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069.透き通る奈落の底

「――………ぅぅぉぉぉおおおおおおおおオオオオオぁあッッッ!!!??」



 滑り降りたロープの長さが足りず、残る道のりは自由落下。

 悲鳴も地面へ叩きつけられる事で終わり、全身に走った衝撃が耳の奥でつんざく。


 回復するまで横になりたいが、寝そべっている時間はない。鼓膜の残響を振り払えば、痛みに堪えながらゆっくり身体を起こす。


「痛ッッ……これも、ゲームの一環だって言うなら、大した余興だな」

【前方に目標確認】


 苦悶の声に興味も示さず、淡々と告げるウーフニールに従い顔を上げる。鈍痛でいまだに涙が浮かんでいたが、ボヤけた視界に浮かぶ人影を捉えた直後。

 無意識に駆け出せばジェシカを抱き起こし。揺さぶって何度も声を掛ければ、少しずつ瞼が開かれていく。


「…無事だったか?」

「……っっ!?きゃーーーーーーーっっ!!」

「ぐぉッ?!」


 乾いた音が頬を弾くや、猫の如く暴れるジェシカを抱え込む。そのまま辛抱強く名を呼べば、やがてアデランテの腕の中で目を瞬かせたジェシカは口を閉ざし、恐る恐る手が伸ばされる。


 最初はアデランテの頬に触れ、目の焦点が定まらないまま髪先を。それから降ろされた指が首筋をなぞり、胸を心ゆくまで揉みしだいた。

 

「…アデット、さん?本当にアデットさんなんですか?」

「もっと別のところで判断してくれても良かったと思うけどな。それで大丈夫か?ケガは?」

「えっと、ちょっと身体が所々痛いですけど、多分大丈夫です、ってあれ?私の服は?それにココは…」

 

 戸惑うジェシカが顔を上げれば、つられてアデランテも辺りを見回す。

 “到着時”には気にも掛けていなかったが、確認せずとも右も左も。下を見ても視界には何も映らない。

 天井の中央には降りてきた通用口があるだけで、一通り視線を走らせた時。ようやく光源が無い事に気付けば、ジェシカの困惑(ボディタッチ)も理解できた。


 彼女には暗闇を見通せず、挙句に一糸纏わぬ姿であれば動揺するのも仕方が無いだろう。

 

 おかげでジェシカのローブを思い出し、すかさず渡せば触れた瞬間にビクリと。肩を震わせた彼女は、それでも覚えのある感触にいそいそと服を羽織り始めた。

 その間に一帯を把握しようと歩き出したが、気配を察したジェシカが咄嗟に足を掴んだ。振り返れば不安に圧し潰された顔が一方的に見え、渋々待てば衣擦れの音が続く。


 ようやく着替えも終われば今度こそ繰り出そうとしたが、足枷とばかりに再びジェシカがしがみついた。

 

「あの…鳥ちゃん……アデットさんの鳥ちゃんが私と一緒にいたんですけど、気付いたらはぐれちゃって…その」

「大丈夫だ、問題ない」

「……へっ?」

「ソイツが危険を知らせに飛んで来たから、こうして駆けつける事が出来たんだ。それよりどうやってココに連れて来られたか覚えてるか?断片的に憶えている事でも構わないから教えてくれ」

「…すみません。黒い影に覆われたと思ったら突然身体が圧迫されて息苦しくなって、気付いたらココに…あの、エルメスは?」

「アイツなら大丈夫だろ」

「彼はどこに…」

「それよりも私らが脱出する事を優先しよう。なっ!?」


 肩を掴まれ、暗がりで顔は見えずとも気迫は十分に伝わったらしい。ローブがはだけないよう、胸の前で握りしめたジェシカも小刻みに頷く。


 それから3度目の正直とばかりに。今度こそ探索を開始しようとすれば――ズルリ、と。

 四方を取り囲んでいた暗闇がめくれ、勢いよく下に落ちていく。


 途端に一帯が明かりで満たされていき、目が慣れた所で最初に思い浮かんだ印象は“ガラスケース”だった。

 家2軒を繋げたような横幅と高さに加え、四方を囲った透明なガラスは天井から吊るされている。

 それでいて足裏を押し返す反響音はとても鈍く、そして重い。生半可な力では、たとえアデランテの力を以てしても割る事は厳しいだろう。 


 異様な環境に唖然とするも、それ以上に注意を惹くのは床下に広がる光景だった。


「…ウーフッ」

【臓書ではない】

「だろうな…」

「何がですか?」


 アデランテの独り言にジェシカが問いかけてくるが、彼女の問いに答えるつもりは無い。

 その原因の内1つは思い当たったのか。それ以上の追及をしなければ、アデランテの視線を追った先には、点々と丸机が階下に配置されていた。

 それぞれが纏った赤いテーブルクロスの上にはロウソクが灯され、豪華な装飾を施した巨大空間における唯一の光源でもあるらしい。


 それらの席には蝶を模ったマスクを着けた人物たちが座し。己が富を主張する着飾りは貴族の晩餐を彷彿させるが、机の上には食器類が1つも無い。

 代わりにインク瓶と羽ペン。そして何も書かれていない羊皮紙が置かれ、何もかもが異質に映る中で、アデランテの注意はワイングラスが並ぶ祭壇の後ろ。

 そこで両手を広げた、山羊マスクの人物へと向けられた。


 グラスも来賓に配るわけでもなく。その背後に佇む女中たちも微動だにしなかったが、その内1人はアデランテの見知った顔だった。


「――…皆様、ようこそ我が屋敷へお越しくださいました。今宵はこれまで多大な出資をなさってくださった成果をお披露目すべく、是非ともお楽しみ頂ければ幸いにございます!」


