089.女史会
受注した依頼を終え、ギルドを離れる際に声を掛けてくる一団と何度もすれ違う。
しかしそんな彼らに目も合わせず。近寄り難い空気を匂わせれば、大抵はネズミのように去っていく。
それでも声を掛けてくるパーティは素っ気なく断り、街へ日課通りに繰り出した。あとは明日の仕事に備えて道具を調達し、宿に戻って朝日を待てば良い。
欠伸が出るほど代わり映えの無い日常を平穏と呼ぶ者もいるが、目的を何1つ見出せない毎日は酷く退屈で。虚しくて。
今日も陳列棚から目当ての品を掴めば、会計を手早く済ませた。
店員との短いやり取りが終われば店長にも軽く挨拶し、あとは誰とも関わる事はない。ポーチに商品をしまい込み、早足で宿に戻ろうとした時。
雑貨店前の陳列棚で屈み込み、熱心に商品を眺めていた客を何の気なしに眺めた。すると足は勝手に止まり、覚えのある姿に思わず声を漏らしてしまった。
「……アデ…ライト?」
「…ん?やぁ。オルドレッド…だったか。こんな所で奇遇だな」
「え、えぇ…奇遇ね」
不覚にも鼓動が飛び跳ねてしまい、零れかけた胸を咄嗟に抑える。いまだ動悸が鎮まる気配は無く、思わぬ再会に足まで震えてきた。
「すまないが1つ聞いてもいいか?」
「な、何かしら…」
「これが何か分かるか?アクセサリーの一種だと思ってるんだが、丸みを帯びてるだけのペンダントに需要があるのか不思議でならないんだ」
「…それ、小型ナイフよ」
「ナイフ?」
「ほら、ココをこうして…こう出してあげれば」
「お、おぉぉお!画期的な商品だな!これなら鞘がなくとも刃が欠けずに済む…ただサイズが小さいから、日常生活品と言ったところか。戦闘で使うには厳しそうだ」
「そんな事もないわよ?小さくっても目や口の中とか、相手の急所に刺せば大概は怯むし、その隙に反撃するなり逃げるなりすれば、生存の選択肢はいくらでも広がるわ」
「…なるほど。相変わらず勉強になるな」
稚拙な商品の新たな価値を知ってか。改めて熱心に見つめる姿は、まるで子供のようで。
つい微笑を浮かべれば、凛とした第一印象とのギャップに魅入ってしまう。思えば他愛のない会話を他人と交わしたのも何時ぶりだろうか。
さりげなく隣に屈めば彼の顔を覗き込むが、依然マスクで覆われていて見えない。
彼の妹と言い、何故素性を隠すのか不思議でならなかったとはいえ。勘違いでも出会い頭に脱がしたのは失礼だったろう。
恐る恐る謝罪を述べても気に留めてる様子もなく、ふと浮かんだアデットの面影に口をつぐむ。
しかし意を決して一息吐けば、思い切ってアデライトに再び声をかけた。
「…あ、アデライト…で良いのよね?アデットのお兄さんのッ」
「んん?……あ、あぁ!そうだったな。いかにも、私が兄のアデライトだ。妹とは冒険者繋がりで知り合ったのか?」
「えぇ。アデットと会えなかったら今頃私は……と、ところで晩御飯はもう食べたのかしら。もしまだなら今から一緒にどう?ギルドでのお詫びもあるし、勿論私が奢るわ」
「謝罪も何も、食事くらいなら奢らなくとも付き合うが…」
「私が奢りたい気分なの!ほら、気が変わらない内に行きましょう?」
無理やり腕を引けば瞬く間に店から剥がし、人目も気にせず雑踏へ引き込む。逃げないよう腕を絡めるが、久しい人肌の温もりがオルドレッドにも伝わってくる。
そのまま身体を預けたい衝動に駆られるも、主導権を握るのはあくまで自分。自らを奮い立たせて先導すれば、徐々に人通りが減っていく。
街の外れまで移動し、陽も沈み始めれば当然だろうが、最後に目を配って人気が無いか確認した時。
