始まりの終わり
――始まりは善行だった。
――それは誰かを縛り付けた。
――次第に呪いになった。
――それは誰かの救いとなった。
――生を享受するのは悪だった。
――死は常に善のすぐ傍にあった。
――善い行いをすることは、悪いことですか?
△▼△▼△▼
腹が裂かれ、溢れる血は俺の目でよく見えた。
「が……あ……」
痛みで脳が痺れる。ジクジクと少しずつ焼かれるような痛みだ。
血が溢れている傷口は酷く熱い。身体をチクチクと刺されるような寒さなのに身体から汗が流れる。
それなのに身体は内側から次第で冷たくなっていくのが分かる。
(……どうして、こうなったのだろうか)
明滅する意識、その中で俺は怒りよりも問いがあった。
頭の中では、記憶が甦っていた。
俺の名前はアンタレス・ビストリート。幼い頃に無くした父は心神深く、『聖典の信者』アンタレス・ガイヤードから取られた名前だ。八歳の時、村に魔物が襲いかかり村は壊滅。たった一人、生き残ってしまった。その後駆けつけた騎士たちによって保護され、暫くの間騎士たちの宿舎で寝泊まりしていた。
騎士たちに助けられた体験から騎士を志し、士官学校を受験したが落ちて一般の兵士になった。しかし、街の警備中に先輩を殺されそうになり、逆に殺してしまった事で除隊させられた。
失意の内に魔物狩りを専門に行うハンターギルドに入門して魔物狩りを行うハンターとなった。様々な出来事が積み重なり、それなりに大手のクランに入る事が出来た。
そして、今。狩りを終え、クランに帰る途中で誰かに襲われた。襲った相手に言った言葉が正しければ、所属したクランに対する恨みらしい。
(……はは、本当に、下らない)
雪が降りしきる中、俺は俺を嘲り笑う。
誰かを助けるために生きたかった。困っている人を助けるために生きたかった。自分の人生に胸を張って生きてみたかった。
だけど、もう、それも叶わない。それを俺は嘲り笑う事しか出来ない。
(……もし、時間が遡る事が出来るのなら)
俺は――悲劇を無くしたい。
△▼△▼△▼
ジャラジャラと音がした。
鎖がぶつかり合うような音と共に一人の少女が雪が積もる街を歩いていた。
東の砂漠地帯の踊り子のようなベールを纏い、胸と腰を複雑な紋様が描かれた布を着けており、それ以外は目立った服を着ていない。手首には黒いバンクルを着け背中に鎖を回している。素足で金のサークレットを着けた顔は少女のようにも女のようにも見え、頬は薄く朱に染まり、唇は紅い。首には鮮やかな色合いの貝をネックレスにしており、その全てが異質だった。
そんな少女が街を歩く。しかし、周りの人間は少女に見向けもしない。
素足で雪を踏みながら少女は路地に曲がり、一人の男の死体の前で膝を地面につける。
そして、男の頭を自分の膝の上に乗せて頭を撫でる。その手付きは優しく、無表情だった少女の顔に僅かに笑みが浮かんでいる。
そして、少女は自分の手を男の手と握る。
その瞬間、辺りはモノクロに変わる。
降り積もる雪は空中で止まり、動きかけていた人間はそのままの状態で固まり、辺りを走っていたネズミは動く事を止めている。
全てが止まった世界で少女は男の唇を奪う。どこか愛おしそうに目を細める少女は口から離れると黒い空に向かって静かに呟いた。
「……救って下さい。貴方は貴方自身を救ってください」
△▼△▼△▼
「いっでぇっ!?」
頭に響く鈍い痛みと共に俺は目が覚める。日の光が頬に当たり、空は明るい。窓の近くの鳥たちは朝の目覚めを告げるかのように鳴いている
(……あれ?)
俺は、確かに死んだ筈だ。あの雪が降りしきる街の路地で、腹を切られて。
なのに、なんで生きているんだ?それも――
「八歳の時の姿で」
窓に映る自分の姿を見て困惑のあまり眉間鈍い皺を寄せる。
顔立ちは幼少期の特直で少し丸っこい。栗色の髪に左右非対称の瞳――正確にはルビーのような紅い右目とトパーズのような琥珀色の左目――は少し目尻は高いせいか目付きが少し悪い。身体も二十代後半だった時よりも遥かに低いし筋肉もそこまで多くないし身体も細い。
間違いない。八歳の時の俺だ。だが、何故だ?頭の痛みとかは本物だし夢ではないのは分かるけど……今まで俺が費やしてきた時間は全てが夢だったのか?
(……いや、違う)
俺は俺の考えを即座に否定する。
あの雪の冷たさと傷の熱さ、そして熱が奪われていく感覚は今もくっきりと残っている。それを只の夢でした、何て言わせない。
それを加味すると……。
「時間が、巻き戻った?」
俺の記憶を除いて、全ての時間が巻き戻された。今の状況からそう考えるのが妥当だ。非現実的だけどな。
……まさか、こんな事になってしまうとはな。人生というのはどうなるのか、本当に分かったものじゃない。
(だが……)
俺はベッドの上に乗ると窓から空を見上げる。空は青く、白い雲が流れている。
八歳。それは俺の人生において最初にして始まりのターニングポイント。
この村が魔物たちのスタンピード――大規模移動に巻き込まれて壊滅する事で、俺は村の外に出ることになる切っ掛けとなった。
神様がいるのなら、もう二度とない機会だ。
手を窓から見える空に向け、握る。力強く握った指から手が垂れる。蕩けるような痛みに俺は不覚にも笑ってしまう。笑い声を上げることはないが。
一度目は何も出来ずに俺は悲劇を受け入れる事しか出来なかった。何も知らなかったから、どうする事も出来なかった。
(だが、今は違う)
これは一度目ではない、二度目なんだ。身に降りかかる悲劇を俺は知っている。
なら、それを未然に回避する事も出来るかもしれない。
俺は俺以外いない部屋の中で、誰にも聞かれないよう細心の注意を払いながら宣言する。
「俺は、何があっても悲劇を無くす」