第5話 いわく付きの工事現場
帝国フーズ耶宮工場は、旧みやたけ給食の従業員が、そのほとんどを占めていた。工場での弁当製造に関わる作業員はもちろんのこと、営業や配送といった業務においても同様である。管理部門の一部を除き、以前と変わらない雰囲気の職場に、多くの者が安堵していた。
その日の朝も、製造された大量のランチボックス式給食を積み込んだ何台もの大型配送車が、工場の門を連なって出て行き、市内全域に散っていった。
そのうちの一台、No.26と記された配送車は、市内の大通りを北上し、郊外に向かっていた。
「しかし僕、またこの車でこの道を通ることになるとは、いまだに信じられませんよ。給食が再開してから、もう一週間も経つっていうのに」
「ああ、ほんとにな。おれは、ガキんちょどもが楽しそうに弁当を食ってる顔を思い浮かべるだけで、心が温かくなるんだ。実際に見たことがないのによ」
「でもよかった。帝国フーズが雇い入れてくれて」
「俺なんか、もういい歳だから、あのままホームレスになるしかねえかって覚悟してたぜ。給料も前より少し高くなったし、仕事内容は同じだし、会社の規模は大きいし、いいことずくめだな」
「でもなんだか、みやたけの社長には申し訳なく思えてくるんですよ。僕らだけ、以前と変わらない生活を送ることができて」
「申し訳ないことあるかよ。経営手腕もないくせに事業を広げたうえに、俺たちを見捨てて夜逃げまでしやがって」
配送と配膳を担当する二人が車内で会話しているうちに、車は郊外を流れる川沿いの、大きな工事現場に近づいていく。
その広大な敷地は高い仮囲いで囲まれており、大きな出入り口から工事車両が出て行くと、警備員が配送車を招く動作をする。配送車はそのまま工事現場へ乗り入れ、仮設の現場事務所の前で止まった。
「お弁当、お持ちしました!」
「おう、待ちかねたで!!」
配送車の二人は、弁当が入った発泡スチロールの箱を二つばかり降ろすと、現場監督に渡す。
「いやあ、何度も言うけどな、あんたらの弁当が食えんようになって、昼飯困っとってんで」
「本当にすいませんでした」
「アンタが謝ることはないねんけどな。みやたけはん時の最後の方の弁当は、ちょっと酷かったけど、今はまた元に戻ってよかったわ」
「あの時は、まかないも酷くて、本当にこの会社は大丈夫かって思いましたよ」
「会社は変わりましたが、今後ともよろしくお願いします」
釣り銭を渡しながらそう言うと、現場監督は少し寂しそうな顔をする。
「それがやな、悪いんやけど、そろそろアンタんところの弁当、食べられへんようになんねん」
「え、どういうことです? 味が変わってしまったとかですか」
「いや、ちゃうねん。ここの工事、あと半月もしたら竣工やねん。せやからわしら、この町から出て行くねん」
そう言いながら現場監督は、後ろにそびえる巨大工場を振り返った。
現場監督によると、ここは大手食品メーカーの主力工場として、再来月から操業が開始されるという。マヨネーズやドレッシング、パスタソースなどの市販用調味料の他に、外食産業向けの調味料や加工食品の製造も手がけるらしい。そうなると、ここでつくられる調味料などを、帝国フーズの給食にも用いることにもなるだろう。
「しかし立派な工場ですね。まさか、こんなに近代的で最先端の工場がここにできるなんて、昔のあの様子からは絶対想像できませんでしたよ」
「そう言えばお前は耶宮の人間だったな。俺は、よそから来たからよく知らんが」
「ここはですね、平安時代の飢饉の時、餓死した人々の遺体置き場になっていたという言い伝えがあるんですよ。そして、それからずっと時代を下った昭和初期に、サナトリウムができたそうです。それで多くの結核患者が入院したものの、そのほとんどが、結核ではなく栄養失調で帰らぬ人となって、ワンウェ院って呼ばれてたそうです」
そしてその後、廃院となった後は廃墟のままで放置され、あの世につながる穴の開いた、足を踏み入れれば絶対に呪われる心霊スポットとして有名だったという。
「わしらはそんなこと知らんと現場に来てんけどな、病院の解体工事の時から妙なことがよう起こったわ。建機のエンストは日常茶飯事やし、電球の寿命は短いし、変な声は聞こえるし。現場の職人も、なんや元気のうなって、やる気も出んようになって、いつも注意力散漫やねん。せやから、重大とまではいかんけど、軽い事故はしょっちゅうやった。労基には内緒やけどな」
怪奇現象は、廃病院の解体工事が完了して、土地の各種調査後に食品工場の建設が始まってからも続いたという。小規模な事故が頻発したことから、工期は大幅に遅れたらしい。
「でもな、ある時期から普通の雰囲気になってん。何でか知らんけど、ごく普通の現場にな。妙な人影も、走り回る子供の姿も見んようになって、工事も順調に進んで、こんなに立派な工場ができた。あ、そういえばその頃って、みやたけはんところの仕出し弁当を注文するようになった頃やったんちゃうかいな? なんや、そんな気がするわ」
「ははは、うちの弁当は魔除けですか?」
「いや、冗談抜きでほんまにそうちゃうか? よう考えたら、あんたらの弁当食べられんようになった少しの間にも、小さな事故が度々あったんや。職人もなんや元気がのうなってたような気もする。せやけど、先週からまた配達してもらえるようになって、そんなことものうなった。ほんまにあんたんとこの弁当、魔除けちゃうか?」
「はは、まさか。もしそうだったら、僕も元気いっぱいなはずなんですけどね。昼は毎日この弁当を、この先の中学校で食べてるんですから。でも、最近疲れてるのか、なんだかやる気も出ないんですよ」
「お前もかよ。俺なんか変な夢も見るんだぜ。寝不足なのかなあ」
そう言いながら代金を集金袋に入れると、二人は配送車に戻った。そして現場監督や警備員に挨拶すると、配送車は市道に出て、その先にある中学校に向かって走り出す。
さっきまで禍々しい気配に包まれていた工事現場の敷地は、今や清々しい空気で満たされていた。まるで、あの配送車が全ての邪気を運び去っていったかのように。もしや、弁当が魔除けなのではなく、あの二人が聖人なのではないか。そんなあり得ない思いを抱いたことに、現場監督は思わず笑う。
だが、実際のところ、また明日の朝になれば、ここは重い空気に包まれていることだろう。でも、今のように、あの配送車さえやってくれば、全てが浄化される。そんな考えが、頭から離れない。
アカン、アカン。アホなことを考えとらんで、今日も仕事に精出さな。
そう思いながら、監督は少し歩いて歩道に出ると、小さくなってゆく配送車を見送った。