6 二度目の初仕事
「はぁ~。結局見つかりませんでしたねぇ……」
暗くなり、松明ばかりが照らす石の道でソフィアが伸びをした。城下町の店をほぼ全て回り終え、ゆっくりと行き先のない足を運び続けている。
彼女にとっては徒労だろうが、俺にとっては違った。出身を探すという大義名分は大いに役立った。
情報をまとめると、
・このローズマリー王国は大陸に存在するのだが、それは地球上には存在しない。
・公用語である日本語はこの世界で唯一の言語とされており、“日本語”という名称自体がない。
・技術的な進歩は中世ヨーロッパがもっとも近いが、他の国の技術なども混ざっているため一概にどの時代のどことは言えない。
・この国は海と二つの国に囲まれる形で存在し、海からはあらゆる国へアクセスできるため交易が盛んである。
・この町にはそうした物が集まる“大市場”があり、まず買えない物はないらしい。
・魔法や呪いという儀式的なものが信じられている。
つまり、昔の世界によく似た知らない世界なのだ。空港どころか帰る宛すらない。どうやら、この世界でどうにか生きていくしかないらしい。
こんなに訳の分からない不幸の中でも唯一幸運だったのは、このローズマリー王国に居ることだった。外国人の出入りが頻繁ということなので、俺という存在がかなり目立ちにくいのだ。それにあらゆる物が出入りするので、仕事道具を入手しやすい環境というのも良い。
「やっぱり、僕は違う国から来て、王国へ入る前に力尽きたんでしょうね」
「みたいですねぇ。……とりあえず、帰りましょっか」
「そうですね」
「ん~……悔しいなぁ」
ソフィアは小石を蹴った。たかだか一度命を救われただけで、よくもそこまで俺に肩入れできるものだ。
「いいじゃないですか。楽しいデートでしたよ」
「んふふ。わたしもデートみたいだなって思ってました。でも、やっぱりアランさんが心配です。どこかに家族の人とかを残りしちゃったり――」
ソフィアはハッとした。それから気まずそうに顔をそらした。
「どうしたんですか」
「ど……どうも、してないです」
……ああ。どこかの国に残したのが、恋人や婚約者であったりする可能性もある。それを認めたくないのだろう。
「そうですか。……それにしても、家族……か。きっともう見つけるのは無理でしょうね」
「そうなんですか?」
「この国はかなり交易に力を入れているようですし、検問も港も毎日凄まじい数の人が出入りするじゃないですか。この顔を覚えている人はいないと思いますよ?」
「そ、それもそうですね……そっかぁ……。あ! ご、ごめんなさい……そういうつもりじゃ……」
「いいんですよ。僕も、ここは好きですし」
「そ、そうですか。えへへ、ありがとうございます……」
彼女は嬉しそうな顔をした。ちょろいものだ。
……いや、俺はなにをしているんだ。この女を慰めるなどと。もうじき新たな情報源が手に入るのだから、後腐れのないよう見切りをつけるべきだ。俺が肩入れしてどうする。
なんとなく目線を逸らした先にふと、路地の出入り口に少女がいるのが見えた。ホームレスのようなみすぼらしさで、どこにも居場所があるようには見えない。しかし確固たる意思をもってその場に留まっている。
そして――客の匂いがした。
ソフィアが俺の視線に気付いてその子を見た。
「あの子は……奴隷の子でしょうか。でも、あんなに小さいのに……?」
「奴隷ですか」
「はい。お金もちのお家が雇う人です。きっと、逃げ出しちゃったんですね」
せいぜい五歳であり、どう見ても非力で、背も低く、肉体労働者としてはあまりにも不利だ。恐らく価値は低いだろう。
