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054.記憶の形

 完成された遺書を携え、オルドレッドの宿泊先で用件を伝えれば、二言も交わさない内に扉前まで案内された。

 店主はそそくさと退散し、人気のない廊下に1人取り残されるや、途端に漠然とした不安に襲われたが、幸いアデランテは“1人”ではない。

 心中でひしめく唸り声に後押しされると、意を決してノックした。



――……どうぞ。



「…今、返事が聞こえたか?」

【黙って入れ】


 風の音と聞き間違う応答に気が引け、それでも内なる力強い声に導かれるがまま。ソッと扉を開けば、ベッドに背中を預けたオルドレッドが床に座り込んでいた。

 立てた膝に顔を傾け、虚ろな瞳をただ向けてくる姿は痛々しい。途端にズキっと胸を締め付けられたが、負けじと懐から一通の封筒を抜き出した時。

 太陽の如く瞳を輝かせたオルドレッドが、目にも止まらぬ速さで近付いてきた。


 思わず引き下がったアデランテの手首も掴まれ、かつてない気迫に慄いたのも束の間。震える手で“遺書”を受け取ったオルドレッドは、上から下に。

 味わうようにまじまじと封筒を眺め、ようやくアデランテを解放しても、動揺しているのは明らかだった。


「…これが……本当に?」

「あぁ。思い出すのに苦労したけど正真正銘、ダニエルの遺言書だ……も、もちろん彼の書いた物だって納得するなら、私は本物だと思うが…ッ」

【余計な話を加えるな】

「す、すまない」

「何が?」

「なんでもないッ!!」


 万が一のために遺言書の隠し場所を教えられていた、と。嘯くアデランテを無言で一瞥され、緊張で震える表情を必死で抑え込む。


 今日明日には死ぬかもしれない冒険者が、遺言を残しておく事は珍しくないとはいえ、筆記体や言葉遣いがダニエルの物でも、認めるか否かはオルドレッド次第。

 封筒を睨む様は真贋を見極めている気がして、思わず顔を背けてしまう。追及を逃れたい一心の行動であったが、ふいに部屋の異質さに気付いた。


 1人で使うには広すぎる上、隅に束ねられた荷物の山が、冒険者パーティの終わりを黙々と物語っている。 

 中でも小奇麗にまとめられた小さなカバンが一際目立ち、貴重品でも入っているのかと首を傾げた矢先。


 ビリーっ!と。封書を開く音に肩を震わせ、三つ折りの手紙が引っ張り出される。

 依然険しい表情で手元を睨んでいたオルドレッドも、ふと鼻先で手紙を扇げば、途端に柔らかな微笑みを浮かべた。


「……りんごの匂い。ほんっと、あの子らしいわ」


 ひとまず第一段階はクリア。

 彼女の反応に胸を撫で下ろすも、片手で広げた手紙に瞳が動き出す。

 

 あとは成るようにしか成らず、固唾を飲んで見守る他なかった――。

 



“オルドレッドへ

一介の冒険者らしく、ちょっとカッコつけて書いてみました。読まれないに越した事はないけれど、やっぱり何かあってからじゃ遅いから…オリー。ボクの我儘に付き合ってくれて本当にありがとう。オリーはボクが冒険者になるって言った時、反対はしなかったよね。不安になった母さんと父さんを説得してくれて、おかげでオリーが寝る前に教えてくれたような大冒険がたくさん出来たよ!…でも、本当は嫌だったんだよね。「自分の事は自分で決めなさい、キリッ」なんて言ってたけど、その時ものすごく嫌そうな顔してた。だけどオリーはいつだってボクの味方をしてくれたから。ケガした時も真っ先に駆けつけてくれて、身を挺して守ってくれたりして、いつだってボクの事を気にかけてくれたから。だから「ダメ」って言えなかったんだよね。冒険者になってから学ぶ事は沢山あったけれど、1番わかったのは…本当は冒険者になりたかったわけじゃなかった事かな。あっ、もちろんパーティの皆と会えた事も、どんな辛い時でも1日だって冒険者になりたくないなんて思った事はないよ?むしろ、なって良かったと思う。後悔なんかしてない。だけどボクが本当に望んでたのはオリー……オルドレッド・フェミンシアとずっと一緒にいる事だったみたい。沢山頑張ったけど、少しはオリーに釣り合える男になれたかな?人間なんてすぐ死ぬから、って誰とも関わらないようにしていたけど、ボクはそんなオリーの。オリーにとってはほんの一瞬の過去の出来事でしかないのかもしれないけど、それでもオリーと会えて本当によかった。ボクが戦いで死んだあとも、もしかしたらおじいちゃんになって死んだあとも、ずっとず~っと長生きして、ボクみたいにオリーと会えて幸せになれる人をたくさん作ってね。本当に、本当にありがとう”


