7 夜はこれから
満足そうな二つの顔が、空いた皿の前に並んでいる。
「ご馳走さまでした~っ」
ソフィアの元気な声が、ベルの小さな声をかき消した。
「美味しかったです。お料理すっごくお上手なんですね」
「いやぁ。昔とった杵柄といいますか」
味噌カツのソースを作ったり、パンを細かくちぎって乾燥させたりと手間取ったが、ベルはニコニコとしている。
いわく「違うけどおいしい」らしい。ベルの食ったという味噌カツを知らないので違う味になるのは当然だが、それでも満足させられたのは良かった。これで顧客の精神状態を良く保てるなら安いものだ。
依頼したあと、成功したかとか、バレてないかとかで不安に駆られ、余計なことをしてしまうタイプは意外といる。殺し屋は、気にするべきところが多い。
「……あ、明日は私の好きなもの~……なんて」
「いいですよ。また買いに行きましょう」
「わーいっ」
ベルよりも子どもっぽく喜ぶ。機嫌を取るのが楽なのはいいな。新たな情報源を得たらと思ったが、このままこの家にいるのも悪くないかもしれない。
「ふぁ~あ。もう眠くなってきちゃいました。すっごく疲れちゃったし……お風呂は明日でもいいですよね? えへへ」
「それじゃあ、もう寝ましょうか。今日は椅子で寝ますから、ベルちゃんをベッドにしましょう」
「はーい。じゃーベルちゃん。おーいで」
ソフィアに抱っこされ、ベルがベッドルームへ連れていかれる。肩越しに俺を見つめていた。俺はただ、頷き返した。
「火の処理はしておきますね」
「おねがいします。おやすみなさい、アランさん」
「おやすみなさい、ソフィアさん。ベルちゃんも」
「……おやすみ」
二人がいなくなって、暖炉の火を弄り続ける。燃え尽きてから灰を処理し、ベッドルームをそっと覗いた。
ふたりともぐっすりと眠っている。ベルはしがみついていて、寝ぼけながらソフィアの胸をむにゅむにゅと揉んでいた。それに対してソフィアは「んへへ。ダメですぅアランしゃん……」と寝言を言っている。
よし、決めた。逃走のゴーサインはセックス要求されたらにしよう。
そっと部屋を出て、ソフィアの財布を探しだし、いくらかの金を盗む。
それから家を出た。馬を使うとバレる可能性があるので、歩いて城下町へと向かった。
仕事の下準備を進めなければならない。仮面生活の悪いところは、休んでいる暇がないということだ。
町は城壁に守られている。問題は夜中に一人で出歩いている外国人として見つかれば、まず顔を覚えられてしまうということだ。公的機関の人間に顔が割れてしまうと仕事がやりににくなる。正面から行けばかなり目立つので見張りの視界に入るだろう。入るならば別の場所。
海外からの物資を直接大市場へ搬入するため、一部城壁を崩している場所がある。あそこは障害物が多いので見つかりにくいが、そのことは町側も分かっているだろう。対策はされているはず。
まあ要するに一人で入らなければいい。それは事前に分かっていたので解決法も事前に考えていた。
城へ向かう方角から少し外れ、港へ続くという道に出るまで草原を歩き続け、道に着いたら今度は港の方角へ歩き続ける。良い具合の岩が落ちている場所があったので、そこに座って待った。ただひたすら待った。寝巻きのままで来ているので、少しだけ寒い。
月がぐっと傾いた頃、松明で道を照らす行列がやってくるの見えた。大市場のいくつかの店の台帳にあった通りだ。深夜に到着する船から業者が商品を運んできた。鮮度が重要なものは朝一番で売り出せるよう、この時間帯に城下町へ運び込むのだ。
そして案の定、運び込む量が多すぎて馬に引かせる台車では全く運びきれず、屈強な男たちもあれやこれやを背負ったり抱えたりしていた。
行列が俺を見て止まる。何人かがキョロキョロと周囲を見て警戒していた。どうやら賊の待ち伏せを疑っているらしい。
「おいおい。落ち着けって。オレは泥棒とかじゃないぜ」
表情と声色を変えて言う。暗い中ではこれが一番の変装になる。
「へぇ。なら、何をしているんだ」
重い荷物を運ぶ骨太な連中のでも、特に屈強な男が出てきた。
「いやぁ参ってたんだよ。酒を飲みに町に向かってたら素寒貧だって気付いちまって。ここ戻るのも面倒くせえしさぁ」
