037.光あれ
再び景色が洞窟の中に戻れば、眼前に迫った8つの目に思わず飛びずさった。一撃入れる事も忘れず、近付く脅威を片っ端から排除していく。
「……今の記憶は、冒険者の物か!?それに褐色の…」
【オルドレッド】
「彼女と青年の関係は結局何だったんだ…その1か?その2か?」
【本題に移る】
「お、おぅ…頼む」
【岩をも爆破する魔晶石を女が所持している。洞窟ならばいくらでも用途はある】
「そう、だったな……とりあえずソレを探してくれ!それまで私も使い道を考えておくからッ」
飛びかかる魔物を切り裂き、頭部に叩きつけてトドメを刺す。
顔に浴びた返り血を乱暴に拭うが、背後から受けた一撃につんのめり。後ろに意識を向ければ、前面に一撃を食らう。
痛みを訴える時間はなく、それらを撫で切りにしても次の獲物が湧き出るだけ。息も上がってきたが、ウーフニールの報告はまだ来ない。
「う、ウーフニール!いつまで掛かるんだッ。そ…そろそろ、キツいぞ…」
【猫の分身に何を求める】
「それはそうだけど…進捗はどうなって、うぉっ!?」
文句を零した直後、突然視界が左右に分割された。
左は襲い来るジャイアントスパイダーの群れ。
右には仰向けで倒れた、オルドレッドのあられもない姿。
それらの光景に状況はすぐ理解したが、戸惑うあまりに片足を危うく引き裂かれそうになり、反射的に敵を始末すれば、左の視界に集中しつつ右の映像を眺めた。
するとネコの前足がヌッと現れ、オルドレッドの頬をバシバシと。肉球で緩慢に叩き始めるが、起きる気配はない。
気怠そうな鼻息が漏れ、踵を返して胸の谷間をすり抜ければ、露出した腹の上を歩き、腰に差したポーチを器用に口で開けた。
しかし中身は小さな矢筒とナイフのみ。そこから滑るように脇腹を降りると、ダニエルの記憶で見た背面のポーチへ前足を伸ばした。
爪を立てないよう触れるが、仰向けの彼女をひっくり返す手立ては無い。頭で何度押してもピクリとも動かなかった。
「全然ダメそうだな…」
【仰向けに寝かせたのは貴様の落ち度だ】
「私のせいなのか!?仕方ないだろ、まさか役に立つとは思ってなかったんだからッ」
【役立たずの救出を言い出したのは貴様だ】
「くっ…とにかく他の場所も探してみてくれ!ポーチだけにしまってるとは限らないだろ!ぐふぉぁッ…こんのッ!!」
黒猫が振り返れば、遠方で怒声と剣戟が聞こえてくる。魔物が群がり、もはや肉眼でアデランテの姿は視認できない。
流し目で観察したのち、渋々オルドレッドに向き直れば胸の上に飛び乗った。
全体を見下ろすには高所からが1番だが、足元はすでに柔肉へと沈んでいる。挙句に彼女は軽装で、捜せる場所など限られていた。
脛を覆う靴に、太ももまで伸びたタイツと短いショートパンツ。上着は軽く羽織っているだけで、少しの衝撃で胸が零れてしまいそうだった。
あとは指先を出した籠手が肘まで伸びていたが、まずは靴や手袋に顔を突っ込んだ。甘い香りがするだけで成果はなく、ショートパンツのポケットにも小銭しかない。
それから残る場所に鼻先を押し込めば、豊潤な胸に顎が沈み、上からの締め付けが耳まで潰す。
もがいて四肢を動かし、徐々に潜っていけばやがて尾もすっぽりと収まった。胸当ての中を異様な膨らみが這うと、もぐらのように行き来を繰り返す。
「――んんっ」
もぞりと。
進路を変更する度に甘い声が漏らされるが、上には何も無かった。即座に引き返せば、今度は胸の下部へと移動する。
「ああぁっ、そこは…ダニエ……んぅ」
円を描くように胸を回り込み、ふいに膨らみが動きを止めれば、出口を求めて一直線に動き出した。
