10 魔術……?
「まき、ま、マクシミリアノ・ろどろ……ロドリゲス」
噛み噛みになりながらも、ソフィアは名前を言い切った。それだけで一仕事終えたような満足げな顔をして、凄まじく甘くしたカフェオレを一口。
「――って人みたいですよ、ベルちゃんの保護者さん」
カフェについたとき、ソフィアはどや顔で待っていた。保護者本人までたどり着いたらしく、幸運にもマクシミリアノの住所を手に入れることができた。
「しかも、買ったんじゃなくてお父さんだったみたいです」
「そうだったんですね。それでその、マクリ?」
「まくみ……まぁあっ……マクシミリアノさんっ、です」
「その方はどんな印象でしたか」
ソフィアは目をぎゅっとつむった。思い出しているのだろう。
「うーん。実は……ちょっと、様子がおかしかったかなって……」
「様子が?」
「はい。慌てたような、焦ってるような感じだったんです。最初はベルちゃんがいなくなったからだろうなーって思ってたんですけど、友だちがそれっぽい子を保護したんですって言っても全然安心しなくて、ずっと慌てっぱなしで」
「それは……変ですね」
ソフィアは少しずつ、悲しそうな顔になっていった。
「それで……私の両腕を掴んできて、ビックリしちゃって、悲鳴あげちゃったんです。それで逃げちゃって……」
しょんぼりとして、机の上で両手を重ねた。
「ご、ごめんなさい。もっと色々聞くべきだったのに、怖くなっちゃって」
その手を、両手で包んでやる。
「そんなことはいいです。大丈夫でしたか、ソフィアさん」
「……えへへ。ありがとうございます」
少し触れるだけで照れるのだからな、お前は。
そんなことを考えていると、ソフィアが俺の手を包み返した。
「アランさん。いつも優しくしてくれてありがとうございますね。ちょっとでも、返せてるといいんですけど」
「貸しも借りもなしですよ。ただ優しくしてくれるなら大歓迎ですけど」
「じゃー……お言葉に甘えちゃいます。えへへ」
人懐っこく笑った。
お前の手、こんなに暖かかったかな。
温もりが離れた。どうしたかと思えば、ソフィアが赤い頬を両手で隠している。
「……やー、うー……。ごめんなさい恥ずかしいこと考えちゃった……」
「恥ずかしいことですか?」
「まーちょっと……あれですけどね? …………キスとか……」
「僕のキスは苦いですよ」
彼女はきょとんとした。俺のコーヒーカップを見て、笑った。
「じゃあきっと、私のキスは甘いですね」
そうだろうな。甘いもの好きなようだし、お前のキスはきっと、いつだって甘い。
……。
……仕事に集中せねば。
「そういえば、保護者さんには名乗りましたか?」
「……あ。そういえば名前言ってないですっ」
彼女は自分の額に手を当てて「あっちゃー……」と呟いた。
「いえ。むしろよかったかもしれませんよ? 逃げちゃったなら、誘拐犯とかってイチャモンつけられたかもしれないですし」
「えっ。ち、違いますよっ」
「違うからイチャモンなんですよ」
「それはそうかもしれませんけど。んー……もう一度行って謝った方が……」
「いったん様子を見ましょう。本当に返すべきなのか」
「え。でも……、お父さんですよ?」
「まぁまぁ」
ここは納得してもらわねば。彼女はたぶん、悪意の世界があることを知らないのだろう。あれ以上過疎化しない村で育てば、ロクに他人と関わらなかっただろうしな。
こっちは悪意に、どっぷりと浸かるはめになった。殺し屋の世界は、印象と余りに違っていた。
なによりもイメージとかけ離れていたのは、『ターゲットよりも依頼者の方が悪意にまみれている』ということだ。
殺し屋に依頼しようとするぐらいなのだから当然と言えば当然なのだが、加害者であるはずのターゲットより、被害者であるはずの依頼者の方が、相手に対する憎悪や敵意が強い。
そのせいか、依頼を受けるときに『ぼくの考えた最強に残酷な殺しかた』のような、幼稚な手口をオーダーされることがよくある。大抵は足の着くやり方なので、普通の手口で殺すよう説得しなければならない。
その点、同じ手口で仇を討つという依頼は楽だった。元となる殺人からして警察にバレないよう工夫されている。それをプロの観点から進化させ、更にバレにくい手口として利用すればいい。ターゲットは意外と、同じ手口でも被害者側に回っていると気付かないものだ。
「んー……。うん。アランさんがそう言うなら……」
素直に従った。ここまで素直だと、その善意を利用されないか心配になってくる。
「とりあえず、今日はもうお家に帰りませんか? そういえばシャワーは……」
「あっ。そういえば忘れてました。ウールを仕上げてから行こうって思ってたら、アランさんが思ったより早く帰ってきちゃったので……」
「だったら、一緒に修理屋へ行きましょうか」
「いいですね。じゃー行きましょ」
席を立った。修理屋へ行く途中の道。眠るベルを背負いながら、ふと思い出した。
「そういえばソフィアさん」
「はいはーい」
「あのシャワーって、どう動いているんですか?」
恐らく下水管は無く、ガスも無い。大方は雨水を貯めて暖炉辺りの熱を使っているのだろうと予想はしていた。
その予想は、あっさり裏切られた。
「どうって、魔術ですけど?」
「まじゅつ?」
我ながら間抜けな声が出た。
……魔術……?