 ロウソクが揺らめき、男が仰々しく前口上を述べ始める。

 それから続けられた言葉にアデランテやジェシカを含め。参加者一同は顔を向けて話に聞き入った。



 今宵の賭けの対象は冒険者2名。


 手元の羊皮紙に数字を書き込み、1つでも当てれば豪華な工芸品の数々を進呈。見事双方を的中させれば、出資額は2倍にして返還される。


 記載する数字は“挑戦者”2名が生き残れる時間で。次にアデランテたちの戦力を熱弁するが、賭け幅の変動を促しているのだろう。

 しかし内容の殆どはデタラメであり、ジェシカに至っては回復術を極めた槍の使い手と紹介されている。


 吊るされたガラスケースに収納され、自身が展示品として扱われている錯覚に陥ったのは、あながち気のせいではなかったらしい。


「……誰だあのヤギ頭?後ろにいるメイドは1人だけ心当たりがあるけど」

【体格及び肉声は領主と一致する】

「家畜の被り物なんかして臭わないんだろうか」

「ちょっとアデットさん、なんで冷静に独り言を喋ってるんですか!下のやり取りを聞いてましたよね!?」

「ん?あー…そうだったな。“山賊100人斬り”はあながち間違いじゃないぞ?」

【斬数47人】

「うそだろ?半分もいってないのか!?」

「だからぁああーーー!!」


 憤慨するジェシカに睨まれるが、アデランテが目を合わせる事はない。視線はガラスケース内の端に向けられ、彼女もまた訝し気に辿ってみれば途端に表情が硬直した。


 2人の向かいには絨毯が歪に膨らみ、規則正しく上下に揺れている様子から、“何が”覆われているか容易に想像がついたのだろう。

 アデランテの腕がギュッと引かれ、振り向けば蒼白なジェシカの顔が映った。


「あ…あ、あれって、もももしかして…」

「お前を捕まえた影の正体、ってところか。それにしてもデカいな」 

「だから何でそんな冷静でいられるんですかっ!下での話とか、アレを見ればこれからどうなるのか、考えなくても、分かって…」

「アレに気付くまでは正直2人で殺し合う位は覚悟してたし、下手すれば武器があの下に隠されてたからな。状況から察するに、2人で協力して倒すか、2人とも仕留められるかって所なんだ。その方がまだ気楽だろ?」


 飄々と告げるアデランテに、一層ジェシカの顔色は悪くなる。しかし彼女に気を配る余裕もなく、ふいに耳の奥を掠った騒音に顔を歪めた。

 階下を睨みつければ領主がグラスのふちをなぞり、滑らかな指捌きで音楽を奏でていく。


 天使の囁きよりは幾分かマシであったが、大人しく聞いていられる代物ではない。

 猛烈な頭痛が襲う最中、それまで動かなかった絨毯がみるみる盛り上がり。やがて覆いがズルリと落ちれば、階下のロウソクが惜しみなく巨大な人影を照らす。

 


 だが断じて人間ではない。赤いイボ状の突起が皮膚一面を覆い、体長は4メートルあるだろう。

 それでも頭頂部は天井に全く届かず、脂滲みた黒い体毛が全身を覆っている。突き出た顎や牙が収まる顔も、友好性が全く感じられない。

 丸太の如く太い剛腕も身体の横で垂れ下がり、思わぬ新手にジリジリと後退する。

  

「……なんだアレ」

「わ、わかりません…」

【銀等級指定の魔物オーガと推定される】

「オーガ…凶悪そうな名前だな。勝てると思うか?」

【変異すればあるいは】

「丸腰で勝てるわけないじゃないですか!?仮に武器を持ってたって、いくらアデットさんだって、あんな大きいのと…足手まといの私と一緒にいて、勝てるわけ…」


 冷静で無機質な声音が内側から。一方で背後からは涙声が迫り、交差する正反対な反応にうっかり微笑む。

 おかげで首がキュッと絞められ、ジェシカも恨めしそうにアデランテを揺らした。


 恐らくは正気を疑われたのだろうが、絶望的な状況に立っているにも関わらず、アデランテの心中は極めて穏やかだった。


「……懐かしい感覚だな」


 俯き、瞳を閉じれば亡き騎士団と共にした最後の合戦場が瞼に浮かぶ。

 圧倒的な数の敵を前に肌寒い突風が崖壁を吹き上げ、整列していた一団はへらへら笑いながら地平線を見下ろしていた。

 

 しかし団長が剣を掲げた途端、一瞬で空気が引き締まり。血が凍てつく感覚が団員たちを奮い立たせれば、誰も背を向ける事なく。

 誰1人泣き言を零す者はいない。

 苦々しくも栄光に包まれた情景も、ふいに鼻を刺す異臭が強引に現実へ引き戻した。


 

 目の前にいるのは敵の軍勢ではなく巨大な魔物。

 立っている場所もガラスケースの中で。女中から授けられた短剣を手に、ジェシカを庇うアデランテは、騎士ではなく冒険者。


 それでも今の姿は、まるで王女を守る騎士そのものに見えたろう。


「――…なんて、ガラでもないけどな」


 ポツリと呟かれた言葉を最後に、階下で一際大きな音が奏でられたのと同時。オーガが目を見開けば、雄叫びを上げながら襲い掛かってきた。

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