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008.緑森法廷

 一帯に静寂と平穏が訪れるも、山賊が消えてなおモヤが戻ってくる気配はない。

 形の定まらないソレは広がり続け、やがて先端が青年に向かった時。


 自ずとウーフニールの意図を理解する。


「ウーフウーウ!うぁぇあいし…ぐぇッへっ、ゲホッ」


 気道が塞がれて満足に話せず、代わりに胸を激しく叩きつける。

 モヤがうつ伏せに倒れる青年の肩に触れそうなところで喉を掴み、一層強く殴りつければピタリと。

 直前で進行は止まった。


 未練がましく青年の傍をたむろするも、モゴモゴ訴えるアデランテに渋々モヤは引き返す。

 喉を下って肺を掠め、落ちていく綿塊は腹底にゆっくり身を沈めた。


【何の用だ】

「ごほっがはっ…お前、今何をしようとしてた!?」

【目撃者の排除】


 陰鬱な返答を聞きながら喉を摩り、薄っすら溜まった涙を拭って青年を見つめる。

 彼と目が合ったのは数秒足らず。

 目撃者、と言われても今1つピンと来ない。



 だが押し黙っていると喉元が再び膨らみ始め、慌てて首を両手で締め上げる。

 隙あらば浸出を試みる同居人に油断できず、溜飲が下がるのを大人しく待った。


「…ッッと、とりあえず出て来ようとするのはやめてくれ!分かったな?離すぞ?……離したからな?」

【貴様の言い分を聞く】

「嫌だからに決まってるだろ」


 そう告げるや否や、素早く喉を突破して込み上げたモヤが、口内まで溢れ出す。

 咄嗟に唇を両手で塞ぐが、掌を押し返す抵抗が徐々に強くなっていく。


 決して離すまいと全身全霊を以て歯も口も閉ざし、徹底抗戦の構えを見せるアデランテにようやくウーフニールは撤退。

 諦めて引き返したようにも思えたが、しばらくは手を放せなかった。



「けっほけっほ……で、出てくるなってさっき言ったばかりだろ!」

【感情論に正当性はない】

「正当性って、曲がりなりにも私の体でもあるんだから、アイツをどうするか私にだって決める権利はあるだろ?せめて最後まで人の話を聞けッ!………どうしたんだ、急に押し黙って?」

【話は終わったのか】

「ま、待ってくれ。今からちゃんと話すから」

【そこの人間が目覚めるまでだ】


 冷徹に、剣先を突きつける物言いに喉を鳴らし、ソッと青年を見やる。

 倒れてから声の1つも発さず、うつ伏せのまま微動だにしていない。


 背中が上下している様子から生きている事は分かるが、ウーフニールとの会話次第ではそれもいつまで続くか。



 サッと視線を逸らすと集中すべく、“交渉上手の正しい進め方”を頭の中で必死にめくっていく。

 文字は殆どボヤけて読めたものではないが、辛うじて残る情報を繋ぎ合わせていけば、“相手の言い分を聞く”と書かれているようにも見える。


 わざとらしく咳払いし、虚空を見据えると一息吐いた。

 会話の主導権は曲がりなりにもアデランテが掴んでいるのだ。

 ウーフニールに問いかけ、“その間に自分の言い分を考えておけ”ばいい。



 無理やり読まされたとはいえ、亡き団長には少なからず感謝の念を覚えた。


「よし…ウーフニールは何でソイツを始末しようとしてるんだ?」

【何故喰らうことを拒む】

「え?え、えーっと…それは、あれだ!……え~、んんん…悪い奴には、見えないだろ?パッと見。それに優男っぽいし」


 口を開いた二言目には、意図も容易く主導権を奪われてしまった。

 しかし考える時間も与えられず、ウーフニールの追求は続く。


【悪人の定義とは】

「定義?それは……悪事を働く奴らのことだろ」

【悪の定義は】

「…人殺しとか?」

【ならば罪人を処する人間は悪か】

「それは違うだろ。悪い奴を生かしておけば被害が出るから殺すしかないわけで…だ、だからって悪人を殺した奴が悪人とは限らないし…う~ん」

【貴様には善悪を区別する明確な判断基準が備わっていない。それでなお倒れた人間の処遇を決める権利があると抜かすつもりか】

「なっ、そういう言い方しなくたって…げッ」


 カッとなった刹那、ふいに視界の隅でモゾリと動いた気配に体が硬直する。



 時間切れ。


 議論の終わりを告げる言葉が脳裏に浮かぶ。

 ぎこちなく青年に視線を投げれば、悪夢から目覚めたがっているのか。

 唸りながら額を何度も地面に擦りつけていた。



「…うっ…あれ、ココは……うぐっ!」 


 しかし彼が頭をもたげるよりも早く、目にも止まらぬ速さで回り込んだアデランテの手刀が首に炸裂。

 顔を見られる事なく、瞬く間に青年を夢の世界へと誘う。


 苦悶の声を最後に再び彼は動かなくなり、その様子をジッと見守った。


「……ふぅーッ…起きてないからセーフだよな。なら逆に聞くけど、ウーフニールは何の根拠があってコイツを喰おうって言ってるんだ?」

【目撃者は排除する】

「そういえば最初に同じことを言ってたな…でも顔を合わせたって言っても、たかだか一瞬のことだったわけで、何も始末しようって話にまで発展させなくてもいいんじゃないのか?」

