……でもアランさんは、アリアンナさんのことも、私のことも好きなんですよね……。だったら……!」
え、嘘だろう。
「アランさん! 私、アリアンナさんとも恋人になりますっ。その前に私が恋人って認めてくださいっ!」
「は、はい」
「はい、じゃなくて?」
「……愛してます」
「私もぉっ! アランさんだいすきぃっ!」
ソフィアが飛び付くみたいにキスしてきて、舌を突っ込んできた。抱きしめて身体も舌も絡ませ返す。
貞操観念で一周回ってウルトラCか。なんか、もう、大したものだよ。まさか無事で済むとは。
「……ぷはっ。えへへ。エッチなちゅー、しちゃいましたね……」
ソフィアは微笑んだ。
……まあいいか。どうにかなったなら、それに越したことはない。
「……あれ、でも、どうして先にアリアンナさんと? 私まだ、アランさんともしてないのに……。あっ。もしかしてさっき言ってくれたこと、ホントだったんですか!?」
浮気疑惑まで一回転した。もしかしたらからかわれているのかもしれない。
「そ、そうです。一応言っておきますが、僕もアリアンナさんとはセックスしてないです」
「そうだったんですね。ごめんなさいっ。勘違いしちゃった……」
どこも勘違いではないんだがな……。浮気には違いないのだし、ここまできたら、一発殴られて別れを告げられた方がしっくりくる。
「…………ちなみに、なんですけど」
「はい」
「……アリアンナさんと、どこまでいきました?」
「キスと、アソコを尻に押し付けたのと、胸を揉みました」
懐柔できているようだし、ここは正直に言っておくか。疚しいことではないというポーズを取る。
……疚しいことのはずなんだがなぁ。
「じゃ。してください」
ソフィアは後ろを向いて、尻を突きだした。顔を振り向かせ、横目に俺を見つめている。
「全部ですか?」
「ぜーんぶです」
ええい仕方ない。後ろから抱きついて彼女の尻に股間を擦り付けた。寝巻き越しに両胸を掴んで揉み、彼女の後ろから首を出してキスをする。
「ん……アランさん……」
「ソフィアさん」
「……んへへ……」
名前を呼んだだけで照れ笑いして、ビクンビクンと震えている。勃起させていないことはバレていないようだ。この点処女は楽でいい。
「……私、アランさんになら…………」
「……あ」
「……へっ?」
ソフィアが俺の視線に気付き、その先を見た。
「……あっ」
寝室の扉から、ベルが覗いていた。
「わはぁあ~~~っ!? べ、ベルちゃん!」
バタンと扉が閉まった。ソフィアが慌てて追う。俺も追った。
「ま、まってまって! 違うの! 聞いて! いっかい聞いてっ!」
「……サイテー……」
ジトりとした目で俺とソフィアをねめつけた。
「あのっ。えっと、た、確かに最低なことしてたけどっ。好きな人とはしたくなっちゃうアレでっ。えっと? だからアランさんと最低なこといっぱいしたい……けどぉっ! あれぇ? とにかく違うの!」
大回転した挙げ句、着地に大失敗した。耳を疑う言葉が飛び出したな。
「ち、違うからね? はー、暑い暑い……えっと、あ、朝御飯作ってくるね!」
ソフィアが俺を残して脱出した。あいつ……。
改めてベルに向き合う。まだ睨み付けてきていた。
「言っておくが、大人のセックスは健全だ」
「……えっち……」
「ソフィアは最低なことと言っていたし、ベルもそう思うんだろう。だが、あれはまだマシだ。本当に最悪なのは奴隷商のおねえちゃんが言っていたロリコン野郎みたいなものだ。ベルのような子どもに目をつけ、嫌と言っても無理やりやろうとする」
「…………」
ベルは、少し怯えた顔になった。だがそれでいい。なにも知らずに騙されるより、知った上で正しく恐れるべきだ。
「だから、ベル。おねえちゃんにも言われたと思うが、触ってきたり、セックスしようとしてくるようなヤツには気を付けろ。そういうヤツは視線で分かる」
「視線で……?」
「ああ。胸や股間を見てくる。そういうヤツは初めて出会ったときの俺のように優しくしてくるし、本性を見抜くのは難しい。それでも視線は正直だ。相手がどこを見てくるかに注意すれば、少しは身を守れる」
