047.昼下がりの息抜き
アウトランドの町は活気に包まれ、冒険者が縦横無尽に街道を歩いている。一ヶ所に留まるのは食事の時くらいで、用が済めばサッサと立ち去ってしまう。
しかしテラス席に座る女は、食事を終えてなお腰を下ろしていた。空のグラスをジッと眺め、時折群衆を見つめては差さったストローを指先で弾く。
目深く被ったフードからは視線を辿れないが、口元だけは微かに動いていた。
「……う~ん。2人目の冒険者登録か」
【1つ依頼を終える毎にギルドへ戻る回数が減れば貯蓄は増える】
「でもその度に身体の疼きを我慢するのもな…それに変身すれば、大木の家で巻物を守ってた奴の姿になるって事だろ?それも何かイヤだな」
【その者の記憶は消えた】
「消えッ…いつ?」
【4日前】
「………蜘蛛の洞窟に入った後で良かったよ…でもそうなると登録はダークエルフの仲間の姿でって事になるし、バレるんじゃないか?それ以前に罪悪感がなぁ…」
【“金欠”とボヤく貴様に提案したまで】
「実際に金が無いんだから仕方ないだろ?最近狩ってる…あの魔物」
【ソルジャーラビット】
「そいつを10匹狩って400ゴールド。あと、上位種って言ったか?ソイツらも狩ったけど、依頼対象外とかで……あとの計算を頼む」
数字が頭の中で絡むや、思考が緩やかに停止する。
気分転換にレモネードを注文し、店員に感謝を述べた直後。視界に浮かんだ文字に驚いて声を上げそうになった。
思わずグラスまで落としかけるも、手中に素早く収めれば、ホッと安堵しながら椅子に背中を預けた。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
★ギルド依頼報酬5日分;
ソルジャーラビット計90匹(受注9回)
⇒3600ゴールド
★ギルド依頼対象外;
コマンドーラビット計24匹
⇒2400ゴールド
★食費5日分;
⇒5950ゴールド(1日10人前計算)
★現残金;
⇒50ゴールド
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
思考が一瞬で整理され、サッと目を通しながらレモネードを呷る。甘味が喉を潤すが、最後の数字が舌に苦味を残した。
食費は節約していたつもりが、残ったのは宿1日分の代金だけ。幸い仕事の支度金が不要とはいえ、オーベロンの巡礼資金も確保しておきたい。
また遠方に出向くならば、徒歩や鳥の翼だけでは心許ないだろう。
自分の“戦果”に嘆息を吐けば、空になったガラスを置き、乏しい稼ぎにまた溜息を零しながら頬を掻いた。
【残金に訂正がある】
おもむろに席を立とうとするや、ふいにウーフニールが語り掛けてきた。
「おっ、表示ミスか?やっぱり食費がおかしいと思ってたんだよ…で、いくらだ?」
【追加飲料20ゴールド。現残金30ゴールド】
「…うぉぉッ」
減額に苦悶の声が洩れ、いっそ財布ごと渡した方が支払いも楽。そんな財政下でも稼ぎを机に吐き出せば、店員に感謝を述べる。
フードの端を掴み下ろせば、何食わぬ顔で雑踏に紛れ込んだ。
出来る事なら大手を振って歩きたいが、指名手配の件が。
オーベロンの命令が。
そしてウーフニールの要求に従い、俯いて道を進むほかない。
森の中でも冒険者とすれ違うだけで鼓動が早打ち、“独り言”が聞かれていないか。
ジャイアントマンティスを摂り込む際も、周囲に誰もいないか。
常に全方位を警戒する、理想とは程遠い肩身や懐の狭さに思わず溜息を零した。
「…なぁ。本当に私の身体、ちゃんとくっついてるよな?ズレてたりしてないか?」
【問題はない】
「まだ身体の中心が痛む気がするんだけどな…こぅズバっと鎌で切られた時の痛みは本当にキツかった」
【落石よりもか】
「あの時はまだ…生きてたからな。人間が身体を真っ二つにされたら、苦しむ暇も無いだろ?」
額を擦り、中心に沿って指を降ろせば胸元で止まる。捕食中であったといえ、両断された原因はアデランテにもあった。
瀕死の冒険者を助けるよう協議中、浴びせられた容赦ない一撃に、激痛で声も出なかったが、それでもウーフニールは要求を呑んでくれた。
ダニエルの姿を模り、おかげで冒険者たちの救出に至る。
その後もアデランテの耳に。あるいはフクロウが悲鳴を捉えれば、瞬く間に現場へ駆け付けた。
