5 目と手を見ればいい
何件の店を回っただろうか。当たり前だが、どこにも俺に関する情報はない。その代わり、この地域に関する情報は順調に集まっていっている。同じ質問をそれとなく聞いて回り、情報の確かさを固める段階だ。
「ん~。分かりませんねー……」
ソフィアがつま先立つほど思い切り伸びをし、とん、と身体を落とした。それだけで胸がふわふわと揺れる。
インナーを着ているはずなのにどうしてそんなに揺れるんだ……。この女が妙な体質なのかもしれない。
「僕はこの街の出身じゃないのかもしれませんね」
「そうですよね。じゃー……初めてこの街に来たときに、なんか倒れちゃったとか」
「たぶん、それが一番自然だと思います」
ソフィアがうぅんと唸りだした。気持ちとしては、俺も同じくらいの疑問を持っている。
ここは世界のどこなのか。今まで電気機器に関するものをひとつも見ていないし、それどころか機械の類いもあまり見かけない。文化そのものは中世ヨーロッパによく似ている。
空港にさえたどり着けば、隠れ家に戻ることはできるだろうが……。この国、あるいはこの大陸に空港があるのかは甚だ疑問だ。
もっと情報が欲しい。都合よく情報を集められる場所はないだろうか。
………………ん?
「アランさん?」
「ああすみません。さっきの仕立て屋に忘れ物をしてしまったみたいで」
「あらら。じゃあ取りに行きましょ」
「いえ、すぐ取ってきます。はぐれるといけないのでそこのカフェで待っていてくれますか?」
外置きの丸テーブルを指差すと、ソフィアは嫌な顔ひとつせずに微笑んだ。
「はーい。じゃ、お先に休憩タイムしてまーす」
いい終えるか否かで、通りを反対に引き返した。早歩きで仕立て屋方向へ向かい、あるところで路地へ曲がる。
建物と建物の間には必ず道を作っているというこの街の特徴から、大体この辺かとアタリをつけ、道を覗く。
いた。さっき見えた少年だ。
かなり短いショートパンツ。下着なのかどうかすら分からない布の紐を上半身に巻いて乳頭を隠すという強烈なファッションをしている。かなり可愛い顔をしていて、一見すると少女にしか見えない。それでも少年と分かるのは、よく見ると股間が少し盛り上がっているからで、それもまた強烈だった。
ソフィアとアリアンナに毒されたせいか、この格好だけで俺と関係してくるんじゃないかと思ってしまう。しかし問題はそこじゃない。問題は彼の目線と、定位置から大きく動かさない右手だ。少年は男を追っていて、その命を狙っている。
その男とすれ違い、胸元までしかない頭の前に立つ。
「…………? な、なに? ちょっと邪魔なんだけど……」
慌てて俺を避けようとするのも塞ぐ。
「どいてよ、もう。邪魔……」
「なっていない」
「え?」
「やり方が悪いと言っている」
彼はしばらく俺を見上げていたが、尾行していた男を見失ったと気付くや否や俺の胸を叩いた。
「あー! もう逃がしちゃったじゃん! なんなんだよー!」
「それでいい。あのままだとお前が捕まっていた」
「は? なんで」
「そのふざけた格好のせいだ。いいか。殺すところを見られない、というのも確かに重要だ。だが見られた場合に備え、印象に残らないようにすることも重要だ。その奇抜なファッションは一度見たら中々忘れられん」
「それは……おじさんがヘンタイなだけでしょ」
屈んで目線を合わせる。
「ヘンタイであろうと無かろうとだ。まずお前は周辺の子供を観察し、その服装の傾向を見ろ。多くの場合、目撃者は服装を覚えようとする。子どもであるということしか印象に残らなければ、まず目撃情報から足がつくことはない。それが普段着だと言うなら、仕事中は着るな」
「むー……分かったよ。もう……」
叱られてうつむきしょぼくれた彼だったが、ばっと顔を上げて俺の顔をまじまじと見た。
「って、おじさんも――」
その口をふさぎ、口の前で人差し指を立てた。
「――同業者だ」
「すっげぇ……。ぷ、プロの人っすよね?」
「まあな。ところでお前の師匠はどうやら、放任主義のようだ」
「え!? な、なんで。なんも言ってないのに。……あっ」
