044.鈍重な死神
突進する魔物の一撃を躱し、素早く急所に斬り込んだ。
手際良く仕留めれば、手首に巻いた冒険者プレートを付着させて登録は完了。青白く光る光景を見納め、淡々と素材を採取していく。
「…これで5、いや7?…何匹目だ?」
【8体】
一言発せば、山彦のように返ってくる。心中の返答に笑みを浮かべれば、再び当てもなく森の中を彷徨った。
しかしふと差し込んだ眩い光に目を細めるや、遮った腕をゆっくり降ろす。
肺に溜まった夜の冷気を吐き出し、木漏れ日に身体を晒せば手足を一気に伸ばした。
気付けば寝ずの強行軍は終わりを告げ、得られた戦果はコマンドーラビット7匹。
ソルジャーラビット9匹。
その内1匹をウーフニールが“後学”のために摂り込み、実質仕留めたのは8匹。
魔物の生態を把握した今、彼らに関する依頼なら赤子の飴を奪うほど容易い。森一帯の地理も、まるで地元民のように明るくなっていた。
「…あと2匹、か。この調子ならあっという間に金ランクまでいけそうだな!」
【依頼を忘れ、フラフラ森を彷徨わねば、あるいは…だが冒険者の記憶により、青銅までの昇級基準のみ把握している現状、貴様が求める地位に達するまでの日数を算出する判断材料が足りない】
「そんな難しいこと考えんなって。物の勢いで言っただけだよ。それに景色を見ないで地図だけを頼りに森を歩くのも案外面白かったぞ?」
【何をしようと勝手だが、昇級により衆目を集める事態は望まない】
「私だって目立ちたいわけじゃないさ。でも目標は無いよりあった方が良いだろ?折角なら“休暇”を有効に使いたいし、一応の目安って事でさ――…今、何か聞こえなかったか?」
【気のせいだ】
倒木の橋を渡っていた刹那、微かな音に反応すればウーフニールの返事に。急旋回したフクロウの視界に、疑念は確信へと変わる。
ピタリと橋の中央で止まれば宙を睨みつけ、呼応するように映像もその場で静止。しばし上下に浮き沈みするや、ゆっくり画面は踵を返して元来た道を飛んで行く。
プツン、プツンと。
途切れながら聞こえていた音は鮮明になっていき、さらに意識を集中させた時。あるいはフクロウが音源に接近したからだろう。
悲鳴や木々を砕く音が轟けば、反射的にアデランテが走り出した。
「方角はッ!?」
問いかけて間もなく、脳裏に立体的な映像が流れ込む。
緑の輪郭が木の形を。
茶の輪郭が地面をそれぞれ形成し、無色とオレンジの点が浮かぶ。
「え~っと……どっちがどっちだ?」
【無色が現在地。目標到達地点まで北西に5km進んだ先……6km】
「6?」
【貴様が反対方面へ向かっている】
「反たッッ、だからそういう事は早く言えってば!!」
地煙を巻き上げて踏み止まるや、直ちに踵を返す。無印の点が急速にオレンジへ接近し、立ちはだかる茂みにも躊躇なく飛び込んだ。
枝葉を乱暴に振り払い、みるみる目標地点に近付いていくが、赤く塗り潰された区域に差し掛かるや、思わず足を止めそうになる。
目を瞬かせても、肉眼には一面に緑しか映らない。疑問符を浮かべつつ、再び森を疾走すれば頬に枝が掠めた。
避けたつもりの岩は脇腹に当たり、突き出た根に足を引っ掛ける。
フクロウの視点に意識を集中したせいだろうが、それでも足を動かすのは、ひとえに映像から目を離せなかったがゆえ。
一足先に目的地へ着いたフクロウの俯瞰風景には、鮮血と6人の冒険者。そして彼らの前に立ち塞がる、巨大な魔物が映り込んでいた。
{ジェシカ!回復魔法、回復魔法でロブを頼む!!}
{フランダ、奴の顔めがけてもっと撃て!少しは怯むはずだっ!}
飛び交う怒号の最中、魔物は大木ほどの体躯を細長い4つの足で支え、両手の鎌で戦士の青年に応戦していた。
射手が放つ矢も巧みに躱し、相手が何人いても戸惑う様子はない。
彼らの背後では鎧の男が盾を構え、その後ろで屈み込んだ女が、倒れて動かない2人の冒険者に手をかざし、必死に治療を試みていた。
「……まずいな」
【敵戦力の有無に関わらず撤退しろ。依頼は残すところ魔物2匹のみ】
「怖気づいたわけじゃなくて、アイツらの戦況がまずいって話だよッ…ところで地図が一段と赤くなったけど、今度はなんなんだ?」
【冒険者ギルドが指定している侵入禁止区域】
「…じゃあ、さっき来る途中で通り過ぎた赤い場所は?」
【ソルジャーラビットの最大警戒区域】
無機質な返答に失速するも、迷いを断ち切って踏み出した途端。上半身が宙に投げ出され、勢いのまま地面に倒れ込んだ。
まるで足が固まったような錯覚に、原因の見当は嫌でもつく。すぐさま顔を上げて反論を試みるが、それも僅かな時間だけ。
「ウーフニール!何するんッ…へぶっ!!?」
【こちらの台詞だ】
握った拳を地面に叩きつけ、悪態を吐く暇もない。再び顔を強引に押さえ込まれ、土の味が口の中で広がった。