挙動不審な様子を訝しんだのか。同じく周囲を見回すアデライトの不意を突き、ドンっ――と。
乱暴に壁際へ押し付け、直後に身体を重ねれば力強い鼓動が胸に届いた。
身長はオルドレッドの方が高く、必然的にアデライトは見上げるが、青と金の妖瞳をいまだ見る事が叶わない。
意地になってさらに胸を押し当てれば、絞られるように顔も上がり。本格的に戸惑うアデライトにクスリと笑い、今はこれで勘弁してやる事にした。
それでも意地悪い顔を浮かべたまま、肩に乗せた手をゆっくり降ろしていく。腰まで指を滑らせれば、抱くように腕を背中に回したところで――カチャリ、と。
背後で鳴った音にアデライトが振り返った瞬間、一気に建物内へ押し込んだ。
素早く後ろ手に扉を閉め、説明もなく放り込まれた空間に当初は驚き。しかし踏み込んだ環境を理解するや、頻りに周囲を観察し出した。
通路も奥行きも狭い、カウンター席しかない静かな店内は、机向こうがシャッターで下りて何も見えない。
それでも置かれた品書きが食事処である事を示唆し。唖然とするアデライトの反応に満足すれば、席に座るように腕を引いた。
「驚いたかしら?外に小さな看板があるのだけれど、よくよく注意しないと気付かないのよね」
「それもそうだが……店主はどこにいるんだ?」
「注文すればシャッターの裏からスッと料理を出してくれるわ。さ、遠慮しないで頂戴。お金は無駄に余ってるから…それとあなたの変装。ココでくらい外したらどう?そのままだと食べられないし、私以外に見せる人はいないでしょう?」
“変装”と告げるや、ピクリと肩を震わすアデライトに首を傾げる。
どの道外さなければ食事は出来ず、ギルドで1度まじまじと見ている間柄。いまさら隠す必要もないだろうと。
そのためにも人目を気にせず、存分に食べられる店を選んだ意図も伝わったらしい。
程なく覆いを脱ぎ去れば銀糸の髪が露わになり。妖瞳と目が合えばドキリとしたが、彼の視線はすぐ品書きへと向けられた。
それからは真剣な表情を浮かべ、口元に手を当てる仕草は雑貨店で見せたものと同じ。恐らくペンダントを観察していた時も、今と同じ顔をしていたのだろう。
ようやく窺えた表情をぼんやり眺めると、視界には否応なく左頬の傷が映った。無意識に指先を伸ばしかけるや、おもむろに振り向いたアデライトに再び胸が飛び跳ねる。
「君は見なくていいのか?」
「わ、私は注文するものが決まってるから…ゆっくり見てくれて構わなくてヨッ!?」
オルドレッドの反応に一瞬顔を曇らせていたが、注文自体は決まったらしい。頻りに店員を探し始める彼の肩に触れ、空いた手で壁の伝声管を手繰り寄せた。
そのままアデライトの口元に寄せれば途端に目が輝き。驚嘆する彼に増々気を良くすれば、マスクを外した甲斐があったと。
何よりもオルドレッド自身、初めて店に訪れた時も同じ顔を浮かべていたと思うと、我が子を見守るように微笑んでしまう。
いまだ感心する彼も品書きを読み上げていくが、最後に注文した桃のジュースに意表を突かれてしまった。
可愛らしい飲み物に驚く一方で、オルドレッドもまた料理名を挙げていく。
「飲み物は…そうね。私も同じジュースでいいわ…もしかしてお酒は苦手?」
「甘い物が好きなだけだ。私に構わず飲んでもらって構わないぞ」
「ううん、いいのよ。話したい事もあるし、意識がはっきりしてた方がいいでしょうから。それでね?…あ、もう出てきたわ。じゃ、思いもよらない再会にかんぱ~い」
知らぬ間にカウンターに置かれていた飲み物を取り、グラスを互いに触れ合わせる。口を付ければ芳醇な香りと桃の甘味が広がり、それだけで1日の疲れが飛んでいく。