【…先の戦闘を鑑み、貴様の実力は人間の中でも上位に位置付けられる】

「な、何だよ急に。褒めたって許可はしないぞ?」


 唐突な話題に不気味さを覚える傍ら、満更でもなさそうにフードの端をキュッと掴む。

 褒められ慣れていないせいで悶えてしまうも、ハッと我に返って周囲を眺めた。


 今の姿こそ目撃されていれば証人を屠りたいところだったが、幸い見ていた者はいない。

 青年もいまだ意識を失っている。

 


 ひとまず胸を撫で下ろすも、ウーフニールの話はまだ続いていた。


【頬の傷を知る人間の数は】

「キズ…コレのことか?故郷の奴なら皆知ってるぞ。むしろ銀糸に青目ってだけで大体私だって分かるだろうよ。ふふん、それにな。こう見えて、黙っていれば八方美人!って巷では噂にもなってて…冷静に考えるとこれって悪口の類か?」

【そして貴様は追われている身のはずだ】

「追われて…まぁ手配はされてたみたいだし、顔がバレないに越したことは…いやいや。誘導しようとするなよ。コイツが私を見たからって国の連中が、ちょっと待っててくれ。とりゃ!」


「ぐふっ…」


「国の連中がこんな山奥に私がいるって話を聞くことなんて…」

【可能性をゼロと言えるのか】 


 緩慢に動いた青年の首に、的確な一撃を入れたまでは良かった。

 しかし直後の問答に「そうだ」と言い返せず、開きかけた口を徐々に閉じていく。

 迷った末にフードを被り直し、思考を巡らせて反論を試みるも、明確な根拠は思い浮かばない。

 チラッと青年を一瞥すれば、死体のように動かなくなっている。



 彼を始末してはいけない理由。


 殺しがいけないから、なのか。

 それが人間のルールだから、なのか。


 しかし高官が罪を他人に着せて処断する光景など何度も見てきた。

 その度に殴り込んで懲罰房に放り込まれた頻度など数えきれない。


 ルールなど、所詮は表向きの利益を守るためにある、薄っぺらな道徳の破片に過ぎない。


 

 何よりもアデランテは、もはや人間からかけ離れてしまった存在。

 如何に取り繕っても正体がバレてしまえば、誰もが彼女を殺す権利を得るだろう。


【目撃者は始末する。不穏分子は如何なる存在であっても抹消せねばならない】


 追い打ちをかけるように告げられる正当性。

 そして身を潜める事はオーベロンの命令でもあり、ウーフニールの意思でもあり、アデランテの都合でもある。


 決断が一方向に傾き始め、察知された迷いに体の奥底から不穏な気配が込み上げてくる。


 反対する理由はない。

 アデランテの意見を尊重する理由もない。

 所詮青年は赤の他人。



 だがアデランテの倒錯に反し、腕は勝手に喉元を握りしめ、呼吸も出来ないほど力強く絞め上げていた。


 ウーフニールの所業ではない。

 息苦しさと無機質な問いかけの狭間で思考が漂うなか、ふいにアデランテの潜在意識が咆哮を上げる。



「だぁーーもうッ!!私に小難しい話を振るなぁああああぁぁ!!」

「う……うぅぅ」

「うるさいッ、寝てろ!」


 手加減もせずに振り下ろされた、首を折らんばかりの一撃が青年の体を跳ね上げる。

 そのまま地面に突っ伏して動かなくなり、遭遇した時よりも酷い有様になろうとも、今のアデランテには彼の容態なぞ眼中にも入らない。


 虚空を睨みつけ、腰に手を当てればこれまでの劣勢を覆さんばかりに大声で怒鳴り出した。



「いいか、よく聞け!私はッ!国でも、騎士団でも、仲裁役に回すなら1番最後に選ばれる人材だと言わしめた女だ!」

【…何が言いたい】

「だからッ!私にはお前みたいに賢そうな考え方も話し方も出来ないんだ!何でコイツを助けたいかって?私がそうしたいからだよ!私の目の届く範囲で、手の届く範囲で、剣の届く範囲で出来ることは何だってしてやる!助けたい奴は助ける!間違ってると思えば容赦なく殴り飛ばす!だから!嫌なものは!嫌なんだぁぁ――ッッ!!」


