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072.窮鼠

「…改めて礼を言うぞ、ウーフニール。私の我儘に付き合ってくれて……しかし口から蜘蛛の糸を出す必要はあったのか?喉がまだベタベタしてる気がするんだけど」

【次は尻から出す】

「口で良い、やっぱり口で良いから!口でしてくれ!!……何はともあれ、この先の事。提案しておいてなんだけど、うまくいくと思うか?」

【知らん。どのみち動くのは貴様だ。好きにするが良い】

「けどお前もついて来てくれるんだろ?」


 オーガを警戒しつつ笑いかければ、予想通りウーフニールの唸り声が返ってくる。2桁を超す死を体感して、ようやくスタートラインに立てた事を鑑みれば、彼の反応も当然だろう。

 身体も激痛で悲鳴を上げており、今すぐ跪いて弱音を吐いてしまいたいのも山々。だがそんな願望を実現できるのはまだ先の話になる。

 眼前のオーガでさえ通過点でしかなく、眩暈を覚える程にやる事は沢山あった。

 

 そのためにも魔物を覆っていた絨毯に飛び込むが、姿は隠せても盛り上がった膨らみは子供騙しにも満たない。

 ずんずんオーガが接近すれば、怒りに任せて絨毯を踏みつけた。そして――べしゃり!と。

 直後に潰れた音が響くも、手応えは一向に無い。迸るのは足先の傷から噴き出る血だけで、肝心の標的はいなかった。


 代わりに膝を斬り付けた鋭い痛みに苦悶の声を上げ、風が走り抜けた方角を睨むや。アデランテは剣を片手に身構え、獣のような眼差しをオーガに向けていた。


【…下方に目撃者27名確認。武器を出現させて問題はなかったのか】

「こんな悪趣味な見世物に集まってる連中だ。拳1発で許せる輩じゃあないな」

【……貴様が以前述べた“悪の定義”が十分適用されると判断する】

「なにが、なんだって?」

【来るぞ】

  

 不機嫌な声音から視線を移せば、片目から血を流すオーガの腕が隆起していた。咆哮を発しながら突進してくる巨体に、躱す直前で足を斬り付けた直後。


「ぬぉあぁッ!?」


 女らしからぬ野太い悲鳴に続き、壁に衝突した重い振動が空気を震わせる。ガラスケースも大きく揺れ、階下の観客たちがどよめいた。

 しかしオーガが反旗を翻せば、激しい攻防を交えた睨み合いが続く。

 

【…防戦一方】

「くっ、仕方ないだろ!体格差がありすぎるんだからッ。剣の切れ味と射程は上がっても、致命傷を与えてるわけじゃないんだ。山賊戦の爽快さはドコいったんだよ…」

【最大限の威力を得るための重量及び長さが不足している】

「…くそ、屈ませなきゃ相手の頭にも届かないってのに」

【足先を狙わないのか】

「ん~…2度も下半身を狙ったのがトラウマになったみたいでさ。足元に近付くと過剰に反応するんだよなぁ」

 

 ウーフニールとの会話も束の間。オーガの猛攻を屈んで躱し、すれ違い様に一撃を見舞う。

 だが僅かに出血するだけで動きを止めるには至らず。全身を強張らせているおかげで、動きは単調でも要塞並みの防御力は健在だった。


 以前勝ち筋の見えない相手に辟易しつつ、オーガから奪った片目の視界に飛び込めば、旋回しながら隙を窺う。

 しかし切り傷を悪戯に増やすばかりで目立った成果はない。神妙な顔つきで現状を見つめ、唸り声を悶々と木霊させた。


「……さて、どうしたもんかな」

【一時撤退。階下に集う輩を先に始末し、魔物に変異した襲撃を推奨する】

「強敵と会う度に変身してたら、私が私じゃ無くなるだろ?自力で勝てるかギリギリのところまで任せてくれよ」

【武器の提供はいいのか】

「それはそれ。これはこれ。死神を欺いてまで生き延びて、今はお前と一心同体なんだ。少しくらいズルしても、罰は当たらないだろうよ…ところで思いついたんだけどさ。ジャイアントスパイダーの棲み処を強襲した時、剣先に毒を塗ったの“憶えて”るか?」

【誰に向かって聞いている】

「そ、そんな怒るなよ。言葉の綾ってやつなんだからさ」

【…毒は効いていない】


 聞くまでもなく、実施済みだった戦術が1つ潰える。しばし悩みながら回避に専念するが、ふいに足を止めればオーガから距離を取った。

 すかさず相手は追ってくるが、壁に追い詰められてもアデランテに動揺は無い。隅に打ち捨てられた絨毯を拾い、宙に跳びながらくるまれば、容赦なく巨大な拳が打ち込まれた。


 しかし壁と拳に挟まれた布切れは平たく潰れ、ひらひら床へと落下する。怪奇現象がオーガの思考をかき乱すも、伸びきった腕を踏まれる感触を覚えた途端――。


 咄嗟に後ろへ引き下がるや――ズバッ、と。顔を斜め斬りにされた激痛に苦悶を上げ、顔周りに渦巻くつむじ風を振り払う。

 だが太い腕で宙をかき回しても、風を捕らえる事はできない。着実に急所を狙うかまいたちに咆哮を上げた直後。肩口に深々と差し込まれた一撃が、オーガの全神経を集中させた。

