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052.秘密の部屋

 円卓の上には本が積み上がっていたが、とりわけアデランテの注意を惹いたのは、彼女の前に開かれた1冊の書物だった。

 瞬き1つせずに見守っていると、ふいにページが数枚。風も受けずにめくれていき、直後に本が震えるや、表面を突き破るように文字が虚空に浮かぶ。


 形成された塊はやがて眩い光となり、目を覆った腕を下げれば豊潤な香りが漂う、湯気が立ち昇る酒池肉林が机一杯に広がっていた。


「……いっただっきまーす!!」


 手を合わせ、目を輝かせながら肉。

 スープ。

 前菜。

 酒。


 視界に入った料理を、魔法のように次々と消していく。空き皿も透けるように消滅し、完食する頃には匂いの痕すら残らない。

 

 やがて満足そうに腹を擦れば、艶やかな唇から嘆息を零した。

 それから挿絵もない、文字だけのページをめくりながら頷くや、筆を羊皮紙に下ろす寸前で止める。

 

「…う~ん、銅から青銅に昇級した時の宴の品か……遺書に載せるにしては物足りないかな。ウーフニール!次の本を頼む!」


 快活に見上げれば、ずっとアデランテの頭上にいたのだろう。ウーフニールが本を交換し、同じ現象を経て料理が出現する。

 再び1人だけの“宴”が始まるも、筆の進み具合は決して良くはない。しかし積極的に本を読み出し、机に突っ伏す時間も大幅に減っていた。


 次々料理を繰り出せば、餌にありつく魚の如く彼女は食いついていく。


 釣りを失敗し、こっそり父が近所の男から貰った焼き魚。

 冒険者パーティで奮発した宴の品々。

 故郷の母が作った手作り料理。

 

「――…それで黒焦げた……この消し炭は何て言ったっけか?」

【“オルドレッドの手作りパイ”。齢9年の誕生を祝う際に喰らい、4日寝込んだ代物】

「…こっちは?」

【3週間後に再挑戦された手作りパイ】


 机には2つの小皿が並んでいる。

 1つは人目に晒すのも忍びない、型崩れしたアップルパイ。

 もう1つは黒く、火事場で見つかったような形容し難い異物。


 料理に対し、珍しく警戒するアデランテは訝し気に双方を見比べ、やがて迷いを断ち切ると、覚悟を決めて一息吐けば“型崩れ”を掴んだ。

 豪快に頬張れば薄っすら涙が浮かび、懸命に何度も口を動かす。まるで小銭を詰められた食感が広がり、りんごの味は辛うじて感じられる。


 美味と呼ぶには程遠く、珍味と呼ぶには心許ない。岩を飲み込むように喉を通し、目を潤ませながらウーフニールを一瞥。

 途端に同じ本から牛乳瓶が現れ、抱え込むように中身を飲み干した。


「ぷはーーーッ。た、助かった!……消し炭の方は…食べないわけには、いかないよな……うぉぉぉッッ」


 食べる順番を間違えたらしい。

 胃を押さえ、震える手で筆を握り込む。


 文字や挿し絵では伝わらない〝食”も、五感で体験できるダニエルの貴重な思い出。当時の彼の想いが、嫌というほど腹に響いてくる。


「……くっ、だ…だけど格段に見た目も味も上がってたんだな。お前も一口どうだ?」

【断る】


 当然とばかりの返答に、思わず苦笑いを浮かべる。

 残りも余さず頬張り、2杯目の牛乳を一気に飲み干しても舌に鉄臭い味が残った。


 口直しにサンドイッチを食べ、ウーフニールが本を片付ける間に、近場の書物をパラパラめくっていく。


 表題は“冒険の旅路”。

 ダニエルが実家を離れてから、一冒険者としての終生が記されている。


 後味が悪くなる予感に一旦本を閉ざし、残りのサンドイッチを頬張っていく。食休みに椅子へ身体を預けるが、視線はどうしても例の書物にばかり向けられてしまう。



 彼の最期は摂り込んだ直後に追体験しているが、入り混じった感情は複雑怪奇。


 絶望。

 激痛。

 悔恨。

 哀愁。


 “冒険の旅路”という平凡な題名に反し、記述内容は恐らく壮絶な物だろう。

 もしかすれば臓書内に保管された、“最後”の記録ですらあるかもしれない。

 

 気軽に手に取った事を後悔するも、アデランテの最期も彼には負けていないはず。


 落盤に遭い、オーベロンに会い。

 そしてウーフニールと身体が合わさった事で、終わるはずの旅路はいまだ綴られ、これからも歩みは止まらないだろう。



 

