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048.予期せぬ再会

 緑がかった白髪のショートヘアに長い睫毛。そして褐色の肌を殆ど晒した装備を纏う、ダークエルフな彼女の名が浮かばない。

 それでも独特の出で立ちに“誰か”はすぐに思い当たり、アデランテの背丈を超す彼女を見上げれば、瑠璃色の瞳が覗き返す。

 最初は目を丸くし、やがて落ち着き払った様子で嘆息を吐いた。


「……アデット、だったかしら…1週間ぶりね。元気そうで良かったわ」


 アデランテの肩から手を放し、ニッコリと微笑みを浮かべるものの、最後に見た時よりも心なしか疲弊して見え、服も身体も汚れと擦り傷だらけ。

 まるで森の中を休まず走り続けたような風貌に、それ以上かける言葉を失う。


 そんなアデランテの視線に気付いたのか。クスッと笑えば悪戯っぽく首を傾げた。


「あまり人に見せられた格好じゃないわね。1度宿に戻って洗わないと…あなたはこれからギルドに?」

「…あ、あぁ。そのつもりだったけど、混んでるみたいだし、夜にまた出直すつもりなんだ」

「そう……良かったら少し話さない?宿に戻る途中までで良いから…」


 優しい語り掛けにビクっと肩が震えるが、表情を見られないようフードを下ろし、無言で彼女の隣を歩く。 

 再びギルドから離れた街道まで戻れば、人混みの殺伐とした空気は霧散し、代わりに夕餉の香りが漂ってくる。

 その間も2人は重い沈黙を通していたが、そもそも会話を求めてきたのはオルドレッドの方。だからこそ彼女が言葉を紡ぐのを待っても、一向に口を開く気配はない。

 いっそ話しかけようとすれば、物憂げな横顔に声が喉に詰まってしまう。


 しかし徐々に人通りが空いてくると、オルドレッドの歩みも遅くなった。彼女の歩調に合わせ、アデランテもまたゆっくり進む。


「……あなたが言った場所に着いてから、しばらく探したわ。瓦礫をどかして、洞窟周りの森も捜索したけれど…結局見つからなかった」


 それはそうだろう、と紡ぎかけた言葉を慌てて飲み込む。その拍子に咳き込んでしまい、心配そうに背中を擦られる度に胸がさらに締め付けられる。

 

「代わりに見つかるのは潰れたジャイアントスパイダーの死骸ばかり。奴らの棲み処なのは明白だったから、一応ギルドに報告しておいたのだけれど…呆れたのがココからっ。事務所に連れて行かれたかと思ったら、金等級指定の仕事だったって言うのよ!それで発見時の詳細を報告しろですって?知ってたなら教えなさいよって思わない!?」

「そ、そうだな」

「活動拠点は調査中で、不確かな情報が広まったら冒険者の不安を煽るから極秘扱いって…そのせいでどれだけのパーティが消えたか、分かったものじゃないわ!そうしたら彼ら、損失は補填するから用紙に記入して、故人が出たらプレートを提出するようにって…」


 それまで饒舌に話していたオルドレッドが、ふいに胸元から小袋を取り出す。軽く左右に振り、小銭が擦り合う景気の良い音が耳元まで届く。

 相当額が入っているらしく、やがて「はい」と。ごく自然にアデランテへ渡され、状況が飲めないまま反射的に受け取ってしまった。


「口止め料だそうよ。ジャイアントスパイダーの件の」

「……んっ?何で私に渡すんだよ。アンタがもらった金だろ?」

「あら、あなたも当事者の1人でしょ?受け取る権利は当然あるわ…それに、そのお金。あまり持っていたくないのよ。だから受け取って。お願い」


 儚い笑みを浮かべる彼女に、突き返すわけにもいかない。手の中で1度放ると、渋々懐に押し込んだ。

 突如舞い込んだ大金に普通は喜ぶべきなのだろうが、アデランテの不貞腐れた様子に、オルドレッドは愉快そうに微笑む。


 おかげで彼女が本心から笑った気がして、結局アデランテも笑みを綻ばせてしまい、張りつめた空気も溶ければ、肩の荷が下りた感覚に足取りも軽くなる。

 

 それからオルドレッドは擦り切れた服を指しながら、新調すべきかを冗談めかして襟をいじるが、首筋には痣がまだ薄っすら残っている。

 気持ちの切り替えは容易でなくとも、いずれ時間が心の傷と共に癒してくれるだろう。


 アデランテの罪悪感も同様に流れ去る事を祈り、ふと街角を曲がった直後。突然オルドレッドが足を止め、アデランテを壁へ押し留めるように迫った。

 

「…顔、よく見せてもらってもいいかしら」


 脈絡のない要求にキョトンとするも、ようやく理解するとフードの端を掴んだが、グッと降ろす前に手首を優しく掴まれた。

 咄嗟にすり抜けようとした身体も、オルドレッドが押し当てた胸で身動きを封じられる。

 

