062.そして誰も
日が沈み始めた頃、馬車が止まると同時に目を見開いた。
瞬時にエルメスは武器を抜くが、荷台で座したアデランテに、少なくとも襲撃が原因ではないと。
ホッと胸を撫で下ろして腰を下ろした矢先。
「あれっ?あれれれれっ?」
御者の戸惑う声に再び剣を抜き、すぐさま荷台を飛び降りた。そんな彼の後ろ姿を他人事のように見送るや、荷物に項垂れたジェシカを揺り起こす。
「…んぁ、アデットさぁん?」
「着いたみたいだぞ」
重い頭を上げるジェシカを確認し、慌てる事なく馬車を降りた。見上げれば日差しに元気はないが、“無人の村”にも同じ事が言えよう。
木と藁で出来た家々や、レンガ造りの建物。素材に統一性はないが、傍目にもマルガレーテの町よりは栄えて見える。
耕された畑や干された洗濯物が、今も気持ち良さそうに夕日を浴び。家という家の扉が開け放たれ、誰1人姿を見かけないのを除けば、さぞ豊かな村に見えた事だろう。
「――お父さん?お母さん…?」
荷台から這い出したジェシカが、悪夢を彷徨うようにフラつく。頻りに周囲を見回し、突如走り出せばエルメスが彼女の後を追った。
置いてけぼりの御者も困惑したまま、自身を宥めるように馬を何度も撫でつけるも、いつもなら住人が誰かしら応対し。長旅を労った軽食も貰えたはずが、日が落ちる前にも関わらず誰もいない。
アデランテの言葉にも現実味が帯び、真実を求めるように。顔色を窺うような視線が突き刺さるが、答えとなる情報は持ち合わせていなかった。
ひとまず御者を馬小屋に避難させ、迷う事なく1軒の家に突入した。
途端に異臭が漂い、山賊たちの生活痕をザッと見回す。
空き瓶に焚火の燃えカス。調理後の洗っていない鍋。
入り口に寄せられた家具はバリケードを築いていたらしく、訝しみつつ空き家を後にすれば、道中で得た“情報”を辿っていく。
山賊も最初は15人いたが、無人の村に辿り着くや、1人1軒を宛がう贅沢な棲み処に誰もが歓喜した。
しかし本格的に根付こうと躍起になったのは、定住してから僅か5日の間だけ。罠をかけても獣は捕まらず、魚を獲るにも川は山向こう。
畑を掘り返して食い繋ぎ、商隊の訪問を期待したが結果は言わずもがな。
仕方なく食料調達を含めた偵察を実施したが、帰還する頃には全員姿を消していた。だが村に残ると主張した面々が、偵察5人を残して土地を離れるとは到底思えない。
風が強く吹いた日の出来事から、まるで北風に攫われたようで。恐怖に駆られた彼らは自衛のために1つ屋根の下に身を寄せた。
仲間が戻るのを待ち、空腹と偵察を繰り返す日々を過ごし。やがて彼らの最期は、熊の襲撃よりも恐ろしい終わりを迎えるに至った。
「…確認のために1つ聞いてもいいか」
【関係はない】
「……まぁ、それもそうだよな。無人の村って知った時にお前の存在が真っ先に浮かんだけど、御者は1ヶ月前に住人はいたって言うし、その間ウーフニールは私とずーっと一緒にいた…むふふぅ」
【何を笑っている】
「なんでもないさ。それより問題は山積みで、これからどうするのか考えなきゃな」
頬を掻きながら周囲を一瞥し、空き家を通り過ぎながら村の奥を目指す。村を覆った暗闇は不気味にすら思えるが、視界には2つの熱源がはっきり映っている。
開けっ放しの扉を潜り、荒れ果てた部屋の只中にはへたり込んだジェシカと、彼女の傍でエルメスが佇んでいた。
「誰もいないみたいだな」
「…アデットさん……お父さんが…お母さんが……村の皆が」
すでに泣き尽くした後なのだろう。
涙こそ枯れていたが、泣き腫らした瞳を向けるジェシカは嗚咽を上げ。エルメスは慰めの言葉を探すように視線を泳がせている。