〝追伸;アップルパイ。もう少し練習しようね”




 黙々と目を通し、ふと顔を上げるとアデランテはいない。音もなく窓辺に移動していたらしく、外をジッと眺めていた。


「…彼の遺言、確かに受け取ったわ。ありがとうね」

「……ん?あぁ、それで満足したなら私もそれで十分さ」

「本当にありがとう……そんなに窓の外が気になる?誰かと待ち合わせしてるのかしら」

「用事はないよ。ただ外に馬車が待っているようだから、なにかと思ってな」


 フードで相変わらず表情は見えないが、彼女の落ち着いた声。何よりも窓辺に寄り掛かる、堂々とした佇まいにプロ意識をそこはかとなく感じる。


 手紙を畳んでポーチにしまい、もう1通の親宛ては、荷物の山から離した小さなカバンに差し込む。

 いつもは洗ったハンカチや甘味をこっそり収納し、見つかれば子供扱いだと持ち主に怒られたのも懐かしい思い出。

 まさか最後は遺書をしまう事になるとは、夢にも思わなかったろう。

 

 込み上げた涙をグッと拭い、屈んだままアデランテに返答する。


「故買屋の所の馬車よ。仲間の荷物を引き取ってもらうのだけど、処分したお金を遺書の報酬に充てるんでいいかしら?」

「……報酬なら十分貰ってる」

「それって最初に投げた金貨のこと?それともギルドの帰りに渡した2つ目のこと?言っておくけれど故買屋の分は手紙の報酬よ。それだけの価値があるんだから……それに…」

「持ち歩きたくない金を私に押し付けられても困るんだけどな」

「ふふっ、話が早くて助かるわ。中身は査定済みだから、あとは荷物を持っていけば御者がお金をくれる手筈になってるの。少し部屋で待ってもらえるかしら?」

「んん~…あまり気乗りしないけど、荷物はせめて私が運ぶよ」

「じゃあお言葉に甘えて……あっ、こっちのカバンはダメよ?これは…ダニエルのご両親に渡すものだから」

「わかってる」


 近付くや否や、軽々と荷を殆ど抱え込んだアデランテに目を見開く。重さを感じさせない足取りで部屋を出ていき、とても人間の女とは思えない。

 だが一方で魔物の巣窟から救助された事実が、自然と身体能力に納得させられた。


 薄幸な笑みを浮かべ、再び視線を落として手紙を読み返すも――ぽとりと。ふいに一滴の涙が指先を濡らした。


「……ばかぁ…」


 オルドレッドの呟きが木霊し、大粒の涙が零れ落ちる。恥も外面もなく咽び泣けば、その場に崩れ落ちてしまった。


 森へダニエルを捜しに走り回った時も。

 形見を待つ間も。

 決して流さなかった涙は、もはや止めようがない。

 額が床につきそうな程身体を折り曲げると、手紙を胸の中へ押し込んだ。


 そのまま身体を投げ出したい衝動に駆られるも、ふいに扉が開かれる。


「そうだ!1つ思いついたんだけど、報酬の分け前を半分に、し…て」


 アデランテが顔を覗かせれば、両脇にはまだ荷物が抱えられている。途中で引き返したらしく、笑みが冬場のように凍り付いていく。



 見てはいけないものを見てしまった、と。

 暗に示す彼女の様相に、無言で迫ったオルドレッドが胸倉を掴むや、強引に部屋へ引きずり込んで、力任せに荷物ごと床に押し倒した。

 鈍痛で顔が歪んでいる事など、胸に顔を埋めたオルドレッドには知る由もない。しかし肩を震わせながら嗚咽を漏らし、絶えず胸元を濡らす彼女に嘆息を吐けば、荷物を手放して柔らかな髪を撫でつけた。


 心なしか震えも収まった気もしたが、やがてオルドレッドが胸に頬擦りをしてくるや、突如目を見開いた彼女が脱兎の如く飛びずさった。

 直後に故買屋が扉を開き、一向に現れない客に業を煮やしたのだろう。声を掛けられる前に荷物を強引に手渡し、無理やり追い返した所で、チラッとオルドレッドを一瞥する。

 

