菜食を好む街
今日はちょっと懺悔をしたい。懺悔といっても悪いことをしたわけじゃない。それが結果的に悪い方向に動いたというだけで、私としては100%善意でやったことだったのだ。もちろん、善意、などというものが災禍の温床であることなんてわかってる。善意から出て刃傷沙汰やクーデターに発展することがあることなんて知っている。『相手のためを思って』なんて言うのは偽善であり結局のところ自己満足以上のものではないのだ。しかしそうだからといってあのとき私がやったことが善意の皮を被った悪だと言うことにはならないと思う。あのとき相手はものすごく喜んでいたし、それが見せかけだけのものだったなんてことは絶対にないと思う。もしここで「だが結果的にお前がやったことによってあんなことになったのだ」と反論する人がいたとしたら、まあ何も言い返せない。だけどそれは結果論だ。そもそもあのことによってあんな風になるなんて誰にだって予想できないだろう。それに、仮にあれが罪だったとしても償う相手はもういないのだ。だからせめてここに書いて懺悔とするくらいはしてもいいかと思うのだ。
そのときたどり着いた街は一見したところ他と変わらなかった。ちょっとした繁盛を見せる商店街に、少し離れたところにある住宅街、それに役所や病院などの街を運営するための施設。街を囲む城壁には中に入るための入り口が東西南北に四つ。そのうちの一つである南門から他の街に入るときにやっているような手続きを済ませて中に入ると街の様子が目に入ってきた。しかしどこを見ても特に目を引くものはない。何もないわけではなく普通に建物があるし賑わってもいる。その光景は大抵の街でよく見られるものだったので特に心が動かない。逆に言えば街としてしっかりと機能しているということであり、つまり治安は悪くなくある程度以上の社会保障が成り立っている。怒声は聞こえてこないしちょっとした路地裏を除いても特にホームレスや柄の悪そうな人たちがいるということもない。つまり、平和でいい街なのだ。色々な街を見て回りたいという私の旅の目的から考えれば立ち寄りたい街でもないのだが、この街にたどり着くまでにちょっとした騒動に巻き込まれたものだからこのときはちょっと疲れていた。だから、このときは面白い街であるよりも安心して休める街の方がありがたく、そういう意味ではこの街はタイミングとして丁度良かった。しかしあまり長くいても面白そうではなかったので滞在するのは二日とか三日とかそのくらいで十分だと思った。
どの街についても最初にすることは変わらない。まずは宿を探す。そのついでになんとなく街並みを見る。その過程で面白いものが見つかれば最高だ。そう思ってそこらを歩き回ったのだが、宿も面白いものも一向に見つからなかった。幾らか民家が続くかと思ったら牧場が見えるとか、そこをさらに進むと学校やお店が並ぶ。雑貨屋に入ってみたけれど特に面白いものはなかった。八百屋を見ても特に変わった野菜とか果物は見られない。その辺りでだんだん飽きてきたので八百屋の主人に話しかけてみた。旅人であることを名乗り、どこかいい宿を知らないか?と訊いてみた。すると驚くべき返事が返ってきた。この街には宿は無い、と。じゃあ旅人はどうしているのか、と聞こうとすると向こうが先回りして教えてくれた。
「頼めばどこの家だって泊めてくれるよ。この街の人はみいんないい人ばっかりだからね!そうだ、うちに泊まるかい?」
願ってもない申し出だ。しかし警戒はしておいた方がいい。とりあえず宿代はいくらだろう。
「お金なんていいよ!その代わり、ちょっとだけ旅の話を聞かせて欲しい。この街の人はあんまり街の外に出たがらないんだ。君はこの街に来てそんなに経ってないんだろうが、それでも平和だってことはわかるだろう?犯罪一つ起こらない。病気がはやることもない。強盗とか殺人とかはそれこそ本の中の話だ。だから外に出たいなんて思わないんだ。みんなこの街が好きだからね。でも外の世界に興味はある。その興味に惹かれて出て行く人も本当に少ないがたまにはいる。でもほとんどの人は出ていかない。なんでかっていうと、君みたいな旅人がたまに来て話を聞かせてくれるからさ。聞かせてくれた話はみんなで共有する。そういうお話をまとめる仕事だってこの街にはある。図書館に行ってみるといいよ、図書館にはそういう本がたくさん並んでる。この街では面白い話とか美味しい料理とかはみんなで分け合うんだよ。この街は税金が安いんだが、旅人の話を役所に出すとその年は税金が免除になるんだ。だから、君が私に旅の話をしてくれるだけで私は大いに得することになるんだ。そうだ、今日はもう泊まっていきなよ。丁度ひと部屋だけ空いているし、陽だって落ちかけてる。」
