表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
75/269

074.序曲

 目を瞬かせ、仰向けに倒れていた自身に疑問を覚えると唇を僅かに動かす。


「…既視感、ってやつか」


 ウーフニールを摂り込んだ時とは環境が異なり、全体が極めて無機質な眺めであったが、それでも全身の脱力感が彼との出会いを彷彿させた。

 当時は鳥や木々の囀りが聞こえたものの、耳を傾けたところで何も聞こえない。頭上高くにあった脱出口はさらに遠ざかり、ガラスケースも残骸だけがぶら下がっている。


 ようやく身体を起こせば辺りを見回すが、どうやら“観客席”の只中に落下していたらしい。

 周囲には大小様々なガラス片が散乱し。床に突き刺さっている物もあれば、椅子やテーブルを砕いた物まである。

 あるいは横薙ぎに倒され、無傷の物はごく少数。何もかもが血に染まった空間は、かつての優雅な趣きが微塵も残されていない。

 

【――…いつまで呆けている】


 唐突に腹底を揺さぶった声に、ビクッと肩を震わせる。それと同時に落ち着きを取り戻せば、後押しされるままに立ち上がった。


「……一体なにがあったんだ?」

【どこまで覚えている】

「んー…食べられてる時に鐘の音が聞こえたくらい……身体!私の身体ッ」


 ハッとなって全身をまさぐるが、傷口はまったく見当たらない。

 サーコートの下に着る鎖帷子の感触に、その上からも主張する胸や腰のくびれ。そして咀嚼されたはずの肉体は撫でた先々から感じられた。


 圧倒的な回復力に喜ぶべきなのだろうが、複雑な心境で溜息を零せば、再び見回した部屋に観客や領主はおろか。オーガすら不在の空間に首を傾げた直後。

 突如白い霧が視界を覆い、ガラスケースに閉じ込められたオーガの姿が映った。

 

 頭を抱えながら絶叫する様子から、鳴り響く鐘の音に苦しんでいるのか。全身を乱暴に振り回せば、そのままガラスケースに我が身を叩きつけ始めた。


 剣筋も通さない皮膚は徐々に裂け、鮮血も一帯に撒き散らされ。もはや狂気に侵された行動に畏怖すら覚える最中――ビシっ、と。

 歪な轟音に混じって氷が弾けるような音が木霊すれば――ビシビシっ、と。

 透明な檻に走ったヒビが倒れたアデランテまで広がった途端、堰を切ったように底が粉々に砕け落ちた。


 雷鳴が如き残響を轟かせ、鋭利なガラスが雨となって観客に降り注ぐ。



[……う、うぅぅっっ]

[キャーーーーーーーーっ!!]

[来るな来るな来るっ…]