 激痛に再び叫ぼうとするが、ふいに目と鼻の先で血染めの乙女と目が合う。


 全身がオーガの体液で塗れた彼女に、産まれて初めて憶えた畏怖と。そして慣れ親しんだ怒りに身を任せ、突き出した拳が獲物を為す術もなく吹き飛ばす。

 アデランテを突き抜けた衝撃は魂をも刈り、床に打ち付けた身体も無造作に転がっていく。


 そのまま意識が途絶えれば、さぞ安らかな死を迎えられたろう。だが内側から波紋する衝撃が、アデランテの意識を強引に揺り動かした。


「…ぐッ……せめて、もう少し優しく起こしてくれないか?これでも一杯一杯なんだ」

【一時的に武器を収納すらば脱出は可能だった】

「それをやると変な感じがして身体の力が抜けるだろ。殴り飛ばされる結果は変わらなかったと思う…それにしても、剣を筋肉で挟み込むとはな。流石は銀級の魔物ってところか。片腕を封じようとしても、まだピンピンしてるとは…恐れ入ったよ」

   

 軋む身体を起こし、見上げれば興奮したオーガが真っ直ぐ向かってくる。


 閉じ込められている事など関係ない。

 目前に獲物がいる。

 だから殺す。


 制約に縛られたアデランテとは対照的に、本能のまま暴れられる姿に羨望を覚えるが、床に腕をつけば一気に身体を押し出した。


 振り下ろされた足をギリギリで躱し。それまでの負傷が嘘のように立ち上がるが、それでも顎から滴る返り血は、まるで蓄積されたダメージを代弁するようで。

 肩が大きく上下する度に、乾いた呼吸が口から洩れ出す。


【何をしている。諦めるならば代われ】

「冗談言うなよ。私にはやるべきことがあるって前にも言ったろ?それまでは何があっても死ぬつもりはないさ…それにこの身体。お前に返さなきゃいけないからな」

【…ならばどう切り抜ける】

「そうだな……とりあえず出たとこ勝負だ」


 脳内で溜息が零れると同時にオーガが接近し、薙ぎ払われた剛腕を掻い潜る。つま先に照準を合わせるが、オーガも咄嗟に初心を思い出したのだろう。

 慌てて足を引っ込めたが、反動で身体のバランスが崩れる。その隙にアデランテが踏み出せば、前のめりに倒れた口に一気に剣を押し込んだ。


 渾身の一撃に刃先が肉を抉り。しかし反射的に閉じた歯が勢いを止めるや、口内から血を流すオーガの怒り狂った視線が間近でかち合った。

 押せど引けど剣は動かず、そして手放せず。そのまま身体を掴まれるや、凶悪な握撃に空気を最後の一滴まで絞り出される。

 苦悶の声も掠れ、瀕死の獲物にようやく勝利を確信したのだろう。これまで負った傷を癒すべく、痛みを覚えながらもオーガは口を開く。


 血と唾液が混じった糸を垂らし、牙をアデランテへゆっくり向けた。



 だが鈍く光る牙が獲物に届くよりも早く。オーガとは比べ物にならない小さな口が、喰われるよりも先に歯を突き立てた。



――アングャアアアアアアアアァァァァォォオオオッッ!!?!?



 直後に奇声が轟き、握られたアデランテの身体はあっさり解放される。力なく床を転がるが、無防備な獲物に注意を向ける余裕も無いらしい。

 半分千切れた巨大な親指を弔うように。嗚咽を上げるオーガはその場にうずくまり、未体験の痛みに身体を震わせていた。


「…ぺっ……どうだ?刃は立たずとも“歯”は効くだろう。喰らうのはお前だけの専売特許じゃないんだよ」


 床に突っ伏し、満足そうに呟くアデランテの声はオーガの悲鳴でかき消える。力なく項垂れると頬を床に擦り付け、ガラスの冷気が肌に染み込んでいく。

 

 束の間の休息に眠気すら覚えたが、ふと階下を見れば観客は言葉を失っていた。

 魔物に一矢報いた光景がよほど堪えたのだろう。領主もオーガを呆然と眺め、目論みを破綻させた事に「ざまぁみろ」と。

 声高々に唱えてやりたくとも、口や身体が思うように動かない。

 

 だが女中の数が1人足りない事に気付くや、慌てて立ち上がろうとすれば、先に動いたのはオーガだった。



【避けろ】 



 ウーフニールに反応出来ても、振り返る体力はない。造作も無くオーガに掴まれると、巨大な瞳に力無いアデランテの姿が映り込む。


「……私らのカミサマは、よっぽど試練を課すのが好きみたいだな、ウーフニィ…ッ」



――バクンッ。


 呟くや否や、オーガの強烈な体臭が迫った。それと同時にアデランテの身体が痙攣し、容赦なく食い千切られた痛みに苦悶の声すら上がらない。

 それでも歯を食い縛り、視界を絞れば精一杯オーガを睨みつけた。



――バクンッ。


 また咀嚼され、身体がビクリと震える。もはや肉体は心身共に限界を迎え始め、心の中の怪物がざわめき出す。

 内側から組み替えられる感触まで伝わり、選手交代の合図につい吐息を洩らしてしまう。


「――…ここまで…か、うぁッ」


 薄れゆく意識の中で笑みを浮かべ、相棒に交代するまでの激痛に耐えていた時。ふいに魔物が開いた口を閉ざし、忙しなく周囲を見回した。

 何事かと思う間もなく。階下でたむろする観客にも届いた微かな変化は、やがてハッキリ一帯に轟く。



―………ゴーーーーーーンっっ。



「…鐘の音?」


 観客の1人がポツリと零す。

 こんな夜更けに。それも地下で催しが行なわれている時に一体誰が。


 異様な状況に領主も手を止め、誰もが同じ疑問を抱えながら耳を澄ませた。

 


―ゴーーーーーーンンン~っっ…!!



 鐘の音は不自然に大きくなり、まるで部屋の中で鳴っているようにさえ聞こえる。

 決して不快な音ではないが、理解できない状況に一同が呆然と佇む最中。領主の手元のグラスが小刻みに揺れ、ピシリっ――と。


 微かにヒビが走った。

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