「周りに人気はないし、さっきぶつかった時に1回見たんだから良いでしょう?そんなに見られるのが嫌?」

「嫌ではないけど…その、約束なんだ」

「約束って、誰と何を?」


 訝し気に問い詰めるオルドレッドに、顔を逸らして抵抗を試みるが、おぞましい声に思わず顔を上げてしまった。


【何をしている】

「ひゃっ!?…あっ」


 隙を逃さず、顎に指を添えられると動けなくなり、最初は鋭い瞳を。

 それから優しく、柔らかな眼差しを向けてくるや、ゆっくり頬を撫でられた。


「…痕、残らなくて本当によかったわ。とても綺麗な顔をしてるのに……あの時は殴って本当にごめんなさい」

「……気にしなくていい。それだけの事はしてきた」

「ふふっ、ずいぶんと刺激的な生き方をしてるのね。さっきのお金は慰謝料も入れたつもりだから、それで勘弁してくれると助かるわ……それにしてもあなた、妖瞳だったのね」

「ようがん?」

「瞳の色が左右で違うことよ。聞いた事はあるけれど、見るのは生まれて初めてだわ…」


 曇りなき眼で覗くオルドレッドの瞳には、アデランテだけが映り込む。

 視線を逸らしたくとも、不思議と顔を背ける事が出来ず、ふいにオルドレッドが離れると、両手を後ろに回して壁に背中を預けた。

 溜息と共に肩も下がり、再び重い空気が一帯を満たす。


「…もう1週間も経ってしまったもの。きっとダニエルはもう……むしろ見つからなくて良かったかもしれないわね。潰れた死体でだなんて、それこそ耐えられなかったわ」

「…すまない」

「あなたが謝ることじゃないわよ」

「それでもッ……すまない」


 フードで隠した顔を背け、ほかに返す言葉も思い浮かばない。


 ダニエルにトドメを刺したのは、彼女の前に佇むアデランテの姿をした怪物。そう主張したくとも、決してウーフニールは許さないだろう。

 だが自分の口からも真実を言い出せず、歯痒さと情けなさに合わせる顔もなかったが、束の間の静寂を破ったのは、またしても彼女が先だった。


「…どかした岩の下からジャイアントスパイダーの死骸が沢山出てきて、ダニエルじゃなかった事にホッとする一方で、ずっと頭に引っ掛かってた事があるの」


 優しく、それでいて芯の通った声に、思わずアデランテは顔を上げる。


「一介の冒険者が、というよりダニエルと2人だけで魔物の巣窟に飛び込んだなんて、とてもじゃないけど信じられないわ。傷も見たところ左頬だけで、それもジャイアントスパイダーとは関係ないのでしょう?昔の斬り傷みたいだし、服の下に怪我を隠してる素振りもないし…」


 疑念が確信めいたものに変わりつつあり、フードの下で冷や汗が流れる。


 横を黙々と歩く間、オルドレッドもまたアデランテを観察していたのだろう。

 感心する反面、胃が。心が。

 脳が。

 ウーフニールが、警戒を露にしている。


 重圧に息苦しさを感じ、いっそ逃げ出したくなるが、ふいに壁を離れたオルドレッドに右腕が反応した。

 そのまま彼女へ伸ばされるも、無理やり掴んで押さえ込む。


「頼む…大人しくしてくれ」

「大丈夫?やっぱり怪我でも……」

「も、問題ない!心配するような怪我じゃないんだ。本当にッ!」

「そう…なの」 


 右腕を隠すように話すアデランテを心配そうに見つめるが、やがて彼女は無理やり笑顔を作った。


「ごめんなさいね。助けてくれたのに責めるような言い方して。パーティ同士でも奥の手や企業秘密はあるもの。それ以上詮索はしないわ…それとギルドでの仕事だけれど、しばらくは通常の依頼を出さないわよ?」

「…そうなのか?」

「金等級相当の後始末ってところね。魔物の生き残りがいた場合の掃討。行方不明者の特定。おかげでギルド内部もてんやわんや。少なくとも2、3日は待った方がいいわ」


 肩を竦めたオルドレッドが歩き出し、すぐに彼女のあとを追った。

 すでに日も落ちて人通りもまばら。中には仕事にありつけないと愚痴をこぼす冒険者パーティもいたが、そんな一行の背中をオルドレッドは遠い目で見守っていた。


 もしもパーティが無事なら、今頃彼らのように悪態をついて宿に戻っていたのか。

 はたまた辛抱強くギルドの前で並んでいたのか。

 きっと愚痴を吐きながら行列に揉まれ、時間が過ぎた事にすら気付かない。そんなパーティだったと、人知れず零したオルドレッドは目元をソッと拭う。


「…それとね?さっきの脱出の話。あなたの実力を疑ったわけじゃないのよ。ダニエルとは付き合いが長いから、見返りも求めずに人助けする子だって良く知ってるの…ただ要領が悪くて、戦う実力がない事も知ってたから…そんな彼を連れてあなたが無事だったって言うのが想像つかなくて」


