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092.眠り姫

 等間隔に並ぶ街灯と暗闇を跨ぎ、1つの人影が夜道を歩いていく。 

 地に着く足も当然1人分だけだが、揺れる頭は2つ分。腕も4つの歪な影に目を凝らせば、人が背負われている事に気付けるだろう。


 時折フラついて見えるのは、ひとえにオルドレッドの吐息が首筋に掛かるため。

 押し当てられた胸が、背筋を艶美になぞるゆえ。


 その度にアデランテも身体の芯が疼き、振り子のように傾く彼女に踊らされる。

  

「…くッ、前に背負った時はこんなに動き回らなかッふわわぁッッ……!!ん゛んッ、フードを被ってるのに、何で息が掛かるんだ?」

【覆いの着心地に苦言を呈した貴様に合わせ、着用感の認識を阻害したがため】

「……よく分からないけど、とりあえず分かったぉぉおぅふッ…」

【うるさいぞ】


 オルドレッドが身じろぐや、背中を抉るように乳房が波打つ。下腹部から込み上げた微熱が脳まで達するが、刺激にも僅かだが慣れてきた。

 日頃の“しごき”の賜物か、そうでもなければ今頃は腰が抜けていたかもしれない。

 

 幸い周囲にも人はおらず、時に路上で寝転がる冒険者を見かけるだけ。彼らもアデランテたちに見向きもせず、またオルドレッドに取っても幸運な時間帯だったろう。


 街と夜風を独り占めしつつ、やがて彼女の宿泊先“ホワイト・バラック”に到着するや。階数や外観はアデランテの宿よりも高価そうで。

 木彫りの表看板も金を掛けているのか。新人冒険者がまず近付かない雰囲気の中、気後れせずに肩で扉を押し開けた。


 そのまま広いロビーに踏み入れると奥に階段が見え、手前に設置されたカウンターには40代半ばの女店主が。

 深夜に訪れた挙句、マスクにフードの出で立ちのアデランテを鋭く睨む。だが背負ったオルドレッドを見るや、顔色を変えてカウンターから飛び出してきた。


 それから心配そうに彼女を揺するが、恐らく酒の匂いがしたのだろう。熟睡するオルドレッドに顔をしかめ、ふと腰に手を当てた店主がアデランテに注意を向けた。


 一般人とは思えない眼光で頭からつま先まで。観察するように睨んでいた彼女も、やがて納得したように頷くや。すぐに受付へ戻ると鍵束から1本のカギを投げてきた。


 咄嗟に顔を上げてマスクを外し、口で咥えた反射神経に。何よりも自身の迂闊さに店主も目を丸くし、反省するように肩をすぼめた。

 それから気を取り直すように部屋の奥を指差せば、再びデスクワークに戻っていく。

 無事に入場許可を貰った所でオルドレッドを背負い直し、寝静まった宿を進めば床がミシミシ軋む。閑散とした木目調の廊下や階段を通過すれば、やがて歯で読み取った“508号室”の前で屈み込んだ。