少年は慌てて口をふさいだが、俺には彼に殺しを教えている者がいることは分かっていた。
こうした通り魔的な殺し方をする場合、道という公的な場所で犯行を行うためかなり目撃される可能性が高くなる。そこで深夜に実行しようとすると、通りに人がいないので昼間よりよほど目立ってしまう。
そのためあえて明るい時間から夕方にかけての時間で実行する。すると、見つかった場合でも人混みに紛れてしまえる。監視カメラもないので見つかることはなく、こうした人口の多い発展途上国では常套手段となる。だが、素人で昼間に殺しをやろうという者は中々いない。
少年は型に乗っ取る素人であり、それならば型を教える人がいるのだ。
「気にするな。知ってる」
「え。でも、どうして? 殺し屋ってこととかどうやって分かったの」
「観察しただけだ。ある人は、目と手を見れば分かると言った。俺は今まで無意識でやっていたの
だが、改めて意識してみると確かにそこを見ている」
「へぇ~。……それってどんな? ほら、具体的に……」
「その質問に答える前に、取引しよう」
「と、取引?」
「俺が殺しに関することを教える。その代わり、その師匠に会わせてくれ」
「……」
同じ殺し屋であれば、同じく仮面生活を送っていることが多い。また殺しの仕事は勉強事が多いので、相手がプロならば多くの知識を蓄えているだろうことも予想がつく。情報源として、これ以上望めるものはないだろう。
少女の顔をした少年は考え始める。だがそれでいい。即答で良いと言うなら、それはほとんど師匠に対する裏切りだ。
「…………嫌って言ったら?」
「ほう?」
「あんた。やっぱ怪しい。誰かのスパイだろ」
「違うとは言えんな」
「……ふふん。ヘンタイに襲われてるって叫んだら人生終わっちゃうって、分かんないの? お、じ、さ、ん?」
「そんな回りくどい手より、俺を殺してみたらどうだ。ルーキー」
立ち上がり、見下ろす。すると彼の目に怯えが宿り、涙目になっていく。どうやら実力差が分からないほどバカではないようだ。
「…………ま、待ってよ。そんな……殺さなくたって……」
「殺しはしないから安心しろ。だが、お前は殺しにきても良い。ファーストレッスンだと思え」
「……そ、それなら……分かったよ……」
両手を少年の死角にやり、少し距離を取る。彼は緊張しているのか、ナイフを隠し持っているであろう右手がやや震えていた。基本をしっかり押さえているならば、こちらの攻撃の隙を突くだろう。
右手を振りかざしてやる。少年はセオリー通りにそれを避け、俺の懐へ飛び込んだ。そしてその右手にもつナイフを俺に突き刺す――前に、首もとに刃があるのに気付いた。
「――ひっ!?」
少年はとっさに防御しようとしてバランスを崩し、転んだ。
いててと座り込み、少年はまた泣きそうな顔になった。
「……やっぱ負けちゃった…………」
「特殊な状況だったからな。素人を相手にするならば基本を押さえれば良いが、殺し屋同士ならそうもいかない。お互いに基本を押さえていることが前提になる」
「でもさ……あのおっさんだって、殺したら捕まってたんでしょ? やっぱり、才能ないのかな……」
「学びやすい者と学びにくい者がいる。才能というのはそんなものだ。どんな道でも、手に職をつけるならば学べ」
しゃがんで手を差し出した。
「学びたいなら、俺が教えてやる」
少年は俺の手を取った。
「……ほ、本当に教えてくれるの? 師匠に会わせたらポイとか……」
「しない。お前の師とは長い付き合いにしたいんでな」
「じゃ、じゃあおれの先生になって……じゃなくて、なってください!」
「よし。俺の名前はアランだ」
「おれの名前はボウイです。よろしくお願いしますっ」
よし。これで情報源を確保……するにはもうひとふんばりだが、彼の師匠にはかなり期待が持てる。
ひとまず今日は解散にして、ソフィアと合流しないと。
「レッスンは明後日からだ。今日と明日は用があるんでな」
「えー」
「すまないな。明後日のこの時間、またここへ来い」
「むー。分かったよ」
ボウイは不満そうだ。まだまだ子どもだな。
「先に先生としてアドバイスしておくが、その格好はやめろ」
