084.待ちぼうけ
身長差はそれほどない。視線の高さも変わらず、全体的に痩せて見えるのは装備のせいだろう。
観察を終えたアデランテには興味の無い相手だが、男は真っすぐ向かって来る。
愛想の良い笑みを浮かべ。手を振る様子は旧友さながらでも、その瞳からは野心がそこはかとなく伝わってきた。
「よぉ兄さん。景気の方はどうよ?仕事はうまくいってるか?」
「……まぁまぁだ」
腕を組み、壁に寄り掛かるアデランテの隣に男も寄り掛かる。直後にさりげない仕草を交え、抜け目なくアデランテを上から下へ。
装備と容姿を確認する動きを見せるが、目につく獲物は腰に差す剣のみ。顔もフードとマスクで大部分が隠れ、得体の知れない冒険者に眉を顰めた。
「受付まで相当待ち時間があるんで、参ったのなんのって。パーティじゃ誰も来たがらねえからクジ引きで今日は俺の番ってわけよ。悪いけどちぃとばかし話し相手になってくれや。暇すぎて死にそうなんだ」
親しさ、よりも馴れ馴れしさが際立つ男から早くも心が遠ざかる。臓書に籠もるか悩みどころだが、曲がりなりにも相手は青銅等級の先輩。
チラッと首から下げたプレートを一瞥し、有意義な情報を聞ける事に望みを託すが、漏れ出すのは武勇伝や愚痴ばかり。
時折アデランテに放つ質問も躱し、適当に相槌を打てば男も話題が尽きたのだろう。本題とばかりに姿勢を変えた。
「兄さん、さっき入口でオルドレッドと話してなかったか?」
「オル…誰だそれは?」
「とぼけなくたっていい。あいつはこの辺じゃあ、名が知れてっからな。あの容姿全部含めてってとこもあっけど」
【……貴様が遺言を捏造した女だ】
「あ、あぁ!オルドレッドか…捏造とは酷い言いようだな」
「はぁっ?」
「何でもない。こちらの話だ。彼女は…私の知人の知人でな。その知人の事で少し会話をしていた」
咄嗟に名前が姿と合致せず、至って冷静に対処したつもりだったが、意味深な笑みを浮かべた男は顎を擦る。
「…ほぉ。共通のお友達の話をするんで、扉の後ろにわざわざ引っ張り込んだと。誰が声かけても素っ気ないってのに、随分な好かれようだわな~」
「親しい間柄でもないがな」
「ほぉほぉ……回りくどい話をしても仕方がないな。兄さん、俺んところのチームに入ってみないか?」
「最初からそのつもりで声をかけたのか」
「こっちも命張って冒険者やってんでな。実力がある奴がいりゃ仲間に入れたくもなるってもんだ。オルドレッドの尻追っかけてたら、たまたま兄さんを見かけたのもあるが、鉄等級とは思えない立ち振る舞いにその気迫。見掛け倒しなんかじゃあねえ。冒険者になる前は何をやってた?」
視線はプレートへ向けられるが、伸ばされた腕は酒場の女を舐めるような手つきで。触れる直前にガッと手首を掴めば、男は目を丸くしてアデランテを見つめた。
「悪いが慣れ合うつもりはない。話し相手なら他をあたってくれ」
ギリギリと音を立てた腕の力を抜けば、パッと男は手首を引き戻す。指を開閉しながら擦り、訝し気にアデランテを睨む。
だが口を開く間もなく――。
「――…678番の方~」
ふいに受付から声が聞こえ、男がポケットをまさぐって番号札を見下ろす。呼ばれた数字に肩を竦め、アデランテを一瞥すれば何時でもチームに歓迎する事。
その時はオルドレッドも是非連れてくるよう言い残し、早々に去っていった。ようやく暑苦しい空気も消え、心なしか一帯に涼しさすら感じられる。
「……せっかく男になったから少し口調を変えてみたけど、結構しんどいな…まるで真面目な人間になった気分だよ」
【言葉を変えれど中身まで変わるわけではない】
「おっ、なんだ褒めてくれてるのか?」
【すぐに化けの皮が剥がれると忠告している。口を閉ざしていろ】
辛辣な言葉が棘となり、喉の奥に容赦なく食い込む。それでも乾いた笑みで開き直れば、口を覆うマスクに優しく触れる。
これなら余程近付かれるか大声でも出さない限り、ウーフニールと心置きなく会話も出来るだろう。
姿を暗ますと宣言した手前。もっと前に思いつけばよかった案に嘆息を吐くが、2人の時間はまた別の冒険者の接近によって中断させられた。
今度は相手は女の冒険者で、獲物は背中に収納した斧。