チラッとアデライトを見れば、彼もまた同じ思いに駆られていたらしい。色を楽しむようにグラスを回し、味わいながらグラスを傾けている。
だがカウンターに音を立てて降ろせば、途端に真剣な眼差しを向けてきた。
「それで話しとは?」
「単刀直入ね。もう少しゆっくりしてもいいんじゃない?」
「…そうか?なら遠慮なく」
気の抜けたような表情もすぐ潜み、再び彼の視線は店内へ向けられる。物珍しそうに見回す姿は、やはり連れてきた甲斐があったというもの。
そんなアデライトを眺めながら喉を潤していれば、程なくシャッターが僅かに上がった。
次には料理が滑るように押し出されていき、湯気が立ち込める出来たてにアデライトが喉を鳴らす。
次の瞬間には勢いよく料理が頬張られ。皿が魔法のように空いていく様に最初は驚かされたが、やがて慣れてくると合間を見ては会話を挟んだ。
食事を堪能しながら人と話すのも、遥か昔の事のように思えてしまう。
「ふふっ…じゃあアデットとはあまり一緒に時間を過ごせなかったのね」
「…そうだな。同じ傭兵団に所属していたとはいえ、私は軍務に所属していたし、彼女は砦の警護任務が多かったから」
「それでようやく暇がもらえたから、自由奔放な妹さんを探してるってわけなのね。優しいお兄さんですこと」
「家族だからな」
「……家族、か」
何の気なしに放たれた言葉のはずが、ふいにオルドレッドの胸が強く締め付けられた。呪詛のように脳裏で反芻されるも、想いがそのまま顔に出てしまったのだろう。
心配そうに覗き込むアデライトの肩に手を当て、ソッと自身から引き離す。
「ごめんなさい。気にしないで」
「…相談に乗れるかは分からないが、話し位なら聞いてやれるぞ」
「ふふっ、本当に優しいのね。でも大丈夫。大丈夫だから…」
「大丈夫…か。ほかの冒険者から聞く限り、随分無茶をしているらしいな。身体の傷も見ていて痛々しい」
「あら、気に障るならお開きにする?お代はココに置いていくわね」
「ちょっと待て、何でそうなる!?私は純粋に君の身体を心配してだな…ッ」
「分かってるわよ。ちょっと意地悪したくなっただけ。最近色々溜まってるの…何かは自分でも分からないのだけれど……そうね。折角だし話を聞いてもらおうかしら」
一瞬覚えた躊躇も流れ出してしまえば、もはや堰き止める術はない。
気付けば過去がとめどなく洩らされ、孤児同然に育って当てもなく生きてきた事。
様々な出会いや別れを繰り返し、長い時を経て初めて“家族”に恵まれた事。
それから仲間と呼べたパーティが全滅した事。
その時にアデットと出会い、仲間のダニエルが託した遺言を渡された事を零した。
町を離れてからは長旅の末、ようやく彼の両親と再会したものの、オルドレッド1人の訪問に息子の安否を察したのだろう。
黙って遺言を受け取れば、彼らが読み終わるのを静かに待った。
その間も悲痛の叫びが上がるのを。2人につられて泣き崩れないよう覚悟を決めていたつもりが、彼らは全てを知っても悲嘆に暮れる事は無かった。
それどころかオルドレッドを責める事も。
ましてや涙を流す事もなく。
落ち着いてオルドレッドを抱き寄せ、感謝と慰めの言葉を何度も掛けられてしまった。
如何なる処罰でも受ける心積もりだったはずが、決意を脆くも崩された瞬間でもあった。
