8 騎士団への潜入
「アランさん」
濡れ髪の匂いがそっと鼻につく。椅子で目覚めて、まず最初に聞く声。ソフィアの声だった。
「そろそろ起きてください。朝ごはんですよー?」
「……おはようございます。よく眠れましたか?」
起き上がり、微笑みを向ける。彼女の髪が湿っているので、朝風呂に入ったのだろう。食卓でパンをチビチビとつまみ食いしているベルの髪も、つやつやとして見える。
あれから様々な家を巡り、仕事のロケーションを決め、朝を迎え、開門と同時になだれ込んできた外人に逆行して帰ってきた。
夜間警備の服は家の裏のごちゃごちゃと物が置いてあった場所に隠し、椅子に戻って眠りについた。せいぜい一から二時間睡眠だろうが、眠れただけマシだった。
「おかげさまで。今夜はアランさんがベッドを使ってくださいね。それで……ご飯にしますか? それともシャワーにします?」
「では、シャワーからで……。臭いまま食卓につくのもいけませんし」
「はーい。じゃあお先に食べてますね。ベルちゃん……あ、もう食べてる。私もー」
食卓につくソフィアを横目に、シャワールームへ。やはりホームレスの服が効いたのか、身体が臭う。
服を脱いでシャワーを浴びる。
……そういえばこれ、どうやって動いてるんだろうか。蛇口を捻るだけで湯が出るのだから、少なくとも流れのある水道が通っているのだろうし、ガスもあるのだろう。
そうだとすると、こんな辺鄙な場所だというのに、ここだけ技術が進みすぎている気もする。単純にこの家が金持ちなのだろうか。
一通り汗を流したところで、ふっと湯が水に代わる。故障か。
……目眩か。不味い。しゃがまないと――。
暗い視界で、遠くから音が響く。意識が戻ってから、遠くなった音が戻ってきて痛みが滲んだ。
…………やれやれ。寝不足とヒートショックで倒れるとはな。
「アランさんっ!?」
ソフィアが飛び込んでくる。「わ、水だ」とシャワーを止めた。
「だ、大丈夫ですか。頭とか打って……うぅ……どうしよう……」
「大丈夫です。水を急に浴びちゃったので……」
「きっと壊れちゃったんですね……」
申し訳なさそうな顔だ。
「大丈夫ですって。ソフィアさんは悪くないですよ。修理屋を呼ばないといけませんね」
「そうですね……。あ」
ソフィアの視線が、俺の身体を下った。顔をこれ以上ないほど真っ赤に染め上げる。
「ひゃぁあああっ! ごめんなさぁいっ!」
ものすごい勢いでシャワールームから脱出した。
……お前、まさか男の身体を見たことないのか。嘘だろ。
起きて身体を拭こうと思ったが、タオルが無い。そうだった。なぜかタオルは部屋の外にあるのだ。
「……ソフィアさん」
「だだだっ、大丈夫ですよ? 見られませんでしっ、じゃなくて見ませんでしたからっ」
「いえ、タオルを取って欲しいんです」
「た、タオルですね。はーい……」
少しして、扉がそっと開く。
タオルで顔を隠したソフィアが入って来た。もう嫌な予感がする。
「…………」
「…………」
「……あの、タオルをいただけますか?」
「は、はい……」
彼女はタオルを差し出そうとし、目をぎゅっとつむったまま「ひゃ~~」と顔を隠し直した。またこのパターンかお前。
「後ろを向いてはどうでしょうか」
「あ、そ、そうですね……」
半端な角度だけ振り返って、また半端な角度だけ回転し、それをもう一回繰り返し、固まった。
「…………後ろってどっちでしたっけ」
「失礼、手を拭きますね」
タオルで濡れ手を拭いて、ソフィアの肩を掴んだ。
「こっちですよ」
「ち……近い……です。裸で、ダメですそんなぁ……」
お前は何を言っておるのだ。
「目を開いていいですよ」
「だ、大丈夫ですね? 目を開けたら見えちゃったり、じゃなくて、見ることができちゃったりしないですよね」
逆だ逆。口に出そうなのを抑えるのも大変なんだぞ。目を開けたようで、ソフィアはほっと溜め息を吐いた。
「よかった……」
「もう、いいですよね?」
背後からタオルを取る。頬が耳に当たってしまった。それが不味かった。ソフィアが驚いて腰を引き、予測不能の一撃を俺の下腹部に命中させる。
十数年ぶりにまともに攻撃を受け、思わず声が漏れた。
「ひゃぁあっ! あ、はいっ! や、でも、まだダメですぅ~っ!」
ソフィアが意味不明な返事をしながら、シャワールームを出ていった。
よく分からない攻撃を食らった上、何か俺が誘惑したような勘違いをされなかったか…………?
