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060.残火

“フェイタルの町。白銀のセラフを処分せよ”



 とある夜。

 突如襲った地獄の苦しみに飛び起き、激しく打ち付ける鼓動に胸を握りしめた。

 

 眼前には燻火の文字が浮かび、長期休暇の終了と同時に“布教活動”の知らせに、深い溜息を吐いた。

 

 言われた通り自由に過ごしていたとは言え、どうやら街に長居しすぎたらしい。 

 一所に留まれない身でありながらギルドへ赴き、休憩のために宿へ戻る。そんな人間染みた生活から。

 “アデット・ソーデンダガー”の身分を忘れ、神様代行業に行脚せねばならない。


 天啓を受けてからはギルドに行く気も失せ、臓書で寛ぐ日々を送っていた。


「……私らのカミサマは話しかける事もしなくなったな。まぁ会話したい相手でもないけどさ、せめて場所を教えてくれっての…ウーフニール。町の情報は?」

【該当なし】

「だろうな…また地道に聞き込むしかない、か」


 いまだ心臓を握られた疲労を引きずったまま、陰鬱な思いで部屋を出れば、笑顔でキャロラインに出迎えられた。

 彼女の姉も起きがけにソッとココアを差し出してくれ、居間で談笑していた見習いたちの姿に、冒険者の矜持が疼く。


 そんな彼女たちにフードの下を見せる気になったのも、餞別の意味があったからだろう。

 いざ出立を伝えれば、エルメスと店主は明らかに狼狽を。キャロラインに至っては、名状し難い悲しみに暮れていた。

 

「悪いな。色々世話になっておいて急に…」

「…客はいずれ離れるもんだ。死別するよかマシだね。元気にやるんだよ」

「ははっ、善処するよ。ところで…【フェイタル】の町って聞いた事はないか?そこに用があるんだけど」


 恐る恐る聞いてみるが、エルメスたちは疑問符を浮かべ、キャロラインは俯いたまま無言で首を振る。


 ひとまず収穫はなし。やはり手当たり次第に聞くほか無く、渋々フードを被り直した。

 早々に冒険者から“信徒”へ気持ちを切り替えるが、どの道活動するのは明日から。今は深々と椅子に腰を沈め、沈黙を埋めるように爆ぜる暖炉へ耳を傾けた。


 しかし誰1人その場から動かず、居心地の悪さすら覚える空気を変えるように、時折会話が果敢にも挟まれる。


 店主からは前金の返却を。キャロラインからは出発を延期できないか問われるが、世話になった礼と言って頑なに金は受け取らず、町を離れる理由も「本業だから仕方がない」と儚い笑みで返す。

 「騎士の仕事」か聞かれても、曖昧に微笑む事しか出来なかった。

 

 日頃の軽快さも相まって、その気になれば今すぐにでも宿を出られそうで。所在なさげにキャロラインは、扉を何度もチラ見する。 

 だが考えてみれば、町への行き方はまだ判明していないのだ。

 冒険者で溢れた街なら情報源もいくらでもあり、もう少し街に。宿に長居するのも悪くはないだろう。



 そんな考えが浮かんだ刹那、玄関扉が開かれると同時に火の音が掻き消えた。肌寒い夜風が部屋に引き込まれ、不意打ちに誰もが身体を震わせる。


「お待たせしました!いやーお店が閉まる直前でしたけど、何とか買えましたよ!在庫処分で値引きされてたので、価格もお手頃だったんですけど、武器の事はよく分からなかったので、出来ればエルメスとアデットさんに見てもらえないかなって……どうかしましたか?」


 紙包みを嬉しそうに抱え込むジェシカも、すぐに陰鬱とした雰囲気を察したのだろう。踊り出しそうな足取りも落ち着けば、一同を気まずそうに見回す。

  

「…アデットさんが町を出るんだってさ」

「え゛っ!?どうしてそんな急に…私がいない間に何があったの?それに出るってどちらに行かれるんですか?」

「フェイタルの町だそうだよ。聞いた事ないかい?」

「あるもなにも私の故郷近くにある町の名前ですよ。でもそんなところに何の用があって…?」


 言い終える間もなく、光りの速さで眼前に迫ったアデランテに大層驚くが、肩に手を置かれて仰け反る事も出来ない。


「本ッ当に、知ってるのか!?その町を?」

「え、ええ。一応……でも山3つ向こうにある辺鄙な田舎って聞いてるだけで、行った事はなくって…先程も伺いましたけど、そんなところに何の用が?出稼ぎや町を捨てて、住人が私の故郷を通る位には廃れてるんですよ?」

「私にも事情が色々あるんだ。とにかくソコへの行き方を教えてくれないか」

「…別に構いませんけど、かなり離れているので1、2週間で着くような場所にあるわけでもないですし……少しいいですか?」


 そう告げると解放されたジェシカは、エルメスの隣に腰を下ろした。しかしただ座るだけでもなく、真剣な眼差しで見つめられた彼は面食らう。


 視線も逸らせず、エルメスの手に重ねられた指先からは外気の冷たさが伝ってくる。


「あのね。道端で困ってた時にずっーーと…考えてた事があってね。ただお金がないから無理かなって諦めてたんだけど……もし良かったら私の故郷に一緒に戻らない?」

「……ジェシカの?俺が?」

「うん。静かな農村で、本当はそこで治療院を開きたくて修道女を目指してたの。冒険者になるのも勿論刺激的で、大変で、楽しかったわ。でもやっぱり戻れたらなって思ってて…どう?ちょっとした自警団もあるはずだから、エルメスなら上手くやっていけると思うの」