新旧掛け合わせたチグハグな装備を着た彼女は、首から鉄色のプレートをぶら下げていた。
「あの、はじめまして!“黄金の月”のメンバー、タリアレスって言います」
「…黄金の月?」
「あ、あはははは。新人には分不相応な名前かもしれませんが、いつか金等級になれた時に尊敬されるよう、って仲間が考えたんですけど、やっぱり恥ずかしいですよね」
「いや、そうではなくて…」
【ギルドにてパーティ名の登録を行なう事が可能。名声を得る1つの手段でもある】
「……へぇ~、カッコいい名前じゃないか。それで私に何の用だ?」
「えへへへ~…あっ、それでもし良かったら同じ鉄等級としてパーティに入りませんか?アタシたち、本気で金等級を目指してて、いつかギルドのMVPルームに泊まって町を見下ろすのが夢なんです!」
喜び勇んで語るタリアレスに反し、聞き慣れない単語ばかりで戸惑う他ない。すかさずウーフニールに情報を求めれば、視界に突如文字が浮かぶ。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
1階;総合受付
2階;個人またはパーティ部門の相談窓口
3階;事務所、冒険者係
4階;事務所、商業係
5階;会議場、金等級以外は利用料が発生
6階;会議場、ギルド職員も使用可能
7階;ギルドマスター私室
★8階~10階;MVP宿泊所
◆任意オプション
・勤労奨励の一環で順位付けを実施
・優秀な成績を収める冒険者に表彰状贈呈
・金等級8パーティに上階高級宿を無償提供
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
「…街もだけど、こっちのギルドは随分と賑やかなんだな」
「そりゃそうですよ!ギネスバイエルンで名前を挙げれば生涯安泰なんて言われてるくらいなんですからっ!その夢のためにも鉄等級同士、一緒に頑張ってみませんか?」
「……すまないが遊歴の身なんでな。町に長居するかも分からないんだ。勧誘してくれた事には感謝する」
淡々と返せばタリアレスも最初こそ悲しい瞳を向けていたが、すぐに笑みを浮かべれば、去り際に気が向いたら連絡するよう残して去って行った。
呆然と彼女を目で追い、それから流れるように番号札を見つめる。
掲示板に職員が梯子で登り、頻繁に数字を組み替える様子も眺めるが、順番はまだ回りそうにない。
訓練場で1、2戦交えられそうな時間に、ウーフニールへ声をかけた矢先。
「新人さんだよね?パーティを探してるなら、ウチはどう?話だけでもいいからさ」
飄々とした雰囲気の男が、単刀直入に話題を振ってきた。
二言三言会話し、体よく断って再び内に籠もろうと試みた時。ウーフニールとの会話を再度遮られる。
「新人だろ?1人じゃ不安なんじゃないか?」
「よっす!鉄等級だと色々不安もあるだろ?質問があれば何でも聞いてくれよな!」
「あら、良い男じゃない。暇なら宿に寄ってかな~い?今なら手取り足取り、何でも教えてあげるわ~」
入れ代わり立ち代わり。落ち着く間もなく声を掛けられる様は、ギネスバイエルンの洗礼にさえ感じられた。
たがそんな会話も後半に差し掛かるにつれ、彼らの思惑が透けて見えてくる。
多くの冒険者はオルドレッドが目当てで。彼女の実力は誰もが認めるが、当の本人は頑なに他者と関わろうとしない。
最近ではケガも顧みず仕事に打ち込み、そんな彼女の身が心配――などと話すが、最後にはオルドレッドをパーティに加入させたい旨を必ず織り込んでくる。
その釣り餌として唯一彼女が興味を示したアデランテを引き込みたいらしい。
純粋にパーティへの加入を所望する声もあったが、相手が男の場合は夢を語り。身体に自信がある女は腕に絡みつき、露骨に胸を当ててくる。
甘い声や上目遣いを駆使するが、アデランテに女の誘惑は効かない。腕を優しく解き、丁重に断ると半分は気が変わったら声をかけてくれと。
残りは後悔するなと捨て台詞を吐く。
そして一部の女はオルドレッドのようにメモを渡し、寂しくなったら来るよう宿泊先を教えられてしまう。
「……受付の仕事は私に向いてないな」
一通り勧誘も掃け、ようやく1人の時間を手に入れると肩で大きく息を吐いた。
