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093.別腹の蠢き

 アデランテの私室の隣に、堂々と両開きの扉がそびえ。ハッと我に返っても臓書の主は見当たらない。

 恐る恐る取っ手を引いてみるが、ガチャンっと音を立てるだけ。何度試しても開く事は無く、やはりウーフニールを探す他ないのだろう。


「ウーフニール!……どこにいったんだ?まったく…」


 声を掛けてみるが姿もなく、不貞腐れながら扉に寄り掛かった瞬間。預けた身体はそのまま吸い込まれ、為す術もなく背後へ倒れ込む。

 反射的に受け身を取れば素早く扉を一瞥するが、どうやら内開きだったらしい。引いても開かない絡繰りを理解したところで振り返るや、再び目が点になった。



 視界の端まで映り込んだのは、身の丈を遥かに超す何百何千と並ぶ書架の列。天井端には3つの階層が突き出し、それら壁一面も本棚がびっしり覆っている。

 入口も船首のように床が伸び、手すりから身を乗り出しても地平線が見えない。

 

 設けられた柵も風情のある木材調で、一体どこの宮廷に足を踏み入れたのかと。いまだ現実も追いつかないまま、支柱の無い螺旋階段を降りて行けば1階へ到達する。

 書架に触れないよう通路を進むが、キョロキョロ見回しても書物しか見えない。


 だが歩く程に景色も変わり、書籍以外の展示品が否応なく注意を惹いた。


 そこに佇むのは石膏で出来た人の鏡像。ガラスケースに入れられた獣や魔物の剥製。

 前者は1人として見覚えはないが、後者は驚く程脳裏に鮮明に浮かぶ。


 摂り込んでいない物まで佇むのは、恐らく誰かの記憶から抽出されたのだろう。展示品が如き様相に心を奪われ、やっと移動しても新たな発見がまた足を留めた。



 何から見ていけば良いのか。


 何から触れていけば良いのか。


 誘惑に一帯を右往左往し、一旦気を鎮めるべく瞳を閉じた時――。



【――…何をしている】


 腹底を這うような声が轟くと同時。振り返れば視界全てを無数の眼玉が覆い、思わず後退すれば背後の石膏にぶつかった。

 展示台から落ちた瞬間に掴み上げ、慌てて元の場所へ戻せばホッと胸を撫で下ろす。


 しかしそれまでの興奮も相まって、鼓動はバクバクと鳴り続け。一向に落ち着かないながらも、溢れ出した数々の疑問を尋ねる時間が惜しかった。

 息切れに眩暈まで覚えそうだったが、意を決して振り向けば、背後に佇むウーフニールをキッと睨んだ。


「音もなく背後に回り込むのはやめてくれって前にも言ったじゃないか!危うく誰かも分からない高そうな像を壊すところだったろ!?」

【像に価値はない】

「えっ、そうなのか?…でもさっきも言ったように、人の後ろにいきなり現れるのは…」

【貴様が侵入した時よりずっと背後にいた】

「嘘だろぉ!?……そもそもココはどこなんだ?書庫に入りきらなくなって、拡張工事でもしたのか?」


 ウーフニールと会ったからか。途端に気持ちも落ち着けば、改めてアデランテを取り囲む異変を指摘する。

 だが予想に反して答えはなく、不気味に膨れ上がった黒い液体は沈黙を貫いた。


 無数の眼は縦横無尽にギョロき、アデランテを映すのはその内1つだけ。思わず手を伸ばせば鏡像もまた同じ動きを見せ、あと少しで指先が触れ合う時。

 瞳を細めたウーフニールにすぐさま身を引き、直後に彼の声が響き渡る。


【…臓書に納められし記憶は喰らった者に限られる。だが“この場”では貴様が眺め、触れ、味わい、嗅ぎ、聞き、感じた全ての記憶が保管されている。ウーフニールの肉体を奪いし日より得た物全てが】