一応、ローマの古い文化では少女少年奴隷は犯して当たり前だったようだが、愛玩具にするためだけに買うにはむしろ高すぎる。すなわち、逃げ出したのは買われる前だ。奴隷商から逃げたのだろう。
「……ごめんなさい、アランさん。人探し、もう一人追加します」
「謝らなくていいですよ。僕も同じことを考えてました。今日は遅いですし、一旦家に連れて帰りましょうか」
「そうしましょう。お話は任せてくださいっ」
胸を揺らして張り、ソフィアは少女ににこやかに近寄る。俺は少し距離を取って、他人のフリをした。
「こんばんわ~。どうしたの? こんなところで」
「…………」
「迷っちゃった? 帰るお家はどんなことにあるのかな」
「…………っ」
少女は悔しそうな顔をした。『帰るお家』というのがキーワードのようだ。家族あるいは雇い主に関係することか。
「ん~、お腹減らない? お姉さんはねぇ――」
そう言いながら、ぐうと腹を鳴らした。
「――えへへ。お腹減っちゃった。ね、よかったら一緒にごはん食べよ。おごったげる」
「…………いらない」
「そっかぁ……」
ソフィアは建物へ続く階段に座って隣をぺちぺちと手の平で叩く。少女は落ち着かない様子だ。さっきからずっとそうだった。
「実はね、ちょっとお話ししたい気分なの。おいで? お姉さんねぇ、温かいって有名なんだよ」
昨日の添い寝のことか。彼女なりの冗談なのだろうが、子どもにはわかりにくそうだ。
「…………いい!」
少女は逃げるように走り出す。
やはり、あの落ち着かなさは罪を犯す直前の焦燥から来ているのだろう。ならばあの場所に居たのも、待ち伏せしていたからだ。
彼女から客の匂いがしたのは――誰かへの殺意があったのは、間違いない。
「――誰に死んでほしい」
そう言うと、少女の動きがピタリと止まった。ゆっくりと振り返って俺を見る。我ながらまた余計なことに首を突っ込んだものだ。雰囲気だけで客を見つけられてしまうのは以前からの悪い癖だった。
「あ、アランさん……?」
「すみません。話は後で」
ソフィアを宥め、少女に近付く。無理をして優しげな雰囲気を作るのではなく、ソフィアに接していたように接する。
古くから子どもが打算的な優しさを見抜くと言われているのは、会話するときだけ優しげになる瞬間を観察され、それが作られたものだと知るからだ。無理をせず、少し優しげな程度で持続させれば分からないものだ。
「なんだか君から……殺意を感じたんだ」
腕の届かない位置で止まって、しゃがんで目線を合わせた。
「でも、安心してくれ。誰かに通報したり、話したりなんかしない。約束する。だから……話、聞かせてくれないかな」
「…………ホントに? しない?」
「しない。絶対に」
少女はうつむいて、小さく鼻を鳴らした。
「今日は休んで、明日お話ししよう。ゆっくりできる場所がないなら、うちにおいで」
「……ん」
少女は俺の背後にぴったりとくっついた。とりあえず、これで無茶はしなくなるだろう。
「よかったぁ。ありがとうございます、アランさん」
ソフィアはしゃがんで膝を抱え、胸をぎゅっと潰した。
「お姉さんの名前はソフィアっていうんだよ。お兄さんはアランさん。よかったら、お名前おしえて?」
「…………べる」
「ベル? 良い名前だねっ」
ベルはうつ向いたまま少しだけ微笑んだ。
「ところでお姉さん、ホントにお腹すいちゃったの。お家に帰る前にごはん食べに行っていい?」
「…………ん」
「ありがと。なにか食べたいもの、あるかな」
「…………みそかつ」
みそかつ……。
味噌カツ……?
……味噌カツ……のことだよな?
あるのか、味噌カツ。この中世ヨーロッパ的建造物のどこかに味噌カツ屋が?