……助けてくれ。俺はもうお腹一杯だよ……。
タオルで身体を拭き、服を着て出る。ソフィアがいない。ベッドルームを覗くと、顔を枕に押し当ててバタバタしていた。
とりあえずスルーだ。俺に必要なのはスルースキルなのだ。
ベルの隣に座り、小声で話しかける。
「始末の目処は立った。いつでも復讐できるが……金を用意しに行けるか」
「…………ん」
「分かった。このあと用事があるから、それが終わったら“おねえちゃん”の元へ行こう」
言い終えるか否か、外から蹄の音が響いてくる。外に出て待っていると、ソフィアも来た。
「あ。アリアンナさんですね」
「そうですね。跪いておきましょうか」
「はーい」
膝をついて待っていると、「どうどう」という掛け声が馬を止め、騎士もとい痴女がやってきた。
やはりほぼ下着姿の胴と、フルメタルアーマーの手足だ。
何回見ても凄いなその格好。ビキニとアーマーか? ビキニアーマーってそういうことじゃないだろ?
「我はローズマリー王国騎士団長、アリアンナ! 頭を垂れているな! よし!」
アリアンナが馬から飛び降りて乳を揺らした。ゆさゆさと揺れ続けて収束した。ひょっとして、バネでも入ってるのか。
「面を上げよ! 知った顔が来たぞ!」
一礼して立ち上がる。アリアンナは腰に手を当て、ただでさえ露出度の高い胴を堂々と見せびらかしている。
弱点を晒すな、戦士。
「おはようございます」
「うむっ。さて昨日の話、答えを聞きに来たぞ。さぁ、馬に乗る用意はいいか!」
有無を言わさず連行する気か。まあ、構わないが。
逃げようと思っていたが、状況が変わった。この国を拠点にすると決めた以上、できるだけ色々な場所に出入りできるようにしておきたい。これは公的機関の内部に潜入する良い口実になる。
「アリアンナ様。馬には乗せていただきたいのですが、まずは騎士団の見学をしても構わないでしょうか」
「騎士団にインターンシップがあるわけがないだろう! だが構わんぞ。一通り見れば入団間違いなしだからな! わっはっは!」
彼女はとうっと軽やかな動きで馬に飛び乗った。動きやすい股なだけあるな。
「さぁ、来い。騎士の卵よ!」
手を取り、馬鞍に乗せてもらう。彼女の手甲は指先まで硬く重い金属に包むものだった。
彼女の背後に座ると、剣の鞘が太ももに当たった。鞘は、胴に巻いたベルトに着けていた。そこまできたらもう、ズボンを穿け。どうしてそんなにその下着を見せびらかしたいんだ。
「行ってきますね、ソフィアさん」
「行ってらっしゃい! シャワー、直しておきますから!」
手を振って返した。
「いざ行かん! ハイヨー!」
馬を急発進して、危うく落ちそうになる。無茶なことをする。
落ちないよう、腰を前に寄せる。するとアリアンナがびくりとした。
「あわっ」
「え?」
「そ、そういうことはよせと言うに……。団長相手に腰を押し付けるなんて、肝の据わったヤツだな……」
見れば、アリアンナの耳が赤い。
……なんで?
「はぁ、すみません……」
「構わんぞ。わ、我も多少は色を好むしな」
やたら緊張した声だが……。まさかお前、その色とやらに極端に弱いのか。ソフィアと同じパターンなのか。その恰好で?