男どもはお互いに顔を合わせ、大笑いした。
「なんだぁ。間抜けな野郎だな」
「好きに言えよ。間抜けも間抜けだってんだよなあ。……ひとつ頼んでもいいか?」
「おいおい、奢らねえぞ」
「もちろん奢れなんていわねえよ。でも、荷物を運ぶのを手伝うからさぁ。お駄賃にビール一杯分だけでいいから、くんない? なぁ! 誰か荷物軽くしたいやついるぅ?」
「しょーがねーやつだな! ほんじゃおれの頼むよ!」
列から一人出てきた。そいつを笑顔で指差して迎える。
「いや助かるぜ兄弟!」
「いいっていいって。ほら運べ」
男から右肩にぶら下げていた布袋を受けとる。水分が多いもののようで、かなり重い。肩に掛けず、背負ってちょうど良いくらいだ。
「いけるか?」
「ビール代にゃちょうど良いくらいだ」
「うし、じゃあ行こうぜ!」
号令と共に行列は進む。
城下町の正面側へ回り込む道から踏み固めきれていない真新しい道が枝分かれする所まできた。その先に城壁に穴が開いたような場所があり、たかがひとつの穴に十人弱という厳重な警備体制を敷いていた。あそこが大市場の真後ろにあたる壁だ。
目立たないよう、周りの男たちと同じ方角を向き、同じように振る舞う。
「よう、お疲れさん。今日の新鮮な食いもんだ」
先頭の男が、警備へ紙を手渡した。紙には封蝋が押してあり、どうやらあれで証明になるようだ。
スタンプの偽造ができれば、出入りが楽になるだろう。考えておかねば。
「よし通れ」
「どうも」
壁を通り抜ける。警備たちの目は全員を満遍なく見ている。とりあえず、これで侵入は成功だな。
「なあ、そろそろ……な?」
「ん? ……ま、いいか」
背負った荷物を男へ返す。男は財布を取り出して、えーっとと勘定した。
「ほれ。おつかれさん」
「いやっ、ありがたいねぇ~。喉もカラカラでうまいビールが飲めそうだ。そいじゃ」
金を受け取って列から離脱し、裏路地へ入っていく。
外人の出入りが多い町ということなので、深夜の警備もそれなりに多いだろう。それに警戒しつつ町をウロウロと歩き回る。すると夜間警備の巡回ルートに法則があるのが分かった。表通りはむしろ少なく、裏通りを長方形状に回って道を覗くという具合だった。
変装したいが、もちろん店は閉まっている。そこをどうにかする方法も考えてはいるが……。目的の人が見当たらない。
最悪、見つからなければこのまま行くしかないか。
そう諦めかけたとき、見つかった。ホームレスだ。道端で見つからないように眠っている。
「……そこのお人」
「……フゴ……おんぇ……?」
慌てて起き上がり、キョロキョロと周囲を見て警戒していた。どうやらホームレス狩りを疑っているらしい。
……いや。まあ、いいが。
「な……なんじゃぁお前……」
「こんな所で眠るなんて……可哀想に」
なるべく優しげで、慈悲深い印象を与えるように振る舞った。
「め……恵んでくれんのか……?」
「いえ。与えるという行為は支配者のすること。私は、貴方の支配者ではありません……」
「……生きれんなら支配でもなんでも変わらんだろ……」
無精髭は呟く。恨むなら支配されないと生きていけない社会を作った人間を恨むことだな。
「ですから、こうしましょう」
さっきもらった金と、盗んだ金の一部を取り出して見せた。
「貴方の上着を買います。等価交換ならば、貴方は誰にも支配されないままなのです」
「…………へへ」
ホームレスは嬉々として上着を脱ぎ、こんなにくれるならこれも着けてやるとボロボロのマフラーと一緒に寄越した。
「なんだか分からんが、いいヤツだな」
「私はただの、通りすがりです……」
「け。じゃあな」
うっひょー、酒酒。そんなことを言いながら路地を飛び出していった。そんなんだからホームレスなんだぞお前。
だがマフラーも手に入ったのは僥倖だ。かなり臭うが、その方がリアルでいい。さっそく着替え、マフラーで顔の下半分を隠し、表通りへ出る。堂々と道の真ん中を歩いていくと引き留められた。
「おい、そこのお前」
警備だ。こいつから煙突清掃ギルドの場所を聞き出そう。
警備はキョロキョロと周囲を見て警戒していた。どうやら集団強盗を疑っているらしい。
…………そんなに俺は悪そうか?
