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087.雌鶏の目覚め亭

 扉を抜け、すぐ目に入った狭いロビーには倒木をくり抜いた長椅子が置かれていた。部屋の片隅は薪ストーブが占領し、山荘へ踏み入れた錯覚が心持ちを豊かにしてくれる。


「らっしゃい!」


 内装を眺めていると部屋奥の扉が開き、年老いた男が話しかけてきた。腰が少しばかり曲がっていたものの、声には力強い張りがある。

 髪を失った頭を掻くゴツゴツとした手からも、まだまだ彼は現役なのだろう。

 

「1人でぇい?」

「あぁ。部屋は空いてるか」

「宿は3階建て。各階に3部屋ずつ。お客さん、部屋は高い方と広い方、どっちが好きでぇい?」

「広ッ…高い?……よく分からないが、高い所は割と好きだぞ」

「ほいよ。部屋は3階の奥を使いねぇい。1泊200ゴールド。飯が欲しけりゃ前日までにな。好き嫌いもお残しも無しでぇい」


 腰に差した鍵束からカギを1つ放り、受け取れば彼の中で契約が成立したのだろう。代金を求める手に支払いを乗せ、1週間分を片手で測った店主は満足そうに頷く。


 それからストーブとは反対側の壁を指差し。装飾に見えたハシゴも、よく見れば天井に続く穴がぽっかり開いており、もはや隠れ家のように思えてきた。


「ほんじゃま、ごゆっくりしねぇい」


 まだハシゴを眺めていた最中、店主は早々に部屋の奥へ引っ込んだ。


 代金を支払ったからにはロビーで寛ぐなり、部屋へ上がるなり。好きにすれば良いと物言わぬ空間が、握りしめたカギと共に語り掛けてくる。

 しかし足を踏み入れてから、目新しい物が見れるわけでもない。


 倒木製の長椅子に、未知の空間へ続くハシゴ。

 迷う事なく後者を選べば、階上に向かってスルスル登っていく。

 2階を通り過ぎ、あっという間に3階へ到達し。三角状の狭い廊下の隅には、それぞれ扉が計3つ佇んでいた。


 部屋番号とカギを交互に見つめ、割り当てられた入口を潜るや、最初に捉えたのは壁をくり抜いて作られた机と椅子のセット。

 奥のクローゼットやベッドも壁から生えたように彫られ、その傍に掛けられたハシゴを目で追えば、頭上に荷物置きのロフトがあった。


「…もしかしてこの宿。大木をそのまま加工したのか?すごいな」


 外への出入り口は、ハシゴで通ってきた穴のみ。とても家具を運び込める空間はなく、壁を荒く削った木の断面が触れた指先に伝わってくる。

 外観はレンガ造りだが、大木の内側を削って周りをレンガで囲ったのだろう。


 しかし身1つのアデランテはともかく、荷を持ち歩く冒険者や旅人には不向きな宿。ガラ空きの理由も、自ずと理解できた。


「働き者の手をしていたけど、まさか店主が1人で全部彫ったんじゃないだろうな」

【喰らえば真相も宿も全て貴様のモノになる】

「させるかッ!それに真相って、店主に聞けば良いだけの話だろ?」


 唐突な誘惑につい声を張り上げ、ハッと我に返れば急いで扉に耳を当てた。人の気配がない事を確認し、カギをかけると踵を返す。

 その足でロフトを駆け上がれば寝転がり、木目調の天井をボーっと眺めた。


「“高い部屋”を頼んだだけの事はあったな。広い方を選択していれば、どんなだったんだろ」

【依頼の受注は】

「今日はお休みだ。明日…いや明後日でもいいかな。超がつく休暇をもらったんだ。たまには街をゆっくり堪能するのもいいだろ」

【得た金で暴食を宣言していた貴様が?】

「ぼうしょッッ、がっつり食べたいって言っただけで、そんな決意表明をした覚えは…」

【女の件か】


 ガバっと身体を起こした途端、図星をつかれて思わず口をつぐんだ。それから二つ折りの紙切れを取り出せば、彼女の宿泊先を漠然と眺める。

 プレートや容姿を見られては、“妹”の話をする以外に切り抜ける方法がなかったとはいえ。一方で彼女が意地でも連絡を待つ姿がありありと浮かんだ。


 得も言えぬ罪悪感に溜息を零せば、新しい宿泊地への躍動感も徐々に沈んでいく。


「……彼女の様子は?」


 ポツリと告げるや否や、視界が白い霧に包まれる。


 冒険者ギルドの正面が映れば、人で群れる出入口から一瞬オルドレッドが現れ。しかし思い出したように立ち止まれば、ズカズカ中へ戻っていく。

 再び出てきた時はギルドから離れていったが、頻りに辺りを見回す様子から、宣言通りアデットの影を探していたのだろう。


 そんな彼女もやがて街の北にある教会に着き、扉をノックすると白いローブの女が顔を出した。

 オルドレッドを見るなりすぐさま室内へ招き入れたが、建物は外から覗ける窓が一切無い。前庭に生えた木でしばし監視を続けていたものの、一瞬砂嵐が画面に走れば直後にオルドレッドが教会から出てきた。