……少し確かめてみるか。
背中にぴったりとくっつき、腕を回した。
「あわわ……アラン!」
「いえ、落ちたらいけないと思って。アリアンナ様、とてもいい香りがします」
「色を好むといっても、馬の上でなど……。よほど普通のプレイにマンネリしていたと見える」
「うん。アリアンナ様?」
「騎乗の揺れを利用しようなんて、とんだド変態だな。ふふふ」
「アリアンナ様。あの」
「そ、そこまで懇願されては我も、満更でもないがな! で、でも中はダメだぞ。こわ……否っ、段階を踏まねばなっ!」
男子中学生かお前は。男子中学生でもまだ胸に秘めるぞ。
というか剣をぶっ刺されるかもしれない職にいながら肉をぶっ刺されるのが怖いとは何事だ。剣の強さを知っていて剣より怖いものはないだろ。
「アリアンナ様。私にはソフィアという者が」
「ま、まぁ。我は心が広いからな。貴様がそこまでのドスケベだというなら、そうして我の尻に押しつけて気持ちよくなっているのも、見逃してやってもいい。でも、少しだけだぞ。最後まではダメだぞ! 胸とか触るのもいかんからな!」
まさか、ソフィアの方がマシだと思う日が来るとは。確かめようなんて思わなければよかった。もう疲れた。最後まで持たないかもしれん。
殺し屋業以外で過労死を意識するとは思わなかった。
馬以上に爆走する妄想を聞きながら、門を通り、城下町の城方面へ駆け抜け、城の右側にある巨大な館へ到着した。ここが騎士団の居館だろう。そのまま裏道へ入って少し行き、馬小屋へ到着した。
馬から降り、世話係りに引き取らせ、アリアンナがこっちだと先を行く。それに着いていくと、突然歩みを遅くし、頬を染めながら声を落とした。
「ときに……アラン」
「いかがなさいましたか」
「その……気持ちよかったか?」
「えー、はい。気持ちよかったです」
面倒くさいので適当に返事をした。やたらセックスに自信のある下手くそな男とピロートークするのは、こういう気持ちなのだろうか。
「そうだろうそうだろう。我もこれで、尻には自信があるからな。ふふふ。男も存外に単純だな」
「男も? 普段は女性となさっているのですか」
「うむ。数百。否、もう千という女と夜を明かしたといっても過言ではあるまい。この国で知らぬ店はない。凄いだろう」
レズ風俗狂いとは――
「――恐れ入りました」
満足そうな顔はやや挙動不審になり、顔を赤くしながら性を知った少年のような小声になる。
「と、ところで、恥ずかしながら聞くのだがな、男は達するときに……白い体液が出ると」
「お、アリアンナ様。ここはなんでしょうか」
男子中学生並みの会話しかしないようなので、無理矢理突破することにした。彼女はやや不服そうだったが、気を取り直したのか咳払いしていつも通りの声色に戻った。
「コホン。ここは第一兵舎だ」
「第一ということは、複数あるのですね」
「その通り。緊急時の出動に対応するため、出口付近に第一兵舎を置いた。攻め込まれたときに、一気に落とされんよう、兵舎を分散させているのだ」
「なるほど」
「ふむ……見学ならば華、中庭での訓練を見せてやろう。ついてこい」
アリアンナの先導で、中庭に出る。そこでは新人と思わしき若者たちが、木で組まれたカカシを相手に剣技を磨いていた。教官らしい初老が、ひとりひとりへ厳しい叱咤を飛ばす。
「我らが騎士団は、常に最強であり続ける。そのために日々、厳しい鍛練を積んでいるのだ」
ひとり、こなれたように剣を振り、教官の目が離れている内に適当になる者がいた。全員が忠誠を心から誓う、というわけでもないようだ。裏でこそこそと規律を破る者がいるなら、やれることは多くなる。
規律を破るものは、自分を賢いと思い込む。賢いからまさか騙されるわけがないだろう、と。賢いと思っている者ほど犯罪に使いやすいというのも、皮肉なものだな。
「む……貴様!」
アリアンナもそれを発見したようで、つかつかと詰め寄る。
「やっべ……」
「鍛練をおざなりにするな! 基本は全てに通ずる。いかなる華々しい技よりも基本だ!」
「……いいじゃないすか。だってオレ、前回の試験でトップっすよ?」
半笑いの後頭部を、教官が叩き抜けた。
「こんアホウが! 団長殿になんて口を聞いとる!」
「ってぇ! だってそうじゃないすか」
「……ふむ」
アリアンナは少し考える。腕を組むときに胸がぎゅっと潰れ、腕の上下に肉がせり出てきていた。サラシくらい巻いたらどうなんだ……。
「よほど自信があると見た。ならば――殺せるか」
「へっ?」
「我をこの場で殺せるかと聞いている!」
ルーキー相手に実戦で分からせようとするのは、どこも同じなんだな。
「もし殺せたなら、この騎士団長の名をくれてやろうではないか!」
「お、お待ちをアリアンナ様」
慌てて止めに入った教官を、手をかざし制止する。団長は堂々と仁王立ちした。
「我は剣を抜かん! どうだ貴様。挑むか!」
「……へへ。いいんですか団長。頂いちゃいますよ?」
男は剣をゆったりと構えた。素人ではあるが、力を抜いてあらゆる動きができるようにしているのは評価できる。ただ、構えに無駄があった。何かしらの『必殺技』を繰り出すためだろう。それを悟られては世話ないというものだ。