わたしは八百屋の主人の好意を受け取ることにした。確かにもう夕方だし、少し寒くなってきた。家に入る時間帯としては頃合だろう。
しかし、どの街に止まるときでも同じだがある程度は警戒しなくてはならない。人の良さそうな人が殺人嗜好を持っていたりで毒を盛られることがあるし、寝ているときにそのまま縛られて荷物を取られるとか奴隷商人に売られるなんてこともある。ベッドそのものがトラップだってこともある。腰をかけた瞬間にベッドが開いてそのまま下の牢獄まで一直線なのだ。こういうことに関しては相手を油断させるためにこちらが警戒していることを相手に悟られないことが大事なので、相手にバレないように警戒しなくてはならない。直接相手に訊くなんてことは言語道断だ。
が、あらかじめ先に言っておくが、そういうことは全くなかった。ベッドはフカフカで柔らかかったし、掃除はしっかり行き届いていた。トイレは綺麗だったしシャワーも心地よかった。文句があるとすれば食事だけだった。もちろん食事は美味しかったのだが、肉が一切ないのだ。
食事は店の主人と二人でとった。泊めてもらうことの条件として外の世界の話をしなければならないのだがそのための時間をわざわざ設けるということはなかった。その代わり食事の時間が長く、そのとき外の世界の話をした。私がこの時に八百屋の主人に話したようなことは別の機会に書いたのでそちらを読んでもらいたい。ここではさしあたり、私の話に対して八百屋の主人が驚いたり笑ったり疑問を持ったり感心したりと、要するに、私の話は八百屋の主人に大いに楽しんでもらえたということだけわかってもらえればいい。
ところでこの時食べていたのは八百屋の主人がつくった料理だった。オリーブオイルのドレッシングのかかった新鮮な野菜にチーズを豊かに使ったエビドリア、それに角切りの人参と大根が浮いたコンソメスープ。どれも美味しかったし、また食べたいとも思った。これくらいの腕があればレストランのシェフにだってなれるんじゃないかとすら思った。なので率直にそのことを伝えると「ええ、本当かい?」などと疑うそぶりを見せながらもまんざらでもないようだった。上述のように肉がなかったのが少し残念だった。この日は結構疲れていたので肉を食べたい気分だったのだ。しかし料理は美味しかったしお金を払うわけでもないので文句を言うのはおかしい。そういうわけでこの時は「ごちそうさまでした!」とお礼を言って部屋に戻った。部屋に戻ってからは特にすることもなく、疲れていたので休むことにした。既に述べたように罠や襲撃に対して警戒はしていたがそういうようなものは特になかった。
次の日、八百屋の主人と朝ごはんを共にしたあと図書館に行ってみた。八百屋の主人の話ではそこに旅人の話を収録した本が収蔵されているという。疑っていたわけではなく、どんな話が載っているのかに興味があったのだ。その中には私も知らないような話が載っているだろうから今後わたしがどの街に行くかの参考にしようと思ったのだ。それで図書館についた後、司書にその本について訊いたのだが、とても驚いた。数冊程度だと思っていたのだがその100倍以上あった。少し広めの部屋がほとんど埋まる程の記録が保存されていたのだ。書架が規則正しく並べられており、そのどれにも重そうな本がぎっしりと整列していた。全て読み通すつもりできたのだが、とても読みきれるものではない。
しかしそこに書かれているものが全て旅人の話を乗せたものというわけではないらしい。旅人には話が上手い人も上手くない人もいるために常に解釈が付きまとうのだという。単に聞いた話をそのまま載せるだけならばここまで広い部屋は必要はないが、聞いた話に関する解釈を含めるとどうしてもページ数が増えるのだという。「旅人はそう頻繁には訪れないのですけど、この分だとこの部屋はもう1、2年で埋まっちゃいますね。だからそれまでに収蔵室を増設しなければならないでしょう。」司書はそう説明してくれた。しかし、その時は誰も想像できないことだったがその収蔵室が増設されることは永遠になかった。