 半ばヤケ気味にオルドレッドは笑い、しかし逆にアデランテが憤慨すると、道を塞ぐように彼女の前に立った。


「そんな事はないぞ!アイツはお前に会おうと最期まで戦ったんだ!付き合いなんてものは何もない、けど……え~っと…」


 沈黙を押し返すように堰を切ったものの、後半へ差し掛かるにつれて口ごもる。

 それ以上話せば“ボロ”を出しそうで、ひしひしと押し寄せる圧力に息を呑めば、チラッとオルドレッドを盗み見た。


 突然の攻勢に驚いたらしいが、それもすぐに微笑みに変われば、涙を拭う事も忘れてしまう。


「…ありがとう。そう言ってもらえると私も嬉しいわ。あなたとダニエルのおかげで生還できたわけだし、彼の両親にも報告できる事が増え……そうだわ!!」


 弾けたオルドレッドに困惑する間もなく、両肩をガシッと掴まれる。


「彼と最後に会った時か、別れ際に何か言ってなかったかしら!?」

「……なにかって、なにを?」

「あまり言いたくはないのだけれど、遺言の類よ。何でもいいの!さっきみたいに、こんな感じだったとか、彼がこう思ってた、とか…漠然としてても彼に関する事なら何でもいいからっ」


 揺さぶられるアデランテに、ハッと我に返るとすぐに解放し、罰が悪そうに手を胸に添えれば、豊かな膨らみに指先が沈んでいく。

 呼吸を整え、再び顔を上げれば改めて謝罪されるが、次に口を開けばダニエルの最期の言葉が懇願される。


 昔、負傷したオルドレッドを彼の両親が助けてからというもの。ダニエルが生まれてから育つまで、共に見守り続けた彼の死を伝えなければならない。

 だがそれだけでは彼の両親も、何よりもオルドレッド自身が納得いかないだろう。何かしらダニエルの意思を伝えたいと、身体を重ねて詰め寄られる。


 しかし彼女の熱意に反し、そんな物があるはずもなく、腹の底から滲む罪悪感が喉まで出掛かった言葉を引きずり降ろす。

 真っ直ぐ見据えてくるオルドレッドに、心臓も張り裂ける寸前だった。


「何っっでもいいの!彼、もともと物欲がなかったから、渡せるような形見もなくって、ダニエルが冒険者になるって言い出したのも私がずっと一緒にいたせいだから…だから絶対目を離さないって…面倒を見るって約束したのに……ダニエル…」

「…すまないけど、あまりジッと見つめないでくれるか?その…落ち着かないんだ」

「あっ、ご…ごめんなさい。別に責めるつもりで言ったわけじゃなかったのよ」

「気にしないでくれ。気持ちは痛いほど分かる…」


 ダニエルと遭遇した時点で、彼は手の施しようがない状態にあった。それでも摂り込んだ事でオルドレッドを救出し、報酬としてアウトランドの概要と冒険者の知識を獲得した。


 全てはギブ&テイク。

 当時も。そして今も頭の中で反芻させた言葉は、しかし涙を溜めた美女によって崩れていく。

 その場にいっそ跪きたかったが、膝をつけば周りの注意を引いてしまう。すでにオルドレッドが視線を集めており、ウーフニールの唸り声が脳裏に反響している。



 それから息を深く吸い、思いっきり吐き出した。

 いつまでも佇んでいるわけにもいかず、決心すると勢いよく顔を上げれば、妖瞳がオルドレッドを捉える。


「…何か、別れ際に何か言っていたかもしれない」

「本当にっ!?」

「うっ…た、ただ救助やら脱出やらで急いでたもんだから、思い出すのは難しいというか…」

「それが聞けただけでも大収穫よ!!」


 喜び勇んで抱きつかれるや、彼女の胸に顔を埋められる。引き離そうにも手の置き場に迷い、宙を漂う両手がやがて力なく垂れた。

 ようやく解放された頃には息苦しさと。鼻孔に残る甘い香りに、小さく咳き込んだ。


「あっ…ごめんなさい。と、とにかく思い出したら教えて頂戴。しばらくは町に留まるから…これ、私が泊まってる宿名ね!」


 オルドレッドの動きは素早かった。宙から取り出したように紙を握りしめ、筆を走らせれば強引にメモを渡してくる。

 踵を返した彼女は手を振り、そのまま夜闇へと消えていった。


 しかし見送っていたアデランテの視線は、オルドレッドにすら定められていない。街灯の光が照らす影には、無形の怪物と押し寄せる後悔の念が渦巻いていた。

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