「――…“辛かったろう”って。“息子の夢を叶えてくれてありがとう”って……一番辛いのは2人の方なのに、逆に泣かされてしまったわ。ご飯も作ってくれたりしてね。私が気持ちの整理をつけるのに、結局3日もお世話になったのよ。サッサと離れなきゃいけないのに…私がいればダニエルのこと、嫌でも思い出すのにね…これだから人間は嫌なのよ」
延々と。
粛々と。
誰にも話せなかった心の内を酒の勢いもなく、思い切り吐き出してしまった。その間もアデライトは口を挟まず、黙々と耳を傾けてくれた。
それが胸中を余計に吐露させた要因でもあったが、彼の沈黙は不思議と心地よい。
言葉が途切れるとグラスに入ったジュースを回し、話の切れ目にようやくアデライトも口を開いた。
「…間違った反応ではなかったと思うぞ。君も、ダニエルの両親も」
「さぁ、どうかしらね。私としては思いっきり殴られた方がまだ良かったわよ。その方がお互いのためにもなったでしょうし、きっと後腐れも残らなかったわ」
「結局は自分がどう向き合うのかって話だと思うぞ。他者の許しというものは、背中を少し押してもらう程度のきっかけにしかならない。差し延べられた手を取るか取らないかも、判断は自分に委ねられるしな」
「……随分と知った風な口を利くじゃない。言っておくけれど私、こう見えてずっと年上のはずよ?ダニエルの両親だって……あの子たちだって、子供の頃からずっと知ってたんだからっ」
「ならば尚更だ」
淡々と返すアデライトに、気付けば胸倉を掴んでいた。カウンターを揺らす勢いに食器は揺れ、居心地の良い空気が崩れていく。
愚痴を勝手に吐いた手前、怒る筋合いなどない。ましてや相手は遥かに寿命が短い生物。
所詮は人間。
感情的になる方が大人げないのに、心の猛りは驚くほど素直に身体を突き動かしていた。
しかしこれ以上ない理不尽な目に遭わせているはずが、アデライトの瞳には侮蔑や恐れが浮かぶ事はない。
それでも月色の金と。空色の青が。
酷く澄んだ色遣いでオルドレッドを見つめ返してきた。
「……戦場に出たことは?」
「…戦?出た事ないわよ、そんなもの。傭兵じゃあるまいし。不幸自慢でもしたいのかしら?」
「私はな。多くの盟友と上官を戦で失ってきたが、所詮は戦場だ。前線に出されて死ぬのは仕方がない…そう自分に言い聞かせてきたつもりだったんだが……最後の最期で仲間が全滅した時は流石に堪えたよ」
「…さっき自分で死ぬのは当たり前って言ったばかりじゃない」
「戦を終えて、あとは帰郷するだけだったんだ……帰るだけだったのに…落石に遭ってしまってな。あの時、私は何も出来なかったよ。何も………団長として彼らを故郷へ還す責務があったのにな」
表情も、瞳も。何1つ変化はない。
たが冷静に。淡々と説明しているのとも違う。
気付けば胸倉をソッと手離し、気まずそうにカウンターへ向き直っていた。急激に喉の渇きを覚えたが、何故かグラスに手が伸びてくれない。
「……それで、あなたは国へ帰れたの?」
「故郷の土は出立して以来、1度も踏んでいない。部下たちも…落石に今も埋まったままだろうな」
「そう…なの」
声音は相変わらず冷静だったが、それでも“暇がもらえた”と受け取ってしまった彼の言動の意味を。
そして感情を一切揺るがさずに話し続けた心情も、自ずと理解してしまう。
彼はいまだ自分を許せず。たとえ己のせいでなくとも、過去の出来事として片付けるつもりは毛頭ない。
一生背負うであろう重荷を抱えているはずなのに、顔を向けてくれば。
それでもニコッと。いつものように笑顔を浮かべてくれる。
「――…不幸自慢ではないがな」
やはり表情に変化はない。
むしろ誰に気付かれる事もなく。悲哀をずっと含ませた笑みが、とても儚く見えてならなかった。