【貴様の無知な要件を通し、身を他者に晒すなと再三これまで警告してきた】
「け、警告ったって…うぐッ」
【黙って見ていろ】
首がキュッと絞まるや、フクロウの映像が視界を占める。冒険者の奮闘を最前列で見学するが、戦況は依然芳しくない。
前線の男たちは目に見えて疲弊しているが、ふいに画面の一部。1人の冒険者の首元が、凍り付くように静止する。
画像が拡大され、はためく青銅のプレートが映し出された。
「…プレートが何だって言うんだよ」
【先日加入したばかりの冒険者が助けに入ればどうなるか。よく考えろ】
「鉄級だから戦えないとは限らないだろ?」
【注目を集める真似は控えろと言っている!!!】
首が根元から絞られ、抗えない力に地面を掻きむしる。
咄嗟に走り出したとはいえ、ウーフニールの意思を。参戦を承知しない事など、心の片隅では理解していたつもりだった。
フクロウを飛ばしたのも、冒険者が風前の灯火である事を理解させるためだろう。
ギルドの掟でも自分の命が最優先であり、わざわざ危険に身を投じる必要も、正体を晒す事もない。
しかし聞いて見て知った以上、彼らを忘れて仕事に戻る神経は持ち合わせていない。
街へ帰った所でアデランテを待っているのは、後味の悪い夕餉だけだろう。
「――…姿を見られなければ良いんだよな?」
木の根を掴み、無理やり身体を起こす。顔を拭えば、腕の下には不敵な笑みが浮かべられていた。
「そうだろ?ウーフニール…」
アデランテの問いかけに、それ以上の言葉は不要だった。溜息に似た唸り声が響くや、唐突に身体の表面が激しく波打つ。
狂おしい衝動が全身を駆け巡り、抑えつけた我が身も徐々に縮んでいく。
やがて光が瞼を透かす頃には、耐え難い疼きも止み、ゆっくり目を開けば、顎の下に地面が広がっていた。
視点も非常に低く、その先に映るフサフサの前足に顔を衝動的に埋めたくなったが、アデランテの意思に反して身体は勝手に動く。
移動時は忙しなく飛び跳ね、茂みの下を潜っては太陽と木陰が交互に頭上を覆った。
視界も常に地面を傍に映し、人間時とは全く異なるスピードを体感できた興奮に心躍っていた一方で。徐々にフクロウが見る光景が、耳に届く音と齟齬が無くなりつつあった。
最後に一際大きな茂みに飛び込み、反対側へ抜け切った時。天地双方からの視点が、アデランテに映し出された。
舞台の演者は6人の冒険者に、巨大な魔物1匹。良くも悪くも戦況は好転しておらず、負傷者の位置すら変わっていない。
辛うじて彼らが現状を維持しているのは、思いつく所で最大3つ。
魔物が凶悪な斬撃を持っていても、動きが緩慢であった事。
冒険者たちの若さが、反射神経や機動力を補っている事。
そして何よりも、運が大きく左右していた。
前線で注意を引く戦士の技量は明らかな力不足。それでも腕に多少の覚えはあるらしく、斬撃を正面から受け止める愚行は犯さない。
一撃を逸らすように躱していたが、武器は欠けてヒビ割れている。真っ二つに折れるのも時間の問題だろう。
そして極めつけは射手や盾持ちの男たち。
片や細見の魔物に1発も当たらず、片や回復魔法を唱える冒険者に騒ぎ立てるだけ。もっとも力がありそうな後者が前線に出れば、戦況も少しは変わるだろうに。
回復士も泣きながら暖かな光を負傷者に送り続けているが、仲間の復帰を急かされても、地面に並ぶ2人は微動だにしない。
片や傷の深さから見るに、もはや手の施しようがないだろう。
残る1人もすでに死んでいる事は、生気のない瞳が淡々と物語っていた。
【着いたぞ】
〈あ、あぁ…そうだな〉
ぶっきらぼうな語り掛けにビクリと反応し、茂みの下から改めて状況を観察する。
普段なら迷わず飛び込み、助太刀に入っていたろうが、先輩冒険者の立ち回りは素人目にも未熟。
挙句に絶体絶命の状況にも関わらず、飛び交うのは罵詈雑言だけで、場違いな負けん気と我の強さが、否応なしに伝わってくる。
ウーフニールの言う通り、“鉄”ランクのアデランテが割って入れば、余計に混乱を招きかねない。
かといって正攻法で魔物に勝てるかも怪しかった。
〈…いっそ私が出て行ったら「あとは任せた!」って言い残して逃げ出すぐらい連中の根性が捻じ曲がってれば、話は早いんだけどな……どう思う?〉
【知らん。だが魔物の鎌。切れ味に不足なし】
〈やっぱりお前もそう思うか!!あ~でも人間の姿で戦わないって約束したばかりだしなぁ…〉
周囲の木をなぎ倒した切り口。死んだ冒険者2人の傷。
力任せに振られているだけでなく、鋭利かつ高い殺傷能力を有している。
アデランテの剣が切れ味を発揮できる日も目と鼻の先にあるが、魔物を生きて喰らえなければ絵に描いた餅でしかない。
冒険者たちが始末する心配はないが、見殺しにするわけにもいかないだろう。ヤキモキしながら戦況を静観していたものの、好機は思いのほか早く訪れた。