表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
50/269

049.羊は眠らない

 ギシっと軋んだ音に、突っ伏していた宿の店主が顔を上げる。扉に油を挿さなければと思いつつ、唯一にして毎日会う常連に挨拶しようとした時。


「――…大丈夫かい?」


 自分から客に声をかけたのは、生まれて初めてだったかもしれない。それ程までに客がくたびれて見え、いつもの朗らかな口元が歪んで見える。


「大丈夫、ではないけど休めば何とかなるさ」

「何か温かいものでも飲む?」


 また言ってしまった。

 普段使わない気遣いに、表情が変に崩れてはいないか心配になる。


 だが幸い客に気付かれる事はなく。あるいは余裕がないのか。

 遠慮がちに手を振った彼女は、足を引きずるように階段を昇っていく。



 ギィっ……パタン。



 直す扉は入り口だけではないらしい。いっそ宿の扉すべてに油を差そうかと、取り出した買い物リストに素早く書き加える。

 それから筆を止め、ふと視線を逸らしてから再び走らせれば“スープの具材”も書き込む。

 扉の開け閉めにまで覇気がないようでは、宿の店主としても調子が狂う。


 安眠のため、金づるのため。

 リストを眺めながら頬杖をつき、調理風景を思い描く内に目を閉じていたらしい。

 そのままリストの上に突っ伏せば、静かな寝息が部屋を満たした。







――パタンっ。

 

 後ろ手に扉を閉め、ベッドに迫ると力なく倒れ込んだ。

 顔を枕に埋め、このまま眠ってしまえればどれ程楽だろうかと。瞼よりも重い頭をゆっくり起こせば、ベッドの端に座り直す。

 チラッと窓を眺めても外を見る事が叶わず、どちらにしても一帯は真っ暗。確認せずとも人の出歩きは少なく、今頃は就寝前の自由時間を過ごすか、少し遅めの夕食にありついているだろう。


「…夕飯、食べ損ねたな」


 グーとも鳴らない腹を擦り、深い溜息を零す。いつもならウーフニールと明日の予定を話し合う時間だが、今は食欲も眠気も他人事のように思えてならない。

 

【思い悩むならば喰らえと何度も忠告したはずだ】

「それじゃあ余計に罪悪感で押し潰されるだろ…それに死ぬ思いまでして助けたんだ。そんな事して堪るかよ」

【今ならば貴様の腹の中で小僧に会わせてやれるものを】

「そうしたら親御さんに報告出来なくなって…って違うだろ!この外道ッ!!そんな言い方するなよ。食欲が減ったらどうしてくれるんだ!」

【やはり無理にでも喰らうべきだったか…】


 平行する裏と表の会話に、またベッドの上に寝転がる。


 オルドレッドに伝えるための、ダニエルが残した“言葉”や“想い”など。1度も会話をしていない相手の心内など、分かるはずもない。 

 かといって虚言をでっち上げる器量も、それを伝える度胸もアデランテにはなかった。

 

 だが“成り代わり”を得意とするウーフニールならば。ふと思いついた心当たりも、他者との関わりを拒む彼が協力するはずも無かった。

 この手の面倒事は、大元を喰らって“無かった事”にする方が早いと言うだろう。

 