部屋の惨状からは山賊の被害に遭った事は一目瞭然。最悪の事態を思い浮かべる光景に、ジェシカの胸中は容易に察せられた。
そんな彼女の肩に手を乗せれば、ニッコリと微笑みかけてやる。
「安心しろ。山賊の仕業じゃないさ」
「…でも……でも」
「私がアイツらに直接確かめたから間違いない。それに血痕もなければ、備蓄もなかった。囲いには家畜もいないし、住人が自主的に村を離れたように見えるな」
「村を捨てた、って事ですか?その割には寂れた感じもしないけど…あっ、ごめんジェシカ!変な意味で言ったわけじゃ…」
心無い一言にエルメスを睨み、不満を表す元気を取り戻したジェシカをグッと立ち上がらせた。
目元を拭う彼女は両親の行方を求めるも、まずは長旅の疲れを癒す事。それから御者の警護と、宿泊の準備を言いつける。
アデランテの判断に不服のジェシカを、エルメスが引きずっていき、再び“1人”になったところで調査を再開。
一通り村を歩き回れば、一応ノックしてから屋内へ侵入する。礼儀として声も掛けるが、返事をする者もいない。
それから次の家。そして隣の家と。
やがて全ての建物を確認し終えると、村の端でピタリと足を止めた。
御者は廃村に迷い込んだ事すら疑っていたが、行きはほぼ1本道。村の勝手を知っていた口ぶりや、ジェシカの証言から目的地に違いないだろう。
しかし魔物や山賊の襲撃跡もなく、住人が一斉に村を離れたようにしか見えない。
「引っ越した、わけではないよな。畑が痩せ細ってるわけでもないし…」
【衣類も家屋に残されていた】
「えっ、そうだったか?」
【貴様が寝床と調理場しか確認しないからだ】
「…し、仕方がないだろ!お前と一緒になってからは、服を脱ぐ習慣もなくなってだな……兎に角だ!着の身は残されて、家畜と食料だけ持って大移動…わけがわからないな」
途方に暮れながらガジガジ頭を掻くが、謎はもう1つ残されていた。
一見どこにでもある農村にしか見えないが、1軒1軒。それぞれがガラス細工を飾っており、鳥を模った物もあれば犬や猫など。
何かしらの獣の姿をした彫刻に、当初は土着の信仰対象かに見えた。
だが置かれている場所は一定せず、ガラスの彫刻を作る設備も見当たらない。山賊が到着した時にはすでに置かれ、砕かれた物は彼らの八つ当たりによるもの。
「…オシャレに目覚めて発注でも出したのか?」
答えを聞ける相手もいない。記憶を覗く対象もいない。
御者やジェシカに尋ねる質問ばかりが募り、ひとまず彼らを留めた小屋へと向かった。
原因が判明するまで村も安全ではないが、身体を伸ばしながら歩くアデランテの表情は、至って穏やかだった。
「ふふん、それにしても剣の切れ味は最ッッ高ーだったな!フードを被っても周りが透けて見えるし、山賊の後ろにも透明になって回り込めたしッ…これがぜんぶ期間限定なのがもどかしい」
【覆いは貴様の認識を阻害すれば不可能ではない。視界不良を口実に敗れても困る】
「デッカいトカゲの能力とフードは関係ないのか?なら一生頭に被ってても私は文句ないな!……待てよ。つまり剣も私の一部じゃないと思い込めば切れ味も…」
【外部への物理的な干渉は除く】
「やっぱりダメか。それなら一時の夢だと思って、今のうちに楽しんでおくとするか……そういえば馬車にいる間ジッと見られてたんだけどさ。何か変な事したかな?」
【複数の山賊相手に単独で活躍すれば十分目立つ】
無機質な声に納得しつつ、やがて村唯一の明かりが漏れる馬小屋に滑り込んだ。
咄嗟にエルメスが武器を構えれば、ジェシカたちも騒然としたが、すぐに誰か分かると緊張の糸が解ける。