「魔術って……」
「あっ。そっかそっか。全部忘れちゃってるんでした。えっとですね……。何て言えばいいんでしょうか……。色々動かすのに使ってるみたいです」
「色々動かすのに魔術……? 電気とかは?」
「でんき……? ごめんなさい、よく分かんないです……」
電気はないが、魔術はあるのか。
あまりに突拍子がなく、混乱してしまっている。この混乱度合いはアリアンナに匹敵する。
「えっと。私には分かんないですけど、修理屋さんはスゴく詳しいと思いますっ」
「そうなんですね。ちょっと色々、聞いてみようと思います」
魔術がどういうものかは知らないが。応用できるものならば仕事に使えるかもしれんな。
そう期待に胸を膨らませて来たのは、ビルだった。
「アランさん。かわいい顔、してますよ?」
「え、ああ。すみません」
ぽっかりと開けていた口を閉じた。建築の意匠や中の装飾こそ中世ヨーロッパ風にアレンジされているが、オフィスビル以外の何者でもなかった。
ここは恐らく……魔術協会と呼ばれていた場所だろう。
自分を探して町を回っていたとき、ある儀式の素材屋で「じゃあきっと、魔術協会も違うだろうねぇ」と言われ、ここだけ飛ばしたのだ。
ソフィアはこの異物のような建築物へ躊躇いも無く入っていき、受付へ。俺も続いた。
吹き抜けの天井には、鯨の銅像が浮いていた。ロープの類いは無い。
あれが魔術か。うまく使えば宙に浮いて狙撃できるかもしれんな。いや、銃はないだろうから、家への侵入に使えるだろうか。
どの道、選択肢が色々と増やせそうだ。
「ごめんくださーい」
「こんにちは。ご用件はなんでしょうか」
貼り付いた笑顔の受付嬢だ。
「えっと。シャワーが壊れちゃいました。お湯にならないんです」
「では専門の技師を派遣いたしますね。番号札をお取りください」
カウンターに置いてある機械から紙がせり出す。ソフィアはそれを躊躇いもなく取った。
……電動だろ。これ。
ぴくりとも下がらない口角の嬢が書類を書き上げてエアシューターへ放り込んだ。シュッ、ポンと書類入りカプセルが飛んでいく。
電動だろ。それも。
「いいでしょうか」
「はいなんでございましょうか」
「これ……電気で動いてませんか?」
「誠に申し訳ありません専門知識についてはお答えしかねます。魔術エンジニアがじき到着いたしますのでお問い合わせはその者になさっていただくようご理解とご協力のほどよろしくお願い致します。また今回の回答に当たってはわたくし個人の発言であり所属するマジカルテックカンパニーを代表せずまた同社の技師の見解ではありませんことご理解をよろしくお願い致します候」
「はぁ。どうも」
『分かりません』で済ませてはならないルールでもあるのだろう。会社勤めの業だな。
それにしても……マジカルテックカンパニーか。みんなここを魔術協会と呼んでいたので、恐らく最近名前が変わったのだろう。
待ち合いソファにちょこんと座ったソフィアの隣にベルを置いた。一瞬は起きたが、うつらうつらと頭を振って、ソファに横になった。俺はソフィアを挟んだ反対に座る。
「ソフィアさん。あの機械、普通に使ってましたけど」
「? そうですね」
「怖かったりしないんですか?」
こうした古い時代では、分からないものは神や悪魔の仕業として恐れられると相場が決まっている。訳のわからないことをしていたので害がある。だから殺そう。そうして魔女狩りは合法殺人として娯楽となっていた。
この技術が進みすぎていると言える空間で、ソフィアはただきょとんとしている。
「怖い……ことはないですね。なんか使えてるしいいかなーって」
「そうなんですね」
なるほど。進んだ技術でも受け入れられやすい土台はある、と。
ならば、ある程度は俺の世界の知識を持ち込んでも良さそうだな。
彼女は何かを思い付いた顔になる。
「あ。でももしかしたら怖いかもしれませんね」
「そうなんですか?」
「なんか、バクハツしたり。こう、どっかーんって」
「ば、爆発するんですか?」
「……なんちゃって。すみません。えへへへへ」
俺の腕に抱き付いてふにゃふにゃと笑った。酔っぱらっていらっしゃる?
