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051.腹底の臓書家

 “ダニエルの遺書”を作成すべく、彼の記憶を読み耽ってから幾数時間。ページがパラパラめくられ、パタンっと閉じれば脇へ気怠そうに退ける。

 すぐに別の本を手に取り、惹かれる一文があれば羊皮紙に書き写していく。


 繰り返される単純作業に辟易していたが、筆先が走る事は稀。それ以上に響く回数が多いのは、額を机に打ち付ける音だろう。


「…はぁ」

 

 重い溜息を吐き、椅子に背中を預ければグッと天井を仰ぎ見る。

 遥か遠い天窓からは夕陽が差し込み、程よい明かりが心地良い。気怠さも相まって眠気さえ覚えたが、ふいに黒い巨塊が高層から飛び出した。

 増やした手足に本の山を抱え、滑るように支柱を降りてくる。


 彼の着地先は“臓書”の底。1階とも称した場に本棚はなく、広い窪みには円卓が置かれているだけだった。


 だがそれも今や本の山が周囲に積み上がり、刻一刻と頂きは高くなっていく。

 異様な光景を築くウーフニールも、降りてくればアデランテを一瞥し、顔色から進捗が滞っている事は、聞かずとも分かるのだろう。

 新たな山を机の横に築けば、一言も告げずに上階へと戻っていく。


 しかし積まれていく本の数に反し、筆跡と読破数は一向に縮まらない。また一生追いつく事はないと確信しつつ、元の作業に戻ろうとする。


 それでも見る光景は延々同じで、作業内容も変わるはずがない。

 繰り返される無間地獄に頭を抱え、額を打ち付ける音が円卓を揺らした。


「始末書の山を思い出すよ…」



 喧嘩。

 命令違反。

 隊舎帰投時間超過。

 上官暴行。

 道草。


 誰よりも馴染み深い用紙に、何度自分の名を書き連ねたか。

 もはやパンの枚数を優に超す量は、思い出したくもなかった。


 だが一方で全てがトラウマというわけでもない。1人で任せては延々提出されない事から。

 あるいは“不適切な内容”に伴い、追加の厳罰を心配した騎士団員に毎度世話になっていた。


 ではそれからアデランテは成長したのか。見上げれば現状は全く変わらず、ウーフニールが本をせっせと運んでいる。

 それもアデランテの作業が捗るよう、挿絵が必ず描かれた物を選んでくれていた。


「…私の事よく見てるよなぁ。目が多いのも伊達じゃない、か」


 笑みを浮かべた直後、本が積まれた音に心臓が飛び跳ねる。円卓に突っ伏したまま硬直し、恐る恐る顔を上げれば彼の姿はすでにない。

 サボっていたつもりもないが、それでもウーフニールからのお咎めは無し。

 それはそれで寂しさを覚えつつ、積まれたての山に手を伸ばした。1番上に置かれた本を取り、パラパラめくれば挿絵のページで指を止める。

 

 描かれているのは幼少期のダニエルが、父と初めて釣りに行った様子。

 その後ろをめくれば家族で。それから冒険者の仲間と野営中に釣りを嗜む姿が写されていた。



 やがて絵も無くなり、本を閉じれば“釣りのイロハ”と表題に書かれている。挿絵から察するに、成果よりも釣れるまでの人と過ごす時間を楽しんでいたらしい。


 どの本もダニエルの記憶や想いで溢れ返り、1ページ1文字全てが彼の一部。壮絶な最期しか知らない第三者が、決して安易に踏み入れて良い領域ではない。 

 何よりも遺書のために内容を選別するなど、とてもアデランテに勤まるとは思えなかった。


 だが引き受けた以上、いまさら「やっぱり思い出せなかった」と。オルドレッドに言える胆力もなく、迷いを断ち切るように立ち上がれば、フラリと回廊へ足を運んだ。

 気分転換に吹き抜けの内周をグルグル歩けば、それだけでも十分臓書を楽しめたが、程よい高さで階層に踏み込む。

 奥まで適当に進み、考えなしに本を引き抜けばページめくりも慣れたもの。挿絵が見つかるまで本を次々持ち替え、ようやく発見すればジッと視線を落とした。

 

