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079.弔いの挽歌

 山の斜面を登り、あと少しで頂きに手が届くという時。温かな日差しは消え、陰鬱とした赤い濃霧がアデランテの前に立ち込めた。

 憶えのある6つの目が鼻先に現れ、怪しげに揺れる影が薄っすら笑みを浮かべている。


{お久しぶりですねぃ、我が従順なる信徒にして、愛しのファルニーゼ!此度は大変な成果を…どうかされましたかねぃ?まるで苦虫を噛み潰したような顔をされて}

「…せめて登頂してから話しかけて欲しかった、って言うのと。会う度に心臓を握られるか、とんでもない使いっ走りを任されてれば憂鬱にもなるだろ。最後に会った時は記憶まで消されたらしいしな」

{その代償に力を授け、貴方の生に多大な貢献を果たしたはず。そもそも記憶を失った自覚さえ無いはずですから、何も問題はないでしょうに}

「消えるって分かってれば身構えるし、何を失ったか少し不安になるんだ」

【少し、なのか】

「少しだけ、な?」


 微笑を浮かべるアデランテに興味も惹かず、赤い霧の中からオーベロンが囁く。


{感動の再会も果たしたところで、本題に移るとしましょうかねぃ。“白銀のセラフ”を抹消した功績は“アルカナの巻物”に続く大戦果と言っても過言ではありません。貴方の信仰がこの世の隅々まで我が威光を知らしめ、世界が浄化される日もそう遠くはないでしょう}

「世界の浄化?」

{事実、脅威は去って町に平和が訪れた。違いますかねぃ?}


 さも当然とばかりに放たれる言葉は、かつてウーフニールとの会話で自ら出した結論でもある。

 だが血と汗を流したのもアデランテたちであり、幾らか覚えた反感もカラっ――と。斜面を転がっていく小石を目で追うように、急速に胸中で縮んでいく。

 崖に掴まるアデランテから落下先は見えず、気を抜けば眼下の森へ真っ逆さま。無計画な行軍で立ち往生し、横着して登り始めた事は否めない。

 しかし後戻りも回り込みも億劫に感じ、気付けば登頂も目前に迫っていた。 


 そんな最悪なタイミングで現れたオーベロンに、有難みを覚えるはずもなく。それでも余計な口を挟んで心臓を握られないよう、取っ掛かりを強く握り込む。

 信者の胸中を知る由も無く、すかさずオーベロンは言葉の続きを紡いだ。


{“白銀のセラフ”。偽りの星の名を持つ災厄を、たった一夜の輝きの下で葬り、神託から1月と経ずに居場所の特定から解決までこなした神風が如き所業。それこそまさに信徒の鏡!貴方の信仰心をまたもや証明して頂けました事、心より感謝申し上げます…そして大いなる働きには相応の見返りを。此度の件を称えるべく、祝福を奮発すると致しましょうかねぃ}

「奮発って言われると有難みもだいぶ薄れるな」

【登り切るか今すぐ下降しろ】

「どうしたんだよ急に…ん?祝福?……ッッ!ちょっと待っ」


 ウーフニールの警告も空しく、気付いた時には手遅れだった。


 途端にオーガ戦がぬるく感じられる激痛が全身を巡り、その拍子に支えを握り潰してしまう。 

 そのまま瞬く間に落下していくが、岩壁を掻き毟って取っ掛かりを掴み直し。その間も血液は逆流し、身体中の骨が砕けては捻じ曲がる事を繰り返す。

 思考は沸騰したように白濁し、打ち付ける鼓動に心臓は張り裂けそうで。叫び声すら喉を通らない最中、不思議と視覚は吹き荒れる砂嵐を捉えていた。


 断片的に大量の本棚が映り、臓書の景色にも見える。


 

 しかし何かが違う。


 そう感じた刹那、瞳を砕く激痛に仰け反った拍子で脱力し。筋肉の強張りが解けるや、重力に導かれるがまま下降していく。

 叩きつける風は涼しくすら感じられ、鉛のような四肢が動く事を拒む。


 だが独りで伸びた腕が突き出た枝に掴みかかれば、息が一瞬止まるのと同時に――メキっと。アデランテの身体が僅かに下がったが、殆ど全身を覗かせた根は辛うじて体重を支えてくれた。


 朦朧とした意識にもようやく火が灯り、遠方の空に虚ろな瞳を向ける。


「……は、ははっ…お前、本当は私のこと、殺そうとしてないか」

{不可抗力というものでございますねぃ。それにこの程度の高さで亡くなるほど、軟弱な肉体と精神を持ち合わせてはいないでしょうに}

「大型の魔物でも十分死ねる高さだぞ……消える前に1つ聞いておきたい。あのガラス細工は生き物を操れて、最初はウーフ…貰った例の力とやらで私に効いてないのかと思ったけど、他にも平気な奴らがいたのはどういうことだ?」


 下降してきた霧が大きく乱れ。6つの瞳が名状し難い形に歪むが、程なく輪郭が戻ると恙なく答えが返ってきた。 


 