 空色の変化から時間を飛ばしたらしいが、心なしか彼女の足取りは軽くなり。再会した時に比べれば傷も幾分か回復しているように見える。

 だが彼女の背後に回復士が付き纏い、何かを懸命に捲くし立てていた。

 身振り手振りから留まるよう薦めていたらしいが、オルドレッドは振り切るようにその場を去ってしまう。


 その足で街の雑貨店へ向かい、砂嵐を挟む事なく紙袋を抱えた彼女がすぐに飛び出せば、直後に店主が軒先のシャッターを降ろしていく。


 閉店ギリギリだったのか。

 あるいはオルドレッドを待っていたのか。

 去っていく彼女に愛想の良い声を掛けていた事から、恐らく後者なのだろう。


 しかしその頃には日もだいぶ傾き、やがて〝ホワイト・バラック”と掲げられた6階建ての宿に到着する。

 建物に入ると程なく5階の窓から明かりが零れ。影が部屋を何度も往復したのち、消灯するとベッドが上下に揺れた。


 それからは素足だけが画面に映ったが、体勢から察するに足を抱えて座っているのだろう。そのまま彼女は動かなくなったものの、寝ているのかすら判別がつかない。

 だがそれ以上の監視も不要だろうと、映像を止めてもらおうとした刹那。ふいにもたげた疑問が部屋の望遠をウーフニールに求めた。


 すかさず映像は建物全体からオルドレッドの窓へ。次に彼女の足元が拡大され、アデランテの指示に従って徐々に右へ右へ。

 上へ上へと細かな移動を繰り返し、号令と共にピタリと止まった。

 静止画をさらに拡大させ、身体を起こしてまで目を凝らせば、オルドレッドが手中に何かを握り込んでいる。


 さらなる拡大を求めようとした途端、ハラリっ――と。彼女の手元からヒラヒラ離れ、落ち切る前に断片ながらも中身を覗く事に成功する。

 筆記体から手紙の類らしいが、判読を進めたところでガバっと身体を起こし。勢い余ってロフトから落ちれば、前面に走った衝撃と共に景色が霧散する。


 しかし痛みで悶える間も、脳裏には最後の映像がこびりつく。


「…私らが書いた遺言か」


 ポツリと零せば今度は胸が締め付けられ、息苦しさと眩暈がいっぺんに襲ってくる。

 

 生傷や回復士の反応からも、我が身を顧みない生活は前から続いているのだろう。

 ギルドで見せた笑顔もなければ、声をかけるのも憚られる刺々しい雰囲気に。アデランテを餌にパーティへ引き込もうとする冒険者たちの事情も自ずと理解が出来た。


「…やっぱり無茶してたのか……手紙になんて書いたか必死すぎて覚えてないけど、身体を大事にしろとか載せてなかったかな」

【息災に関わる記述はない】

「そ、そうか…別に見せなくてもいいからな?」


 顔を押さえたまま宙を仰ぎ見れば、視界には天井しか映らないはずだった。だがアデランテの目には、臓書における苦悩の日々がありありと浮かぶ。


 読めども読めども押し寄せるダニエルの思い出。

 一向に進まない白紙のメモ書き。

 何度も食べた宴の品々や焼き魚に、小銭を詰め込んだようなアップルパイ。

 ジャリジャリした食感が口の中で蘇り、思い出すだけで苦味が舌に噛みついた。



 当時や現状を思い出すほどに心の内は蝕まれ、身体が傾いていたのも気のせいでは無かったろう。

 そのまま重力に感情を委ねていれば、ぺたりと床に倒れていたかもしれない。


 しかしおもむろに身体を起こすや、両腕を思いっきり左右に広げた。それからバシンっっ――と。

 ロフトから落ちた衝撃を上回る破裂音が、アデランテの両頬に炸裂した。


「…ッッ~!くぅぅ……よしッ」

【待て。何を“よし”とした。また余計な手を貸すつもりか】

「余計なお節介でも折角助けた命なんだ。みすみす投げ捨てられてたまるか!それに例の青年とも…」

【ダニエル】

「その彼とも、オルドレッドの安全を一方的に約束してるしな」


 ジンジンと赤く腫れた両頬は痛むが、おかげで鬱々とした気持ちも振り切れた。何よりも1度手を出したからには終いまで関わるべきだろう。

 恐らく罪悪感が残っているのも、手紙を渡した程度で満足したからに違いない。オルドレッドが自らの足で立てるように支えてこそ、真の贖罪と言えるのではないか。

 

 そんな決意を意気揚々と語った直後。腹底から這い上がる官能的な刺激が全身を伝い、咄嗟に身体をギュッと抱え込んだ。

 身悶えしながら制止を呼びかけても嬌声しか洩れず。渦巻く甘美な衝動に力も抜ければ、ウーフニールの新手の抗議活動が全身に伝わってくる。


【諦めろ】

「ふーふーふーッ…んッ……ぜ、絶対に、曲げないからあぁあんん゛ッ゛ッ゛!!」


 弛緩した肉体の隙を突くように。背筋を這うような疼きが途端に流れ込めば、強張った身体が激しく仰け反った。


 激しい尋問は結局夜を通して続けられ、やがて全身を汗が満遍なく濡らし、ピクピクと痙攣しながらアデランテが気を失った時。

 ようやくウーフニールが折れた頃には、部屋に朝日が差し込もうとしていた。

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