061.馬車道
涙を流すキャロラインと眠そうな店主に別れを告げてから、20日は経過したろうか。
アウトランドを去った直後は、引っ越しの様相を呈したエルメスたちの荷量も、今や人並みのサイズに落ち着いていた。
荷台の広さにゆとりも出来たが、対照的にアデットは始めから手ぶら。所有物と言えば腰から下げた剣に、出発当初に姉妹から貰った餞別だけ。
それらも初日で瞬く間に消え、空腹を覚えれば荷台を下車。
果実や獣を仕留めて帰ってくるが、降りない時は降りず。動かない時は動かず。
立て膝をついたまま、数日は飲まず食わずで座り込む。
あまりの落差に度々同乗者を驚かすも、全ては“元騎士”だからと納得してしまう。
その間も馬車を幾度も乗り継ぎ、整備された街道を時折行き来する行商や旅人。そして冒険者や衛兵のおかげで、旅路は災難に見舞われる事なく順調に進んだ。
目的地へ労せず辿り着ける手段に、当初は荷台で寝転べたのも良い思い出だろう。
しかし山間の道に差し掛かるや、車輪が小石を乗り上げ。起伏の激しい荒れ地に荷台も揺れて、何度も乗員を宙に浮かせた。
硬い床に布地を敷いても効果は無く、時には相乗りした荷物が居場所を奪い。狭い場所に押し込められた事も相まって、何もしていないのに心身が摩耗していく。
いっそ徒歩に切り替えたくとも、道を急ぐなら馬車の方が早い。下車の選択肢はとっくに消え、搭乗者は屍の如く荷物に寄り掛かっていた。
「……最後に乗った時はこんなんじゃなかったんだけどなぁ~」
「最後っていつの話だよ」
「…考えてみたら連続して馬車を乗り継いだのが初めてかもぉ~」
へりに力なく項垂れ、そのままズリ落ちそうなジェシカが嗚咽を洩らす。
新調したローブは緑色で、風をイメージした刺繍を施してあるが、出立当時の“心機一転”は影も形も無い。
彼女が落ちないようエルメスが支え、帆の隙間から空を覆う木々を仰ぎ見た。
幸い積み荷は大包み1つだけで、今はほぼ貸し切り状態。身体こそ伸ばせるようになったが、乗り心地は相も変わらず劣悪なままだった。
揺られ、倒され。荷台で蹂躙される身体は、あちこち痣だらけ。
思考も満足に働かず、1秒でも早く到着する事を祈った矢先。突然馬車が乱暴に止まれば、緩慢に身体を起こした。
願いが届いたのかと思うも、すぐに不快な怒号がエルメスを刺激する。
「へっひゃっひゃー!!積み荷と馬をよこせやゴラァァアア!!!」
「何が入ってるかなぁ~、今度の積み荷は何かな~」
「飯!飯!飯!飯!飯!飯!」
「馬がいるーー…馬がいるーーーーーー…!!」
前方から聞こえた下卑た声に荷台をすぐ飛び降り、しかし長旅の疲労が相当応えたのか。足元はフラついて、身体が思うように動かない。
それでも降りてきたジェシカを支えて武器を抜き、剣と槍を携えて御者の元へ馳せ参じるが、5人の襲撃者は装備に統一性がない。
不衛生な風貌からも素性は明らかだが、肋骨が浮かぶ程痩せこけた様相は、新種の魔物を彷彿させる。
血走った瞳からは狂気すら漂い、御者も必死に馬を宥めていた。
やがて男たちの視線は馬から御者へ。御者から荷台へ。
荷台からエルメスへ。
そして最後はジェシカに止まった。
「…つ~ば、つっけた!」
「女ーーーー!!!!おんな゛ぁ゛ぉ゛えっっ」
戦利品に喜んだのも束の間。山賊の1人が不自然に言葉を切り、斜め斬りにされた上半身がズリ落ちれば、装備ごと肉塊が地面に落ちた。
鮮血が迸る間に2人目の首も飛び、慌てて振り返った男を剣が刺し貫く。
数秒と経たずに4人目も地面に倒れ伏し、最後の1人は悲鳴を上げながら森の奥に逃げていった。
そんな男を追うべきなのか。
それとも脅威が去ったとして、深追いしないべきなのか。
呆然と佇むエルメスたちが視線を泳がし、肩まで届く茂みに追う事を躊躇した途端。
――ぎぃゃっ…。
程なくして、森から木霊する締め殺した悲鳴に鳥が飛び去っていく。聞こえた一行ですら竦み上がり、その場から誰1人動けなくなった。
馬の嘶きにもビクつく最中、茂みが大きく揺れると即座に武器を構えた。