 それからは阿鼻叫喚。そして一帯は血の海に沈み、晩餐会は瞬く間に地獄絵図と化した。


 降り注いだガラスは触れる物すべてを貫き、命を落とさずに済んだ者も、猛威を振るうオーガに次々捕食されていく。

 その間も命乞いをする声や耳障りな咀嚼音が響くが、一方で先程の咆哮が嘘のように。落下の衝撃で骨が突き出し、傷だらけになろうとオーガが声を発する事は無い。

 ただ無言で観客に腕を伸ばす様相を収めながら霧が視界を包み、再び“宴の後”が眼前に広がった。


「…あの騒ぎの中で良く寝てられたもんだ」


 ひとまず状況を理解したところで足元を見下ろせば、真っ二つに折れた机の上に佇んでいた。

 オーガと共に落下した際、アデランテが着地先で受けた衝撃を刻々と物語り。呆れるように頭上に視線を移せば、ガラスケースの残骸が僅かに天井でぶら下がっていた。


「…上から見ても高いなぁ、とは思ってたけどさ。あの場所から落ちてよく生きていられたもんだな……下の連中は全員オーガに食べられたのか?」

【半数は捕食され、半数は檻が落下した時点で死に体だった】

「死体まで漁るとはずいぶん腹が減ってたんだな」

【屍はウーフニールが喰らった】

「え゛っ…」


 途端に表情が固まり、腰を撫でていた手をソッと腹に回した。受けたダメージに関わらず、心なしか身体の調子が良い。

 “血肉の補充”と以前述べられた言葉に血の気が引いたが、それでも踏み出せばガチャリと。割れたガラスの上を踏み歩き、無人の会場をサッサと離れる事にした。


 奥に見える両開きの扉の内、片側がへし折れて床に転がっていたが、オーガの血は点々と外まで続いている。

 逃げた生存者を追ったか。単純に狂ったまま会場を後にしたのか。

 血痕を辿るアデランテが首を傾げれば、耳元に領主1人と女中4人の脱出劇が語られた。


「う~ん、客を見捨ててトンズラか…まぁ仕方ないんだろうけどな」


 祭壇の横を通り際に一瞥すれば、ワイングラスはすべて砕けていた。魔物を制御できない彼らが、オーガに立ち向かえるはずもないだろう。

 警戒しながら開けっ放しの扉を抜け、狭いながらも豪華な廊下を通っていく。しかし散乱する血や、めくれた絨毯。

 そして等間隔に壁から突き出した燭台が所々ねじ切れ、優雅さは微塵も残されていない。凝った内装から察するに、催しはこれからも続けるつもりだったのだろう。


 呆れて物も言えないが、文句の矛先は今頃オーガに追われているはず。気持ちを切り替え、結果を見届けるべく血痕を追っていた矢先。


 

――ドォォォオンンっっ…



 壁が震え、パラパラと土埃が天井から舞う。遠方から伝わる振動に駆け出せば、短い廊下や階段を渡って徐々に音源に近付く。

 

 やがて抉れた廊下の角を曲がった先。嗅ぎ覚えのある異臭に身構えたが、目当ての魔物はアデランテに反応を示さない。

 ただ眼前の扉を無心で叩き続け、それでいて力強さは感じられず。扉を撫でるように拳を押し付けるだけで、当初聞こえた地鳴りは息を潜めていた。


 武器を抜けばオーガに近付き、剣先で軽く背後をつつく。それでも反応は無く、堂々たる無視っぷりに物寂しさすら覚えてしまう。


「…一体どうしたんだ?おーぃ、さっきまで叩きのめしてた相手なら後ろにいるぞ。まさか忘れたわけじゃないだろぉー…反応なしか」

【恐らく忘れている】

「なんだと?」


 不可解な発言に顔を上げるが、ウーフニールと目を合わせられるわけでもない。

 代わりに扉から離れないオーガを恐る恐る。距離を取りつつ覗き込めば、顔や歯はボロボロ。

 腕も辛うじて形を保っているだけにも構わず、扉を殴り続けて血で染め上げていた。

 瞳からは野性味も感じられず、かといって洗脳されていた時のギラつきもない。敵意どころか生気すら宿さず、白みがかった眼には扉が映っているのかも怪しかった。


 しかし口周りや身体中にこびりつく赤黒い液体は、アデランテが意識を失った後の凶行を鮮明に物語っていた。

 今ならば敵も隙だらけだが、そこはかとなく漂う不気味さに。何よりも勇猛果敢に挑戦し、そして破れたからこそ覚えた哀愁に剣を振るう事が躊躇われる。


【何をしている】

「……負けたとは言っても、勝者がこんな姿じゃ喜びようもないだろうと思ってな。鐘の破壊力には恐れ入ったよ」

【記憶を欲し、喰らい、絶え間なく変化する怪物の一部を喰らえば当然の結末だ】

「…何が“当然”なんだ?」

【貴様の不手際によって奪われた肉体は、血肉になること無く記憶を貪るに至った】

「不手際って…まぁ、そこは謝るけどさ。今の言い方だと食べられた私らの身体が、勝手にコイツの中で動いたように聞こえたぞ?」

【認識に相違はない】

「…なら今のコイツは記憶も何もない魔物ってことか?」

【恐らく生物であった事すら自覚していない】

「……質の悪い食当たりに遭ったってところだな。ご愁傷様」


 眼下で手を振っても認識されず、扉を叩いている理由すら忘却しているのだろう。ガラスケースでの暴走も、記憶を奪われる恐怖への最期の抵抗だったのかもしれない。


 そして観客を捕食したのは、外部から記憶を補完しようと試みた結果なのだとしても。人形然となった敵の成れの果ては、いつか訪れるだろうアデランテの最期と重なって見えた。