「……お、おいはただの家無しでな。煙突清掃ギルドっちゅうのに向かってるでな」
「ほう。ではそのギルドへ何をしに向かっていたんだ。強盗しようという魂胆じゃないだろうな」
「いやぁ……そん近くに、おいの友だちの家無しがおるらしくてな、ちょっと食いもん持ってるってんでな、分けて貰えんかっちゅうので向かってる」
「はっ。どうだか」
警備は疑っている。このまま疑いを晴らしてもいいが、ついでにあのことも聞こう。
「おいの友だちがな、金になるもん見つけたっちゅうの」
「やっぱり強盗じゃないか。何を盗んだんだ」
「おいはやっとらんから分からんけど、なんでも、イザベルっちゅうのを持っとるらしい。女かもしれんでな」
「なに。ロドリゲスのところの?」
食い付いた。これで懸賞金が出ていることはほぼ確実。この男は少し欲があるようだから、横取りできる気配を出して利用するか。
「おいは詳しくないっちゅうの。でも、金になるゆうなら金になると思う」
「…………フン。人助けをするなら話は別だ。ギルドまで案内してやろうじゃないか。おい、ついてこい」
「ありがたいことで。そん、ロドリゲスっちゅうんは誰じゃ」
「煙突の掃除屋のチビだ。子どもみたいなジジイって聞いたことくらいないのか」
「ねぇです。あいにく話す人もそうおらんで」
「け」
ロドリゲスは作業員である、と。だったら、色々な家に行っているはずだ。
警備の案内についていき、ベルが待ち伏せしていた所を通過し、しばらく歩くと大きな煙突の無い建物の前まで来た。ここがギルドだろう。
「さ、着いたぞ。お前のお友だちはどこだ?」
「横ん路地いくと、おるっつってた。たぶんこっち」
警備を引き連れ、適当な路地へ入る。少し奥に、人目につきにくい場所があったのでそこで立ち止まった。
「そうそう、ここじゃここじゃ。ここにおったら連れてきてくれるっちゅうと――」
警備が剣に手をかけた瞬間、喉に拳を叩き込んだ。呼吸ができなくなり、膝から崩れ落ちたところを背後に回って首を折る。
こいつ、思ったより行動が早かったな。少し危なかったかもしれない。
しかしこれで次の衣装は手に入った。警備の服を脱がせ、代わりにホームレスから買った服を着せた。ホームレスが死んでいるようにしか見えないので、大事にはならないだろう。
結構金を持っていたので、盗んだ額より多くなった。とりあえず、返すだけの額はキープしておかないとな。
警備の格好に着替え、一応剣で顔を切り崩しておき、清掃ギルドへ表から堂々と入った。
「お、おいちょっとアンタ」
ギルドの警備員に止められた。
警備員はキョロキョロと周囲を見て警戒していた。どうせ何か疑ってるんだろ。
「困るよ。公営だからって不法侵入していい謂れはないだろ」
「いいや、あるね。といっても……個人的に来たんだがな」
訝しげな警備員に、そっと耳打ちをする。
「実はさ……ここのロドリゲスって奴に大金を貸してるんだ。いつまでも返さねえと思えば、賞金を出すって言うじゃねえか」
「……それで?」
「つまり、あいつは今それだけの金を持ってるってことだ。娘が心配なのは分かるが、まず返すべき奴がここにいるんだ。だから返してもらおうってわけだ」
「……いや。だからってそれを手伝うわけには……」
「まあ聞けって」
判断する時間を与えないよう、警備員の肩を掴んだ。
「上の経営ってのはどこも無能だ。人様の努力に払うべきものを払わずケチろうとしやがる。ロドリゲスもそうさ。気持ち、わかってくれるだろ?」
「……うぅん」
「だが、オレは違う」
財布を取り出し、少しばかりの金を出す。
「良いことをしたやつには……それなりの対価がなくちゃあなぁ?」
男は金に釘付けになり、目を逸らしながら受け取った。その肩を叩いてやる。
「へへへ。それでこそだ」
「でも、どうする気だ。金目の物をここに置いておくとは思えないだが……」
「いつ家にいないか分かりゃいい。仕事表みたいなのがあんだろ。見せてくれ」
「ああ、なら主任の部屋だ。階段上がって正面」
説明しながら、男は鍵を取ってきた。受け取ろうとすると、さっと手を引かれる。
「……捕まらないだろうな」
「安心しろよ。見ての通り、やり手だぜ?」
男は片口だけで微笑んで、また鍵を差し出す。
それと燭台を受け取って二階へ上がり、正面にある大扉の鍵を開けた。
中は広く、ブラインドの閉まった窓を背に大きな仕事机があった。
横の壁には巨大で、たくさんの小さな引き出しを持つタンスを見つけた。照らすと、そこには人の名前が並んでいる。
ヨーロッパ名がカタカナで、だ。滑稽なことだな。
その中に、マクシミリアノ・ロドリゲスという名前を見つけた。これがターゲットのフルネームだろう。ずいぶんと仰々しいな。
引き出しを開け、中の書類を取り出し、机に並べる。どうやら今まで行った場所の記録のようで、かなりの数がある。
主任の机から紙とペンを借り、その一つ一つをメモしていく。ある程度の数になったので、書類を元通りの順番で仕舞い、部屋を出た。
一階に降り、警備員に礼を言って外へ出た。
……よし。シナリオは考えた。次はこの住所を片っ端から回ろう。それと、強盗道具の調達も必要になるな。
暗い中を歩いていく。
仕事は、始まったばかりだ。