「…なぁ。最期の言葉みたいなのって、なんかないのか?」

【喰らった直後にも貴様に見せた】 

「パーティの仲間を助けたいって話はもう解決したろ?そうじゃなくて…うう~ん……遺言?とかさ」

【ない】

「じゃあ形見がどうとかって話は…」

【ない】

「ッッ、そんな素っ気ない言い方するなよ!曲がりなりにもお前の身体だろ?私の悩みはお前の悩みでもあるんだぞ!」

【ならば喰らわせろ】

「それはダメだ」


 やはり埒が明かなければ、解決策も思い浮かばない。このまま就寝し、明日起きてまた考える他ないだろう。


 仕方なく瞳を閉じると一向に訪れない睡魔に苛立ち、思考を空にしようと試みる。だが浮かぶのはダニエルの最期と、懇願するオルドレッドの姿ばかり。

 必要なのはアデランテの後悔の念ではない。ダニエルの想いなのだと、解けない方程式に1人葛藤していた矢先。


「分かった!!…ちょっと待ってくれ。今ので忘れた…え~っと。そうだ、記憶だ。ウーフニール!」

【うるさいぞ】


 閃きと共に飛び起きるが、対照的に眠りを妨げられたような。それでいて普段と変わらないウーフニールに、心なしか興奮が少し冷める。

 しかしおかげで思考がさらに冴え渡った。


「記憶だよ!アイツのきおく!!」

【それがどうした】

「私がこうして考えて、話してる事だって記憶の内の1つだろ?ならソイツの記憶の中で、親に関する想いとか10個や20個はあるはずだ!」

【………確かに保管されているが、個々の思想に脈絡はなく、時系列も異なる】

「でも想いは一貫してるはずだ。そいつを…言葉を切って繋げていけば、最期の言葉である事実に変わりはないと思うんだけど……どうだ、出来そうか?」


 前のめりになって告げた案に返事はない。勢いだけの的外れな考えだったかもしれないが、やがて腹底を這う声音が響き渡る。


【貴様が受けた依頼だ】

「……へっ?」



【――貴様が自ら探せ】


 言葉の意味を理解する間もなく、突如視界が急速に遠のいていく。

 月明かりや部屋も消え、奈落の底へ落下する身体を反転させれば、無限の暗闇に沈んでいく最中。アデランテを何度も救った魔法の呪文を叫んだ。


「……う、ウぅーーーーーフニィィイイイイルッッ!!」


 残り少ない命を延ばすために与えられた、カミサマの贈り物。

 どんな時でも彼女を守ってくれる“相棒”はしかし、一向に返事をくれない。

 ありったけの声も闇に吸い込まれ、このまま地獄に堕ちるのではと。一瞬よぎった不安にアデランテの最期がよぎり、オーベロンと契約した情景が目に浮かぶ。

 

 悪夢を打ち消すために再び呪文を唱えようとした刹那、突如全身が地面に打ち付けられ、衝撃で肺が震えた。

 息も一気に吐き出されたものの、不思議と痛みはない。


「う、うぅ……あれ?」


 恐る恐る目を見開くが、普通に息が出来る。

 指先も曲がり、足も動く。


 腕を伸ばせば固い枠組みにぶつかり、僅かな鈍痛が触れた先から走った。


「…感触はある、と……もしかして寝惚けたのか?」


 知らぬ間に寝落ちしてベッドから落ちたのだろう。恥ずかしさに赤面するや、慌てて周囲を見回した。


 先程の絶叫が店主まで届いたのでは。

 だがそれ以前にウーフニールが聞いていたはずで。

 言い訳を考えながら声が掛かるのを待ったが、アデランテの耳には何も届かない。


「…ウーフニール?」


 それどころか周囲は暗闇で閉ざされたままで、状況が今1つ理解できない。

 ひとまず立ち上がれば身体が鉛のように重く、膝から崩れ落ちかければ、慌てて枠組みに掴まった。


「……棚?」


 疑問がもたげ、ひたひた触れつつ手を滑らせる。

 当初の直感通りに棚の触感が返ってくるが、目をグッと凝らしていた矢先。突如本棚が眼前に現れると、咄嗟に後ろへ飛び退いた。


 直後に背中へ固い物が当たり、慌てて振り返れば同じく本棚が佇み、それも1つではなく、横一列にずらりと並んでいた。

 全ての段には所狭しと本や巻物が陳列され、それらを詰めた箱も不規則に置かれている。

 1つでも手に取ってみたくなるが、あまりの量に、何処から手を付ければ良いかも分からない。

 アデランテを挟むように佇む本棚は、見渡す限りに奥まで続き。夢の続きかとその場で困惑してしまう。


 

 それでも足腰がようやく落ち着けば、書架の通路を指先でなぞりながら進む。

 伝わる感触1つ1つが、とても夢の中とは思えない。だが景色そのものは現実味を帯びず、幻影を彷徨っているようにすら感じる。


 なによりも書物、もとい活字に目を通すのは大の苦手。従来ならば悪夢の類であろうが、不思議と身体によく馴染む。

 何故か郷愁すら覚え始めたものの、ふいに足を止めれば周囲に耳を澄ませた。

 ゆっくり周囲を見回すが、通路の奥まで立ち並ぶ書架が視界を遮って、視覚には頼れない。


 それでも何かが聞こえたのは間違いなかった。


「…う、ウーフニール?」


 心細そうに問うた言葉に、相変わらず返事はない。

 代わりとばかりに――ベタリっ、と。書架の端を黒い影が掴んだ。


 ずるずると引きずるように影は力を込め、やがて書架の裏から這い出た“モノ”に、アデランテは目を見開く事になる。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