「えーっと、うー……味噌カツ屋さんは……ないなぁ……」
ソフィアがしょんぼりとして呟く。ベルもしょんぼりした。
「レシピなら知ってますけど」
昔の仕事で日本のホテルにシェフとして侵入したとき、色々な料理を作った。味噌カツは無かったが、カツの揚げ方ならわかる。ソースも、味噌をベースにした和風テイストでどうにか作れるだろう。
「ホントですかっ?」
「材料が手に入れば作れます。ありますかね、特に味噌」
「きっとありますよ。大市場ってホントになんでもあるんです」
「いいですね。行きましょう」
よかったぁと、ソフィアはベルにじゃれついた。ベルもニコニコとしている。
そうして三人で大市場へやってきた。この町の四分の一を占領する巨大な区画であり、わざわざ地面を掘って地下数階に及ぶ大穴の壁にぎっしりと店が詰まっていた。穴の空中を突っ切る見るからに強度に不安がある大量の橋が、市場の空を縫い合わせている。
情報収集に一度来たとはいえ、何度見てもこの光景は凄まじい。その混沌とした様は俺がルーキーの頃に行った九龍城砦にそっくりだった。
「えっと食べ物は地下一階のあっちです」
坂の上で彼女が指差す。穴へ下るための坂の途中で、地下一階層へ入るのが近いだろう。
ベルは歩き疲れたのか、退屈そうな表情で頻繁に軸足を変えたり、地面をざっざっと擦りながら歩き始めていた。
……ちょうど良い。しゃがんで背中を向けてやる。
「ベルちゃん。おんぶするよ」
「…………ん」
ベルは素直に従って、俺の右肩に顎を乗せて腕を回し、ぎゅっと抱きついてきた。
「ソフィアさん。オモチャ屋はありますか」
「ありますよー。一番下です」
「そうですか。そしたら、オモチャ屋で待ってますね。材料を頼めますか?」
「え。いいですけど……」
ソフィアは少し呆気にとられた顔をした。微笑みを送ってごまかす。
「すみません。僕は、材料は分かっても買う場所が分からないですから。頼りにしてます」
「あー。頼りにされちゃったらしょうがないですねぇ」
微笑みを隠した満更でもない顔で、ソフィアは胸を張る。
「ありがとうございます。材料は――」
必要なものを伝え、後でまたここに集合しようと言って坂を下っていく。
ベルを背負って、人混みをゆっくりと歩いていく。この騒々しさは、会話を隠すのにぴったりだ。
「さて、仕事の話をしよう」
右肩のベルへ言うと、彼女は俺の顔を覗き込んだ。
「…………え?」
「死んでほしい人がいるんだろう。始末してやる」
「……ころし屋さん……なの?」
「そうだ。お前を一目見たときに、一人では抱えきれないほどの殺意を感じた。その肩の荷を下ろす仕事だ」
少女は俺の胸元へ垂らした腕に力を入れ、顔を寄せてきた。幼いなりに、ちゃんと内緒話をする姿勢になってくれたのだろう。
「相手は誰だ」
「…………お父さん」
「父親か」
少女は、俺の服をぎゅっと握った。
「お父さんが、お母さんをころしたの。だれも信じないけど、わたし、見たんだもん……」
「それで、復讐か」
「うん。……ふくしゅうする。ゼッタイ」
この言い方。恐らく以前、誰かに止められたことがあるな。恐らくは世話になった人間で、可能性が高いのは……彼女を所有する奴隷商人あたりか。
「おねがい。ころし屋さん。お父さんをころしてください」
「――そうか。なら、金を用意しろ」
「……え?」
ポカンとする少女を背負い直す。
「金貨五枚。それが始末の条件だ」
「お、お金なんてないよ! なんにも……ないよ……」
「一気にとは言わない。だが頭金は必要だ。銅貨一枚だって構わん。その後できちんと残りを払いきればいい。それが無ければ契約は成立しない」
「どうして……。どうしてそんなにお金にこだわるの?」
「なに一つ差し出さず人を殺せるとは思うな。金で済むなら、安いものだ」
ベルは黙った。迷っているのだろう。
「金を作れ。頼れる人はいるか」
「……おねえちゃん」
「そのおねえちゃんはどんな人だ」