【503】


 鍵穴に差し込む直前、ウーフニールの訂正にそそくさと別の扉へ移動する。そしてカチリと顔を器用に回せば、オルドレッドがずり落ちる前に扉を開いた。

 2人分の隙間に素早く滑り込み、直後に勢いで振られた彼女を前に抱えれば、背中で静かに扉を閉める。


 ようやく人心地が着いたと思ったのも束の間。アデランテを出迎えたのは1人で使うには広すぎる部屋で、持て余した空間に身震いする程の冷気が吹き溜まっていた。

 生活臭も一切しないながらも、窓を基点に視線をズラすと壁際に寄せられたベッドに赴く。


 そのままオルドレッドを慎重に降ろすが、首に絡みつく腕がアデランテまで引きずり込み。押し潰さないよう咄嗟に突いた手も、寝ているとは思えない剛力に引き寄せられる。



 しかし背筋が突如疼くや、甘い声を洩らした拍子に力が抜けてしまう。

 為すがままにオルドレッドに覆い被さり、その間も切ない衝動の逃げ場を求めてシーツにしがみつく。

 艶美な肉体に自らの身体も押し付け、やがて一際大きな波が押し寄せた途端。悶えながらも身体が縮み、抱き着いていたオルドレッドの腕も最後は自身の胸を抱え込んでいた。


 それからモゾモゾと。オルドレッドの胸が微細に揺れ、谷間からゆっくり蛇が這い出した。

 眠れる美女を睨みながら舌をちろちろ出し、脱出の続きとばかりに移動を開始。尾は腹部の上でのたうち、長い身体は首筋をすり抜けていく。


 道中で艶かしい吐息をオルドレッドが零すが構う事はない。ようやく大部分が床へ到達すれば、最後に残った尾は舐るように。

 左右へ揺れながら這えば、動きに合わせてオルドレッドが悶える。


 胸の谷間。首筋と順繰りに昇っていき、やがて尾が顎筋を撫でた刹那。

 ひと際激しく痙攣したオルドレッドに跳ね飛ばされ、ベタリと尾が床に落ちた。とぐろを巻けば全身が鮮やかに彩られ、徐々に人の形を模っていく。

 それから身体を抱き竦めたアデランテが姿を現すが、その場から動く事はない。痙攣するように全身が震わせ、ようやく落ち着けば身体を気怠そうに起こした。


 まるで寝起きのように。あるいは酒に酔った蛇のように目は惚け、力無く窓辺まで這って行けば椅子に登って腰を下ろした。


「……長い1日だった」

【貴様が撒いた種だ】

「…ははっ、返す言葉もないな」


 空笑いでウーフニールに応じるも、程なく身体の痺れが抜けたところで、オルドレッドにゆっくり歩み寄った。

 気持ち良さそうに寝息を立てる彼女を見下ろし、ベッドの上で一層強調される豊満な身体に手を伸ばす。


【衣服を脱がせばより効果的】

「…なにがだ?寝汗を掻くからって意味か?」

【篭絡。既成事実】

「ッッだから落とす気はないって言ってるだろ!?」

【一糸纏わぬ姿で何を吠えている】

「えっ…おい、私の服ッッ…」


「う~ん……」


 思わず大声を出しかけるや、うなされるオルドレッドに慌てて口をつぐむ。

 すぐさま距離を取ったが、身じろぎするだけで起きる気配はない。ホッと胸を撫でおろし、それから毛布を掛けてやれば気持ち良さそうに顔を枕にうずめた。


 その様子に微笑み、踵を返した時――。


「――…んっ…ダニ、エ…」


 ピタリと足を止め、チラッと彼女に振り返る。


 安らぎを見出したのも僅かな間だけで、悪夢でも見ているのか。寝つきが悪そうにオルドレッドの顔が歪む。

 苦しむ彼女をしばし見届け、やがて振り切るように歩き出して再び椅子に座った。そのまま深々ともたれかかれば、もはや装備を着直す気力も起きない。

 呆然と窓の外に視線を移すと、誰もいない表通りを眺めながら数刻前の出来事を遡った。



 飲食店の支払いは結局自腹で。昇級祝いも殆ど溶けたところで、宿代の確保に明日は是が非でもギルドに赴く必要がある。


 だというのに気持ちはいまだ濃霧に沈み、両頬を叩いても起爆剤が足りない。

 重々しい溜息を思いきり洩らせば、ふいに腹底で唸り声が上がった。


【何故部屋に留まっている】

「…今日はココで一泊するつもりなんだ。起きたら絶対に支払いの事で私らを探しに来るだろうから、それで目立つよりは部屋に残って全部済ませた方が良いだろ」


 窓に映る月明かりを見つめる間も、同居人が声にならない不満を零す。それが彼らしく思えてクスクス笑みを零せば、改めて“寝床”の座り心地を確かめた。

 前後に身体を揺らしてみたが、良くはないが悪くもない。いっそ床で寝るべきか検討しつつ、1人で寝るには大きすぎるベッドを一瞥する。


 直後にオルドレッドの頬を涙が伝い、反射的に目を背けてしまう。


「…記憶が消えるのも、全てが悪ってわけじゃないのかもしれないな」

【な ん だ と】

「そう怒るなって。自我を失うレベルの話をしてるんじゃなくて、もっと断片的な事だよ。辛い記憶や、その時に感じた想いとか全て忘れてしまえば、どれだけ楽になるんだろうなって…私も他人事ではないしな」