 〝白銀のセラフ”は対象の意識を揺さぶり、思うがままの精神状態を付与する特性を持つ。


 だがアデランテ・シャルゼノートとしての人の心。そして与えられた心の中の怪物。

 混在した2つの意識が揺さぶられた結果、不協和音が生じて術の影響を跳ね除けた。

 

 ではジェシカやコルテリアに何故効かなかったのか。それは音色との同調が必須ゆえに、音感が壊滅的な人材には通用しないらしい。



 霧が乱れるや、話題に興味を失ったようにオーベロンは言葉を零す。


{――…以上で宜しいですかねぃ?またいつかお会いできる日を楽しみにしていますよ。残念ながら当分その日は来ないと思いますが}

「…どういうことだ?」

{貴方に授ける試練が当分は“ない”という事。此度の功労への追加報酬、いわば超長期休暇と思って頂ければ幸いですねぃ…それではゆっくり療養なさるように。我が愛しのファルニーゼ}


 時空が渦巻けば、オーベロンの姿は空へ吸い込まれるように消えていく。急速に風の音が耳元を吹き抜け、パラパラと頭上から絶え間なく砂埃が降ってくる。


「…一文無しで休暇を言い渡されてもなぁ」

【報酬を拒絶した貴様の自業自得だ】

「金って言うのは1番必要とする人が持つべきなんだ。前にも冒険者2人に言ったろ?それに私らだったら何とでもなるし、どうとでも出来る……ただ次に依頼する時は場所だけでも教えろって念押しするの忘れてたな」

【尋ねたところで答えを返すとは思えん】

「ははっ、同感だ」


 土埃に覆われた顔を拭い、見上げれば頂きが遠のいてしまっている。登山の疲労とオーベロンの祝福から回復し切っていないが、一息吐いた途端。


 止まらず。

 休まず。

 加速した手足を取っ掛かりに乗せた瞬間には、次の足場へ移動した。瞬く間に元いた地点を通過し、勢いを殺す事なく進めば徐々に視界が開けていく。



 やがて指先が崖の端を掴んだ瞬間。身体を放り投げるように持ち上げ、地面を大の字に寝転がった。

 胸を上下させ、雲1つない空へ意識が吸い込まれそうになるが、オーベロンが去った方角を思い出せば咄嗟に目を覆った。


【…初めから飛べば良かったものを】

「ふー…もうちょっと、待って…くれ……ハァハァ。お前に頼る時はトコトン頼るけど、私の力で出来る事なら全身全霊でやりたいんだ。ハァハァ…んぅ、し、親しき仲にも礼儀あれって言ってな。ウーフニールにばかり頼ったら悪いだろ?」

【ならば今後の人名や地形の道標は不要と判断する】

「そこは全面的に任せたいところだから勘弁してくれよ…」


 喉を鳴らし、声を出す度に肺がカッと熱くなる。それでも話す事を止めず、身勝手な行動と発言に唸り声が返ってきた。

 

 再び笑えば指先を開閉し、身体が動く事を確認する。そのまま一気に起き上がろうとしたが、足の力が抜けて岩場にへばりついてしまう。

 気力は回復したつもりでも、身体の準備はまだらしい。祝福による後遺症に溜息を洩らし、岩に背を預けるとゆっくり空を仰ぎ見た。


 群青の空は知らぬ間に雲が漂い、風に吹かれて様々な形に変えていく。

 その変幻自在な様相に思い浮かぶのはウーフニール。


 そして食べ物だった。


「……お腹すいたなぁ」

【登攀前に渡された物を喰らったはず】

「身体を動かしたから、かな。もっとがっつり食べたいし、どこかの町で金を稼ぐしかないか。ウーフニール、このまま稜線を進んで行ったらどうなる?」

【該当情報なし。未踏の地】

「なら行き先はソッチで決まりだな」

 

 腹の音に代わって無機質な声が響き、つま先で地面を何度も蹴る。

 

 今度こそ直立すれば身体が弱音を吐かないか入念に確認し。1歩踏み出してみれば、もう1歩進んでも足がフラつく事はない。

 風に煽られる事も無く、山の頂を上機嫌に進もうとした矢先。


【貴様とは如何なる人物だ】


 聞き覚えのある声と質問に足を止めるが、小さな嘆息を吐けば再び歩き出す。


「またソレか。カミサマと会う度に聞くつもりじゃないだろうな?」

【答えろ】

「…アデランテ・シャルゼノート。ウィルミントン王国騎士団の滅びた第3隊の団長にして、カミサマの忠実な小間使い。今はウーフニールに付き合ってもらいながら根無し草の旅をする冒険者アデット……下の名前はなんだっけか?」

【ソーデンダガー】

「アデット・ソーデンダガー!!カミサマの依頼も2つ果たして、これからウーフニールと長い休暇を満喫するところだッ」

【ウーフニールの肉体を奪う前の貴様は】

「奪うって、死ぬまでちょっと借りてるだけであって、使命が終わったらちゃんと返すよ。お前と約束したろ?……でも正直なところ、話せるほどの思い出がないな。団長に奢らせて食べた菓子とか、前々団長が聞かせてくれた絵本の話とかくらいで、あとは城内外の巡回業務と懲罰房での反省。戦闘訓練と戦場での血生臭い生活しかないぞ?」