「…みんな無事だったか?」
ガサリっ――と。
一際大きな音を立てて現れたのは山賊ではなく、よく見知った人物だった。
まるで何事もなかったように。いつもの如く飄々とした様子に毒気を抜かれ、ジェシカが地面にへたり込む。
それを合図に胸を撫で下ろせば御者の調子を窺い、幸い当人に問題はないが、馬が落ち着くまで待つよう頼まれる。
酷く興奮している様子に了承し、それからアデットに視線を戻した。
感謝と。
驚愕と。
畏怖。
何から口にすべきか検討もつかないが、ひとまず武器を収めれば遠目に山賊の死に顔を観察した。
どれも驚愕と恐怖で満ち、エルメスもまた同じ心持ちであったものの、当のアデットは街道の脇に死体をどかし、血の海に土を掛けるよう指示してくる。
慣れた様子に増々口を利けず、チラッと盗み見てもフードで顔は見えない。しかし首を傾げて唸る姿に、会話の兆しを見出したエルメスが弾けるように話しかけた。
「どうかしたんですかっ!?」
「うぉッ!?いや、別に大した事…ではなくもないんだけど…この街道の先に……【ジェシカ】の故郷があるんだよな」
「…私の故郷?…え゛っ、この先にですか?」
「なんで本人が分かってないんだよ。馬車の乗り継ぎした時に行き先教えてもらってたじゃん。俺がアデットさんと荷積みしてた時、そういう話してたんじゃないの?」
「…体調が悪くて話が全然頭に入ってこなかったの」
申し訳なさそうに項垂れるジェシカも、いまだ顔色が悪い。長旅と襲撃で誰よりも摩耗しているらしく、兎に角荷台で休むよう告げる。
ふらふら立ち去る彼女を見送り、ようやく馬も道も落ち着いた。
出発しても良い頃合いだが、いまだアデットは道行きを睨んでいる。何があったか尋ねても、顔を向けてくるだけで反応は芳しくない。
それでも辛抱強く待てば、最終目的地への懸念がポツリと紡がれた。
曰く。
ジェシカの故郷は無人らしく、今は山賊の寝床になっている事。ソレらは先程の騒動で全て始末したが、ふと視線を切られると馬車に顔が向けられた。
辿っていけば、彼女が見ているのは御者でも馬でもない。荷台で横たわる瀕死のジェシカだろうと気付くや、ふいによぎった最悪の事態に慌てふためく。
壊滅した彼女の故郷が脳裏に浮かび、彼女にどう切り出すべきか。目に見えて狼狽するエルメスに、アデットが訝し気に問い返す。
「一応言っておくと、アイツらが村に着いた時から無人だったみたいだぞ。住人には手を出してない」
「…あぁ~、なら良かっ…たのかな。でも無人って、村の人たちは……ジェシカの両親はどこへ行ったんですか?」
荒げた声にハッとなり、荷台を素早く振り返る。幸い聞かれた様子はなく、ホッと一息吐いても胸は撫で下ろせない。
再びアデットを見据えるが、彼女もまたエルメスの失言に、ジェシカの心配をしていたのだろう。
荷台に視線を向ける彼女の注意を戻そうと、誤魔化すように咳払いすれば再び“密談”に戻った。
「…村が無人の件にしても、山賊の拠点にしても、俄かには信じられない話ですよ。多分さっきの山賊から聞いたんでしょうけど、本当の事を言ってるか当てになりませんし」
「その点は心配しなくていい。ただ心の準備だけしておいてくれ。相方に伝えるかはアンタに任す」
「……随分自信たっぷりですね」
「私に嘘を吐けるはずがないからな」
平然と告げるアデットの言葉に、森の奥で聞いた悲鳴が蘇る。無理やり押し殺されたような絶叫から、男の最期がどんな物だったのか。
聞きたくもなければ、自分で確かめる勇気もない。
怯えるエルメスの心境をよそに、アデットの注意は御者へ向けられた。
「最後に村へ行ったのはいつだ?」
「…そ…そうっすね。最後って言われても色んな奴が交代でやってっからなぁ~……あぁでも1ヶ月前なら野菜の買い取りで誰か行ったろうし、そん時に発注された服やらを今回お届けすんだから、そん時はいたんじゃねーですかね?本当に誰も村にいないなら、って話だけんど」
ちゃっかり耳を傾けていた御者も、エルメスと同じ考えらしい。信憑性のない憶測を真に受けていないようだが、相手は命の恩人。