――ならばアデランテの“冒険”はどこに保管されているのか。




 もたげた疑問に顔を上げ、臓書をザッと見回す。


 ウーフニールの話では、全ての階層に置かれているのは他者の物。立ち上がって円卓を回り、積まれた本を軽くつまんでいく。

 色こそ様々だがどれもダニエルに関する“上階”から運ばれた物ばかりで、記憶を手繰り寄せても、保管している階層は2階から10階まで。

 ウーフニールの説明において、アデランテの名は1度も出てこなかった。


 共生しているとはいえ、曲がりなりにも彼に摂り込まれている立場。本の1冊や2冊はあってもおかしくないだろう。


「……ウーフニール!!おーいっウーフニール!」


 呼び声に応じ、上階から黒い液体の塊が現れる。

 ギョロりと眼玉に睨まれるや、恐ろしい速さで柱を掴みながら下降し、頭上で急停止した風が、アデランテの前髪をふわりと浮かせた。


【どうした】

「え、え~っと…大した用事でもないんだけど…」

【だから何だと聞いている】


 不機嫌、というわけではないのだろう。

 声音はいつも通り。筆の進みも、最初の頃に比べれば進んでいる。


 しかし見慣れてきたとはいえ、間近に迫られると思わず息を呑んでしまう。

 引き攣った自分の顔まで眼玉に映され、刺激しないよう顔をゆっくり離した。


「そのぉ…なんだ。色々本が収められてるけどさ。私の記憶はココに保管されてないのか?お前の身体だし、一応摂り込まれてる側だと思ってたから、少し気になって…」


 視界の殆どをウーフニールに遮られ、残る隙間を駆使して視線を逸らす。おかげで彼の異変に気付き、一点を凝視する側面の瞳の先を辿っていく。


 だが何度見ても、あるのは山積みにされたダニエルの本だけ。

 ウーフニールに視線を戻せば彼は目を細め、やがて重そうに。いつにない鈍い動作で、積み重ねられた本を塊ごと左右に退けた。


 それからゆっくり後退しても、いまだに彼が見つめているのは何もない壁。不自然な沈黙にアデランテが歩き出し、行き止まりの前に1人佇んだ。

 壁をペシペシ叩いてみるも、特別手応えがあるわけでもない。訝しみながら振り返って尋ねようとしたが、ふいに視界の端で壁が忽然と消えた。

 代わりに監獄で見るような鉄扉が出現し、思わずウーフニールの傍まで後ずさる。


 勢い余って彼にぶつかってしまったが、思えば自ら接触したのは初めて。

 予想外のモチモチ感に背中を押し当て、反射的に抱き着こうとしたのも束の間。すかさずウーフニールの鋭い眼光が、アデランテの行動を牽制した。


【恐らく貴様の記憶が保管されている】

「……おそらく?」

【いくら衝撃を与えようとも、一向に開く気配がない】

「…私の記憶が入ってるかもしれないのに、そんな乱暴に扱って大丈夫なのか?」


 懐疑的に彼を見返しつつ、好奇心が扉に向かわせる。軽くノックしてみるが、反響音から厚みは対して感じられない。 

 それでも岩をも凌ぐ硬さが指先に伝わり、ウーフニールの言う通り“ちょっとやソッと”の衝撃では、決して開かないだろう。

 隊舎の懲罰房よりも頑丈そうな造りに喉を鳴らし、恐る恐る取っ手に触れるや、途端に人肌の温かみがじんわり伝わってきた。


 そして直後に――ガヂャンっ、と。

 重々しい音からは想像できない程、扉はあっさり開かれる。


 驚いてウーフニールに振り返るが、彼は何も言わない。全ての眼をカッと見開き、ただただ行く末を見守っていた。

 少なくともアデランテを止めるつもりは無いらしく、彼の強烈な後押しで再び扉へ向き直れば、警戒しながらソッと中を覗き込んだ。


 最初に視界に入ったのは、パズルのように組まれた淡い色の床。

 部屋を囲む壁はクレヨンで落書きされ、そこかしこにオモチャの兵隊や馬。そして積み木と人形が、無造作に転がっていた。

 隅に寄せられた小棚には絵本が収められ、隙間に十分な余裕があるにも関わらず、上段にも放るように重ねられていた。


「…子供部屋か?」


 臓書とは異なる異質な空間に、思わず室内へと滑り込む。雰囲気から自然と浮かんだ感想であったが、生活用品や寝具の類は一切ない。

 無骨な扉に不釣り合いな空間に加え、装飾品の数々もまたアデランテを困惑させた。


 壁には剣と盾が飾られ、等身大の甲冑が番人とばかりに佇んでいる。歪な子供部屋に独特な趣きを与え、訝しみながらオモチャの1つを拾った。

 手の中で何度も翻すが、木材で彫られた単純な物で、特別注意は惹かれない。床に戻せば小棚へ向かい、次は収められた絵本を手に取ってみる。


 それまで挿し絵調の本とはいえ、ずっと文字の羅列を睨んでいたからだろう。

 殆ど絵で構成されたページが癒しに取って代わり、目を通すのも容易。一瞬で情報が頭に入っていくが、ふいに指の動きが止まった。

