057.深夜徘徊
よほど疲れていたのだろう。寝息を立てる2人の枕元に立ち、しばし眺めると静かに離れていった。
「…じゃ、留守番よろしくな」
小声でポツリと告げるや、光源のない森へ足を踏み入れる。グングン奥へ進んでいくが、アデランテの視界には昼間と同じ景色が映り込んでいた。
脳裏に浮かぶ地図にも魔物の生息域が表示され、片手にギルドの受注票が握り締められている。
その身軽さは、まるでお使いに出たような様相であったものの、片手を常に剣の柄に載せた姿が、冒険者の風格を漂わせていた。
「“コマンドーラビットの討伐および素材集め。指定数5匹”。確か夜に現れるんだよな?」
【覚えていた事に驚嘆する】
「ふふん、最初に受けた依頼で仕留めた相手だからな。私でも流石に覚えて……そういえば鉄じゃなくて銅級の魔物だって言ってなかったか?それで仕留めても問題がないのかウーフニールに聞いたような気がする」
【単独にて依頼が完遂可能な冒険者は、1等級上位の依頼が受注できる】
「…つまり1人で活躍してる鉄級の冒険者なら銅級。銅級なら…あーっと」
【青銅等級を受注可能。ギルドにて先程説明を受けたばかりのはずだが】
「それは覚えてないな。というよりずっと身体を動かさなかったから、久しぶりの依頼で浮足立ってるのが本音か…宿の店主について色々話したのは覚えてるんだけどな」
悪びれもせず語るアデランテの心中で溜息が零れ、いつものやり取りに笑みが綻ぶ。しかし会話をしている間にも生息域に侵入し、剣を抜けば耳を研ぎ澄ませた。
警戒しながら慎重かつ大胆に進むが、ふいに話しかけてきた同居人に、凛々しい面持ちも瞬く間に崩れ去る。
【喰らう対象で無いならば、何故足手まといを引き連れた】
「ふぉっあ!?……えっ、なんだって?」
【移動と依頼遂行の邪魔でしかない】
「あぁ~…だとしても、折角助けたのに路頭で迷われるのも後味悪いだろ。少しくらい立ち上がる手伝いをしたってバチは当たらないし、“冒険者っぽさ”を自分の目で見たかったのもあるかな」
にやりと笑みを浮かべれば、やはり返されるのは唸り声だけ。しかし町に蔓延る冒険者は嫌でも目に付くが、実際活動する姿は見た事がない。
だからこそエルメスたちの荷量を見た時は“らしさ”に歓喜し、設営から夕餉の支度まで進める姿に、人知れず興奮し通しだった。
道中もチラチラ振り返っては、汗だくで歩くエルメスたちを見守っていたものの、ただ道案内を漠然と務めていたわけではない。
先陣を切って安全を確保しつつ、道中摂り込んだワシによって広範囲を網羅していたが、分離時の喘ぎ声や憔悴を隠すために、強引に彼らと距離を広げてしまった。
おかげで休憩を取るタイミングを逃し、結果的に移動速度はさらに低下。反省こそしたが、得たものは十分過ぎる程に大きかった。
その名も“ヴォートサラマンダー”。
熱を感知し、透明化して獲物に迫る銅等級の魔物。
巨体に見合わず臆病な性格のため、パーティを組めば出会う事はまずない。
もっとも戦闘後に全体が弱っているか。あるいは群れから逸れた個体は、その限りではない。
エルメスたちから逃げた魔物は問題なく仕留め、能力を余さず摂り込んだアデランテの視界には、身を潜めた獣が赤く表示されていた。
「ほっほーぅ!まるで魔物の目を通して見てるみたいだ!まだ使ってないけど、私も透明になれるんだよな?」
【うるさいぞ】
「固いこと言うなって。それに騒がしくしてた方が私らの依頼対象も縄張りがどうので出張ってくるんだろ?何なら今からでも使いたいな~」
