007.山賊ビュッフェ
山林をかき分け、延々坂を上っては下ること数時間。
歩けど進めど景色は変わらず、時折ぶら下がる枝葉を鬱陶しそうに振り払う。
「……くっそ、町はまだなのか!?」
フゥーっと息を吐いて顎を拭い、少しでも落ち着こうと頭を掻けばフ―ドに邪魔される。
一層覚える苛立ちにもう1度溜息を吐き、理不尽な怒りは自ずと内なる自身へ牙を剥く。
「だぁッもぅ…ウーフニール!町からとっくに離れてるんだ。そろそろ頭のやつを外してくれてもいいだろッふぉうぉオァア!?」
威勢よく怒鳴っていたのも最初だけ。
すぐに栓を抜かれたように萎れ、不自然に歪んだフードが消えていく。
編んだ髪がフワッと肩にしな垂れるも、首筋を撫でた毛先で声が洩れそうになる。
その拍子に体の力も抜け、辛うじて木に寄り掛かって持ち直したが、他愛ないやり取りに体力を大幅に消耗した気がした。
「……何度やってもコイツには慣れないよな」
首元を擦り、フードがなくなった事を確認すると、木に背中を預ける。
いまだ残る火照りを冷ますべく、胸に手を当てて浅い呼吸を繰り返した。
獣道すらない山を歩いても疲労を覚えなかったはずが、フード1つで満身創痍。
間の抜けた休息時間を鼻で笑い、容態も落ち着いて顔を上げたのも束の間。
内側から染み出した無機質な声が、木漏れ日を曇らせたようにすら感じてしまう。
【声量の抑制を推奨する。周囲の注意を惹く】
「…し、仕方ないだろ!さっきだってうなじを撫でられた感じがしてこう、首筋がゾゾゾ~ッっと……町で言いそびれたけど、服まで変えられて、しかも部分的にもいじれるって、どんだけ器用なんだお前は」
【着衣は常に変化する。衣服であれば目測で十分に変貌可能だ】
「本当に凄いな…でも私の髪の色とか、”コイツら”までは消せなかったんだろ?」
挑発するように、意地悪い笑みを浮かべながら左頬。
それから右目を指先で軽く叩けば、脳内に唸り声が鳴り響く。
無念とも形容できる反応にクスクス笑い、再び体を起こせば進行を再開することにした。
フードが外れたおかげで顔に枝葉が掠れ、人間であれば擦り傷か。
あるいは肌荒れを覚悟しなければならないが、変幻自在の身には関係ない。
傷は一切残ることなく、代わりに風が心地よく感じられた。
それを味わうためだけに外していると言っても過言ではなかったろう。
だが決してウーフニールの提案に反対しているわけでもない。
彼の懸念通り、注目を集める容姿は極力覆い隠すべきであり、小国といえど故郷の幅広い影響力を鑑みれば尚更のこと。
それでも嫌なものは嫌なわけで、左右の視界を遮られる挙句に常時頭を覆っていると、絵に描いたような邪教徒像が彷彿させられてしまう。
本能的に取っ払ってしまいたくなり、加えてフードを消す度に首筋を襲う得も言えぬ”あの”感覚。
慣れろと言う方が無理である。
自分の不思議な体。
フード。
ウーフニール。
頭に浮かぶ事柄を片っ端から並べていき、騙し騙し歩けば知らぬ間に目的地へ着いている。
そんな幸運が訪れる事を期待するが、時折遮る邪念や変わらぬ景色のせいで進捗はおろか、時間の感覚すら把握できない。
「……せめて行き方だけでも教えてくれっての。カミサマよぉ…」
命を救ってもらった恩義こそあれ、一刻も早く指名手配の謎を解くため。
騎士団の全滅を報告するため。
そして自らの使命を果たすべく、故郷に戻る必要がある。
だと言うのに、”信仰”の名目で依頼遂行を強いられ、挙句に怪物をこの身に植え込まれてしまった。
途方もない旅路に再び溜息を吐き、膝まで生い茂る草を踏みしめた矢先。
ふいに足を止め、前方を素早く睨んだ。
内側でウーフニールもざわめき、呆けていた眼差しが一転して鋭さを増す。
【前方より未確認生命体の接近を探知】
「分かってる。これでも騎士の端くれだ…行くぞぁあっはんッッ!」
集中するあまりに突如首筋を這い上がった感触に不意を打たれ、辛うじて踏み留まれても声を抑えるには至らない。
間隔の短い息継ぎをしながら顔を上げた頃にはフードが頭を覆い、忌々しそうに虚空を見つめるも、奥の茂みがざわつくと即座に剣を抜いた。
獣にしては足音が重く、気配も複数感じられる。
模造刀同然の武器で戦えるか不安はあったが、なるようにしかならない。
やがて気配が次第にアデランテへ迫ってくるや、比例して柄を握る力も強くなる。