 興奮したアデランテの肩は上下し、もはや喉を押さえつける事もしない。

 無防備な肉体からウーフニールが這い出す気配もなく、一帯を静寂が包み込む。


 会話相手が見えないせいで瞳はいまだ虚空を睨み、必死の訴えが届いたのかも判別できない。

 互いに目と目を向き合わせる事は出来ないが、聞く耳を持ち、話す口があればそれで十分だった。



 やがて風がなびき、銀糸の髪が宙を漂うと聞き慣れた、おどろおどろしい声が心中に響く。


【その人間を貴様はどうするつもりだ】

「…ひとまずさっきの町まで連れて行ってやりたい。もうすぐ暗くなるし、このままにはしておけないだろ」

【町まで戻れるのか】

「当たり前だろ?真ーっ直ぐココまで向かって来たんだから、元の道を辿って戻れば……戻れ、ば…」


 啖呵を切り、勢いよく背後を振り返るが即座に思考は停止する。


 それから再び前を。

 次に右と左と視線を忙しなく投げるが、四方八方どこを見ても広がっているのは同じ景色。


 山賊退治に奔走した結果、何処から飛び出してきたのか思い出せない。

 唯一目印となりそうな青年も散々小突いたせいで、当初とは異なる姿勢で倒れている。



 つまりは迷子。


 最初に浮かんだ言葉に被りを振り、足早に茂みへ近付いてはその周囲を探索。

 困惑した様子で顔を上げては、また別の場所を見に行ってみる。


 候補はいくつかあったが、果たして青年たちが出現した道なのか。

 はたまた自分が飛び出した道なのか。

 それとも度重なる強風に煽られて、そう見えるだけなのか見当もつかない。


 風に混じって小さな溜息を漏らし、戻ることも進むことも躊躇されてウンザリする。

 一か八か枝切れを投げ、先端が指す方向へ進もうとしたが、結果は進路の候補にすら掠らない。


 それでも他に当てがなく、再度試みれば突如視界の端に映り込んだ異質な光景に飛びのいた。

 素早く剣を構えるも、訝し気に首を傾げると恐る恐る警戒を解いた。



 視れば一筋の青い煙が今しがた立っていた場所から、茂みへ真っすぐ伸びている。

 唖然としながら目で追っていくが、自然現象でない事だけは確かだろう。

 

「…よいしょっと」


 何も告げず、倒れた青年を背負うと、川の流れを沿う様に青い煙の隣を歩き始める。

 先程まで道に迷っていたとは思えない、確かな足取りが茂った草を踏みしめていく。


「……なぁ、ちょっといいか?」

【どうした】


 不機嫌そうな声が響く。

 もはや気遅れもせず、それが彼の地の声なのだろうと受け入れていた。



「この煙。地面の上に実際敷かれているものなのか?」

【貴様の視界にのみ存在する順路だ。記憶から抜き出し、再現した】

「相変わらず器用だな……あのさ、結局私の言い分は通った、ってことでいいのか?自分で言うのも何だけど、結構ガキっぽい理屈だったと思うぞ」


 勢いで口走った手前、言葉の半分以上はもはや記憶にない。

 いずれにしても騎士団内部でも「黙って引き下がれ」と一蹴されてしまうような。

 文字通り力づくで連れ出されてしまう、根拠も理屈もない戯言であった事は、誰よりも自身で痛感している。


 いまさら青年を処分する話が持ち上がるとは思えないが、それでも確認はしておきたかった。

 


 沈黙に耳を傾けて進むこと数分。

 あるいは数秒。


 見覚えは無くとも確実に獣道を進んでいると、ようやく返答が戻ってきた。


【不毛な会話を続けた場合、内包される記憶が消滅する危険性を加味した】

「…手刀のことか?一応手加減したつもり…何だけど担いだ時に見たら少し腫れてたんだよな。どこかで落ち着いたら冷やしてやらないと…理由ってそれだけか?」

【……貴様の使命が終わるまで付き合うと〝約束”している】


 嫌そうに、一気に吐き出すように答えたのち、それ以上ウーフニールが話しかけてくる事はなかった。

 頭の奥底に沈んだように気配は途絶え、少し寂しさを覚える反面、嬉しさも込み上げてくる。


「…そっか」


 誰もいないとはいえ、照れ臭さにフードで顔を覆いたくなるが、生憎両手は青年を背負うために使われている。

 自身でも薄気味悪いと思いながらも、ふやけた笑みが止まらなかった。


「……交換条件ってわけじゃないけど、フードは我慢する。声も…出さないよう出来るだけ善処する…ただ何かする時は一声かけてくれ。緊急時は仕方なくても、出来れば、で頼む」


 返事はない。

 だが彼の事だ。きっと聞いているだろう。


 アデランテが世界でたった1人になろうとも、〝変幻自在のウーフニール”だけは何があっても傍にいてくれるのだから。

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