【……人間の顔と名を覚えられぬ貴様が、魔物の特性を覚えている理由が不可解極まりない】
「身体で覚えるからだと思うぞ?」
【会う人間全てを殴るか殴られる事で、ようやく把握できるという事か】
「そんなお尋ね者みたいな真似出来るか…って思ったけど、お前と会う前は大体そんな感じだったな。でも人目につく真似は控えた方がいいんだろ?それに私にはウーフニールがついてるし、これからも頼むぞ相棒っ」
【自覚があるならば学習しろ】
いつにない高笑いを上げながら森を走り抜けるも、ふいに前方で魔物の熱を感知した。
徐々に増える敵の勢力から、長い耳でアデランテの存在を察知していたらしい。侵入者を排除すべく、次々現れては突進してくるが全ては予定調和。
臆する事なく剣を構え、コマンドーラビットの雄叫びで開戦した矢先。
突如視界の端にテントが映し出され、フラフラ歩いていたジェシカの姿を捉えた。
トイレから戻ってきたのか。寝床に入る前に周囲を見回し、それでも見当たらないアデランテにしばしテント前で佇んでいた。
しかし帰ってこない事を確信したらしく、慌ててエルメスを揺さぶれば、のっそり身体を起こした彼の目は半分閉じていた。
{どうした~?もうしゅっぱつかぁ~…?}
{なに寝惚けてんのよ。アデットさんがいないの!トイレかと思ったけど帰ってくる感じもしないし、さっき襲ってきた魔物に捕まったのかも!}
【……対処は】
戦闘音に関わらず、ウーフニールの声がはっきり耳に届く。
すでに2体仕留め、まだ4体と交戦中。
突進して足を掠めた1匹を返す刀で斬り付け、残るは3体。
「どうするって、勝手に歩き回られるのもなぁ……何とかその場に留めてくれ!すぐに戻るからッ」
【面倒極まりない】
「そこをなんとかッ、ぐぁッ!!」
手を合わせた隙を突かれ、横腹に重い一撃を入れられる。背中も角で抉られるが、痛みに苦しむ暇もない。
素早く反転して敵の頭部を斬り落とし、残る2体の敵に猛然と襲い掛かった。
テントや荷物をそのままに、手早く装備を着込むエルメスたちは、予期せぬ妨害に見舞われていた。
ジェシカに起こされ、テントから飛び出したのも束の間。夜闇に佇んていたワシにギョッとし、手元に武器があれば咄嗟に構えていたろう。
しかし人間が近付いても警戒せず、エルメスが支度を始めれば、テッテッと迫って着替えを妨害した。
足や嘴を突っ込み、武器を掴もうとすれば羽ばたいて執拗に邪魔をしてくる相手に、何とか剣だけは回収したが、すかさず構えれば直後にジェシカが割って入った。
「ちょっと、鳥相手に何やってんの!?」
「俺だって情けないけど、アデットさんを探しに行くんだろ?こんなのに邪魔される時間も、筋合いもないんだよ!」
何度も穏便に追い払おうとしたが、ワシは意にも介さず妨害を続ける。
もはや焼き鳥にする以外の道がなく、しかし愛らしく首を傾げる様子に良心が痛んだ。
その間に着替えたジェシカは、恐る恐る杖をワシの前に押し出す。
少しでも遠ざけようと試みるが、杖先が胸の毛を掠っても微動だにしない。怯える様子も一切見せず、観察するようにジッと見つめてくるだけだった。
「…なんだろ。この子ぜんぜん怖がらない」
「誰かに飼われてたんじゃないか?それにしても何で俺の着替えだけ邪魔するんだコイツは」
「男嫌いとか?なら女の人が飼い主なのかな……うわっ、威嚇された」
「そもそも鳥に男女の区別がつくとは思えないけどな」
エルメスの装備の上に居座るワシを撫でようとすれば、羽根を広げて威嚇される。武器を近付けても物怖じせず、怪鳥の出現に2人は顔を見合わせた。