 訝し気に首を傾げ、見えない話し相手の返答を待つ。しかし腹底を這う声の代わりに、視界が突如白い霧で覆われた。






 

 まず最初に剣が見えた。


 土と草の強い腐臭が漂い、鮮血と怒号が飛び交っている。

 敵も味方も入り乱れ、死者と生者の区別がつかない戦場に“善”の感情が入り込む隙はない。


 だが景色はすぐに消滅し、温かい暖炉の前で集う仲間たちの顔が映った。


 よほど寒かったのだろう。誰もがジャガイモを入れたお湯のコップを持ち、骨の髄まで震えている。

 それでも弱音を吐かず、冗談交じりに下ネタを飛ばす彼らの笑いは絶えない。



 かと思えば眼前に墓石が現れ、見回せば団員の陰鬱な表情が浮かぶ。雨で濡れた墓地が周囲に広がり、刻まれた名前はかつての仲間たちの物。


 彼らが何故死んだのか。

 いつ土の下に埋められたのか。

 悲しみは当然あるが、戸惑いの方が大きい。葬列に並ぶ知人の肩を掴んで疑問をぶつければ、振り返った仲間は途端に笑顔で叫んだ。

 

 手には酒。空には花弁が散り、肩を組まれると墓に名を連ねたはずの男が階段にいる。

 知らない女と共に教会から歩き出し、まさかアデランテのように生き返ったのか。


 だから祝福しているのか。

 

 結婚式を挙げているようにも見えるが、ふいに茂みから敵意で満ちた兵士が飛び込んできた。

 アデランテの腹に刺された剣を掴み、返す刀で相手の首を斬り落とす。負傷しても後退の二文字はよぎらず、そのまま戦地を駆け抜けた。

 

 それから数多もの兵士を切り捨てていくが、ふいに若い敵兵と目が合った。恐怖に顔を歪めたまま向かってくる彼に、剣を振り上げれば慣れた動作で。

 いつも通り何も考えず。反射的に振りかざした凶器の代わりに、手の中にはリンゴが握られていた。


 周りには仲間と団長がいる。

 1人だけ抜け駆けして食べていると、一斉に文句が飛び交っている。

 それでも怒りは全く感じられず、見慣れた笑顔ばかりが視界に並んでいた。


 

――だが。





  


「……なにを、言ってるんだ?」


 こんなものは憶えていない。

 こんな記憶は知らない。


 彼らが何の話をしているのか。

 誰に話しかけているのか。

 視線も言葉もアデランテに向いているが、本能はそれらを拒絶する。



 すると霧が晴れていき、ふと足元を見れば崖に向かっていたらしい。慌てて軌道修正すれば、稜線でピタリと立ち止まった。

 ウーフニールに見せられた映像にも思考を巡らせ、やがて呆れたように空を見上げる。


「…カミサマにもらった新しい力の試し打ちか?」

【内容に憶えは】

「おぼえ?覚えも何も、騎士団時代の仲間がチラホラ出てきたけど…まさか私の記憶を…私の部屋を覗いて好き勝手いじれるようになったわけじゃないだろうな!?言っておくが物資を燃やしたのは事故で、横着してそのまま食料を温めようと思ったわけじゃないぞ?」

【仮に貴様の記憶を改竄したとして、今見た出来事に心当たりは】

「あるわけないだろ?それに重要な時ならまだしも、急にブワってやるのはやめてくれ。思ってるより心臓に悪いんだ」

【貴様の“重要事項”に十分該当する案件だと認識している】


 無機質な声で囁かれてもやはり答えに辿り着けず。何を思って支離滅裂な映像を見せたのか、小一時間問い詰めたかった。 

 しかしアデランテの思考はいまだ濃霧を纏い、混乱を鎮めるので精一杯だった。


「…良く分からないけど、とにかく休暇は楽しまないとな!また蜘蛛の群れや全滅しかけたパーティと出会ったりするのは勘弁だけどさ」

【遭遇したところで貴様は手を貸すのだろう】 

「当然だろ?それに今よりもっと強くなって、オーガ相手でもボコボコに出来る位になれば、私らもギタギタにされずに済むんだ。これからもお前と一緒に高見を目指していくぞーッ!」

【空へ飛ぶならば変異するが】

「いや、空を指差したのは言葉の綾って言うか…とにかく宜しくな、相棒ッ」

【……貴様は何が起きても変わらんな】


 あたふたするアデランテを尻目に、無機質な声は腹の奥底へ沈んでいく。様子のおかしい隣人に疑問符が浮かぶが、何かあれば彼から知らせてくるだろう。

 改めて気持ちを切り替えれば、地平線の先まで見える山々に胸も高鳴り。冒険者として踏み出す大きな1歩は、鼓動に負けないほど大きな音を立てた。



 直後に元来た道へ戻っている事を示唆され、逃げるように踵を返すまでは――。

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