083.すれ違いランデヴー
路地裏を抜けた途端、耳をつんざく賑わいに思わず奥へ引っ込んだ。慣れるまで時間を要したが、やがて首を覗かせればタイミングを計って雑踏の中に紛れ込む。
人の多さにフードを目深く被って俯き、極力人目に晒されないよう心掛ければ、アデランテの決意が同居人に伝わったらしい。
視界の端では映像が次々浮かび、まるで馬車から見ているような景色に感嘆する。
飛び出した路地を含め、街道は隅々まで整備され。全ての建物は最低でも3階から成り立っていた。
店構えもアウトランドの様相を遥かに超え、所狭しと様式様々な装備が店内。そしてソレらを着込む冒険者たちで溢れ、前を通るだけでは店の中さえ見えない。
騎士団時代は遠征で見知らぬ町を訪れた事は多々あったが、冒険者として来ているからだろうか。
あるいは“唯一無二の相棒”と訪れているからか。動悸は一向に鎮まらず、地に足を着けるので精一杯だった。
「…すごい人通りだな。故郷でもここまでの賑わいはなかったよ」
【交易都市としても知られ、収穫品が多方面へ出荷されているがゆえに発展した】
「オーガが10匹紛れ込んでも太刀打ち出来るくらい冒険者で溢れ返ってるしな……あの店から良い匂いがするけど金はないし、ひとまずギルドに顔を出してみるか」
【北西の道を進み、突き当たり左】
「ははっ、初めての街だって言うのに心強い案内人だな…そういえば訓練場から昇ってくる度にウーフニールが書庫で忙しくしてたけど、遭遇した山賊はこの街から流れ出た奴が多いのか?」
【ギネスバイエルンに所属していた元冒険者8割。合流した元来の盗人並びに追剥2割】
「…発展も一長一短だな」
垣間見えた街の闇に溜息を洩らしつつ、指示通り北西に進んでいく。その間も人混みが減る様子はなく、しかし商店街を抜けた途端に喧噪が遠ざかった。
代わりに足音と呪詛のような囁きで一帯は溢れ、流れに乗ればウーフニールの案内も不要になる。
人混みの先に群を抜いた高さの建物が見え、2階に架かった巨大な看板が良い目印だろう。窓を数えれば10階はあり、雑踏も吸い込まれるように向かっていく。
おかげで遅々と進む列に辛抱強く付き合う羽目になり、やがて扉を潜る順番が回ろうという時。
「おっ?すまない」
「あっ、ごめんなさっ……あら?」
すれ違いざまに出てきた冒険者とぶつかり、互いに謝罪を述べたのも束の間。言葉に詰まった相手は立ち止まり、ふいにアデランテの腕を掴んだ。
そのまま強引に扉裏に引きずり込まれ。人通りを邪魔しなければ人目にもつかない場所だが、大人2人を収納するには狭すぎた。
背中には硬い扉が。前面は豊満な胸が押し当てられ、むせ返る甘い香りに思考が乱される。
視界には褐色の肌が映り、くびれを強調する薄着は身じろぎする度に“色々”はみ出しそうで。ようやく顔を上げれば、次に捉えたのは緑がかった白髪のショートヘア。
そして長いまつげや特徴的な尖った耳が、上下にピクンと1度跳ねた。
互いに視線が交わり、やがてニコリと笑みを浮かべた彼女は艶やかな唇を動かす。
「…アデット?アデットなの!?久しぶりじゃない!こんなところでどうし、って同じ冒険者なんだから、こっちに来てても不思議じゃないわね。あれから元気にして…んんっ?」
思わぬ再会に喜ぶや否や、突如彼女の顔色が怪訝そうに曇る。アデランテの顔を覗き込もうと首を傾げ始め、咄嗟にフードの奥に身を引いた。
先手を打って誤魔化そうにも、そのための言葉が思いつかない。
何故なら彼女の名前がまず思い出せないから。
押し付けられる柔肌と甘い香りは、洞窟での悪夢を彷彿させる。巨大な8つ足の魔物との奮戦も、脱出時の苦難も。