 壁を向いたまま微動だにしていないが、数秒前の“機動力”を考えれば、ひとまずは安心だろう。

 残りの荷をサッサと馬車まで運び、滞りなく金を受け取ると、車輪が回る音を見届けてから部屋に駆け上がった。


「…あ~っと……問題はないか?」

「少し不完全燃焼だけれど、もう大丈夫よ。ありがと…私はもう少し部屋でゆっくりしてから出発するわ」


 窓辺に移動していたオルドレッドは振り返る事もなく、それ以上彼女が口を開く事も無い。

 アデランテもまた掛ける言葉が浮かばず、別れの挨拶を告げれば颯爽と部屋を去ったものの、街道で足を止めればチラッと宿に振り返った。


 窓辺にはオルドレッドがいまだ佇み、腕を組んだ彼女は毅然と振る舞って見えるが、泣き腫らされた目元はやはり心許ない。

 それでもニコッと微笑み、儚く左右に振られた手に応じれば直ちに踵を返した。いつまでも背中に突き刺さる視線から逃げるように、何度も建物を曲がり。瞬く間に宿が遠ざかっても、速度が落ちる事は無い。


 しかし足取りがふいに重くなり、鉛を縛り付けたような気怠さにフラつけば、咄嗟に壁に腕をついた。


【どこへ行く気だ】


 息を切らす間も腹底から声が聞こえ、心地よい振動に目を瞑ればゆっくり身体を起こす。


「……別に、当てはないさ」

【なぜ息を切らしている。たかが87メートルの道のりで疲労を覚える肉体でもあるまい】

「色々ドッと来てな。部屋で待ってる時なんて、バレたら最悪窓から飛び出そうかと思って、遺書どころじゃなかったんだ…でも上手くいって良かったよ。ありがとなウーフニール」

【あくまで記憶の提供と代筆を行なったまで。死者の成り代わりを演じたのは貴様個人の力量と判断によるものだ】


 ようやく呼吸が整ったのも束の間。ふいに掛けられた褒め言葉に目を丸くし、思わぬ事象に照れながら頬を掻く。 

 途端に身も心も晴れ渡り、今なら鳥の姿に変わってもまともに飛べる自信があった。


「――…コーヒーに浸して、遺書を古い感じに見せたのも功を奏したって所かな。紙が新しすぎると警戒されかねないし…」

【何故小僧が果実を好むと知っていた】

「リンゴの山に手紙を寝かせておいた時の話か?」 

【臓書を何度読み返そうとも、果実の記載はなかった。関連する資料があるとすれば、貴様が喰らった手作りパイしかない】

「あ~、単純に本を読むとリンゴの匂いがたまにフワってしたから、リンゴの匂いがする人だったのかなぁ、って思っただけだよ。それに自分の体臭を知ってる奴なんて早々いないだろうし、記憶に残す方が無理あるだろ」

【……臓書が野生の直感に負けたか】

「野生って…まぁ否定はしないけどさ。でもお前がいなかったら書ける内容もなくて、結局筆跡を真似るのに書くのは任せてしまったし、どこに遺書が隠してあったとか考えてくれたのはウーフニールだろ?折角2人でいるんだ。お互い足りない所は補っていけばいいさ……実際死にかけた私の足りない身体をウーフニールが埋めなかったら、カミサマがいたって助からなかったろうしな」


 快活な笑い声に対し、溜息混じりの唸り声が返ってくる。それだけのやり取りに微笑んでしまい、無機質な声に反して心が満たされていく。

 あとはどんなに傾いても脱げないフードが、視界を狭めたりしなければ、文句は何1つ無いと。

 口に出せない不満を溜息に落とし、フードを煩わしそうに撫でた。しかし目は口程に物を言い、心中に渦巻く悩みは語らずとも伝わったらしい。


【覆いが気に喰わなければ本題に移る。場合によっては改善を検討しないでもない】

「ふぉあっ!?べ、別にフードを外したいなんてコレっぽっちも…改善?なにを?」

【フードだ】

「……外してくれるのか?」

【貴様が要件を呑めば代替案を実施する】

「外してはくれないんだな…それで、要件はなんなんだ?」

【記憶が枯渇する。人間を2人分喰らわせろ】

「あ゛ー…」


 そして忘れていた。

 彼が無形で、人喰いの怪物だった事を。


 ダニエルの記憶が消える寸前であった事実にゾッとしつつ、まずは食事休憩を挟むべく臨時収入を手の中で放る。

 使うのも憚られるが、胃を満たしてくれるなら背に腹は代えられない。


 早速店を探すべく足を運ぶものの、飲食店が作戦会議の場にもなるだろうと。陰鬱な話し合いが行なわれる気配に、食べる前から胃が重く感じた時だった。


 ふと道端で見つけた2人の男女が、否応なしにアデランテの注意を引いた。

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