「……ん……わかった……」
少女は頷いた。
外を見て、ソフィアが本当に料理を作っているらしいことを確認し、ベルに向き直った。しゃがんで同じ視線の高さにする。
「それと、例の仕事は終えた」
「……!」
「ターゲットのマクシミリアノ・ロドリゲスを、ヤツの家の包丁で始末した。仇は討った。もう大丈夫だ」
「…………ん」
ベルはうつ向いて鼻を鳴らした。それから、俺に抱きついた。
「……ありがと……」
「礼はいい。ただのビジネスだ」
「…………ありがと、アランさん……」
ぎゅっと抱き付いて離れない。小さな背を、何度かポンポンと叩いてやった。きっとこれで荷は降りただろう。
「……アランさん。どーしてころし屋さんなの……?」
「…………昔の話だ。どうしても、憎くて仕方のなかったヤツがいた」
ずっと幼い頃のことだった。ただ不条理を振り撒くような男で、理不尽に傷付けては顧みず、大きな力に傾倒していた。公にならない、罪ならぬ罪を犯して喜んでいた。
「天罰が下ればいいと思っていた。そいつと離れてしばらくたってから、そいつが事故にあったと聞いた」
「……死んじゃった?」
「ああ。そいつは死んだ。それこそ天罰だと思った。だが――」
呪いは腹の底で、燻ったままだった。
「――俺の中では、何も解決しなかった。何も関係がないところで、勝手に死んだんだ。ただ死ぬのと殺されるのは全く違うことだと、そのときになってやっと分かった」
天罰は、お門違いだ。神がいたとしても人のいざこざの中には居ない。罪人が死ぬのは、その罪のせいでなければならない。人を傷付けた罪は人が裁かなければならないのだ。
といっても、相手は罪人と呼ぶべきか微妙なことが多い。結局殺し屋とは、依頼人の呪いを解くための存在だ。
「……だから、殺し屋さんに……?」
「そうだ。……それが始めた理由だ」
もう一度だけ背中を叩いてやって、立ち上がった。
「金は、ゆっくり支払えばいい。朝ごはんの手伝いでもしよう」
「……んっ」
一緒に部屋を出て、キッチンで忙しく料理を作っているソフィアの隣に立った。
…………包丁のリズムに混じって、嫌な音がする。あれは蹄のリズムだ。ちらと外を見ると、思った通りの人が向かってくる。
急いで馬を飛び降り、家の扉をバンと開けた。
アリアンナだ。
すでにビキニの先端が膨らんでいる。お前ひょっとして、風俗行くときいつもそうなのか? 本当に?
「たのもう! アラン、話は通したな!」
「ええ。まあ……」
「よぉし!」
彼女は唖然とするソフィアの背後に回って、抱き付いた。
「抱きに来たぞ。ソフィアよ」
「えっ。へっ? も、もうですか……!?」
「もう、だ。したい時が……」
アリアンナに下腹部を撫で回され、ソフィアが立ったまま喘いだ。
「……すべき時だ。そうだろう」
「んっ……ま、まって……あんっ……こ、心の準備がぁっ!」
「準備はいいか? もちろんだとも! さぁその美しい身体を、この美しい身体を、汁まみれにしようではないか!」
ソフィアは抱えられ、ベッドルームへ強制連行された。
「ひゃ~~~! アランさんっ!」
「僕はベルと一緒に町にお出掛けしてきますね。たくさん楽しんでください」
「あ、はい、よ、よろしくですぅ~っ!」
扉が閉まる。
ベルが眉を一直線にして、俺を見上げた。
「……けんぜん……?」
「…………まあ、あれは……」
突如として部屋から喘ぎ声が響き始める。
「わははは! もうビショビショではないか!」
「す、凄すぎてワケわかんないですぅ……! あっ。なんか……なんかなっちゃう! まってやだ、こわいです!」
「ほれほれほれっ」
「んく……あっ、んっ、はぅううっ!」
「初めてなのに偉いぞっ! 否、エロいぞ! くはははは!」
顔を覆う。これが健全は無理だ。アリアンナ、お前のキモさは蒼天に手が届く。
しゃがんでベルと視線を合わせた。
「……あれはサイテーな方だ」
ラックからパンを二つと、ベルの赤ずきんを取って、外へ出る。