 控えめでありながら芯の通った声に、エルメスの心が揺さぶられる。

 反動で瞳が泳ぎ、ふとアデランテを捉えれば彼女を見つめ。それからジェシカに視線を戻すも、誰を見ていたのか見透かしたのだろう。

 少し不貞腐れた様子だったが、呆れたように溜息を漏らして彼の答えを待つ。


「…いいよ」  


 しかし直後に。

 質素かつ率直な返事に、今度はジェシカが面食らった。 


「……うそ」

「誘ったのはジェシカだろう?何で疑ってるんだよ」

「だ、だって…キャロラインさんには悪いけど冒険者を辞める事になるわけだし、ようやく戦士の勘を取り戻せた気がするって喜んでたじゃない」

「前にも言ったように冒険者は成り行きでなっただけで、昔との違いで言えば枝切れから剣を振り回す事に変わった位なんだよ。それにジェシカが道案内すればアデットさんに借りも返せて、俺は辺境の……騎士になるってのも悪い響きじゃない…と思う」


 モゴモゴ口ごもるも、最後まで言い切った彼は照れ臭そうにジェシカを見つめ返す。恥ずかしさに顔を背けようとしたが、首に回された腕がそれを許さない。

 白いローブ越しに彼女の鼓動まで伝わり、柔らかさが細部まで感じられてしまう。


 慣れない状況にエルメスの腕が宙でもがき、この場合どうすればいいのか。

 ソッと背中に腕を回せばいいのか。


 戸惑いながらもイメージに沿って腕を動かすが、ジェシカの肩越しに見えたのは、腕を組んで静観するアデランテ。

 興味津々といった様子で目を見開くキャロライン。

 そして眉をつり上げ、訝し気に眺めてくる店主。


 思わぬ観客の数に思考は停止したが、反射的にジェシカの肩に触れると、ゆっくりエルメスから離した。

 自然と目が合えば彼女の瞳は涙で潤み、不意打ちに思わずドキリとしてしまう。


 しかし気持ちを落ち着かせ、改めて冒険者パーティの解散を宣言すれば、同時にアデランテと共に宿を離れる旨も伝えられる。


「…金づるが一辺にいなくなるとはね。また静かになるよ」

「いい冒険者もね……アデットさん、本当にいなくなっちゃうんですか?」

「重ね重ねすまない」

「うぅ…家に戻ってきた理由が半分消し飛んじゃったわよ」


 キャロラインが無念そうに受付に寄り掛かるや、嘆息を吐いた店主も頬杖を突きながら、妹の頭を気怠そうに撫でる。


 その間も片や出発の手筈を。

 片や気を取り直すように客入れの相談を始め、活気を取り戻した広間に笑みが綻ぶ。

 別れは突然でも、時間はあらゆる傷を洗い流す。


 そんな事を1人思いながらココアを注ぐが、いくら振っても出て来ない。

 カウンターへ戻せば背中を預け、ゆったりと景色に興じた矢先だった。


 腹底を揺さぶる声に、少し顔を上げる。


「なんだよ藪から棒に。賑やかだから少し見てただけだろ」

【貴様から冷気が滲み出ている。以前も同様の事象をマルガレーテ出立時に感知した】

「…もともと短気でせっかちな方だったけど、ゆっくり腰を降ろせないのも考えものだなって思ったんだよ。この先もずっとこんな感じだろうしな、私らは……まるで“キャプテン・ジョンソン”みたいだ」


 嘆息を吐けば深々と椅子に腰かけ、天井をジッと仰ぎ見た。


 脳裏に浮かぶのは永劫1人で海を彷徨い続ける、呪われた幽霊船の水兵の話。

 故郷も恋人も、運命すら無下にした男は2度と陸に戻れなくなってしまう。

 船からも降りられず、誰とも交われず。ただ甲板から眺めるだけの、居て居ないような存在。


 そんな彼の心情がまさにアデランテを蝕んでいたものの、すぐに自分との違いを思い出す。


 永劫に彷徨っているのは海ではなく陸。

 そして何よりも、ずっと付き添ってくれるパートナーがアデランテの内にいる。


【“感傷”“哀愁”の情と認識した。残響による判断力の低下が危惧される。早々に事態を受け入れ、即刻感情を捨て去れ】


 慰めは皆無で、評価も辛口気味。それでも発破をかけてくれる、頼もしい事この上ない存在に。

 ついニヤけているとキャロラインの接近に顔を上げ、ソッと手を握られる。フードの下を覗かれる程顔が近付いても、瞳まで覗かれる事はなかった。


「…必ず……必ずっ!また来てくださいね?今よりもっといい場所にしてお出迎えしますから!」

「アタシの宿なんだけどね」

「“私たち”の宿でしょ!もう冒険者ギルドの職員特権を行使しまくって、バンバン儲けて改装するんだからね!サービスも良くして、お姉ちゃんにはもう寝かせないから!」

「せいぜい今から寝溜めしとくよ」


 火が点いた妹を止める術はなく、呆れながら笑う姉もまた変化を受け入れたらしい。

 2人を見ていると次の訪れが楽しみになるが、それすらいつか忘れてしまう。

 自身の記憶力に加え、いつかオーベロンから授かる報酬によって。



 だからこそウーフニールがいる。

 全てを見、全てを聞く彼なら。

 きっとアデランテの代わりに“柵越えの羊亭”の場所も、出来事も。頼まずとも全て覚えていてくれる。


 薪をくべていない暖炉から火が消えゆく中で、せめてこの景色だけは覚えていたいと願いながら、明日の出立を話し合うジェシカたちの声に耳を澄ませた。

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