「はぁーあ。ここの人たちって、いつも忙しそうですね~」
彼女の目線の先には、宛もなくつかつかと歩き回る紫スーツと。取り巻きのスーツたちだった。紫スーツの口頭の許可がいるのか、取り巻きスーツたちは次から次に要求質問認証を求めては消えていく。なんとなく、『ブラジルの水彩画』が聞こえてきそうだった。
「そうですね。ただ、忙しそうなわりにあまり魔術製品を見かけませんが……」
「んー。そう言われてみればそうかもですね……」
彼らは何があんなに忙しいのだろうか。
しばらくそれを眺めていると、一人の女がやってきた。
「37番の……」
「あ、はーい」
技師でありながら作業服ではなく、スーツだった。服に異常が見られるので俺と関係がある者だろう。
基本的にはビジネススーツなのだが、ワイシャツの前を開けており、両胸をさらけ出していた。飛び出した胸には一枚の帯がブラジャー代わりに横断している。ネクタイは帯と谷間で作られた隙間に通していた。その胸、放熱機構か何かだったりするのか。
スラックスはやたらピッタリで、鼠径部の形や尻の段の形までしっかりと見られる。
彼女は――エンジニアではあるが――疲労困憊OLといった表情をしていて、死んだ目をしていることを隠そうともしない。
そして客の匂い――纏わりつく殺意が見えた。
ふむ……。ベルの分が終わったら、次は彼女へコンタクトを取ってみるか。
技師は顔をしかめて胸を隠し、俺を睨み付けた。
「いきなりセクハラ……」
『服を着る』という胸の隠し方があるのをご存じ無い?
思わずひっぱたきそうになった右腕を抑えた。
「むー……アランさんのえっち……」
ソフィアが頬を膨らませる。どうしてこう……いや、もういい。
「……ふん。お待たせしま……。エンジニ……」
技師は三日三晩拷問を受けたあとのような元気のなさで、語尾が聞き取れないほど小さい。名乗った気がするのに名前が分からない。
「あ、あの。えっと。おうちに案内しますね」
「その前に何がどう壊れたのか教えてくれません……。準備があるんですよこっちに……」
責める口調でありながら、怒りきれず、むしろ怯えた顔をしている。精神が見るからに限界だ。
「あ……ごめんなさい。えっと……」
「ソフィアさん。僕に任せてください」
エンジニアの前に立つ。
「故障したのはシャワーの給湯系統と思われます。端的に言ってシャワーからお湯が出なくなりました」
「……わかり……」
「我々は馬で来たのですが、そちらの移動手段はなんでしょうか?」
「ホウキで……。なんで先に家に帰って……」
ホウキ。ずいぶんとステレオタイプ的な魔術技師――あるいは魔女――だな。
「分かりました。では――」
ソフィア宅の場所を教えてやると、技師はため息を着きながらメモした。
「あぁっす……。おまちくだ……」
エンジニアは奥へ引っ込んでいく。
「ありがとうございます、アランさん」
「いいんですよ。……ん?」
さっきから宛もなく歩いていた紫スーツが、真っ直ぐにこっちへ来た。整った身なりにダンディな口ひげだ。
「そこのクールなジェントルメンにビューティフルなレディっ! よぅーこそ我がマジカルテックカンパニーへェっ! 私はスィーイィーオゥーのぅ――マイキー・マイク・マイケルでェすっ」
胸に右手の指先を当てての自己紹介。物凄くよく通る声がホール中に響いた。すっげえ名前だなお前。
「僕はアランです」
「私はのーうみーんのソフィアでぇすっ」
ソフィアが真似をした。MMMが笑顔で指差し、ノォイス、レディとウインクした。
「一部始終を見ておりましたよぉ。先程はわが社の魔術技師がタイッヘンッなご無礼をしてしまいましたっ」
「いえいえ~。お気になさらずです」
「ですが朗報ですっ! こちらで取り決めた彼女への懲罰をお客様が実行するサァービィスがございますのでェっ、どゥかお気を悪くせずにィっ」
「えっ。でも……」
ソフィアの言葉をMMMが両手を叩いて遮った。すかさず取り巻きスーツの一人が、俺へ一枚の紙を渡してくる。
髪を掴みあげて十往復ビンタ。太ももへの打撃五回。腹を十回殴り抜ける。三十分間罵り続ける。セクハラ囁き放題。公開おもらし……。