「食べながら行こう」
「……ん」
ソフィアの馬に乗り、揺られながらパンを食べて草原をゆく。
ついさっきの下品極まりないあれが嘘のような爽やかさだった。
城に到着して、馬は繋ぎ場に留め、ベルと二人で門を通った。向かう先は、奴隷商の店だ。
向かう途中、新聞が売りに出されていたので一部購入し、歩きながら読んでみる。
『町に異変!? 突如として現れた二人の遺体――。
――の路地裏で、ホームレスの遺体が発見された。一方で警備は、被害者が行方不明の夜行警備員という可能性が高いとして――。
――宅の裏で、マクシミリアノ・ロドリゲスの遺体が発見された。強盗に入ろうとしていたところを仲間に殺害されたとみられ――。
――しかし警備はこの二つの事件の犯人像が異なるため、別々の似た犯行が偶然、あるいはロドリゲス殺害の容疑者は模倣犯ではないかという見解を出しており――。
――として、強盗として逮捕されていた■■と、暴行で刑罰が予定されていた▲▲を再逮捕し――』
どうやら狙いの通り、異なるパーソナリティの形成に成功したようだ。同一犯という前提で捜査を進められると、その時間帯にアリバイのない人間が優先されて捜査対象になってしまう。それをきっちりと回避できたらしい。
新聞を読み終える頃に、奴隷商宅に着いた。ノックして声を掛けると、すぐに扉が開いた。
「早く入りな」
「どうも」
入るなり、掴まれて壁に押し付けられた。彼女の手にはナイフ。刃が俺の首に引っ付いている。
「……いったい全体、どういうことなんだい?」
「なにがです?」
「殺し屋かと思えば、人間か否かもわかりゃしないじゃないか」
ベルが俺の足元へ来た。「下がれ」と奴隷商が一喝し、微妙な距離で立ち止まった。
「キミはどこでも生まれていないし、どこにも住んでいなし、どこからも来ていない。アランという人間は文字通り、存在しない人間だ」
「目の前にいますよ」
「だからおかしいと言っている。わたしのネットワークは完璧さ。王の下着の色まで分かるのに、偽名ひとつ見破れない訳がないだろう。死にたくなければ、何者か言うんだ。早い方がいいと思うね」
「…………ふぅ。済まないな」
脚を伸ばし、ベルを蹴って転ばせた。
「ベルっ――」
彼女が振り返った隙にナイフが動かないよう腕を掴み、膝で腹を蹴りあげた。
「ぐぅっ……!?」
くの字に曲がった身体をアームロックで固定し、ナイフを奪う。膝を蹴り曲げて身体を落とさせ、彼女の髪を掴み上げてナイフを目に突き付けた。触れるか否かで切っ先を止め、構えを解いて彼女を解放してやる。
奴隷商は四つん這いになり、顔も上げられず短い呼吸を繰り返していた。
ようやく立ち上がったベルが俺と奴隷商の前に立ち、大の字で立ちふさがった。
「――だめぇっ!」
「蹴って、悪かったな」
ナイフの持ち手を、ベルに差し出した。
「安心しろ。殺しはしない。ただ驚かせただけだ」
「…………え……?」
赤ずきんは、その身体にはあまりにも大きなナイフを受け取って、俺を見る。
「……まったく、キミってやつは……はぁ」
奴隷商はしんどそうに身を起こし、壁によりかかって座った。
「……おねえちゃぁん……!」
ベルが安心して泣き出し、奴隷商へ抱き着いた。
「……悪く思うな。脅しを使うのはお前だけじゃない」
「今のは、本当に死んだかと思ったじゃないか……こんなのは久しぶりだよ」
「詫びといってはなんだが、殺し屋ということは認める。お前に危害を加えないことも約束しよう。お前から何かをやらかさない限りな」
出ようとすると、「待ちなよ」と引き留められた。
「ロドリゲスを始末したのはキミだろう」
「……さあな」
「ま、とぼけるよね。でもキミ、ベルに借金を背負わせたんだろう。この子を置いてどこへ逃げるつもりかな」
「逃げはしない。用があるから済ませてくる。必ず戻る」
「そうかい。……ところで、アランは本名なのかい?」
顔だけで振り返る。
「俺は名前を明かさない主義でね」
扉を開き、裏路地へ出た。