「……美味しい草…角の手入れ…“ソルジャーラビットの日常”か」


 手に取った本には想いも何もない、生活習慣が文面となって淡々と綴られている。元に戻せば指先は本棚を彷徨い、挿絵があればまた読む事を繰り返す。


 内容がこれ位単純ならば、毎度挿絵を見て胸を熱くせずに済んだ事だろう。

 安請け合いした自分を恨みながら、再び回廊へ戻るやクルリと回転。勢いのまま背後へ跳べば、手すりに腰をストンっと下ろした。


 そのまま天窓を仰げば明かりが眠気を誘い、“心の中”で眠る間抜けな自分を想像すると、無意識に笑みが綻んだ。


 

 階層は全部で10階。

 2階から黒猫とフクロウ。

 3階からジャイアントスパイダーにソルジャーラビット。

 そしてジャイアントマンティスと連なり、7階から上はダニエルの記憶が保管されている。


 始めはウーフニールが摂り込んできた記憶、と認識していたが少し違った。

 正確には“彼が消化していない物”であり、その兆候も書物の文字や図。記載内容が徐々に薄れていき、やがて完全に消滅すると階層ごと消えて無くなる。

 そう告げながら臓書を見つめる彼の眼は、物寂しさを漂わせていたように思う。

 

 しかし1つの目玉だけで判断して良いものか。

 そもそも無機質な声から、何故そう感じ取ったのか。

 自分に問い詰めても、今となっては定かではない。


 それでも今見ている蒼然たる光景が消える事を考えれば、彼が記憶に飢える理由も、認めたくはないが理解は出来る。


 それが生き物にとって食事と同義語だとしても。

 他人の命を奪う事になったとしても。


 彼には“記憶の臓書”しか持ちうる物がないのだから。



【――…何をしている】

「ひゃっ!?」


 心臓が飛び跳ねるや、辛うじて手すりに足をひっかけて鉄柵にぶら下がった。途端にウーフニールの巨大な眼と合い、口が魚の如く宙を噛む。

 

「い、いぃつからそこにいたんだよ!?」

【貴様が呑気に臓書を見上げていた時からだ】


 タイミングからして、手すりに座った時には階下へ降りていたのだろう。

 手ぶらの彼を呆然と見つめ、やがて腹筋だけで身体を起こせば、華麗に回廊に着地。何事もなかったように見えない埃を叩き落とした。


「…釣りの本を読み終えたから、ちょっと息抜きしてたんだ」

【魚が獲れぬと周りに不評だった話か】

「えっ、そんな話だったのか?」

【話してばかりいた事により魚が寄ってこない、と明記されていた…貴様、本当に読んだのだろうな】


 背中に突き刺さる視線に冷や汗が伝い、口笛が吹けるなら吹いていたろう。代わりに嘆息を吐き、意を決して振り返れば再び鼓動が跳ねた。

 音もなく回廊に入り込んだウーフニールや、ギョロリと睨みつけられる無数の瞳に。いまだ慣れない迫力に咳払いで誤魔化し、気を紛らわすようにそっぽを向いた。


「…ん~、正直筆が進まなくて休憩中なんだけどさ。自分でも探してみれば、何か書ける物が見つかるんじゃないかと思ったんだ」

【つまりウーフニールが選定した書物では参考にならないと言っているのか】

「そういうわけじゃなくてッ……あーわかったよ!どんなに読んでも、全ッッ然頭に入ってこないんだ!仕方ないだろ?人の思い出を聞かされるならまだしも、文字で読むなんて苦痛でしかないんだ!!」

【貴様は“読まない”。他者の話も聞かん】

「そうだよ、絵しか見てないさ!!これが私の進捗だよ!!!……はぁ、すまない。本当にこういった作業は向いてないんだ。騎士団の頃も始末書は9割方内容が埋まってる物に名前を書いてたようなものだし、お前にも色々助けてもらってるのは有難いけど、少しだけでも書くのを手伝ってくれないか?私よりダニエルの記憶を、その…読んでるんだし、“成り代わり”が得意分野だって前も言ってたろ?」