「…なぁウーフニッ」

【知らん】

「私の記ッ」

【興味はない】

「…~ッちょっとくらい真剣に聞いてくれてもッッ」

【肉体の再生に伴う素材を補充すべく、対象の搾取を開始する。問題はないか】


 有無を言わせない声音に反論できず、諦めて頷けば黒いモヤが吐き出されていく。

 気道を塞がれ、相変わらず息苦しくなる行為に涙が浮かぶのはいつもの事。だがオーガは怯える様子もなく、モヤに姿が消えるまで扉を叩き続けていた。


 それから喉が膨らめば腹底にウーフニールは沈み、巨体がアデランテの体内に収まった不思議に首を傾げる一方で。

 鉄扉に近付いて耳を澄ませば、中から複数のすすり泣きが聞こえてくる。

 試しに扉を叩くと悲鳴が洩れ、「がぁぁあーーッ」と子供を脅かすような声にも、絶叫で反応する様子にクスクス笑う。


 足元に落ちた山羊のマスクから、その先に領主が立て籠もっている事は明白で。最後に数度乱暴に叩いて離れると、扉向こうから棚や壺が壊れる音が響いた。


【喰らわないのか】

「正直小物っぽいし、放っておいても大丈夫だろうよ。それに私がオーガにムシャムシャされてるトコはバッチリ見てたはずだから、2度と会わなきゃ死んだと思ってくれるさ」

【……白銀のセラフの処分。鐘を打ち鳴らす事で終わりを迎えたのか】

「領主が言った通りなら、今頃町中のガラス細工が壊れてるはずだから、天使も歌う暇はないだろうよ。ところで修道女様の方はどうなった?鐘をうまく鳴らしてくれたのは知ってるけど」

【名の記憶を放棄したな】

「…それで、どうなんだ?」


 鋭く切り込まれた言葉に咳払いで誤魔化せば、直後に視界の端から四角い画面が拡大される。 

 再生される映像の中で、最初に浮かぶのは女中コルテリアの妨害。それから庭園のガラス人形に襲撃され、森林を強行突破したジェシカが鐘を鳴らし、衝撃で崩れた教会に呑み込まれていく光景が流れていった。


「――…おい、ちょっと待て!!最後の方、すごい事になってたぞ?彼女は大丈夫だったんだろうな!?」

【瓦礫から引きずり出した。命に関わる負傷はしていない】

「…そうか」


 ホッと胸を撫で下ろしつつ、ほぼ1本道の通路を歩む。巨大な鉄扉に辿り着けばあっさり開き、厨房へ出ると一瞬空腹感を覚えた。

 

 しかし腹の音を抑え、早足でその場を離脱。再び廊下に出れば、砕けたガラスの展示品を通り過ぎていく。

 その足で庭園に出るが、一帯はもぬけの殻も同然。薄気味悪いガラスの彫像は1つとして無く、やっと落ち着いた情景が眼前に広がった。


【どうした】


 小道を半分進んだところで、星を覆い隠すような声音が腹底から響く。


「…どう、って何がだ?」

【魔物を喰らった際、貴様の中で冷気が漂っていた。何を考えている】

「……お前には隠し事ができないな。冷気の方は…くだらない事が思い浮かんだだけさ。気にしなくていい…だけど、そうだな。もう少しだけ私に付き合ってくれないか?」


 言わずとも追従する以外に彼には道がなく、無言の了承を得るとクスリと笑う。それから月がいまだ昇る夜空へ消えるように、颯爽と庭園を走り抜けて行った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