2人目で疲れたというのに、立て続けの会話に訓練所へ向かう気力も残っていない。恐らく聞く事もまた秀でた能力の1つなのだろう。
羨望の眼差しで受付を眺めれば、いまだアデランテに視線を投げる冒険者が視界の端に映る。一刻も早くロビーを離れたくなり、いっそ冒険者業の辞退も視野に入れた途端。
【番号】
深々と俯いていると腹底から声が響き、思わず顔を上げる。掲示板は待ち望んだ番号を掲げ、嬉々として壁から離脱した。
纏わりつく視線に脇目も振らず。程なく壁一枚隔てた先に男の職員が待ち受け、笑顔でアデランテを迎えた。
しかし豪華な仕切りは冒険者と彼の世界を隔てるようで、思わず見回せば慣れた反応だったのだろう。淡々と書類を机に用意した職員が静かに切り出した。
「初めまして。当ギルドのご利用は初めてですか?」
「あ、あぁ。よく分かったな」
「高級宿、という印象を受けられたかと思いますが、ギルド発足前は成功された傭兵団の宿泊施設として経営されていました。冒険者プレートも魔法大学と遺跡調査へ出向いた際に発掘された代物でして、その時に護衛されていた傭兵隊長がギルド創始者であり、宿もそのまま拠点に買い取ったというわけです」
流暢に語る様子は幾度と同じ説明を繰り返してきたのだろう。面倒臭がる事なく、むしろ誇るように語る彼に生返事をしながら周囲を見回す。
部屋全体の内装にも納得がいき、宿の受付にも見えた造りは気のせいではなかった。8階から先が宿泊施設であるなら、“宿”の体裁も残しているのだろう。
物思いに耽る間も話し続けた職員は説明を終え、居住まいを正せばようやく本題へ移った。
「それでは本日受けられる依頼の提示をお願いします」
「…提示?」
【入口右手の掲示板に依頼票が張られている】
「あぁそういう仕組みか…すまないが依頼ではなく、ギルドの登録に来たんだ」
「加入申請?……失礼ですが二重申請は規則上許可されていませんよ?」
ふと顔を曇らせた職員は首から下げたプレートを一瞥し。思わぬ弊害に一瞬思考が途絶えたが、ソッと首から外せば彼の前に置いた。
「これは知り合いの物なんだ。行方知れずで探し回っているのだが、いずれ持ち主に返すつもりでいる。持っている分には問題ないだろう?」
「…そのような深い事情があるとも知れず、申し訳ありませんでした」
「気にしないでくれ。そこまで深い話ではないさ」
むしろ持ち主は目と鼻の先にいる事実を職員が知る由もない。彼も体裁を整えるように机を片付けるや、下から別の書類を引っ張り出した。
「お待たせしました。こちらが申請用の書類となります。ギルドを利用するにあたって、説明を受けられますか?
「概要は知り合いから聞いているから問題ない」
【虚言】
「お前が知ってるならセーフだろ」
「…え?……え~、承知致しました。それでは申請用紙にお名前と連絡先の宿泊施設をご記入お願いします」
滞りなく終わった“言い訳の数々”に、こっそり安堵の溜息を洩らす。マルで囲まれた記入箇所に手を近付ければ、まずは連絡先欄に筆を走らせた。
「めん……どりの目覚め…亭、っと。これでいいか?」
【貴様が所望する人気のない宿屋の名称。空き室は残っている】
「ふふっ、本当に便利な力だな。じゃあ次は…っと」
【……何を書いている。そこは貴様の名を…】
「…書き終えましたか?」
内容が聞き取れない独り言に、職員も訝し気に眉をひそめた。しかし差し返された申請書に目を通せば、すかさず職員用の空白欄を記入する。
その間もチラチラとアデランテの様子を窺った。
「“雌鶏の目覚め亭”とは随分マニアックな宿泊先で休まれてますね。ギルド提携の店ではないので、割引などありませんが問題ありませんか?」
「静かな場所が好きなんだ」
「承知致しました。え~、お名前は…」
職員が言い終えるや否や、体内で蠢く唸り声に身体が異様に疼く。突然の奇襲に足から力が抜けるが、咄嗟に受付台に掴まって崩れ落ちずに済んだ。
表情もマスクとフードで覆い隠され、周囲にアデランテの胸中を悟られる事はない。
しかし荒い呼気は周囲にも洩れ、職員の心配も片手で制す。
何も問題ない事を主張するが、戸惑う彼に渡した受託票には〝ウフニィル・アデ・ライト”と記されていた。