オルドレッドの身体が痙攣し始め、やがてひと際大きく背中を仰け反ればポンっと。黒猫が胸下から這い出し、再び彼女は動かなくなった。
「…ど…どうだ!?あったかぁ?」
【1つだけ】
忙しなく回るアデランテの左の視点と異なり、右の視点は殆ど動かない。
その先にはオルドレッドの腹の上で転がる黒曜石が映り、観察すれば内側が夜空の如く煌いている。
洞窟の暗闇に関わらず、明滅しているようにも見えた。
「よ…よし!そうしたら、あとはッ…あとは」
息も絶え絶えに、視線を周囲に走らせて自分が置かれた環境を頭に叩き込む。
魔物の大群。
屍の山。
岩肌。
それらをうまく活用して魔物の隙を作り、オルドレッドを回収した勢いのままに脱出。大雑把な流れは組んだが、細かい段取りまでは浮かばない。
魔晶石の用途を図式に嵌め込んでも、疲れた思考が立案を拒み、焦燥したアデランテが生んだ僅かな隙を女王は見逃さなかった。
魔物を横なぎに1体。返す刀で2体目を仕留めるや、長い脚を活かして素早くアデランテに迫った。
離れた場所にいようとも、巨体は首を伸ばすだけで易々と牙が届く。
「ぅぐッッ!!」
噛み殺した悲鳴が一瞬木霊し、深々と突き立てられた牙に苦悶の声が伝わる。
獲物の抵抗も微弱にしか感じず、もはや毒を流し込むまでもない。牙に刺したまま獲物を掲げるや、戦果を讃えるように女王は取り囲まれた。
もっとも彼らは、単純にお零れを求めているだけなのだろう。前足を上げ、雛が餌を要求するように牙を鳴らしている。
一方で頭上高く持ち上げられたアデランテは、そんな景色を他人事のように。最初こそ逃れようと牙を叩いていたが、やがて四肢もだらりと垂れ下がる。
力ない瞳は虚空を見つめ、意識も徐々に霞んでいく。
しかし激痛も。
絶体絶命の状況も、これが初めてではない。
以前と異なるのは森や空が無い事で、ウーフニールと出会った頃に比べれば、雲泥の差がある情景についほくそ笑む。
そしてその時に見た木漏れ日を思い出したように、濁った瞳に僅かな光が宿った。
「……ウーフ、ニール」
【何をしている。直ちにその場を抜け出せ】
「…そういえばココは…暗かったんだよな……魔物の目を使ってたから、気付かなかったよ」
【聞いているのか。脱出を約束したのは貴様だぞ】
「……魔法の、呪も…ん」
暗黒で満たされた冷ややかな洞窟内で、ぎこちなく腕を伸ばす。激痛がソレすら拒むが、耐えながら精一杯腕を上げれば、絞り出すように呟いた。
「…【〝闇に目、を向けよ。全てを明る…く照らせ。我が名を……もって命じる。仄かな道の、主よ…”】」
地下水脈の学徒に使われた光源魔法が、震える指先から放たれる。広間を照らすには儚く、光もあまりにも弱々しい。
それでも闇に慣れた魔物の瞳には、稲妻が落ちたような衝撃だったのだろう。咄嗟に前足で目を覆っても、8つの瞳を隠すには数が足りない。
何も見えず、女王も例外なく暴れると足元にたかった同族を踏み潰してしまう。
悲鳴と不快な感触に驚き、慌てて退けば別の個体が今度は蹴り殺される。一帯は混沌とし、盲目同士の衝突と威嚇の声で洞窟中が満たされた。
しかし徐々に目も慣れ、宙に浮かぶ小さな光の球体が視界に映るようになれば、冷静になった女王の鳴き声が王国に秩序を取り戻す。
巨大な瞳をギョロつかせ、暴れている臣下がいないか確かめていた時。牙に感じた空虚感が、串刺しにした獲物の存在を彷彿させた。
――…エサがいない。
確かに貫いたはずが、アデランテは綺麗さっぱり消えていた。
