11 魔術技師の仕事見学
しばらく待ち、空が青から変移していく頃になって、魔術技師が玄関先に到着した。ワイシャツの前をわざわざ開けて横帯ブラの胸をさらけ出しているインパクトは相変わらずだった。帯の上下に胸の肉が、むにゅりとはみ出している。他がちゃんとしたスーツなので、ひとしおに強烈だ。
こうした変態が喜ぶような格好にも、ソフィアのように理由がないパターンや、アリアンナのように理由があるパターンがある。彼女はどちらなのだろうか。
彼女は本当にホウキに乗ってきた。ホウキの前方には切れ込みがあり、そこに道具箱と思わしきボックスのフックを引っ掛けている。
「お待たせしま……」
「おまひひへまひらっ!」
スイーツを口に含んだままのソフィアが家を飛び出して迎えに行った。俺はフォークを上手く使えないベルの手助けで忙しかった。
「…………」
「……ぷはっ。すみませんっ。えっと、お待ちしてました!」
「……はい。改めまし……、こういう者でござい……」
両手で何かを差し出した。遠目だが、あれはたぶん名刺だろう。ずいぶんと日本文化的だな。
「ビスコーサさんですねっ。私はソフィアですっ。あっちの、カッコいい方がアランさんで、かわいい方がベルちゃんですっ」
「……そう。で、どこにありま……」
「こっちです!」
「ああ、ソフィアさん。あとは僕が」
魔術がどんなものかを確認する必要があるので、ベルは彼女へ任せ、代わりに技師の相手になった。
「シャワーはこちらです」
一緒に入ろうとすると、手で制止される。企業秘密だろうかと思ったが、杞憂だった。
「……トイレを……」
「ああ。どうぞ。修理は見学したいのですが、いいでしょうか」
「別に……構いませ……」
「では、終わったら教えてください」
バスルームへ入ったビスコーサの背を見守って席に戻る。
しばらくして、扉が少し開く。
「……うぞ」
「どうも」
中へ入り、ちらりと見えたものに目眩がした。
明らかに、彼女の股間がもっこりしている。あまりにも不自然な出っ張りだ。何かが入っているのは間違いない。
まさかと思って顔を確認すると、紅潮している上にやや息が荒い。そして明らかに緊張している。
「どうかしましたか?」
聞いてみると、彼女は青ざめて首を振った。
「なんでもないっす。自分は……特になんでもないで……」
「そうですか。すみません。気のせいでしたね」
なるほど。自分では上手くやっていると思っている、と。
「は、始めま……」
ビスコーサはシャワーの前に立って、ポケットに手を突っ込んだ。ブィーンと音が鳴り始める。
しっかり聞こえているが、やはり彼女はバレていないつもりなのだろう。
……彼女は、思ったよりかなり危険だ。
同じようなパターンを見たことがある。それもやはり依頼者で、隠しきっているつもりでそういう行為に耽っていた。どんなに良く言っても、あまりにも杜撰だった。
今のビスコーサもだ。こんなにバレバレのマスターベーションでも、彼女は止められないのだろう。
隠す手口を深く考えることもできず、気持ちいいことに依存してコントロールできなくなるほど、彼女の心は限界なのだ。
今までの“発情”とは並べてはならない。これは彼女にとっての、心を守る最後の縁だ。
「ビスコーサさん」
「なんです……」
振り返った彼女を抱き締めた。
「な……なにを……」
「大丈夫です。誰にも、言いませんから。どうぞそのまま……最後まで」
「……!」
ビスコーサは驚いて固まる。その耳へそっと囁いてやる。
「僕はあなたを穢しません。脅しもしません。どうすることもないです。ただ、頑張ってきた貴女を抱き締めているだけです」
「…………」
腕をそっと、首へ回してくれた。小さな呼吸が、短いリズムを刻んでいた。
「アランさん……自分……」
「いいですよ。ビスコーサさん」
「でも……!」
「ちゃんと、受け止めます。ですから、大丈夫です」
ただ抱き合う。ビスコーサは腰を震わせ、ぎゅうっと俺を抱き締めた。
「く……はぁっ…………!」
崩れそうな彼女を、しっかりと支えた。力強い痙攣のあとの、ビスコーサの熱く深い呼吸を聞く。
彼女はポケットに手を突っ込んで、スイッチを切った。
「…………アランさん……」
「はい」
「……どうして、自分を受け入れてくれたんすか。こんな……変態のクズを……」
彼女の呼吸みたいな声も、この距離なら聞き取れた。
「貴女の心が限界だと、気付いたからです。それに、変態のクズというのは間違いです」
ビスコーサの目を見た。涙で潤んでいた。
「貴女がそういう行為に依存せざるを得なくなったのは、貴女のせいじゃない。貴女はただ、頑張ってきただけです」
彼女は歪ませた顔を、俺の胸に埋めた。しゃくりあげながら泣く頭を、また抱いた。