「……私が、体験したもの…ぜんぶ?」


 いざ伝えられても要領を得ず、ぎこちなく首を動かせば改めて周囲を見回す。


 臓書の収納量はあらゆる国の書庫を凌駕すると自負していたが、一方で所狭しと並ぶ書架は、巨大な資料室の印象が強かった。

 書物も全体的に古臭く、それがまた空間全体に味わい深い雰囲気を漂わせていた。



 しかし臓書が“過去の収納庫”だとすれば、この場は“最新の情報”を取り入れたかの如く。書架に収まる背表紙も全て豪華に装丁され、下手に触る事も憚れる。


 いまだ雰囲気に馴染めないと言うのに、突如ウーフニールが動き出せば。本棚に掴まりながら移動し始めた。

 慌てて彼を追えば通路の奥へ移動し、幾度も曲がり角を越えていく。もはや自力で入口に戻る事も叶わず、出来る事はぴったりウーフニールに寄り添う事だけ。


 移動速度もかなりの物だったが、過ぎ行く展示物もまたアデランテを魅了して止まない。

 

 ガラスケースの標本はもちろん、無数の小さな引き出しを収める大きな棚。

 縦、あるいは横幅のある引き出しがずらりと並ぶ区画。

 長紙や巻物が収納された仕切りのない棚。

 装飾された小箱の周りに、掌サイズの型紙が差し込まれた陳列棚。

 下から上まで小瓶がぎっしり詰まった収納棚。


 その1つ1つに触れ、聞き。答えを得たいというのに、管理人が速度を落とす気配はない。

 名残惜しそうに展示品に別れを告げるが、突如静止したウーフニールに激突する。思わぬ弾力に身体がめり込み、そのまま床へ滴るように倒れ込んだ。


 すぐに身体を起こしたが、余所見していたのがバレたのだろう。ギロっと見下ろしてくる視線に喉を鳴らし、慌てて顔を逸らす。

 同時に辿り着いた空間を見回すが、いまだ書架の大迷宮からは抜けていない。


 前後は通路。左右は高くそびえる本棚。

 覚えのある感覚と光景に立ち上がり、無意識に棚へ手を伸ばせば、パラパラと本をめくっていく。


 活字だらけのページは飛ばし、慣れた手つきで挿絵を探していた矢先。ふと指先を乱暴に止めれば、目的の絵に目を見開く。

 楽しそうに釣りをする光景には憶えがあり、さらにページをめくれば挿絵を凝視し。記憶を掘り返さずとも、気付けばその名を口にしていた――。


「――…ダニエル、か?」


 つい先程までオルドレッドから聞かされていたからだろう。

 まるで死者と対面した衝撃に囚われるも。すぐに本を持ち替えて新たな挿絵を探せば、それほど時間を掛けずに行き当たる。

 やがて確信を覚えた頃に表紙を閉じ、くるっとウーフニールに向き直った。


「…“私が”見聞きした物全部、か。挿絵ばっかなのはそういう事だとして……遺書を作る時こんなに読んでたか?」

【記憶の追体験も含まれている】

「なるほどな…ウーフニールが読んだ分はココにないのか?」

【皆無】

「……つまり、書庫にある本を全部読めば、消えずにこの部屋で収納され続けるって事か!?」

【全てを…貴様が?】

「考えなくとも非現実的な話だったな。忘れてくれ」


 早々に思い付いた案も、臓書の広大な階層が浮かんですぐに首を横に振る。それから意識を現実に向ければ、見渡す限りのダニエルの人生が――。 

 少なくとも臓書で読んだ物。追体験した分の記憶が、アデランテを所狭しと取り囲む。


 ウーフニールにはいつも驚かされてばかりだが、ふとオルドレッドも。

 そして彼の両親も。アデランテと同じように、本棚が頭の中に置かれているのかと疑問を覚えた。



 この場所に本棚があり続ける限り、ウーフニールが忘れる事は決して無い。だが常人ならば時の流れと共に、広大な空間に取り残された本棚の場所を見失うのだろう。