しかし茂みをかき分ける音が背後で響くや、素早くテントを出るとエルメスはジェシカを。
ジェシカはワシを。
それぞれを守るように立ち塞がるが、怪鳥が足並みを揃える事はなかった。
彼らの頭上を悠然と飛び越え、止めようとしたが間に合わない。そのまま茂みへ向かい、咄嗟に追いかけて森に飛び込もうとした刹那。
茂みから腕が突き出され、思わず足を止めた。
怯えるエルメスたちに反し、ワシは止まり木の如く優雅に着地。羽根を休める間も、ガサガサ茂みを震わせた人物は順々に身体を押し出していく。
それからようやく全身が露わになれば、フードに葉っぱを乗せたアデットが、荒い息遣いを繰り返していた。
「…アデットさん、ですよね?その子ってもしかして…アデットさんの?」
「はぁ…はぁ、ちょっと…待ってく、れ。はぁ、はぁ」
「夜の見張りって言いながらどこ行ってたんですか?まさかジョギングしてたなんて言いませんよね」
「…あのぅ、水でも持ってきましょうか?私の分がまだ沢山ありますし、それに汗で身体が冷えるから、火も起こさないと」
「……いや、大丈夫だ。眠れないんで少し食料探しに行ってたんだ」
「松明も持たず、こんな夜更けに?見えるわけないじゃないですか。それに何処か行くなら俺かジェシカを起こしてくださいよ。森のド真ん中に寝たまま放っておかれたら、それこそ魔物の餌食になってたわけで…」
「だから相棒に留守番を任せたろ?」
いまだ身体は折ったままだったが、フードの下でニヤリと笑みが浮かぶ。
腕を軽く持ち上げれば、エルメスたちを憮然とワシが見下ろした。
「…人慣れしてるとは思ってましたけど、アデットさんの子だったんですね」
「ふふん、実はそうなん…ではなくて、知り合いに面倒を見るよう頼まれてな。先日襲ってきた魔物の接近に気付いたのも、コイツが合図を出してくれたおかげなんだ」
「へぇ~…高度な訓練を受けてるんですね。俺が武器を近付けても全然動じないし。でも触ろうとしたら威嚇されたよな」
「うん」
「はっはっはっ。コイツは他人が気安く触ろうとすれば怒るんだよ。なぁ?痛ぁぁあッ!?……な?」
ソッと手を伸ばすと触れる前に手の甲をついばまれ、軽く腕を振ったアデットはテントに戻っていく。
“他人”とは恐らく飼い主以外が触れる事を許さないのだろう。気位の高い鳥に驚くも、今度こそ何処にも行かないと告げた彼女は地面に座り込んだ。
定位置とばかりに木へ寄り掛かり、大きく胸を膨らませる。
それからも何事も無かったように振る舞う彼女に、思わずジェシカと顔を見合わせたが、夜はまだまだ長い。
明日に備えるべく渋々寝袋に入ったものの、ふと一瞥するとアデットは立てた膝にワシを乗せ、小声で何かを話していた。
仲が良いかは分からないが、身体を預けるだけワシに信頼されているのだろう。茂みから飛び出した直後も、アデットがまるで夜の女神に見えて。
それでいて戦士のような独特の雰囲気が漂い、少し格好良いとさえ思ってしまった。
自分もいつかそんな冒険者になれるのか。
ボーっと彼女を眺めていたエルメスも、ふいにワシが首を反転させて見つめ返してきた。
それもただ見ているわけではない。
まるで観察されているような。
纏わりつくような視線に、被害妄想だと自分に言い聞かせながら寝返りを打つ。
所詮はワシ。
所詮は鳥。
それでも一瞬だけ。
一瞬だけ、自分が獲物の心持ちにさせられたのは、ひとえにワシの瞳が別の物に見えた気がしたからだろう。