間に合ってよかった。依頼者候補が壊れてしまい、接触すらできなくなるということはよくあることだった。
ぎいと開いた扉からソフィアが覗く。
驚いたようだったが、俺が頷くと察して引っ込んでくれた。
「……お恥ずかしいで……」
やっとで泣き止んで、いつもの席でビスコーサは顔をうつ向かせていた。
「大丈夫……ですか?」
隣に座ったソフィアが聞く。彼女へは、さすがに細かな事情までは教えていなかった。
「大丈夫……じゃありませんでし……」
「むむ。それは大変です。辛いことがあるんですか?」
ビスコーサはうつむいたまま、頷いたとも頷いてないとも取れる曖昧な反応をした。
「いったん仕事は休職した方いいです。まず精神状態が回復しないことには物事を判断することもできませんよ」
言うとビスコーサは、首を横へ小さくフリフリと振った。
「む、無理っす……。自分。これしかできな……」
「あくまでも休職です、ちょっとした休憩です」
「……でも。戻ったときに気まずいと思うんですけ……」
典型的な休めない思考だな。内外からの同調圧力からに弱い。
「取り合えず、この仕事だけ終わらせましょう」
「……っすね……」
立ち上がり、バスルームへ。ソフィアは夕食の準備があると、ベルと一緒にキッチンに立った。
シャワーの前で、ビスコーサは道具を開く。手慣れた動作でバスルームの壁の一部へ手をかざすと、木の壁だった一部が消えて鉄の蓋が現れた。この魔法は物を隠すのにちょうど良さそうだな。
「あのCEOが憎いですか」
「……。そういうところも気付けるんす……」
「貴女を見てというより、彼と接して分かりました」
懲罰リストを見せてやると、ビスコーサは腰を抜かす。一瞬で涙目になってしまった。
「安心してください。使いません」
「す、すみませ……」
「いいんですよ」
リストを仕舞って、手を差し出す。
「もしかしたら休職中に、何か間違いで、あのCEOが死ぬかもしれませんね」
「ふへっ……。そんなこと起こったらいいっすけれ……」
彼女はへにょへにょの笑顔を作った。
そっと背後から寄って、彼女の耳元へ口を寄せた。
「俺は、そのちょっとした間違いを起こすプロフェッショナルだ」
「……え」
作業の手が止まる。
「別の仕事中だから今すぐには取り掛かれないが、それが終わり次第、あの男を始末できる」
「……ホントに……殺し屋なんすか……?」
「ああ。値段は金貨五枚。どうする」
「…………雇うっす」
彼女にしては力強い声だ。意思は固い。
「手が空いたら、俺から向かう。それまでの間休んで羽を伸ばせ」
「……うす。あの……」
「どうした」
ビスコーサは、照れたように顔を染めた。
「……殺し屋さんって、すごく優しいんす……」
「結局、人助けだからな」
彼女の手元を覗く。いくつかの計器によって、どこに異常があるかを調べられるように規格化されているようだ。
「これを見学したいと言ったのも、人助けに使えないかと思ったからだ」
「……! だったらこれで……」
彼女は箱から、メーターを取り出した。圧力計のような、小さなメーターだ。
「それは?」
「魔力を測れるメーターっす。人体に含まれる恒常魔力濃度を調べてどの程度の魔術が使えるかを調べられるんす。中には魔力の属性傾向がある人がいて、針の揺れパターンで見分けられるんす」
今までの力の無さが嘘のように、饒舌に語り始める。よほど魔術のことが好きなのだろう。
「測ってもいいすか?」
「頼む」
棒立ちになると、右腕を取られ、採血と同じ位置にメーターを当てられた。
「……んぇ?」
ビスコーサは妙な声を出した。
「どうした」
「いや……故障っすかね。ゼロのまま動かないなんてことないと思うんすけ……」
彼女は自分にも当て、あれぇとまた珍妙な声を出した。針は振れていた。
俺に魔法は使えないということだろう。この世界の出身じゃあないしな。色々と手口を増やせると思っただけに、落胆は大きい。
「き、気を落とさないでくださ……。むしろ逆にすごいっす……。聞いたことないす……」
「何も不満はない。今まで通りやるだけだ」
「っすね……」
とはいえ、現状使える武器はナイフのみ。飛び道具のひとつでもあればかなり動きの幅が増えるだろうが……。
……ふむ。
「“銃”を知っているか?」
「十? 数字の……」
「いや、武器だ」
彼女は首を振った。銃は認知されていないようだ。
「ところで、魔術協会に化学実験をする設備はあるか」
「っすけど……」
「ジアゾジニトロフェノールか、雷酸水銀を作れる設備と材料は?」
「……分かんないっす……」
雷管は、この世界でまだ作られていないのだろうか。
「火薬はあるか?」