茂みが大きく揺さぶられ、ガサリと人影が出現すると同時に武器を構えたものの、眉を顰めると警戒が徐々に解けていく。
目前をフラフラと。
少し開けた空間に出た青年が、山歩きにはおよそ向かない恰好で走り寄って来る。
足元もおぼつかず、視線を上げた先でアデランテを捉えるや、彼の顔色はますます酷くなった。
しかし瞳に僅かな力を宿すや、最後の力とばかりに腕を精一杯伸ばす。
「…に……逃げ…て」
絞り出すように吐いた言葉を最後に青年は崩れ、急いで彼の下に駆けつける。
容態をサッと調べるが、外傷は特に見当たらない。
毒を受けた形跡もなく、単純な疲労からだろうと結論づいて間もなく。
青年の背後から迫ってきた足音に対処すべく、即座に立ち上がると臨戦態勢に入った。
直後に3人の男が姿を現し、夜でも光りそうな瞳をギラつかせながら青年を一瞥。
時間にしてほんの数秒だったろうが、彼らの注意はすぐに追っていた獲物よりも、傍に佇むアデランテへと向けられる。
それまで殺気立っていた様相もがらりと変え、舌なめずりしながら血走った目を向ける姿は飢えた獣さながら。
手入れの行き届いていない装備に、不衛生かつ凶悪な風貌も、絵に描いた山賊像そのものであった。
噂には聞いていたが、初めて見る姿に啖呵も切り忘れ、思わず感心してしまったアデランテの反応を勘違いしたのだろう。
気を良くした男たちは武器をしまい、傷ついた野良猫に迫るような。
わざとらしく、ゆっくりとした足取りで近付いてくる。
もはや足元の青年には目も暮れていない。
「真面目に山賊稼業をしてっと良い事もあるもんだな~」
「俺たちを嗅ぎ回ってる奴を追ってみたらこーんなご褒美が待ってるとはな。これぞ神様の思し召しってやつか」
「…ガキが。ちっとばかし走っただけで気絶しちまいやがって…ま、当分は起きねぇだろ。それよりも…姉ちゃん。ここらは俺たちの縄張りで、俗にいう通行料ってのを払ってもらわにゃならねんだわ…男女平等に、体でな」
「お、おい。てめぇ、いつから男色に染まったんだ!?」
「馬鹿野郎が!男は命、女は体に決まってんだろっ。てめぇのオツムがそんなだからいつまで経っても下っ端のまんまなんだよ。ちっとは自覚しろ!」
山賊らしいセリフに、三文芝居まで見られた。
拍手まで送りたくなったアデランテが、怯えて動けないと踏んだ彼らは迷わず接近し、3人の中でもリーダー格なのだろう。
もっとも多弁な男が薄ら笑いを浮かべながら、あと1歩で胸元に触れる距離まで近付いた。
しかし男の動きは不自然に止まる。
「……え゛っ゛?」
伸ばされた腕は未練がましく宙を掻き、180度回った顔が、背後に佇んでいた仲間たちの目と合う。
「…えっ?」
困惑する2人の前で白目をむき、泡を吹いて倒れたリーダー格は微弱な痙攣を続ける。
凄惨な仲間の最期を見下ろす男たちは、現実離れした光景に立ち尽くすも、ふと1人が顔を上げた刹那。
振りかぶったアデランテが腕を横に薙ぎ払ったのを最期に、もう1人の山賊も思考が途絶えてしまう。
残るは1人。
瞬きする間に戦況をひっくり返され、生き残った山賊は恐怖に染まった表情でアデランテを一瞥する。
相手が女だろうと、自らも武器を腰に下げていようと関係ない。
仲間の死に際に異常を感じ、悲鳴を上げながら敗走を始めるも、判断が遅すぎた。
もつれた足では満足に進めず、相手が大の男であっても追いつくのは容易なこと。
余裕をもって剣を振り上げ、目測で距離を測れば、仕上げとばかりに無防備な背中にブンっと。
虚空を描きながら腕を勢いよく投げた。
「…あれ?…とぅッ!!あれ!?」
腕を引いては前に、引いては前に。
その度に剣を投擲しようと試みるが、いくら勢いをつけても柄は掌に吸い付いて離れない。
空いた手で持ち直せば抵抗なく取れるも、再び放ろうと指を開いても剣は決してアデランテから離れなかった。
困惑する最中、ふと視界の端で生き残りが茂みの奥まで這っている姿が見え、慌てて剣を放るがやはり投げられない。
戸惑った末、咄嗟に倒れた山賊の武器を拾って素早く投擲。
短剣は風を切き裂き、深々と男の尻に刺さるや、耳を塞ぎたくなる絶叫が木霊する。
事が済むまで潜んでいた鳥も慌ただしく飛び立ち、水溜まりがあれば延々波紋を広げた事だろう。
しかしアデランテはすぐに注意を逸らすと再び剣を睨んだ。