「この格好?」
自身で見下ろすその格好は、何度見ても強烈だ。上半身は細く黒い帯に巻かれるだけで、少し運動するだけでもずれて乳首が出てしまいそうだ。それに、ショートパンツは指一本もないほど短くて、少し足を上げるだけで股間のギリギリまでが見える。
「かなり分かりやすく言うが、エロすぎる。襲われるぞ」
「……ぷっ。ふふ、ひょっとして、先生でも見抜けなかったんだぁ?」
ボウイは笑った。それからショートパンツをずらし下ろし、下着を見せてくる。ふんどし風の股間のところだけに布のあるタイプで、やはりというべきか布が貼り付いて形がくっきりと分かる。
男というだけあって、ソフィアやアリアンナより、かなりヤバいことになっている。
「ざんねーん。男でしたっ。えっちできませーん」
「できる」
「へっ? でも……」
「入れる穴ならあるだろ。尻に」
「ひぇっ!?」
ボウイは驚きすぎて、尻を両手で隠した。それから慌ててショートパンツを履き直す。
「そ、そんな……やばすぎる。そんなの……」
「お前の言うところのヘンタイは、信じられないほどの性欲を持つし、信じられんことに性欲からエネルギーを作る。性欲を向けた相手を一方的に疲弊させる、ろくでもない奴だ」
ボウイが引きすぎて顔を背けたのを、手を頬に当てて、そっと戻す。ここはちゃんと聞いてもらわないと。彼に何かあっては困るのだ。
「それに。お前はこんなに可愛い顔をしている。ほぼ確実にターゲットにされるぞ。こんな形で好きな格好ができないというのは理不尽だと思うだろうが、もうそういう格好はするな」
「お、男だってわかってるのにそんなこと言うとか……せ、先生ヘンタイすぎ……」
「なんて?」
思わず聞き返してしまった。ボウイは顔を赤くして、恥ずかしがっている。可愛いと言われたからか。お前殺し屋やる気あるのか。
「もう。分かったよ。じゃあ、先生の前だけでする」
「俺の前だけでか」
「……だって、そういうことじゃん……」
どうしよう。どういうことなのかさっぱり分からない。だがまぁ、外を出歩くときにこういう格好をしないと言うだけでよしとするか。
「……よし。ではまた明後日」
「ん。ちゃんと来てね!」
ボウイと別れ、路地を戻る。
なんとなく分かってきた。この国で性的魅力の暴力的格好をしている奴らは、格好相応の速度で発情する。
子どもに欲情されるとはな。仮面生活にだって世間体があるのだから勘弁してほしい。しかも子どものように抑制の聞かない者は、別れを切り出すとそれを種に脅しにかかってくるものだ。どんな手段を使ってでも、ボウイとセックスするわけにはいかない。
全く。殺し屋の卵とあろうものが、性欲を抑えられない変態どもの話をした直後にあんな――。
思わず、立ち止まって振り返った。
――あいつも、性欲を抑えられない変態なのか? 実際に犯行に走った訳じゃないがその気はあった。思えばソフィアも。
そうなると……。
「……フッ」
思わず失笑し、また歩き出す。
まさかな……。この俺がまさか、セクハラの被害者などということ。あり得ん。まさか……。
それにしても、あの若さかつ男でもあの様子だと、俺の考えていた国の洗脳教育説は無くなったか。ではどうしてそういう者がいるのだろうか。
考えるほど謎だ。この国は。
ソフィアのところへ戻ると、テーブルに両肘をつき、両手の平で顔に杖をつき、所在ない両足をぱたぱたとさせていた。
「あ。お帰りなさいアランさん」
「ごめんなさい。遅くなりました」
「いえいえ。たくさん休憩できて、この後もたくさん頑張れます。アランさんもどうぞっ」
「いいんです。体力だけには自信があるもので」
「いいんですか? 分かりました。じゃあ、あとちょっと頑張りましょー」
会計を手早く済ませてきた彼女と、また街を歩き始めた。
「何を取りに行ってたんですか?」
「これです」
上着の片側を開いて、隠し持っていたナイフを見せた。
「そ、それって……」
「あなたを守るために、きっと必要になるでしょうから」
そう言うと、彼女は微笑んで、歩きながら腕を振り子のように大きく振り始めた。
「ふふっ。次はどこに行きましょうか!」




