068.反響
2階を降りて1階へ。
1階を離れて裏口へ。
館の裏には庭も彫刻も無く、代わりに馬車が所狭しと停まっていた。
「……出勤に使ってるのか?」
「毎日馬車を仕立てて屋敷へ来られる身分なら、遊んで暮らしております。今宵の訪問者はアデット様だけではありませんので、悪しからず」
振り返りもせず、甲高い足音を立てる女中が向かうのは1軒の物置小屋。
“ゲーム”に使う道具の調達かと思いきや、壁に掛かった農具をガコンっと手前に引いた。
すると床の一部がゆっくり開かれ、燭台を灯せば黙々と隠し階段を降りていく。
当然彼女の後を追うが、通路はジェシカが進んだ教会地下と同じ造りで。姿を見失う寸前に見た黒い影を思い出せば、反射的に柄を握ろうと手を伸ばす。
しかし掌は勢いよく空振り、恐る恐る腰回りに視線を向ければ、やはり武器はなかった。
「…剣。屋敷から引っ込めたままだったな。そういえば」
【生やすか】
「流石に怪しまれるだろ」
【目撃者を始末すれば問題ない】
「そんなこと言ってもなぁ…」
「ウーフニール様とまたご相談ですか?アデット様」
ピタリと足を止めた女中に鼓動が跳ね、同時に込み上げた異物を無理やり手で塞ぐ。
依然女中は振り返る事なく、返事を待つように佇むこと数秒。やがて興味を失ったように歩き出せば、冷たい足音が通路を木霊する。
ソッと手を退かせばウーフニールも落ち着いたらしく、彼が腹底へ沈んでいく感覚にひとまず胸を撫で下ろした。
「領主様が独り言の多い客人が来る事を嬉々として語っておられましたので、つい…一介の召使いが出過ぎた真似をしました。不快に思われましたら謝罪致します」
「……アンタんトコの大将にも言ったけど、その言葉は私だけの物なんだ。忘れてもらえると助かる」
「コルテリア、と申します。お屋敷に先代の頃より仕えさせて頂いております。短い間になるでしょうけれども、それまではアデット様に誠心誠意ご奉仕致しますので、何卒…」
「先代からって、そんな歳を取ってるようにも見えないけどな」
「物心がついた頃より仕えていますので」
アデランテを見向きもせずに彼女は続けるが、心なしか足取りが重い。急かさず歩調を合わせても、コルテリアの肩越しに目的地が見える事も無かった。
「……アンタ、この町のことが嫌いなのか?」
暇を持て余し、何気なく口にしたつもりだった。
それだけのはずが、コルテリアの足が完全に静止する。
館から通路まで1度も客人の顔を見なかったものの、身体ごとその場で反転し。ロウソクに照らされた表情に嫌悪が滲めば、責めるようにアデランテを睨んできた。
もっとも相手が動じなければ。何よりも自身に明確な敵意がなければ、威嚇するだけ無駄だろう。
溜息を吐くように1度俯くが、顔を上げる頃には元の鉄仮面に戻っていた。
「…工芸品に興味はありませんが、先代領主様の遺言に従ってお勤めさせて頂く次第です。何故そのような質問を?」
「町の連中も、屋敷の連中も、みんな目がガラス玉みたいにギラギラしてたからな」
「まるで私の目が死んだ魚のようだと言われている気分なのですが」
「むしろ他の連中が異常なだけだよ。アンタが普通に見えるくらいだ…ところで領主はどんな奴なんだ?私の中では正直に言って第一印象最悪だぞ」
「曲がりなりにも仕えている身ですので、面と向かって堂々と言われても困るのですが……そうですね。強いて言えばロクデナシでしょうか」
淡々と語ってはいたが、その声には刺々しさが失われ。半ば諦めと疲労が入り混じっていた。
しかし町を離れては遊び歩き、戻ってくる時は決まって金の無心。財政を知ってなお先代が亡くなるまで続けていれば、それも仕方が無いのだろう。
それでも彼が最後に戻ってきた時には、出所の知れない不可思議な技術を持ち帰り、再び町は息を吹き返した。
それからは先代の遺言により。芽吹いた住人たちの意思により。
不肖の息子は領主の座に返り咲いたが、本当に先代領主の意思だったのか。果たして住人たちの望みだったのか。
すでに天使の囁きが根付いていた手前、今となっては真実に辿り着ける者はいない。
感情も込めずに淡々と告げられるも、ふと彼女の口が閉ざされた。町の歴史に軽く触れたつもりが、気付けばロウソクが半分まで溶けていたらしい。
訝し気に明かりを一瞥したコルテリアは前に向き直り、再び通路の奥を目指した。
「…私としてはアレコレ考えさせられるよりは、直球で勝負される方が助かるけど…いいのか?領主にしろ、アンタにしろ、自分が悪者ですってよそ者にベラベラ話して」
「アデット様が召し上がったお茶請けと紅茶に睡眠薬を混ぜたのですが、一向に眠る気配がありませんので、強硬手段に出たのでしょう。下手に隠し事をして会話を進めるよりは、お互い後腐れもないかと存じます」
「……入ってたのか?」
【分解済み】
