091.宴も酣
「ほんっと、私ばっか苦労を背負わされるのよ!分かる?分かるわけないわよね!ほんっと長生きなんてするもんじゃあないわっ!!」
「……あ、あぁ」
空瓶がカウンターに並び、大半の酒がオルドレッドの喉に流し込まれていく。幾度も試みた制止はとっくに振り切られ、アデランテはもはや案山子同然。
風に揺られるように相槌を打ち、着崩した彼女の衣服を隙あらば正していた。
「んっ、んっ、んっ……ぷっはぁぁぁーーーっ!!まったく。マニュエラもアルバートも、私の気も知らないで、ぐいぐいダニエルを押し付けてきて。恋愛感情なんてパーティの足並みを悪くするだけだって何度言っても聞かないし。ディジーなんかも普段はむっつりして、俺関係ないですって態度してるくせに、知ってるのよ?いつもいつもコッソリ様子を窺って、何かある度に肩震わせて笑ってて…」
「賑やかなパーティだったんだな」
「ダニエルもダニエルよ!あいつらに好き放題言わせておいて、中途半端な態度ばっかとって、そのくせ顔がすぐ赤くなるのよ。ボッ!って感じで!そうしたら皆で私の方見てニヤニヤして…ほんっと、やってられなかったわっ。魔晶石は爆破用だって何度言わせれば分かるのよ!」
カウンターを叩きつけ、さらに酒を飲むペースが早まっていく。
しかしこのままでは魔物退治よりも先に、アルコールで溺れ死んでしまいそうで。それこそダニエルに顔向け出来ない最期のはずが、今のオルドレッドに言葉は通じない。
早急に対策すべく瓶を遠ざけ、代わりに水をソッと配置してみる。無味無臭の飲料を例に漏れず彼女は飲み干すが、違和感を訴える事はなかった。
もはや飲めれば何でも良いのだろう。試しにノンアルコールを並べても、手に触れた物は片っ端から呷っていく。
やがて容態も落ち着き、フラフラしていたオルドレッドが「トイレ」と一言。しゃっくりを上げながら呟けば、ゆっくり店の奥へ去って行った。
ドアノブを開けるのに苦労していたが、幸い数分で扉は開き。束の間の静寂にホッと一息吐いた。
「……今のところ、予想の斜め上を一直線ってところだな」
【見捨てろと何度警告させる】
「話せば少しは気も楽になると思ったんだけどな。そもそも私と同じ物を飲んでたんじゃなかったのか?酒なんて頼んだ覚えはないぞ?」
【初期の注文に酒気を検知】
「桃のジュースにか?……まぁ、それで胸の内を曝け出せたなら結果良し、なのかな」
溜息混じりに残った酒をサッサと飲み干し、シャッターを上げて次々空き皿を押し込む。見えない店主に続けて追加の水を注文すれば、机も拭いて来た時と同じ状態に戻した。
元々彼女を食事に誘うつもりで待ち伏せていたが、幸いオルドレッドから先に誘いがあり。その際に愚痴を吐いてもらって、何か抱えていれば解決に当たる予定だった。
だが辛うじて脱衣は防げても、泥酔した彼女にこれ以上何を話されるのか。
すでに同じ内容を3周は聞かされ、かと言って新たな切り口も浮かばない。いっそ5周目に入ったところで会計を済ませ、宿にでも送ろうと考えていた矢先。
カチャリ――と、奥の扉が開かれる。
視線を移せば覚束ない足取りのまま、隣へ転がる勢いでオルドレッドが腰を下ろした。
褐色の肌でも分かるほど頬は上気し、もはや体力の限界なのだろう。背中を支える間に水を口に運び、少しずつ彼女に与えていく。
その度に喉が弱々しく上下に動き、ふと見覚えのある光景に記憶を巡らせた。
それから浮かんだのは負傷兵の看護で。危うく溺死させかけた苦い経験に、オルドレッドの首とグラスの傾きを絶妙に調整する。
やがて大きく鳴らされた喉を合図に水を離すや、ぐったりアデランテに寄り掛かってきた。