【想いを形に残す感性は持ち合わせていない】


 見当違いな怒りをぶつけても、彼が動じる事はない。淡々と返す彼に謝りながら手すりに背中を預け、ズルズルと床にへたり込む。


 1人の青年が過ごした日々を掻い摘むのは、藁の中で針を探すようなもの。

 だというのにダニエルの親に留まらず、オルドレッドに宛てた遺書まで手掛けようと試みている、身の程知らずの自分がいる。


 もちろん後者はウーフニールに明かしておらず、いっそオルドレッドに謝罪すべきか。じわじわと負の感情が忍び寄るが、諦める事は簡単だろう。

 ただ一言「出来ない」と宣言し、本人には「すまない」と告げるだけ。 


 しかし検討するだけで彼女の涙が脳裏をよぎり、胸も痛むほど締め付けられる。何よりも臓書へ招き入れたウーフニールの気持ちも無下にしたくはなかった。


 項垂れた身体を起こし、作業に戻るべく立ち上がろうとした刹那。突然掴み上げられると、吹き抜けを一気に降りていく。

 そのままボスンっと椅子に座らされるや、解放したウーフニールを咄嗟に見上げた。


「……ウーフ…」

【動くな】


 アデランテに取り合う事なく、いつもの調子で柱を昇っていく彼に伸ばした腕をゆっくり膝の上に戻す。


 流石に呆れられたろうか。

 気分転換どころか一層気が滅入り、自分の浅はかさに頭を抱えた。机を見ても箇条書きにリストアップした、殆ど空白の羊皮紙が1枚置いてあるだけ。

 こんな物から。“無”から遺書など書けるはずもなく、見ているだけで脳が震えてしまう。


 それでも本をパラパラめくり、せめて挿絵のページだけでも読もうとしたが、ふいに鼻先を甘い香りが掠めた。

 出所を嗅ぎ当てるべく徐々に顔を持ち上げれば、真上から見下ろすウーフニールの瞳とばっちり目が合った。


【依頼はやはり進んでいないようだな】

「ま、まだ途中だから仕方がないだろ!そんなにジロジロ見ないでくれ!」

【後で嫌でも見る事になる】


 咄嗟に己の成果を身体で覆うが、彼は興味がなさそうに腕を1本机に下ろした。


 直後に――カチャンッ、と。

 小気味良い音が立ち、机にはクッキーを載せた小皿とカップ1杯の紅茶が並んでいた。湯気も仄かに立ち昇り、香りは最初に拾った匂いと相違ない。 

 疲れた心を刺激した不意打ちの甘味に、零れかけた涎を慌てて拭い、すぐに見上げれば浮上するウーフニールに思わず声をかけた。


「ウーフニール!こ、これは…ッ」

【…小僧の事は文献でしか知らないが、貴様の事は身をもって思い知らされている。これより“食”に関する書物を中心に選定していく】

「おおおぉぉ、ありがとう!!…じゃなくてだな。これは一体どこから持ってきたんだ?厨房があるわけでもないだろ?」


 言いながらも違和感を覚えたが、ウーフニールの手足の多さなら手際良く。器用に料理を準備する調理風景が脳裏に浮かび、存外悪い光景でもない。

 むしろアデランテが台所に立つ姿こそ不自然に思え、納得がいかない結末に顔をしかめるも、ウーフニールは構わず続ける。


【小僧の記憶より匂いや味を再現し、構成した。現実で腹は膨れぬが、臓書にいる限りは空腹を満たす感覚も味わえる】

「…相変わらず器用なことをするな、お前は」

【猫が食した生ゴミやジャイアントスパイダーが喰らった肉塊を出す事も可能だ】

「え、遠慮しておくよ…」


 意地悪そうに告げた彼も反応に満足したのか。

 眼を細めると上層へ移動し、どんどん小さくなった影は、やがて高層の書架に消えてしまう。

 それまで呆然と後ろ姿を見送っていたアデランテも、やがて机に視線を落とせば、焼きたてのクッキーに恐る恐る手を伸ばした。


「…美味しい」


 パリっと一口咀嚼するや、舌で溶かすように食み、続けて紅茶を口元でゆっくり回しながら香りを楽しむ。

 ひとしきり満足した所でカップを傾け、喉に流せばシナモンの香りが胃を満たし、指先までポカポカする感覚は、とても幻とは思えない。


 改めて不思議空間に驚かされるが、これも臓書における“ほんの”一部の機能に過ぎないのだろう。

 そしてウーフニールと共にある限り、いずれ必要な時に都度紹介して貰えるはず。


 その時を楽しみにしながらカチリと音を立ててカップを戻せば、1番上に積まれた本を筆と共に取った。

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