何度か素振りをするや、終いには地面へ叩きつけるように縦へ振る。
「ウーフニール!どうなってるんだコレ?手から全っっ然離れないぞッ!」
【肉体の一部が易々と剥がれるはずもない】
「私の体の一部だとしても剣なんだから離れないわけなッ……今なんて言った?私の一部?」
虚空に向かって吠える合間に、滑り込んだ単語にキョトンと佇む。
アデランテの体の一部。
言われてみれば服も、フードも、腰に差している剣も。
まるで体から生えるように出現していたのを何度も体感している。
唖然としながら剣を掲げ、何度も反転させるが、光の反射から本物にしか見えない。
「…こいつは、私の体の一部で出来てるのか?」
【そう言っている】
「服も?」
【そうだ】
「フードも?」
【全てだ】
苛立つような声に。
あるいは腹底を這うような声音のせいで、不機嫌に聞こえるだけかもしれない。
説明を聞かされるがままに見下ろし、いざ纏っている物が自身の肉体で構築されたと自覚するや、猛烈な違和感がアデランテを襲った。
服の端をつまんだり引っ張ったりするが、肉体的な痛みは伴わない。
左腕の籠手を弾けば、鉄の感触が指先にもしっかり伝わってくる。
「…本当に装備も、何もかもぜんぶ私の体なのか?別にそんな感じはしないけどな」
【貴様の潜在意識が“装備”だと認識しているがゆえに“肉体”と意識していないだけの事】
「なんだ洗剤一式って?」
【…要は思い込みだ。貴様にとって剣は物であって、体の一部ではない】
「ふ~ん……そういえば易々と、って言ってたよな。無理すれば手放せるってことか?」
【手足がもげる痛みを伴う】
「うげッ…そいつはもう御免被りたいところだな」
剣を手放せる条件に思わず顔を背け、思い出しかけた落石の痛みを振り払う。
おかげで意識は再び山賊の悲鳴に否応なく向けられ、いまだ尻を抱えて叫ぶ姿は痛ましい。
困ったように頭を掻き、斬れない剣をソッと鞘に納めた。
「…う~ん、どうするかな。痛めつける趣味はないんだけど……撲殺するのも嫌だし」
【首の曲がった男の生存も確認した。2人分に丁度いい】
「……何が丁度いいんだ?」
チラッと背後を見れば、最初に仕留めた男はいまだ痙攣している。
【宿の店主は記憶が消滅しつつある。空きの補充が必要】
「質問の答えになってないぞ。補充、って何のことだ。それに消えかかってるって、お前は私の中で何をしてるんだ?」
【喰らうのは肉体ではなく“記憶”だ。己が存在を確立する唯一無二の本質。ゆえに奴らを喰らう必要がある。今すぐに】
「……飲み込みが悪いからか知らないけど、何を言ってるのかさっぱりだ。手短に教えてくれ。もし、こいつらをお前が言うように食わないと何が起きるんだ?」
【飢餓を満たすべく貴様の記憶を喰らい始める。咀嚼された記憶は永劫失われる】
ふいに足元を虫が駆け上がる感触に襲われ、怪物が肩越しに囁く情景が浮かんだ。
存在しない生温かい息が吐きかけられ、命を直に握られる幻覚に悪寒さえ走った。
思い返せばウーフニールはあくまで同居人。
神の気紛れで与えられた怪物は、その牙をいつでもアデランテに突き立てられる距離にいる。
忘れていた警戒心に身震いし、顔を振って恐怖心を追い払うとジッと山賊を見つめた。
人の命など戦場で無数に奪ってきたはずが、まるで罠に捕らえた獣へトドメを刺せない気分に陥っている。
「…獣とかじゃダメなのか?」
【容量不足だ】
「……せめて死んでる奴とかは?」
【死者に記憶などない】
「………お前の捕食シーンっておどろおどろしいし、喉を通る時の感覚も苦手なんだよなぁ…」
【記 憶 を 失 い た い の か】
最後の声音が後押しとなり、隠す事なく盛大に溜息を吐いた。
背に腹は代えられず、激痛を訴える山賊の足を掴むと、罵声も無視して首の曲がった男の隣まで引きずっていく。
「放せ!」と叫び続ける言葉に従ってあっさり手放し、地面へ無造作に落とされた衝撃で小さな悲鳴が上がる。
呪言を唱えながら体を起こした男は血走った目でアデランテを睨み、再び声を張り上げようとしたが、彼の雄叫びが轟く事はない。
気怠そうに口を開いた彼女の艶やかな唇から黒いモヤが広がり、もはや敵意も生気も失われた山賊の生き残りが最期に思った事は何だったのか。
のちに知るのはウーフニールだけとなるが、少なくとも彼が尻の痛みを忘れていた事だけは確かだろう。