「……ダニエルの夢を見たの」
重苦しく、捻り出すように。
ようやく紡がれた言葉に耳を傾ければ、オルドレッドはさらに頬を擦り寄せてくる。
「隣にいたはずなのに、少し目を離した隙にいなくなるの。1回や2回なんてものじゃなくて、何度も。何度も。同じ夢を見てしまうの…そうしたら無性に1人でいるのが不安になって……」
服を指先で摘ままれ、ソッと肩を抱き寄せてやれば胸に頭を埋めてきた。
酒池肉林を繰り広げてなおオルドレッドの甘い香りは健在で、火照った身体の温もりも伝わってくる。
抱いた肩も壊れそうな程柔らかく、心地良い沈黙と互いの息遣いが店内を満たした。
しかし注文もせずに、何時までも店に留まるわけにもいかない。彼女に退席を促すつもりが、自然と零れた言葉は全く異なるものだった。
「――…君は、ダニエルのことが…」
「……うん…好きだった。皆といるのも、楽しかったわ……ねぇ、あなたにも大切な人は…いるの?」
「決して多くはないがな」
アデランテの呟きにニコリと笑みを浮かべれば、さらに頭を押し付けてくる。気付けば脇に腕を回され、完全に身動きを封じられていた。
「実の弟だと思って接してたつもりだったのに、どこで間違えたのかしら。寿命も違って、好きになれば置いていかれて悲しむの……分かり切ってたのにね」
「寿命が違ってもお互い死ぬ時は死ぬもんだ。もしかしたらココに座っているのは今頃君じゃなく、ダニエルの方だったかもしれな…いや、彼なら手遅れだと分かっていても魔物の巣に飛び込んだろうな……あ、あくまでも君の話を聞いた上での私の考えだがッ」
「うふふっ、私もそう思うわ…でも、いざいなくなると…いつの間にか男として見てたんだなって、いやでも気付いてしまうものね……こうやって人に触れるのもダニエル以来よ。あなたほどじゃなかったけれど、彼も身体は…がっしりしていたの」
そう告げつつ、一層身体を預けてくるオルドレッドをゆっくり見下ろす。
普段は刺々しさを見せる顔つきも今や完全に蕩け。眺めているだけで安堵を覚える姿に、内側から蝕んでいた罪悪感も徐々に溶けていく。
それと同時に無防備な姿を晒すだけ信用されている事実が嬉しくもあり。だが密着した上半身からは、弾力と柔らかさを兼ねた胸が押し付けられる。
同性ながら目のやり場に困り、静まり返った空間に互いの鼓動が喧しく耳につく。
上目遣いのオルドレッドと視線が絡み合い、また何か話すのかと。思いの丈を全て受け止める覚悟で耳を傾けたが、彼女の潤んだ瞳は何も告げない。
代わりに触れる程度だった指先に力が籠もり、ゆっくりと引き寄せられる。
徐々に。
少しずつ。
艶やかな唇が寂しさを埋めるように。
顔を近付けてきたオルドレッドも瞳を閉じ、薄っすら溜まった涙が頬を伝う。
一方で豊満な胸はアデランテを押し出し、身体が反り返らないよう体重を前に。そしてオルドレッドを手放さないよう、しっかり彼女の背中を支える。
やがて最後の時が訪れた刹那。唇に触れたのは甘く、切ない優しさを覚える夢心地ではない。
以前、幾度となく経験してきた硬い拳の味だった――。
「――っっやっぱりダメぇぇっ!」
完全に不意を打たれ、顔面へ打ち込まれた一撃に背後へ倒れ込む。
オルドレッドも身体を預けていた反動で。かつ拳に乗せた体重で後を追い、咄嗟に抱き寄せれば彼女の下敷きになった。
直後に襲った衝撃が洞穴での凄惨な光景を彷彿させ、背中に走った鈍痛から鼻腔に漂う甘い香り。そして絡みつくような柔肌まで、何もかもが再現されたように感じてならない。
それでも痛む頬を擦りながら、ゆっくり身体を起こそうとした。