「いきますよぉ……!」
「来い!」
男は身を引きつつ剣を振る。その切っ先が鼻先の空を切った。
アリアンナはそのフェイントに対し、瞬きすらしなかった。
男は握る力を弱め、滑らかに切り返す。
騎士はただ――その刃を握った。
手からすっぽりと柄が抜け、ハッとした男の横腹に掌底が叩き込まれる。
男は吹っ飛ばされてカカシに叩き付けれた。
……ふむ。団長と名乗るだけあって実力はあるのだろうと思っていたが、想像よりずっと強いな。
まず、彼女は相手の手元どころか目しか見ていない。確かにあの男は、すかすときには相手の顔を見て、斬るときには斬る場所を見ていた。フェイントか否かは分かりやすかったが、それでも全く動じないとはな。
それに、刃を直接掴むのも凄まじい。彼女から見て右側から振られてくる剣を右手で、つまり首に迫る刃を外側から掴んでみせた。並大抵の反射速度ではない。人をあれだけ吹っ飛ばせるだけの腕力もある。
そんな動きができるのなら、あのふざけたアーマーも納得ができる。
「基本中の基本がなっていない! 剣はしっかりと握れ! 相手の防御を撫でて突きに転じるならばなおさらだ!」
「アリアンナ様、そいつ、気絶してますよ」
教えてやると、彼女は覗くように様子を見た。
「む……。やりすぎてしまったか。教官、いま言ったことは伝えておいてくれ」
「はっ。さぁ寝てる暇なんぞないぞ小僧!」
教官が叩き起こしているのを横目にしていたアリアンナだったが、ふと思い立ったように俺を見た。
「フム……アラン。貴様もやろうではないか」
「え」
「なに、殺しに来いとは言わん。山賊三人をひとりで片付けたという実力、見せてもらおう!」
「は、はぁ……」
なんだか厄介なことになっていないか。あまり実力を見せびらかすような真似をすると、目をつけられるかもしれない。ここはどうにか穏便に……。
「もし我に傷ひとつ、否、ちょっとした一撃をくれたならば……騎士団試験を免除してやろう」
……ふむ。その条件ならいいかもしれない。ここで卑怯な手を使えば、手軽に入団できる上、忠誠を誓うもの以外が俺に話しかけやすくなる。
「正面から挑んで勝てる気はしませんね。彼みたいに少し……応用を聞かせた手口になるかもしれません」
「ほほう? 通用しないと知ってか?」
「基礎もないもので……。では、決闘しましょう」
「よかろう!」
アリアンナが仁王立ちになる。
「来い!」
さて。やるか。こっちは殺しのプロで、向こうは戦闘のプロ。あの化け物じみた実力を相手に、正面から正々堂々とやって勝てる見込みはない。しかし今回のルールでは、卑怯だろうが勝てればよい。
思い付くのはかなり典型的な手口だが……。
……アリアンナには、間違いなく通用する。やはりそのアーマーは、お前の弱点だ。
「では、服を着たままで失礼します。先に達した方の負けですよ」
「……うん?」
左手で、自分の股間を擦るのを見せびらかす。周囲がどよめきに包まれた。
「え。あ、アラン?」
「いま、硬くさせますね」
アリアンナの左胸を、右手で鷲掴みにした。無茶苦茶に柔らかい。バネは入っていないようだが、なんであんなに揺れるんだ……?
「ひゃっ……ま、待て……」
「たまらないです。アリアンナ様……」
左胸を揉みながら、今度は右の胸に顔を埋める。香水でも使っているのか、妙に甘い匂いがした。
「アランっ! なにを……あんっ……! いかん、こんな……公衆の面前で……」
「……ぷはっ。ふぅ。いえ、すみませんね。私の勝ちです」
顔を上げ、身を引いた。
アリアンナは俺が左手で彼女の剣を半分抜き、露出した腹に刃を当てているのに気付いた。目を丸くして驚いている。
「な……なんとっ!?」
スリの基本テクニックだ。肩などをぶつけてそこに意識を集中させ、ポケットから物を抜き出す感覚に気付かせない。恐らく、新人たちの中でこの手法に覚えのあるものがいるだろう。
「き、傷ひとつはおろか、命ひとつ落とすところだったときた……」
「やはり、卑怯でしたかね」
「うむっ。ひ、卑怯も卑怯だ! だが約束は約束。作戦勝ちということで、入団を認めるッ!」
腕を組み、堂々と叫ぶ。
いいんだ……。こんな調子でよく最強騎士団を名乗っているな。
「しかし、なんだかんだで入団の決心をしてくれて嬉しいぞ。ではアラン。我についてこい!」
アリアンナは中へ戻っていく。俺はルーキーたちへ会釈だけしてそれについていく。
さて、誓いのなにやらをする時間だな。この騎士団ではどういう儀式をするのだろうか。
……彼女はどうして腕組みしたまま歩いているのだろうか。まあ、いいが。
廊下を行き、二階に上がり、ある部屋に入る。ここは、私室だろうか。まずは契約書か何かを書くのだろう。封蝋の場所が分かれば偽造が――。
ガチャリ。
背後でアリアンナが扉の鍵を閉めた。左腕で胸を押し潰したままという妙な姿勢だ。
それで、全てを悟った。
……ちくしょう。やられた。
「……アラン。全く、少しお仕置きが必要だな……」
左腕を下ろす。
乳袋の先端が、ぷっくりと膨らんでいた。
「ふふふ……。火を付けたのは貴様だぞ。責任を取って、最後までしてもらおうか……!」




