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033.通りすがりの神様

 身体の自由も利かず、宙で反転したアデランテが見たのは遥か下方の滝壺と陸地。それまで静止していた世界が加速し始め、唸る風に叩かれながら落下していく。  

 風の音は自身の断末魔で掻き消え、それでもウーフニールの声だけは、水面に落ちる飛沫が如くはっきり耳に届いた。


【――貴様が伝え聞く果実の怪人が如何に優れていようとも、空までは飛べまい】


 ふいに身体が内側から煮えたぎり、体表に伝わる火照りに身を竦めた。

 身体はさらに縮んでいき、やがて優雅な翼がパッと広げられた時。1羽のフクロウが惜しみなく風を受け、空高く舞って行った。


〈…ハァ……ハァ、た、助かった〉

【しばらく上空を飛ぶ。着地先の要望はあるか】

〈いや、このままで宜しく頼む。お前との空の旅も結構好きなんだ…そういえば“果実の子”は空こそ飛べなくても、空飛ぶ鳥を仲間にしてたぞ〉

【……だが怪人自身が飛んだわけではあるまい】


 ぶっきらぼうに答える彼に苦笑するも、一瞬首が締まって声をつぐむ。だが反省の色はなく、アデランテの注意はすぐに雄大な景色へと向けられた。

 滝からぐんぐん距離を置き、森は眼下の川を覆うほど地平線にまで広がっている。遥か上空の光景は遠くの山すら近くに感じられ、頼めば瞬く間に着くかもしれない。


 人間の身では一生叶わない、“空飛ぶ魔法使い”に手を引かれて初めて見える世界に。御伽話に飛び込んだ心模様に胸が高鳴るが、得るに至った代償は人生そのもの。

 半身や仲間を失い、想像を絶する苦痛を味わう覚悟が夢見る子供にあるのか。 

 問わずとも答えは明白で、本人が意思を示す前に親が全力で止めるだろう。複雑な心境で思惑に耽る中、ふと森の隙間にチカチカと陽を反射する物を捉えた。


〈ウーフニール。あそこで光ってる場所に降りられるか?〉

【了承した】


 顔と翼の向きが変わり、旋回してから緩やかに下降を始めれば、森が急速に視界へ迫ってくるが、直前で羽根が広げられて減速。

 止まる事なく木々の合間を縫うや、目的地へ優雅に近付いていく。


 普段なら感嘆の声を出したのだろうが、鼻腔に触れた香りが2人に警鐘を鳴らす。

 小刻みに羽ばたけば近場の枝から枝へ。慎重に進みながら接近し、程なく臭いの源に相応しい戦闘痕が視界に飛び込んだ。

 夥しい血量は人外の仕業と結論付けられるが、一方的な蹂躙ではなかったのだろう。そこかしこに散る服の切れ端や、残された武具から抵抗の痕が見て取れる。


 しかしいくら見回しても、持ち主の死体は何処にも見当たらない。

 さらに周囲をもう1度。先程よりも注意深く一帯を観察し、やがて降り立ったフクロウは茂みに消える。

 ガサガサ忙しなく音を立て、時折聞こえる甘い声が途絶えた頃。鬼の形相で立ち上がったアデランテが、勢いよく姿を現した。


「……さっきの、誰も聞いてない…よな?」

【生物の気配は皆無】

「…あのさ。せめて装備を着てる状態で私の姿に戻る事は出来ないのか?全裸かと思ったら、すぐに身体がまた疼いて結構キツいんだ…」

【あくまで貴様の肉体へ追加した部位に過ぎない。成り代わる際も装備を収納したのちに肉体を変異させている】

「そんな手順があったのか!?でも摂り込んだ奴らに変身しても、最初から服は着てたろ!」

【着の身ごと喰らっているがゆえ】


 淡々と説明される事実に愕然とし、気が緩んだ拍子に血の臭いが押し寄せてくる。

 同時に鬱々とした不満も微塵に消え、思考は一転。人が変わったようにアデランテは周囲を見回すや、一糸纏わぬ姿のまま歩き回った。


「…戦闘が遭ってから日はそれ程経って無いな。落ちてる装備の擦り切れ具合から戦闘経験はあったようだけど、傭兵ってわけでもなさそうだ。色合いに統一性がない…いずれにしても相手が悪かったみたいだな。魔物の集団に奇襲されて勝ち目もなかったんだろ」

【まるで実際に見ていたかのような口ぶりに聞こえる】

「ふふん、伊達に戦場を渡り歩いてきたわけじゃないからな…ほら、枯れ枝が散乱して、まとめられた荷物も中身は漁られてないだろ?あそこで休もうとしてたんだろうよ。見た事もない足跡がそこら中に散らばってるから魔物の仕業だとは思うんだけど……何だか棒で突いたような形だな。一体どんな奴だったんだ?」