「……ごめん…ひっく、なさい」
腹筋に力を入れた瞬間、零された嗚咽にオルドレッドを見下ろす。そこにはアデランテの胸で泣きじゃくり、謝罪を繰り返す彼女が子供のように頭を擦りつけていた。
「…うっく……ひっく。仕事に打ち込んでも、ひっく。お酒を試しても…忘れられなくて……ひっく、あなたとならって思ったけれど、やっぱりダメ…で、ひっく…ごめんなさい、ごめんなさい」
泣き止まず、顔も上げず。ただ涙を零す彼女の頭をソッと撫でつける。
そこには誰もが羨望の眼差しを向ける孤高の冒険者も。長年生きたダークエルフの誇らしい姿もなかった。
孤児同然に育ったと告げた事からも、あるいは今のように。甘える相手すらいなかったのかもしれない。
やがてぐずる声が収まるや、代わりに小さな寝息が胸の上で聞こえてきた。
頬をつつき、声を掛けても瞳は閉じられたままで。過ぎ去った嵐に嘆息を吐けば、椅子に引っ掛かっていた片足を降ろした。
そのまま勢いをつけて起き上がれば、オルドレッドを胸の中に抱え込む。
「……何をしてるんだ私は」
眉間を撫で。チラッとオルドレッドを一瞥すれば、あられもない足や胸がまず視界に飛び込んでくる。
それからぐっすり眠る彼女の表情を。次に艶やかな唇を見つめた。
流れに身を任せたとはいえ、あわや口付けを交わす寸前。アデライトに“成り切りすぎた”自責の念に頬を掻くや、腹底に響く声が意識を揺さぶった。
【狙いは完遂したのか】
「……う~ん…まだ先は長そうだけど、多少はうまくいったんじゃないか?」
【強引に口を奪えば良かったものを】
「いやいやいや。そんなつもりは毛頭無かったし、私なんかと接吻なんて……へっ?」
【篭絡が目的ではなかったのか】
流れるように語られた言葉に、一瞬理解が及ばなかった。
危うく聞き流してしまう所だったが、自前の脳内機能で再生すれば、荒げかけた声を慌てて閉ざす。
オルドレッドの容態を確かめ、小声で力強く捲くし立てた。
「ろうらく、って。別にオルドレッドを口説こうとしたわけじゃないぞッ!?」
【“文献;女の落とし方”を参照する限り、“過去の男は忘れて共に生きろ”と記述がなされている】
「違う!断じて違うッ!本人と…私自身の踏ん切りをつけようとしただけで、仮にそうだとしても弱った心に付け入るとか根性無しも良い所だろぉ!!」
ガーっと吠えるアデランテを意にも介さず。無言の返答の合間に、忌まわしい文献をパタンと閉じる彼の姿が浮かぶ。
なおも訝し気に虚空を睨んでいたが、ふと聞こえた呻き声が意識を現実に引き戻す。見下ろせばオルドレッドは胸の中で、心地良さそうに寝息を立てていた。
時折アデランテの胸に頬を擦り付け、微笑ましい姿に思わず前髪をすくう。
【よくぞ虚言を述べられたものだ】
脱力したオルドレッドの収拾方法を検討していた刹那、ウーフニールの声に動きを止める。
「…嘘って、なんのことだよ」
【冒険者アデット・ソーデンダガーに関わる偽りの出生。そして架空の肉親像を語る事で女の信用を勝ち取り、密接な関係を築く手腕を遺憾なく発揮した】
「……詐欺師って罵られてるようで心苦しいな」
【感心している。“偽り”は成り代わりの基本。貴様に虚構を述べる能力はないと判断していたが、より饒舌に話せる日が来たらば、今以上に高度な成り代わりが可能となるだろう】
「ははっ。大変だったのはダニエルの事を知らない体で話す時だけだったからな。ウーフニールの期待には応えられないだろうよ…」
【何故だ】
訝し気に問われる言葉に動揺する事なく。慣れた様子でオルドレッドを背負えば、儚い笑みを浮かべながら口ずさむ。
「…半分は本当のことだったからな」