司書の人に礼を言ったあとその部屋に残り、何冊かを読んでみた。旅人の話自体はあまり長いものではないがその10倍を超える量で解釈が書かれていた。だいたい一冊につき旅人3人分の話が載っていた。もちろん旅人と言っても全員が別々の経験をしているわけではなく、同じような経験や同じ街に行った場合もある。旅人の話は重複している場合があるのだ。その場合はそれ以前に来た旅人の話と比較されながら新たな解釈が付け加わる。ここにある記録を読む人は同じような話を何度も読む羽目になるのかもしれない。そう思ったのだが、しばらくするうちにそれが無用の心配であることがわかった。そこに収められている記録書の大部分は読まれた形跡がほとんどないのだ。あとで司書に確認したのだが、この記録を読みたがる人はあまりおらず、街の人よりも滅多にこない旅人の方がこの記録を読んでいる比率が高いらしい。まあそうかもしれない。八百屋の主人の話では、旅人の話はすぐに街で共有されるらしい。ちょっとした街角や酒場などで噂のように広がっていくという。それを考えるなら旅人の話に解釈が必要だというのも理解できる。伝聞を続けていくと話は歪むからだ。
まあそういう街の事情があるにしても関係なかった。解釈に関する項は全て飛ばしたからだ。わたしとしては旅人の話だけに興味があるのだ。解釈などは私が自分でやればいい。そうやって調べた旅人の話の中には興味深いものもつまらないものもあったのだが、さしあたりとして今後行ってみたい街のリストに行くつか項目が増えたので収穫は十分だった。
図書館の外に出ると既に日が傾いていて景色をオレンジ色に染めていた。もう少し街を見て回りたかったがそれは明日に回そうと思い、わたしは宿、つまり八百屋の主人宅に向かった。
八百屋に着くと主人が笑顔で迎えてくれた。
「やあおかえり!食事はもうすぐできるからね。今日も話をきかせてくれよ!」
確かこの時間帯であれば前日は店が開いていたはずだがその様子はなかった。訊くと、その日の商売は早めに切り上げてわたしのための食事に長く時間を割いてくれたのだという。誠にありがたいことだ。その日の料理は魚介のたっぷり入ったトマトソースパスタであるペスカトーレと、アボカドを添えたトマトサラダ、それにパイ包みの野菜のミルク煮。見た目からしてとても豪勢だったし味は見た目以上だった。パスタの煮込み加減は完璧で茹で過ぎず程よい食感で、そこに絡みつくトマトソースも味が薄過ぎず濃過ぎずで冷えたサラダとの相性が最高だった。それにパイ包みの野菜ミルク煮、この程よく焦げたパイの中に濃厚なミルクに浸された野菜はしばらく言葉を失うほどだった。
「おいおい、美味しそうに食べてくれるのは嬉しいんだがもっと話をきかせてくれよ!」
「すいません、ここまでのものを食べられるとは思っていなかったので。」
しかしそれだけに惜しい。
だから訊かずにはいられない。
「でも、なぜ肉を入れなかったんですか?ここに鶏肉でも入っていればもっと美味しくなるでしょうに。
このパイ包みの中に肉があれば絶対にもっと美味しくなるのに。そう思って、本当になんでもないことのつもりで訊いたのだが、八百屋の主人の反応はちょっと予想外のものだった。
「にく、、、?けいにく?、、、て何だい?」
「え?」
肉。
私は確かに、肉、と言った。
しかし八百屋の主人にはそれが理解できなかったようだ。、、、いや、しかしそんなことがあるものか。多分聞き取れなかったのだろう、そう思ってまた言ってみる。
「肉は肉ですけど、、、。」
「えっと、、、ちょっとわからないな。多分食材のことなんだろうけど、にく、という食材は聞いたことがない。」
なんと、この主人は肉がなんなのかを知らないのだ。前日に続いて肉が食卓に上がらないのはなぜかと思っていたのだがそういうことか。
噂の広がりやすいこの街で肉を知らない人がいるということは、この街の人全員が肉を知らない可能性が高い。であれば、わたしが八百屋の主人に食材としての肉を教えれば街の人全員が知ることになる。ならば教えてあげてもいいだろう。これだけおいしい食事と心地よい部屋を提供してくれたのだ。それくらいの返礼はしたい。わたしを泊めることで八百屋の主人は役所から大きな報酬を得るそうだがそれはわたしが贈ったものではない。わたしはわたしで何らかのお礼をしたいのだ。
そういうわけでわたしは八百屋の主人に一つの提案をした。
「明日の夕食はわたしが用意してもいいですか?そこで肉とは何なのかを教えましょう。」
すると八百屋の主人は、
「おお本当かい?是非ともお願いするよ!」
と、快諾してくれた。
次の日はわたしは一時的に街から出て森林地帯に向かうことにした。確かあそこらへんには兎や猪がいたはずだ。先に見つかった方を狩っていこう。前の日に立てた予定ではこの日も図書館で旅人の記録の続きを読もうと思っていたのだがその予定は潰れてしまった。まあ仕方ない。そう思いながら進んでいくと草葉の陰に赤い鶏冠が見えた。