「どれーを買ったり売ったりするの」
やはり、追い詰められて唯一頼れるのは奴隷商か。待遇のためでなく復讐のために逃げ出したのだから、まだ縁は残っている。仕事ついでにコネクションを増やしておこう。
「なら、そいつに銅貨一枚を借りるといい。不安なら、俺がベルを守るから安心しろ」
「…………わかった」
これでよし。少女だろうがホームレスだろうが依頼人なら高い金を支払ってもらう。それが結局、依頼人を守ることとなる。
「準備をするのに、色々と聞かせてもらおう。ベルの父親の職業は分かるか」
「えんとつを、おそうじしてる……」
「名前は?」
「えっと……」
考え込むが、分からないようだ。この歳の子は親をお父さんお母さん呼びするのだから、仕方のないことだ。
「フルネームで自分の名前を言えるか」
「……いざべる、えっと……ろろ……どろ……」
「ロドリゲス?」
「ん」
依頼人はイザベル・ロドリゲス。ターゲットはロドリゲス姓の煙突清掃員。この職は少年が多いということを考えると、恐らくは煙突清掃ギルドの管理人か身体が小さいかだろう。
「お父さんからは逃げたのか」
「ん」
「いつくらいに逃げたか、覚えてるか」
「えと。……ずっと前?」
母親殺しを目撃している以上、父親はベルを取り返して始末したいはずだ。少し時期が開いているなら、懸賞金が出ている可能性は高いな。
「お父さんを守る人はいたか。ずっと一緒にいる人でもいい」
「んーん」
「お父さんはいつも、どの時間帯に家に居ない?」
「あさと、おひる……。よる帰ってくる」
日中は仕事。帰るのは夜、か。ターゲットを呼び出せる口実がある上、夜中は疚しいことを抱える人間を動かしやすい。今のところ、特別な道具は必要なさそうだな。
「あそこで待っていたのは、お父さんがあそこを通るからか?」
「ん」
「仕事の帰り道なのか」
「ん」
なるほど。住所の特定も簡単そうだ。
「キツいことを聞くぞ。お父さんは、どうやってお母さんを殺した」
「…………」
「情報は多い方がいい。それに、望むなら同じ方法で殺してやろう」
「……切ったの。ほうちょうで」
「切り殺したんだな。分かった」
典型的なやり口で、素人のやり方だ。そういった殺しの知識のない、一般人だな。
ナイフは基本、刺すのに使う。下手に刃を叩き付けると刃が曲がったり、思ったように切れなかったりするので、動きをけん制するか確実に狙った場所を切れる状態でもない限りは切る動作をするべきではない。あとはこの国の捜査事情というものについて調べなければならないな。調査は殺しの基本テクニックだ。
かなり簡単な仕事に、懐かしさを感じていた。ルーキーの頃は何をすればいいのかすら分からず、こんな簡単な仕事ですら難しかった。
これは、この知らない世界での初仕事だ。
「そろそろ戻ろう。それと、ソフィアにはもちろん、誰にもこのことは秘密だ。人を殺す契約は、俺とお前、この二人だけのものだ。いいな」
「ん。……アランさん」
「なんだ」
「…………ありがと」
「気にするな。ただのビジネスだ」
坂を上って、ソフィアと別れた場所まで戻る。少し待って、両手に荷物を持った彼女が戻ってきた。
「お待たせしました~。ちゃんと全部ありましたよ」
「よかったです。おひとつ持ちましょう」
「え? さすがに悪いです」
「いえ。働かせてしまったので、ぜひ」
じゃあ、とソフィアはひとつの紙袋を差し出す。
「アランさんに甘えちゃいます。……なんちゃって」
受け取って、小脇に抱えた。
「だったら、ソフィアさんを甘やかしちゃいます」
「えへへへ。……あれ。ベルちゃん、なんかあった?」
ソフィアの質問に、背中のベルがびくりとした。
「なんかすっごく良い顔してたから。良いことあったのかなーって」
「……なんでもないもん」
「そっか。じゃ、お家に帰ろーねー」
三人で、夜の道を行く。
松明と月が照らす道。空はいやに暗い。
そう思い空を見上げて初めて――。
――星が無いことに気付いた。