「っす。あります……」
「それは……無煙か? シングルの――ニトロセルロースだけの」
「わ、分かんないっす……」
「そうか。すまないな」
火薬はあるが、無煙火薬があるかどうかは不明、と。時代の雰囲気だけ見れば、存在しているのは黒色火薬だろう。ライフルには向かない。あとで少し、調査してみるか。場合によっては銃を密造できる。
ビスコーサは作業に戻った。
「……ん。やっぱり給湯系統っすね。温度管理システム自体は正常に動いてるんで、ミネラルが蓄積してセンサの感度落とした感じじゃないっすし、温度設定も、熱源のI/Oも正常なんで、熱源自体っす」
「ハードか。修理は難しそうだな」
「いや。逆っすよ。簡単なんす。魔術のかけ直しで済みますから。これがセンサや配線なら裏から掘り起こして実体弄んないといけないんで、ヤバかったっす」
嬉しそうに、ハキハキと喋る。それからハッとして、しおれた顔をした。
「す、すみませ……。興奮し……」
「むしろいい。こういうモノの仕組みを知っておけば、今後の仕事でも役に立つ。語りたいだけ聞かせてくれ」
ビスコーサは、パッと顔を輝かせた。
それからシャワーを直すまでの間に、教科書一冊分の講義を受けることとなった。
それが終わり、シャワーからお湯が出るのを確認すると、彼女はふぅと一息ついた。
「これで、修理完了す」
「色々と参考になった。修理費は?」
「見積もりと、技術費と……」
ビスコーサが書き上げた請求書を、ソフィアへ持っていく。
「これが修理費ですって」
「はいはーい」
ソフィアはパタパタと財布から金を抜いて持ってきた。
「すみません」
「いえいーえ」
金を持って戻る。
彼女のポケットが、こんもりしていた。
……。
「金だ」
「ど、どうも……」
彼女に手渡す。それを受け取る手を掴んで抱き寄せた。
「……あ、アランさん……」
口をすぼめてキスを待つビスコーサの顔の横に、彼女のポケットから抜き取ったものを持つ。彼女が盗もうとしたのは、今朝俺が穿いていたパンツだった。
ビスコーサは目を丸くし、口を結び、俺を見つめて固まった。
「…………あの……」
「パンツなど盗んでどうする」
「その……お……オカズに……ふへっ……」
顔を真っ赤に染め上げた。まさか、指摘されて興奮しているのか? お前の性欲の方向性ヤバいな。
「…………ます……」
「ん?」
ビスコーサは、受け取った金を俺へ突き返した。
「か、買い取ります……」
「……分かった」
金を受け取ってパンツを渡す。金になるというのなら良い。今は少しでも軍資金を増やしておきたい。
彼女は嬉々として、ポケットにねじ込み直した。性欲の方向が捻れてだいぶ気持ち悪くなっているな。
「……ところで、ひとつだけそういう質問をしてもいいか」
「ど、どうぞ……」
「お前、その胸どうした」
相変わらず放熱機構している胸を指差す。
「こ、これには退っ引きならないワケが……」
「どんなワケだ」
ビスコーサは胸に手を当てた。横帯でむにゅりと潰された胸の上部を、指でぷにぷにと弄る。
「……し、知っての通り、自分、性欲強くて……最初はちょっと胸元開けるくらいだったんすけど、みんな反応ないし、大丈夫かなって、どんどんエロくしてったらこうなっちゃって……」
「いや引き返せ。どうして進んでしまったんだ」
「だ、だって……。急に戻したらやっぱ恥ずかしくなったって思われそうで……。でも、正直この格好涼しいし解放感あって好きなんすよ……。エロい以前に……」
本当に放熱機構とは恐れ入った。
「……王国騎士のアリアンナは知ってるか」
「あの、ドスケベ装備の……?」
一般にもそういう装備として認知されているのか。どうしてみんな無反応でいられるのだろうか。
「そいつも、引くに引けなくなってあの格好をしているらしい」
「あ……。自分だけじゃなかったんす……。ちょっとうれし……。ふひ……」
ビスコーサは、アリアンナと上手いことやれそうだな。
「……え、えっと。じゃあ帰りま……」
「ああ。住所を教えてくれ。俺から会いに行く」
「うす――」
彼女の言った住所を、ひたすら頭で反芻する。
「……分かった。それじゃあ、少しの間待っていてくれ。数日か、少なくとも一週間以内に向かう」
「分かりまし……」
道具箱を整理し、帰り支度を整え、彼女は立った。そして俺をじっと見つめた。
俺の前に立ち、ぐっと背伸びをして、キスをされた。ビスコーサはただ、にんまりと笑って部屋から出た。
……。まあ、これで依頼主候補の平穏が保たれるならいいか。
シャワールームから出ると、ちょうど食事の用意が済んだソフィアと、家の外にはビスコーサが、夕日に照らされながらホウキで飛び上がって去ったところだった。