「ははっ、次からは毒でも入れたら良いんじゃないか?」
「それでは領主様の意に反しますので」
ピシャリとコルテリアが告げたのを最後に沈黙が流れ、2人分の足音が延々と木霊する。
その間もアデランテの脳内に渦巻くのは、仕掛けられたゲームの内容について。加えてウーフニールの疑問と不満も付き纏い、ついほくそ笑んでしまう。
しかし目の前の女中が答えるはずもなく。いっそ摂り込めれば良いのだろうが、ジェシカの安全が確保されるまで。
何よりもアデランテが提案を拒絶する事を、十分把握しているからか。安易に発言しない彼に気苦労ばかり掛ける様子に、また笑みが綻ぶ。
だがふいにコルテリアが足を止めれば、また雑談でも始めるのかと。あわよくば催しについて話す事を期待したが、気付けば通路は行き止まり。
扉を開けた彼女の後を追えば、狭い一室へと通された。
もしも入口に檻がはめ込まれていれば、完全に独房の様相を呈していたろうが、部屋の中央には脱出口が如き穴がぽっかり開いている。
ソッと下を覗き込めばコルテリアが照らしてくれたものの、底が見える事はやはり無い。
「…裏手に馬車が停まってたのも、領主が忙しいって騒いでたのも、この下にある物と何か関係があるのか?」
顔を上げて彼女と目を合わせるが、尋ねたところで答えを得られるとも思えない。
それでも咄嗟に語り掛ければ、代わりにロウソクを床に置き。部屋の隅から拾った布切れをアデランテに手渡した。
思わず受け取って広げれば、土埃で汚れた白いローブが眼前に映り。それが何を意味するかは、ウーフニールに頼らずとも結論に辿り着く。
直後に鋭い眼差しを女中に向ければ、突然の豹変ぶりに流石のコルテリアも畏怖したらしい。
しかし長年の務めの賜物か。すぐさま顔色を変えれば深々と頭を垂れた。
「……不徳の致すところ、お詫び申し上げます」
単調な謝罪に怒りすら覚えたが、ふいに腹底が震えて落ち着きを取り戻す。疑問符を浮かべながら見下ろせば、ローブを縫い合わせた後が露骨に目立った。
人前で着れた物ではなく、裁縫屋なら店を畳む出来であったろう。
「…まぁ、本人も新しいローブを買ってたから、文句は言わないと思うぞ」
「お手に持たれていた装備は折れてしまって、お返しできるのはコチラだけになります」
粛々と。再び両手を差し出せば、手元の布切れから1本の短剣が出てくる。
護身用に薦めた時は、接近戦を行なう自分を想像できないと。首をぶんぶん振った店先のジェシカを思い浮かべた矢先。
短剣を傾ければ、薄っすらと緑色の液体が付着していた。
恐らく魔物の血なのだろう。彼女も最後は必死に抗った痕が窺え、ついほくそ笑んでしまう。
「……この町を離れられるのであれば、無理に止めたりは致しません」
ポツリと呟く女中を見上げれば、扉から距離を置くように佇んでいる。
頭を下げたまま固まり、彼女が目を離した隙に逃げたと。見え透いた体裁を取り繕うつもりなのかもしれない。
だがアデランテにも引けない理由がある。
面倒事に自ら飛び込まねばならない自身を嘲笑し、思わず女中の頭に手を置いた。
途端に身体を跳ね上げれば、驚いたようにアデランテを見つめてきた。
「申し出は感謝するけど、連れを置いて逃げるわけにも行かないんだ。私は私で引き下がれない理由もあるしな」
「…ジェシカ様を大事にされているのですね」
「大金を貸してる相手だからな。つまらない別れは御免ってだけさ……ところで穴の先に何があるのか想像はつくけど、武器を渡しても良かったのか?」
「一方的なゲームでは面白味も出ないかと」
表情も変えず、依然同じ口調で語る彼女に思わず笑い、もう1度穴の中を覗き込む。ウーフニールに頼んでも底は見えず、全身に危機感ばかりが纏わりつく。
それでも覚悟はとっくに決まり、意を察したコルテリアがロープを黙々と下ろす。。大部分が穴へ呑み込まれ、最後に一呼吸置けば身体を少しずつ滑り込ませていく。
そのまま勢いよく下降しようと体重をかけた刹那。ふとコルテリアを見れば、これまでにない表情を浮かべていたからだろう。
思わず四肢を突き出すと、その場で強引に踏み留まった。
「…言っとくけど穴を降りるのは私の意思であって、領主の勝負を受けたのもコッチの都合だ。アンタこそ気乗りしないなら帰った方がいいんじゃないか?」
「最初にも申し上げました通り、工芸品にも町の“名物”にも一切興味はありません……ですがどのような形であれ、この地が故郷である事にも変わりはないのです」
町並みが変われど、生まれた場所まで変わるわけではない。初めて見せた寂しそうな瞳から顔を逸らせば、底なしの常闇を見下ろす。
「……難儀な生き方しか出来ないのはお互い様だな」
アデランテの言葉にコルテリアが反応した時にはすでに遅く。慌てて穴をロウソクで照らしたが、“挑戦者”は奥深くに消えた後だった。