アデランテが不在の間は、荷物の引き渡しに困った御者の対応をしていたらしい。
検討した結果、ひとまず村の出身者であるジェシカが受け取る事で解決し。明日朝一で出発する御者は、隣町に異変を知らせる手筈になっていた。
話もまとまったところで、芋のスープをよそったジェシカに器を手渡され、礼を述べながら手を伸ばす。
だが指先が触れても彼女は放さず、不安そうにアデランテを見つめ返してきた。
「……それで、村の様子はどうでしたか?」
震える声には向けられた瞳に同じく、迷った子羊のような儚さが滲む。
ようやく器を放されても、口をつけるのが憚られたが、やがて「質問を質問で返すようで悪いが」と前置きした上で、ジェシカと御者を交互に質問した。
まずガラス細工はいつからあったのか。
発注されて馬車が運んできた物なのか。
そもそも住人が村を離れる心当たりはないか。
尋ねられた2人は熟考し、まずガラス細工については知らないと呟く。
割れ物を輸送すれば御者間でも話題になり、そもそも村を離れる位なら届け物の依頼も無かったろうと締め括る。
ジェシカも確信はなかったが、生活に不要な物は置かない人たちだったと付け足した。
「飾り気のない村ですからね。私が村を出てしまった理由の1つでもあって、いつか戻ってきたらピッカピカの治癒院を建てるんだーって野望を持ってた時期もあったくらいで……ただ刺激は一生分経験したので、お父さんが持て余した物置でも使わせてもらおうと思ってたんですけど…さっき見たら相変わらず農具が少し置いてあるだけて……皆どこに行っちゃったの…?」
泣き崩れそうなジェシカをエルメスが慰めるも、アデランテは焚火に耳を預けながら、ゆっくり外へ振り返った。
「…私の目的地について聞いておくが、確か山向こうにあるって話だよな」
「……はい。私が村を去ってから変わりがなければ、裏手の獣道に沿って3日後には着くと思います」
「そんな目で見ないでくれ。別に村の事を蔑ろにするつもりはないさ…それに住人の手掛かりが無いわけじゃない」
「ほ、ほんとですか?!」
「大分経っているせいで草に殆ど覆われていたけど、村の反対側に移動した足跡が無数にあった。往復した痕跡がないから、裏手から出て行ってそれっきり何だろうな」
淡々とジェシカに告げる間も、アデランテの胸中には漠然とした不安が付き纏う。
山向こうにはオーベロンの依頼が待ち受け、それが失踪と何か関係しているのか。ジェシカの故郷が巻き込まれた可能性に、カミサマへの信仰心が一層揺らぐ。
「…兎にも角にも、私は今からでも目的地に向かう。君たちがどうするかはよく話し合って…」
「私も行きますっっ!!」
アデランテの声を遮り、芯の通った悲鳴が耳元をつんざく。今にも飛び出す勢いでジェシカが佇み、麻袋で刃先を包んだヤリを握りしめていた。
瞳に宿した炎は「来るな」と告げた所で消えはしないだろう。そんな彼女に呼応してか、黙っていたエルメスも立ち上がって剣を腰に差す。
「俺もついていくよ。一応自警団志望だから、村に何かあったらこっちも立つ瀬がないんだ」
「…言っておくが、今回は追いつくまで待ってやれる余裕はないぞ」
「足手まといにならないよう精一杯尽くしますので、是非お供させてください。アデットさん」
「エルメス…」
「…あのぅ、自分は仕事があるので、朝には帰らせてもらいやす」
この場にいる全員が向かわねばならない空気に、恐る恐る告げた御者が注目を浴び、彼を肯定するように馬が嘶く。
空気の入れ替わりに思わず吹き出し、途端に小屋はドッと笑い声で満たされた。
緊張感も共に消し飛び、出立は明日朝一に変更し。焚火が薪をせがむように爆ぜた所で、今宵はお開きとなった。