疑問をそれ以上口にする事なく、ようやく落ち着いた馬を撫でながら出発の合図を出した。
しかし気付けばアデットの姿はすでにない。驚いて見回せば馬車に回り込んでおり、慌てて追えば荷台に飛び込んだ。
直後に手綱が張る音を聞き、車輪がガタガタ回れば再び悪路の移動が始まった。大きく揺れる度にジェシカは弱音を零し、跳ねた荷台がエルメスの尻を叩く。
山賊の件も相まって歩くべきか悩むも、アデットを一瞥すれば僅かに顔が上がった。瞳はフードの下にありながら、なぜエルメスが向けた視線に気付いたのか。
驚いて一瞬言葉に詰まったが、幸い尋ねる事はいくらでもあった。
「どうした?」
「えっ…あっ、特に理由は……アデットさん。いつ馬車から降りてたんですか?」
「御者が脅されてる時には背後に回ってたから、だいぶ前からだな」
「また食料調達にでも?」
「茂みに続く足跡があって、鳥の鳴き声も聞こえなくなったからな。念の為に警戒していたら、予想通りだったって所だ」
「…それなら俺たちにも教えてくれて良かったんじゃないですか?単独行動する必要もないですし、それこそ心の準備があるわけで…」
示し合わせたような彼女の奇襲に、ひとまず納得は出来た。それでも足跡の件を事前に知らされていれば、何か行動を起こせたかもしれない。
多少は体調も整え、山賊の襲撃に心臓が飛び跳ねる事もなかったろう。
しかし結局は彼女が1人で始末し、いざ対面すれば怖気付いた手前、責める資格は当然ない。それでも不毛な愚痴を零すも、アデットは追及に気分を害した様子はなかった。
「長旅でヘトヘトな連れを不確かな情報で動かすわけにもいかないだろ?ただ心の準備って話なら村の話、念頭には置いておくようにしてくれ」
淡々と語る鉄等級の熟練者にグゥの音も出ない。だが会話内容に素早くジェシカに視線を移し、アデットの言葉が反芻される。
村が無人、と言われても所詮は他人の故郷。ジェシカには悪いが、山村が捨てられる話も特段珍しくはない。
食料不足。
魔物被害。
不便な交通網。
過疎化。
考えれば理由はいくらでもある。場合によってはジェシカの両親を探す事も視野に入れるべきなのだろうが、馬車に酔った彼女に追い打ちを掛ける真似は出来ない。
下手をすれば目的地で話す羽目になるとはいえ、一旦思考を切り離せば、順序を追うように情報を整理し、主題は山賊退治へ移行する。
青銅等級の基本業務は護衛。
しかしいざ直面するや、まるで話にならなかった自身の心構えに嫌悪感さえ覚えた。鉄等級を下に見ていた頃が恥ずかしくなり、アデットの言葉が改めて突き刺さる。
あくまで“集団の力量”を以て青銅等級を名乗れたわけで、個人の力量はまた別物。1人では馬車どころか、ジェシカすら守れなかったろう。
出発時の意気込みも徐々に沈んでいくが、だからと言って腐るつもりもなかった。 死に物狂いで精進し、いずれはアデットに近い実力を手に入れてみせる。そう自分に言い聞かせた所で、ようやく思考を本題へ移した。
一瞥すればジェシカは荷物に項垂れ、アデットは立て膝をついている。
見慣れた配置で、山賊の襲撃など最初から無かったように。
再び一行は馬車に揺られているものの、ジェシカのローブ。そしてエルメスにすら騒動の最中、点々と返り血が付着していた。
戦闘があった何よりの証拠ではあるが、一方で挟撃したアデットには汚れ1つない。
隠滅するように片付けた死体も、鉄製の装備ごと真っ二つ。そんな切れ味を持った剣の話など聞いた事もなかった。
もう1度アデットを盗み見れば、ピクリと反応した気がして咄嗟に視線を逸らした。
理屈では説明がつかない事は沢山ある。
だが詮索するのも筋違いであり、フェイタルの町を目指す彼女からすれば、エルメスたちの最終目的地は通過点でしかない。
その気になれば馬車を降り、荒れた街道を1人でも進めるだろう。
最大の味方にして心強い同行者に、今はただ事実に目を瞑った。
あわよくば蓄積した疲労が眠りを誘い、目覚めれば村に着いている事を祈りながら。