【……全ての生ける者は積み重ねた経験則に基づき、思考し、行動し、己が生を歩む。それが例え悪と貴様が定義づける生き様であろうとも、残る結果のみが生きた証であり、記憶でもある。記憶なくば今の己は偽りでしかなく、本来あるべき者には永劫なれない】

「…急に難しい事を言われても反応に困るんだけどな」


 励ましてくれたのか。

 それとも説教されたのか。

 頭に入ってこない内容に理解を放棄し、椅子の背をギシっと鳴かせる。

 

 1日を終えた今、もはや眠る以外にやる事はない。瞳を閉じて就寝を試みるが、オルドレッドとの会話が執拗に記憶を揺り起こす。

 


 瀕死のダニエルをウーフニールの空腹を満たすため。もとい自分の記憶を守るために摂り込み、一方的にした約束でオルドレッドを救出した。

 それからは彼女の様子を陰ながら。時に大胆かつ慎重に、贖罪も兼ねて見守り続けている。


 当の本人もいまだダニエルを忘れられず、酒瓶を振り回しながら付き合いの長さを語っていたが、恐らくオルドレッドは間違っている。

 実際の知識量ではアデランテに。ウーフニールに決して遠く及ばず、しかしその記録も今や山賊に上書きされてしまった。


 臓書を登った13階からの景色を思い出し、次の訪問を密かに楽しんでいた最中―…。

 

「――ウーフニッ!……ウーフニール。起きてるか、ウーフニール…ッ」


 椅子から飛び起きる勢いも束の間。慌てて音や声を抑えると、オルドレッドを素早く一瞥する。

 幸い深い眠りに誘われたまま、起きてくる様子はなかった。 


【どうした】

「うぉあっ!?…あぁ、ウーフニール。実はな……あれ。私から話しかけたのか?それともお前からだったか?」

【用向きは無いものと判断する】

「その反応だと私からだな。ちょっと待ってくれ、今思い出すから……そう、ダニエル。ダニエルだよ!」

【それがどうした】

「ウーフニールが記憶を求めるのは、お前がお前であるためだろ?腹が減れば食べるように、書庫が…記憶が消えてしまうから……でもお前はダニエルの事を、考えてみればオルドレッドの事さえ覚えてるんだよな」

【男の名をようやく語れた貴様に記憶力の有無を問われる筋合いはない】

「酒の席であれだけ連呼されたら流石にな。多分しばらくすればまた忘れる…って違う違う。話を逸らさないでくれ。私が言いたいのは、オルドレッドを喰っ…摂り込んでもないのに、お前は彼女の事を覚えてる。ダニエルの記憶も書庫から消えたのに、今でもはっきり覚えてる……どうしてだ?」


 オルドレッドを窺いながら小声で問うが、ウーフニールからの返答はない。


 言葉を選んでいるのか。

 話したくないだけなのか。

 読み取れない思考に2度の声掛けも憚られ、思いつきを深く追求するつもりもなかった。


 再び椅子に深々と腰かければ、睡魔を待って瞳を閉ざす。すでにウーフニールへの問いかけも忘れ、意識は翌朝の行動に向けられた。


 まずは朝食を取り、一文無しで仕事を受けるべきか。

 それとも今日の夕餉の食事量を鑑み、食べずにギルドへ直行するか。

 あるいはいっそ臓書で食べてからギルドに向かうのも良いだろう。



 大まかに予定を組んだ所で満足するが、ふいに光が差し込めば顔をムッとしかめた。まごまごしている間に、朝を迎えてしまったのかもしれない。

 考えてみればオルドレッドが起きるまでは部屋を離れられない手前。臓書でゆっくり過ごそうと何も問題は無いはず。

 その前にオルドレッドの様子を窺うためにチラッと。軽く一瞥したつもりが、そこに彼女の姿は無かった。


 むしろ寝ていたベッドもなく、代わりに見慣れた螺旋回廊と書架がアデランテの視界を占めた。

 慌てて飛び起きれば椅子もソファに変わり、頭上の天窓からも明かりが差し込んでいる。


 唐突な招待に戸惑ったものの、僅かな迷いが急速に膨れ上がったのは、見慣れない巨大な扉が正面に佇んでいたからだろう。

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