夕方には必要な食材はすべてそろった。そして八百屋の主人の家にもどり、調理を始めた。まず、森林地帯で狩ってきた鶏を袋から出す。捕獲したときに血を抜いた上で紅茶につけておいたので簡単な下ごしらえは済んでいる。紅茶に漬けるといい感じに渋みが浸透するのだ。これにキッチンにあった調味料でつくったソースを塗って森林地帯で採ってきた香草を刻んで乗せる。これを自分の分と合わせてオーブンに入れて加熱。頃合いを見て取り出すと美味しそうな匂いがキッチンに立ち籠めた。しかしそこまでつくって気づく。この街の人は肉料理を食べたことがない。ということは食べ方がわからないかもしれない。なら最初から切り分けてしまおう。
そうやって用意した料理を食卓に乗せると八百屋の主人は驚きと期待に顔を輝かせた。
「ほほーお、これが肉かい?とてもいい匂いだし、ものすごく美味しそうじゃないか!」
「きっと味は見た目以上です。」
自信を込めて言った。実際に自信があったのだ。というのもキッチンが予想以上に充実していたから私も普段できないレベルの調理ができたのだ。大きめのオーブンに業務用冷蔵庫など、キッチンというより厨房といってよかった。個人宅であそこまでキッチンを充実しているのを見たのは初めてだった。が、なによりわたしがああいう器具を使って料理するのが初めてだったので大いに捗った。オーブンを使える機会なんて滅多にない。そういうわけで八百屋の主人だけではなくわたし自身もこの料理にはとても得難いものになった。
八百屋の主人のリアクションはこんな感じだった。
「おおなんという歯ごたえなのか!柔らかさの中にしっかりとした弾力があってしかも中から旨みの詰まった汁が噴き出してくる、しかしこの汁が熱いにも関わらず口の中が火傷をしないギリギリの温度に抑えられていて舌の上で優しくとろけていく、、、。そしてここに微塵に刻まれた香草が汁と絶妙なハーモニーを奏で(略)」
要するに大絶賛だった。
「喜んでもらえてよかったです。」
「いやいやこちらこそ、旅の話だけじゃなくこんな料理まで振舞ってくれるなんて。、、、でも、にく、って一体なんなんだい?こんなものが生えているところなんて見たことがないんだが。」
どうやら八百屋の主人は肉を野菜か何かと同じように生えているものと思っていたらしい。
「生えてはいませんよ、肉ですから。鶏はわかりますよね?」
「鶏、てあの朝に鳴く鳥のことかい?」
「はい。鶏が今日食べた肉です。」
「???どういうことだい?」
「ええと、まず鶏の首を切って血を抜いて、」
と調理法を一通り説明するとようやく、
「ああ、にく、というのは要するに動物のことなんだね!」
得心がいったようだった。
どうやらこの街には食用の動物という概念がないらしく、鶏は卵を産む鳥、牛はミルクを出す哺乳類などという扱いらしかった。この街に来た時に牧場を見かけたので普通に食用として牛を飼っているのだと思ったがそうではなくミルクを得るために飼っているのだという。
「鶏以外にも牛や豚、馬なども美味しいですよ。動物ごとに味の癖があるのでそれぞれに応じた調理法がありますが。」
と鶏以外の肉を教えると八百屋の主人は大いに感動したようだった。
そしてこの街に着いて三日目、旅を再開することにした。疲れは十分に取れたしもう十分だろう。八百屋の主人に街を出ることを伝えるとひどく残念そうな顔をした。
「もう少しいて肉について色々教えてくれないかい?」
しかしわたしは、
「それは次に来た旅人に訊くといいと思います。肉を食べるのは外の世界では普通のことですから。」
と謝絶した。
街を出る時、遠くから香ばしいいい匂いが漂ってきた。門番はこの匂いにうっとりとした表情をつくり、
「ああ、あれが肉の匂いなのか、、俺も早く食ってみたいなあ、、、。」
などと言っていた。前日に八百屋の主人に教えたばかりなのにもう街のはずれにまで伝わっているとは!きっと数年後にこの街は肉料理の盛んな街になっているに違いない。その頃にまた来てみよう。
その数年後である今日、わたしはその街を探していた。が、一向に見つからない。結構探しているのに。ちょっと疲れてきたせいか、思わず独り言が漏れる。
「おかしいな、だいたいこの辺だったと思うんだけど。、、、でもなんでこの辺て崩れた壁みたいなオブジェがたくさんあるんだろ?」
「知りたい?」
と後ろからいきなり声をかけられて驚き振り返る。