 最後のページに辿り着く前に床へ落とし、構わず次の絵本を掴み取る。その後も同じ事が繰り返され、やがて空同然の小棚の前で愕然と立ち尽くした。


「――…これが…私の記憶、なのか?」


 子供が描いたような、限りなく落書きに近い絵本。だというのに、書かれていた内容には身に覚えしかなかった。

 壁の落書きも、故郷や渡り歩いた戦の地図に見えなくもない。



 いずれにしても、ウーフニールの推測は正しかった。

 アデランテの記憶は開かずの間に保管され、その一端を片手に収めている。


 周囲をもう1度見回し、深い溜息を吐けば呆れたように腰に手を当てた。


「この部屋…私が幼稚だって言いたいのか?確かに本をまともに読んだ事はないし、訓練と戦地に赴く生活ばかりしてきたけど…」


 少しばかり傷ついたプライドに、今1度ウーフニールに抗議。もとい相談すべく、絵本を持って部屋の外へ向かった。


「ウーフニール!ちょっとこれを見てく、れ゛ッ゛!!?」


 身体が半分まで出かかった時。突如扉を押さえられ、隙間に見事挟まれてしまう。

 万力を前に身動き出来ず、絵本を持つ手もまだ部屋に残されている。


【…見せるな】

「なっ、別に見られて恥ずかしいものじゃないぞ!?私の細やかな思い出を少し見てもらいたいだけで…あと、この部屋の内装に関して苦言が…ッ」

【記憶を喰らう怪物を前に、貴様は“思い出”を差し出すか】


 凄みのある声に怯み、大人しくなった所で万力が如き力も緩む。

 途端に解放されて1度はウーフニールを見るも、口を開かずに身体を引っ込め、絵本も元に戻せば再び部屋を出て後ろ手に扉を閉めた。


 相変わらず重々しい音が伝わるが、やはり相応の重量は感じられない。しかし扉から意識を逸らせば、いまだ見つめてくるウーフニールに視線を移した。

 

「……私のこと、心配してくれたのか?」

【オーベロンの契約がある。運命共同体にされた身で貴様の記憶を喰らわば、何が起こるか見当もつかん…“その部屋”に決してウーフニールを入れるな。何も持ち出すな。解ったか】

「…わ、わかったよ」


 子を叱る親のような口調に、強く言い返せるはずもない。

 互いに了承できた所でウーフニールは上階へ去り、何事もなく作業を再開した彼に呆然とし、この光景をあと何度見るのかと自身に問う。


 だが答えは簡単。

 ダニエルの過去から、オルドレッドと両親に宛てた最期の言葉を掘り当てるまで、だった。


 遠目に羊皮紙を眺めるが、まだ空白が多く目立っている。他者に伝えるどころか、見せられる分量にすら達していない。

 せいぜい壁に貼ったメモ程度の内容しかなく、円卓に向かうとゆっくり腰を下ろした。


 それから筆を取り、作業を再開すべく積まれたての本を上からめくっていく。指先はページを掠めるが、なかなか集中できない。

 その要因に振り返れば、視線の先には重々しい見た目の扉が映り、室内の稚拙な内装が脳裏にチラつく。

 改装出来ないか相談したいが、あの様子では“子供部屋”に近付きもしないだろう。


【…いつまで固まっている】

「ひゃっ!?」


 腹底を震わす声に跳びあがり、胸を抑えて鼓動を落ち着かせる。直後にキッと彼を睨みつけるが、視線でウーフニールに敵うはずもない。


「なんだよ急に!少し私の…部屋を見てただけだろ!?」

【時間にして37分も扉を眺めていた。小僧の肉親と女の件を片付けるべく貴様を引き入れた事を忘れるな】

 

 自覚のない数字にポカンとし、改めて鉄の扉を見つめる。

 思う所は多々あるが、どの道今はダニエルの遺書が最優先。自室はまた別の機会に調べれば良い。


 ウーフニールが去った所で“冒険の旅路”を開き、ようやく気持ちを切り替えた所でふと思考が止まった。


「…親と、女の件?」

 

 そして遅れながらウーフニールの言葉が脳裏に引っ掛かった。

 依頼したのはオルドレッドでも、宛てる手紙は親の分しか明言しなかったはず。



――貴様の事は身をもって思い知らされている。



 頭を抱え、彼が告げた言葉を思い出す。


 どうやらオルドレッドとダニエルの親にそれぞれ書こうとしていた事は、最初からお見通しで。その上で咎める事なく、黙々と付き合ってくれているらしい。

 考える程に笑みは綻び、身体から力が抜けていく。


「まったく、敵わないな…」


 ふにゃふにゃしたまま筆を握れば、改めて本を手に取った。ウーフニールが戻ってくる前に、少しは筆を進めて鼻を明かしたい。

 そのためにも緩んだ表情を一刻も早く戻そうとしたが、頭上で彼の気配を察するや、顔を机に打ち付けて誤魔化すのが精一杯だった。

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