危機にあればアデランテが。
怪我人がいれば風貌を隠したダニエルが。
2つの姿が森を跋扈する、束の間の英雄像に充足感を覚えたのも事実。
比例してウーフニールの不満は増々募っていった。
【救助を優先せねば、稼ぎは格段に増えていた】
「見て聞こえたら、無視するわけにもいかないだろ?仕事に身が入らないし、また全滅したパーティと遭遇するなんて私は御免だ」
【ならば獣の分身は次回より出さん。用途はあくまでソルジャーラビットの索敵のみ。断じて他者の救助のためではない】
「えー、いいだろ別に」
【気を逸らさねば依頼達成も早まり、貴様の食費も増える】
「それはまぁ…………いやっ!騙されないぞ!?お前、カミサマの依頼を受けた時の路銀を優先してるだろッ」
ぐわっと顔を上げるも、すぐにハッとなって周囲を見回す。俯いて訝し気な視線を躱し、慌てて近くの路地へ駆け込んだ。
そのまま物陰に潜んで入口を監視していたが、追ってくる者はいない。思えばウーフニールに出会ってから、路地とは因縁めいたものを感じる。
昔の自分が薄汚れた暗がりを彷徨う姿を見てどう思うか。考えても何も思い浮かばず、やはり気にする事もないのだろうと微笑んだ。
「“ねじ巻き人形の朝”…か」
【今度は何の話だ】
「ねじを巻き直す度に記憶がなくなる人形の物語だよ。目覚めると何が何だか分からないけど、とりあえず家事とか目につく物を片っ端から手を付けて、ねじが切れると眠りにつくんだ。動かなくなった人形を見て、誰かがねじを回すんだけど、記憶のない人形はまた同じことを繰り返して…って感じだな」
【人形と現状に何の因果関係がある】
「誰がねじを巻いたって、私の考え方は変わらないって事さ」
日の差し込まない壁に身体の熱を吸われ、温もりが残っている内に再び雑踏へ紛れ込めば、真っすぐギルドへ向かった。
アデランテの確固たる足運びが、今の心境を雄弁に物語っていた。
「あと仕事を2回引き受けたら、今日は晩御飯を食べてお開きとするか」
【分身を出さない事は明言しておく】
「もう1個視界がある感じで面白かったのに。じゃあ百歩譲って聞こえる音だけ消すのは?」
【検討する】
無機質な返答に笑みを浮かべ、やがて冒険者でごった返す道を進む。あとは流れに任せればギルドへ着くはずが、突如歩みが止まってしまう。
「…なんだ、渋滞か?」
ギルドの建物は見えるが、入り口まで距離はまだある。受付で並ぶ事はあるものの、外に溢れ出す程の行列は初めてだった。
「う~ん、何があったんだろ」
【大口の仕事が入った、という話が出回っている】
「そんな話どこで聞いたんだ?」
【貴様を取り巻く人間共の囁きを統合した。ギルドにて大勢の冒険者を集っているために、室内は混雑している】
ウーフニールの言葉に目を瞬かせ、真似して耳を澄ませてみる。しかし聞こえてくるのは騒音だけで、早々に諦めるとつま先立ちで先頭を眺めた。
目を凝らしても人の頭しか見えないが、ふいに建物入り口が急速に拡大される。室内の混雑が奥まで窺え、推測される待ち時間が視界の端に浮かぶ。
「…帰るか」
【仕事はいいのか】
「待つのも嫌だし、募集の話も興味はあるけど…人がごちゃごちゃした所に私らが長時間いるのも良くないだろ?夜になればギルドも空くだろうから、帰って寝て、それから仕事を貰いにいくさ」
思い立ったが吉日。すぐに踵を返すが後続者に道を塞がれ、その間も後ろから冒険者が次々流れ込んでくる。
いっそ彼らの頭上を這って行きたくなるが、ふいに視界の端が光れば、建物の脇をギルド帰りの退出組が細い列をなして去っていた。
脱出路に表情を明るくし、人混みを縫うように進めば程なく端へ到達。最後は絞り出すように飛び出すや、バランスを崩して前のめりに歩き出した。
「わぶっ!?」
しかし直後に柔らかな弾力が顔を挟み、転ばずには済んだ。
「…ちょっと、大丈夫?」
「っ痛ててて……すまない。少し勢いをつけ過ぎたみたいだ」
「こんな行列じゃ飛び出したくもなるわよ。気にしないで……あらっ?」
肩を支えられ、申し訳なさそうに顔を上げたのも束の間。相手はキョトンとした様子で佇み、アデランテを呆然と見下ろしていた。
肌を殆ど晒した装備を着込み、ピクピクと長い褐色の耳を震わせて――。