「おおう、誰だ!」
わたしに声をかけたその人物は、「ああごめんごめん、驚かせる気は無かったんだ。」と謝った。服装とか荷物を見る限り旅人に違いないがあまり強そうではない。万が一襲いかかられたとしても返り討ちにはできるだろう。いい人そうな雰囲気を出しているのでそういうことはないと思うが一応警戒はしておく。その人物は警戒には特に気を留めずに話を続ける。
「さっきあんた言ってたじゃん、なんでこの辺は崩れた壁みたいなのがたくさんあるのか、て。」
確かに言った。
「それで?」
「ここにはもともと街があったんだ。」
どうやらその人は色々と事情を知ってるみたいだった。
まず、この辺にある崩れた壁みたいなのは実際に崩れた壁で、もともとは城壁だったという。そしてその城壁に囲まれて街があった。だが今は壁の残骸だけがあり他には何もない。つまり、ここは廃墟だってことになる。
「どんな街があったか知ってるんですか?」
「知ってるさ。結構嫌な記憶としてね。ほぼトラウマなんだけど誰かに聞いて欲しいんだ。」
「教えてくれますか?」
「もちろん。」
そう言ってその旅人は回想を始めた。
もともとここにあった街はものすごく平和な街で治安も良く文化水準もとても高かった。本屋や学校、役所や病院まであって、電気も通っていたらしい。それらの文化は彼らが独自に発達させたわけではなく、時々やってくる旅人からもたらされる情報を元に自力で発達させたという。だが情報源が偶然に頼りきりな分、発達はかなり偏って歪んでいた。例えばその街では菜食がメインで肉を食べるという習慣がなかった。
そこへあるとき訪れた旅人が肉食の存在を教えたのだが、その教え方が中途半端で、それが良くなかったらしい。街の人たちはまず教えられた鶏肉から手をつけ、次に豚肉、そして牛肉に馬肉、そこから発展して猪や兎、犬や猫にまで手が伸び、そこから人肉にたどり着くまで時間はかからなかったという。
長らく菜食とちょっとした乳製品しか知らなかった彼らには肉というものの魅力は抗い難かった。牛や馬などの家畜を殺しつくすのに時間はかからず、街とその周辺から哺乳類が消えた後はすぐに人間に手が伸びた。
殺して食うのならまだマシな方だった。ある時点から、肉は生でも食える、ということを発見した者があり、人肉を生のままで、それも生きたままで食べるのが一番新鮮だという考えが共通認識となった。長く菜食文化だった弊害がそこに現れた。野菜も生のまま食べるのが一番美味しいからだ。そしてその認識にたどり着いた後は地獄絵図そのものだった。大人も子供も男も女も誰もが相食み倒れていった。最後には体力を使い尽くした数人が残ったが、その全てが食中毒で苦しみながら死んだ。病を患った人の肉は有毒でありそれが食中毒として現れたのだ。
その街の建物がここに一件も残っていないことには理由があった。なま肉が新鮮だという考えにたどり着いた後に、わずか数人は、焼いた方が美味しいに違いない、という考えにそれぞれ独自にたどり着いた。しかし焼くのなら殺した後に焼いても生きたまま焼いても同じこと、どうせ食われた相手は死んでしまうのだ。ということで家屋に次々と火を放った。家ごと焼こうと考えたのだ。しかし幸か不幸か、家ごと人を焼こうと考えた少数は自らはなった火で崩れ落ちた家屋に押しつぶされて死んだ。住民が全滅した後でも火は消えずにあたりの建物を燃やし尽くした。城壁は石でできていたが外敵に備えた爆薬が着火して爆発によって崩れた。
そこまで聞いて一つ疑問が浮かんだ。
「なぜあなたはそれを知っているんですか?」
「そのときたまたまそこに居たんだ。」
その旅人は再びその回想を続けた。
城門で手続きを済ませて数歩いくと奥から悲鳴とも唸りともつかない声が渦巻いて聞こえてきたのだという。一体なんなのかと街路の奥の方を見ていると数人の集団が互いに殺しあったり首筋に歯を立ててたりして秒を追うごとに血だまりが広がってきたという。そしてその空気はものすごい速度で近づいてきた。このままそこに居たら死ぬ、と本能で理解したのですぐに振り向いて、今入ってきたばかりの城門に向かって全力で走った。門番は咎めるように声をかけてきたが無視。全力で森に逃げ、しかし気になるので高い木から望遠鏡で覗いていたという。
「あそこまで怖い思いをしたことはなかったね。ドラゴンと遭遇したことがあるんだけどその時よりもずっと怖かった。」
(了)
時雨沢先生リスペクト。
結果的に似てる気がするのですが2次創作のつもりは全くないのです。