彼女が大切にしていた仲間の死とその想いも。そして臓書を訪れるきっかけを作り、別れ際にとめどなく流した涙も。
全てが昨日の事のように、はっきりと脳裏に浮かんだ。
だというのに彼女の名前が出てこない。
同居人も助け船を出す気配はなく、視線を泳がせて途方に暮れていた矢先。眉を顰めた彼女に突然顎を持ち上げられ、マスクを容易く降ろされる。
キスを迫るように顔を近付けるや、空いた手でベタベタと胸板を撫で回し。ますます険しい表情を浮かべれば、彼女の指先は胸から腹部へ。
そのまま下腹部を這い、やがてピタリと止まった先で躊躇なく股座を握り込んだ。
「おぉ゛ぅッッ!?…んんぅッ…」
途端に走った刺激に耐えきれず。下腹部から洩らすように嗚咽を零せば、力なく胸にもたれかかった。
それと同時に彼女の答えが出たのだろう。ハッと我に返って目を見開けば、慌ててオルドレッドが手を離した。
「ごごご、ごめんなさい!人違いだったみたい。別の町で、とっってもお世話になった人に似ていたからっ……でも頬の傷の位置とかもそっくり。それに瞳も…もしかしてあなた、アデットの双子のお兄さん?」
「……そ、そうなんだ。アデットは、え~っと君の言う通り双子の妹で、私はアデラああぁ~~~??……イト、だ」
「アデライト…確かソーデンダガーだったわよね?初めまして、私はオルドレッド。オルドレッド・フェミンシアよ。宜しくね」
旧友と再会したように喜ぶオルドレッドが自らを指せば、指先が豊満な胸に沈む。
しかし挨拶も程ほどに。顔を寄せてアデランテの瞳を見つめれば、撫でるように左頬の傷に触れた。
「それにしてもお兄さんまで妖瞳だなんて…ご両親も左右で瞳の色が違うのかしら?」
「ひ、瞳の色は母親譲りなんだ!」
「ふ~ん…でも傷まで同じところに残るなんて…」
「……キズは父親譲り、かな」
「傷までっ?」
「親子ともども同じ失敗を繰り返してな。どうしようもない兄妹なんだ、私たちは…その、傭兵の家系だから荒事も多くてッ」
しどろもどろに応じるアデランテに納得したのか。ようやく身を引いたオルドレッドにホッとしたのも束の間。
頬に触れた指が滑らかに首筋を伝い、流れるように首のプレートを摘まんだ。
表面をなぞり、神妙な顔つきで瞳を向けてくる彼女に、冷や汗がとめどなく背中を流れる。
「…これ、アデットの冒険者プレートじゃない……もしかして彼女の身に何かあったの!?力になれる事があるなら…ううん。何が何でも、どんな手段を使ってでも協力するわ!彼女には返しきれない恩があるのよ!」
「……た、大した事じゃないさ。もともと放浪癖がある奴で、最後に会った時にプレートを忘れていったから、返してやろうと思ってこの街に来たんだが…今のところ見かけないからな。探すついでにギルド登録でもしようかと」
「そうだったの…見かけたらあなたが探してるって伝えておくわ」
名残惜しそうに離れるオルドレッドを見送り、彼女の背中を追って扉の裏から出る。充満した甘い香りの層を抜け出すや、途端に泥や草が混じった臭いが漂う。
「…オルドレッドだったかぁ」
言われるまで結局思い出せず、無念そうにフードとマスクを付け直す。彼女が無事であった事は喜ばしいが、同時にダニエルへの罪悪感が肩に圧し掛かる。
扉裏の会話があれ以上続けば、それをも顔に出していたかもしれない。
表情を隠すアイテムに感謝を捧げ、気持ちを新たに受付を目指した矢先。視界の端に消えかけたオルドレッドが止まるや、雑踏の流れに逆らって戻って来た。
顔を寄せるあまりに胸を押し当てられるが、彼女は一向に構う様子はない。
「もしあなたの方がアデットと先に会えたとしても、必ず私を呼んでっ。お礼をしないといけないから」
「…気にする奴ではないと思うが」