 本の内容も色褪せ、確かにあったはずの触れ合いも。やがて形のない想いだけの存在に取って代わるのかもしれない。


 チラッとウーフニールに視線を戻せば、不定形の黒塊は書物を次々手に取っていた。恐らく挿絵ばかりだからか、物足らない様子で眼を細めている。



 もしかすれば彼もかつて誰かと触れ合い。

 そして忘れられ。

 形のない存在になってしまったのではないか。


 呆然と彼を見つめ、無意識に伸ばした手を寸での所で引き戻す。それと同時に巨大な瞳が、ギロリとアデランテを睨みつけた。


【どうした】

「な、なんでもない……ところでこの部屋はカミサマの報酬とやらで貰ったのか?そこらの屋敷なんか目でもないくらい立派だけど」

【始めから存在していた】

「……さいしょから?」

【ウーフニールの肉体を奪いし日より得た物全て、と伝えたはずだ】

「…奪われて……って、私と初めて会った日からって事か?なんでもっと早く教えてくれなかったんだよ!?」


 僅かに呆けていたのも束の間。烈火の如く怒りを露わに、掴みかかる勢いでウーフニールに迫っていく。

 もっとも彼はいつもと同じく、無数の眼をギョロつかせるだけで意にも介していない。


「そもそも見聞きした物ぜんぶって、どこまでが含まれてるんだ!?」

【言葉そのままの意味だ。貴様の認識に関係なく、五感を媒介に得た情報全てが記録され続けている】

「…なら私が一瞬でも視界に入れた物とか、聞いてもない他の連中の会話とか耳にしてたら、その内容が全部この部屋に残されるって事か?」

【認識に相違はない】

「相違はない…じゃないだろ!お前の事は前々から凄いって言い続けてきたけど、この部屋は本ッッ当に凄いんだぞ!?もし最初から教えてくれてたら、興味も無いような場所でもしっかり探索したり…」

【したのか】

「しないけどッ、それでも人からもっと話を聞き出して情報量を増やしたり…」

【したのか】

「できないけどッ、あとは書庫の本を読み漁って残せるだけ記憶を……コッチは無理だって結論が出たんだったな…とにかく何でもっと前に教えてくれなかったんだ?」

【貴様が臓書を訪れた時の行動を思い出せ】


 ウーフニールを尋問していたはずが、逆に押し返してきた瞳が鼻先に迫っていた。

 勢いに気圧されるも、彼を抑えながら指摘された過去を懸命に掘り起こす。



 最初に訪れたのは、ダニエルの遺書を作るためだった。そのために奈落へ堕とされ、書架の狭間で目覚めれば黒い怪物と遭遇した。

 最初はウーフニールだと気付かずに半狂乱で逃走し。棚の書物を全てぶち撒けて距離を稼いだが、結局彼に捕縛されてしまった。


 しかし事態を呑み込めた後も犬の如く駆けずり回り、厳粛な書庫を台風が直撃したように暴れていた記憶が鮮明に浮かぶ。


「……もしかして初日に私が騒がなければ、最初から教えてくれるつもり…だったのか?」

【想像に任せる】

「…ウーフニールに追われた件はともかく、急にあんな景色を見せられたら、興奮しない方が無理な話だと思うけどな……ほかに私の知らない秘密の隠し場所があったりしないか?」

【皆無】

「大人しくするって約束するからさ」

【無いものは無い】

「本当だろうなッ!?」

【うるさいぞ】


 執拗に確認するアデランテを諫め、やがて落ち着いたところで本棚に目を配る。

 ようやく臓書へ引き込まれる前に尋ねた問いが答えられ、今やその真っ只中にいた。


 途端に浮かぶ案にアデランテが口元を覆えば、ウーフニールが憂鬱な唸り声を零す。


 彼女の仕草が面倒事を起こす狼煙であった事を、きっと誰よりも心得ていたからだろう。

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