光の球も消え、異変を察知した臣下も一斉に見回すが、一瞥しただけでは見つける事が出来ない。
すかさず蜘蛛の子を散らすような捜索が始まれば、ある個体は死体の山を漁り、ある個体は吊るされた死体を調べた。
同胞の躯も感慨も無くひっくり返していくが、総出で侵入者の探索に当たっても、成果は一向に実らない。
多くのジャイアントスパイダーが右往左往するなか、ふいに女王は不審な行動を取る個体に気付いた。
生まれたてを遥かに下回る千鳥足は、否応なしに注意を引き、一瞥する限りは足の欠損や負傷が見受けられない。
挙句に腹部の上には布切れが幾重も重ねられ、異様な膨らみが一層警戒心を呼ぶ。
――…怪しい。
女王が鳴き声を上げ、バラバラに行動していた魔物たちが一斉に制止する。
統率された動きで不審な同胞を睨みつけ、それまでオタオタ歩いていた個体も、不気味な静寂に疑問を覚えたのか。
ゆっくり身体を反転させるや、無数の視線が注がれている事に気付く。それからぎこちなく前に向き直ると、さらに見苦しい足取りで立ち去ろうと数歩進んだ矢先。
布の隙間からだらりと垂れ下がった腕が、否応なく魔物たちを刺激した。
――獲物の横取り。
――下級種立入禁止。
――ママの命令。
――千鳥足…。
様々な思惑が交錯するも、見解は一致したらしい。違反者の処罰に、魔物たちは鳴き声を上げながら一斉に動き出した。
その声にビクリと跳びあがった奇行種は、振り返る事なく速度を上げるが、群れは徐々に距離を縮めていく。
あと数メートルで牙が届くという時。ふいに背負っていた布切れがもぞもぞ蠢き、膨らみが尻の先端まで移動した。
そして――ポトリと。黒い物体が地面に着地し、予期せぬ第三者の登場に群れの足並みも止まった。
頭の左右には耳が生え、ヒョロっとしたヒゲは神経質そうに鼻周りで揺れる。
そんな黒く、尾を振る小さな生物を見るのが初めてなのだろう。
“内勤”のジャイアントスパイダーは、初めこそ好奇心でジッと見つめ。やがて腹の足しにもならない獲物に見飽きる。
再び追撃を始め、行き掛けの駄賃とばかりに先頭集団が猫へ襲い掛かった。
だが牙が届くよりも早く、ポトリと黒猫が咥えていた石を落とし、嗅ぐように鼻を近付けるや、ボソボソと無機質な声が呟かれる。
もしもジャイアントスパイダーに人間の言葉が話せたなら。
あるいは咥えていた石の正体を知っていれば。
そして黒猫が降り立った際、共に引きずり落としたポーチの中から、ゴロゴロ転がり出した同様の石に危機感を覚えたなら。
進撃を即座に止め、死に物狂いで引き返していたろう。
《“空を黒く染めよ。全てをその身で祓え。我が名をもって命じる。爆ぜる薪の主よ”》
一瞬。
黒猫が仄かに燃え上がるや、転がった石コロが一斉に輝き出した。
太陽が爆発したような閃光と轟音が一帯を包み、辺り一帯が火の海と化せば、間近にいた魔物は跡形も無く消滅。
辛うじて生き延びた個体もビクビク痙攣していたが、女王は惨状を一瞥するだけで、すぐに衝撃で塞がれた出口に注意を向けた。
――…逃げられた。
姿を消した違反者に怒りも覚えず、我が子らが被った悲劇を悲しむでもない。漠然と目前に広がる結果を受け止め、なおも罰を執行すべく天井を仰ぎ見た。
ジャイアントスパイダーにとっては地面も壁も、天井でさえ通路でしかない。上方にある別の出口を進み、どこまでも追って仕留めるのみ。
太い足で地面を踏みしめ、いざ移動を開始しようとした時。ピタリと動きを止めれば、呆然と虚空を眺めた。
程なく身体が震え、やがて小さな地鳴りが大きくなるや、住み慣れた空間が絶叫を上げ始める。