「私の気が済まないの!いい?絶対よ!?ここの宿に泊まってるからっ」
腰のポーチから取り出した紙に殴り書くと、アデランテの手中に無理やり押し込んだ。勢いに乗せられて渋々承諾すれば、最後に執拗な念押しと訝し気な視線を送られる。
すかさず壊れた人形のように頷けば、やがて満足したのか。あっさり踵を返したオルドレッドは、今度こそ雑踏の中へ消えていった。
「……前にもこんな事があったな」
【貴様が難なく偽りを語れるとは珍しい】
「あれが私の精一杯だよ。人を騙すのは気分の良いものじゃないけどな…それにしても名前くらい教えてくれても良かったじゃないか」
【あの女との関わりは面倒事を生む】
無機質ながらも、はっきり線引きするウーフニールに強く言い返せない。渡されたメモ書きを懐にしまい、小さな嘆息を吐けば見えない彼女の幻影を追った。
声をかける暇もなかったが、薄着の彼女では隠せない生傷や怪我が目立ち。治療もせずに動き回っている印象が瞼の奥に焼き付いてしまった。
「…無茶をしてなきゃ良いんだけどな」
次の再会時に尋ねる事を心に留めるや、ようやく意識を冒険者ギルドに戻した。
受付に続く雑踏に再び合流するが、ふいに人垣が左右へ分かれていく。中央には長い巻き紙が吊るされ、順々に千切り取る所作を真似て1枚取る。
そこには番号が書かれ、受け取った冒険者たちも次々散開。そのままギルドに残る者もいれば、外へ出て行ってしまう者もいる。
待ち時間の使い方は個人に委ねられているらしい。
しばし悩んだ末、待機する事を選べば前者の流れについていった。人混みもようやく晴れるや、ギルド内部の光景に思わず足を止めてしまう。
1階だけでもかなりの広さを有し、床は全て大理石。部屋全体の年季は感じても、内装は高級宿の様相を呈していた。
冒険者の溜まり場よりも富を象徴して見え、居心地の悪さを感じてならない。
だが周りの冒険者たちは臆せず、いくつも並べられた長机や長椅子に腰を下ろしていた。
ある者は壁に身体を預け、それぞれ真剣そうに。
はたまた楽しそうに談笑している姿が映れば、彼らに習って周囲を見回し。直後にアデランテの意に叶う空きスペースがオレンジ色に輝いた。
すかさず小声で感謝を告げると、早足にソファへ腰かけて背中を深々と預けた。
「…書庫にあるソファより硬くて落ち着かないな」
しかし座っていたのも数秒だけ。早々に立ち上がって再び見回せば、オレンジ色に輝く無人の壁が視界に映る。
素早く近付けば身体を預け、ようやく落ち着いた所で番号札を見下ろした。
それから部屋奥の受付上部に記された番号を見比べるが、時間はまだまだ掛かりそうで。臓書に籠もるか検討すれば、折角の機会を活用すべく諸先輩方に視線を走らせた。
弓に剣。
盾。
見た事もない形状の装備や、実戦に不向きな防具。
店先の展示品と異なり、生きた人間が装備した姿は見るだけで実感も変わる。加えて見れば見るほど装備を通し、着用者の側面も感じる事ができた。
擦り切れ、日に晒されて色褪せた武具の所持者はギルドの常連なのだろう。勝手知ったる様子で過ごすが、その誰もが熟練の雰囲気を漂わせている。
魔物相手に生き延びた独特の風格は、一般人でなくとも近寄り難く思えてならない。
そして新品で、まだ傷も殆ど入っていない装備を着用する冒険者は初々しく。敷居の高いギルドの内装に、いまだ慣れない様子でビクついていた。
今は未熟さを隠せずにいるが、彼らの様相は誰もが通る道。いずれは熟練者と肩を並べる顔つきになる事を考えれば、つい笑みを零してしまう。
観察も一通り済み、臓書へ向かおうとウーフニールに呟こうとした刹那。彼の無機質な声に反応して顔を上げれば、視界の端から見知らぬ人物がアデランテに迫っていた。