肉体的にも精神的にもグロテスクな懲罰が並ぶリストだった。
「ご安心をぅっ。セイギというゼッタイから悪いヤツを痛い目にあわせるのは皆だぁい好きですからァっ! あの→を↑まで↓!」
MMMがきゅっと踵を鳴らして振り返り、また宛の無い放浪に戻った。取り巻きスーツが子どものようにその後を追う。
……なるほど。あの技師から客の匂いがする理由が分かった。
「アランさん。それ、なに書いてるんですか?」
「……ソフィアさんは見ない方がいいです。このことも、あのエンジニアさんには秘密にしておきましょう」
「ん。分かりました」
リストを畳んで懐にしまった。
「では、先に馬を出しておいて頂けますか。一つだけ買い物があるので」
「はーい。じゃーベルちゃん。おいで」
ソフィアがベルを抱き上げて抱えた。ベルは意地でも眠っている。
「じゃあ、出入り口で待ってますね」
「ええ。すみません。お願いします」
ソフィアと別れ、ロドリゲス邸へ向かう。ここからは近く、買い物へ行くついでに寄れる。
ソフィアに言われた住所へ行き、それらしい家に着く。ノックすると、小さな初老が出てきた。老いてはいるが、足腰はしっかりとしている。
子どもみたいなジジイ。始末した警備の言っていた通りだ。
「な……なんだアンタ」
「こんにちは。私はサムといいます。ここがロドリゲスさんのお宅でしょうか」
「そうじゃが。……イザベルの件か」
「ええ。中へ入っても……?」
「お、おう。入れ入れ……」
マクシミリアノはやたら辺りをキョロキョロしながら、俺を中へと率いれた。慌てた様子というのも、ソフィアの言う通り。
扉を閉めるなり、男は立ったまま俺を見上げて話し始めた。
「それで……本物か。証明できるか」
「先ほど、私の友人が来たと思います」
「それじゃイカン。娘を預かっているとちゅう証拠だ」
「うーん……。ああそうだ。イザベルちゃんの目はやや青がかったグレーです。あの賞金の特徴に、瞳の色はありませんでしたよね?」
「……そうかそうか。本物だな。よしよし……。そんで、どこにおる?」
本当に簡単に釣られるな、お前。
「賞金を横取りされたくないので、絶対に見つからない場所へ保護しています」
「絶対に見つからない?」
「はい。あの子は大人しいのであんまり意味はないと思いますけど、物音を立てたり大声を出しても分からないような、秘密の地下室を持っているんです。私の……その、み、密会のために……」
わざと照れた顔をしてみせると、老人の顔が不敵に歪んだ。ベルを殺すのに絶好のロケーションが都合よく用意されているのだから、彼としてはこれ以上無いほどの幸運だろう。
「ええぞええぞ……。アンタはエライ。賢いぞぉ。娘を安全なとこに置いといてくれたんだなぁ」
「勿論です。じゃあ、これから連れて来ますね」
「いぃイカンっ」
慌てて止められる。
お前……分かりやすいやつだな。
「ワシが行く」
「構いませんけど……。ただ、引き渡せるのは真夜中になってしまいますよ? 私にも都合があるもので……」
「おうおう。仕方ない仕方ない……。安全第一っちゅうやっちゃ。アンタはエライ。悪く思わんでええ」
肩をポンポンと叩かれた。
「では場所を教えます。先に居ておいてください。合流したら、私が秘密の部屋を開けますね」
「うんうん」
「でも、本当に真夜中ですよ? 明日のお仕事とかは……」
「ええ、ええ。気にするな。日が登るまで待つ」
「分かりました。では――」
マクシミリアノへ住所を教えた。昨日の調査でアタリをつけたロケーションだ。
「――です」
「ん。報酬はそんとき渡す」
「はい。期待してますね。では今夜」
家から出て、大通りへ。適当に歩いて、ちょうどいい店を探し、買い物をした。
そして正門に戻る。ソフィアと目を覚ましたベルが馬に乗って待っていた。
「お待たせしました。じゃあ、帰りましょう」
「おかえりなさい。なにを買ったんですか?」
紙袋を開いて見せる。スイーツだ。
「おうちで、みんなで食べましょう」
「わーいっ。じゃあ早く帰りましょっ」
後ろに乗せてもらい、風を切って家路についた。