【該当情報なし。奥に見える引きずった形跡も、この惨状と関係があるのか】

「…なんだって?」


 珍しく教える側に回れて胸を張っていたものの、素朴な疑問に思考が停止する。ウーフニールの指摘を追えば、地面を擦った痕跡が確かに茂みの奥へ続いていた。

 血で満たされた現場に集中するあまり、視界に入っていなかったらしい。


「…言っとくけど見落としてたわけじゃないからな?断じてだッ……とにかく追うぞ。周囲の警戒を怠らないよう、注意して進む」

【了承した】


 一瞬呆けていた締まりのない顔も、すぐに毅然としたものに切り替わる。

 血溜まりが跳ねるのも厭わず、駆け足で赤く染まった草葉を追えば、ほぼ直線に進んだ痕跡は、やがて大木の根元まで続いていた。

 反対側に広がる血痕が否応なく警戒心を呼び、即座に剣を抜いて周り込んだが、構えられた武器は不発とばかりに降ろされる。


 そのまま鞘へ納められ、アデランテが険しい表情で立ち尽くした先には、全身を引き裂かれた青年が項垂れていた。


 重傷を負いながらも、襲撃地点から這って移動したらしい。彼の生命力に感心こそしたものの、驚くにはまだ早かったようだ。

 血濡れた髪はそよ風に揺られているが、肩や胸は自力で動かしている。傍目にも死を直感させる姿に関わらず、彼はまだ生きていた。


「……生きてる、よな。胸も上下してるし、息も…してる」

【だが意識はない。死人に同じ今なら喰らえる】

「とりあえず落ち着いてくれ。落ち着いて…私の時みたく治すことはできないのか?」

【不可能だ】

「いっそカミサマが来るのを待ってみるか…しかしこの様子だと話しかけられても、会話はまず出来ないだろうな」


 身体を揺する真似は流石に憚られ、眼前で手を振っても反応を示さない。薄っすらと開かれた目も、虚空をあてもなく眺め続けている。

 呼吸をするだけの生ける屍と化し、彼を助ける術は神ですら持ち得なかったろう。


【死ねば無駄になるが、喰らえば知識となり、今後貴様の役にも立つ】

「……すまないな。償いになるとも思えないけど、せめて仲間の仇討ちはしてみるよ」


 溜息を漏らせど、アデランテの手はすでに青年の肩に掛けられていた。口からは黒いモヤが零れ、迫りくる異様な光景にも彼は微動だにしない。

 全てが暗闇に包まれていく中、ポツリと頬を伝った涙が、青年の服に流れ落ちていった以外は――。







 白い霧の奥で、青年の視界に男女が2人ずつ映る。

 “冒険者パーティ”を結成してから数年経ち、多くの困難と資金不足に見舞われながらも、彼らなりに順調な成長を続けていたようだった。


 茶化し茶化され、時に叱責し合い。互いの背を守りあえる信頼関係が築かれた、良きパーティと言えよう。


 中でも長く尖った耳に褐色の肌が特徴的な女は、特に青年を気に掛けていたらしく、厳しい視線や声音とは裏腹に、彼の体調の変化には誰よりも機敏に反応していた。

 耳がアンテナのようにピクンと跳ねれば、甲斐甲斐しく世話を焼き、そんな生真面目さも仇となって、話題に事欠かない人物だったらしい。

 冷やかしに反応する彼女に増々拍車は掛かり、傍目には家族同然の戯れにさえ見える。



 しかし彼らの活躍も。

 その笑顔も。

 最期の休息によって、全てが永劫絶たれてしまう。


 体調を崩した仲間のために町へ引き返す事を断念し、野営の準備を進めていた夜。無数の巨大なクモが暗がりに紛れ、音もなく出現すると一行を取り囲んだ。

 圧倒的な数を前に仲間は倒れていき、次々森の奥へ連れ去られていく。


 それでも奮闘するダークエルフの〝オルドレッド”を、青年〝ダニエル”が庇い、結果彼は致命傷を。

 そしてダニエルの身を案じた彼女も、隙をつかれて昏倒し連れ去られるが、茂みに倒れた青年は運よく見落とされる。



 やがて辺りも静まり返り、彼が魔物の食卓に並ぶ事はない。

 だが朦朧とした意識の中で、囁き続けていたのは彼女の安否ばかりで。這いずってでも移動したものの、ついに肉体の限界を迎えた彼は木に背中を預けた。


 視界は見えていても、見えておらず。

 それでも彼の意思には。

 瞳には。


 最期までオルドレッドの無事と、救出の思念だけが延々に木霊し続けた。







 白い霧が晴れていき、木や地面を濡らす夥しい鮮血は残っても、青年の姿はない。

 その傍ではこめかみに手を当てたアデランテが、静かに立ち尽くしていた。


「……相変わらず罪悪感が重く圧し掛かるな」

【放っておこうが死んでいた。気にする必要はない。次の町も発見した】


 淡々と語るウーフニールに、共感を得られるはずもない。小さな溜息を吐きつつ、ゆっくり顔を上げると再び血の跡を見つめた。

 

 もしもオーベロンが現れていれば、彼の結末も変わったのだろうかと。ふいにもたげた考えにクスッと笑い、しかし不謹慎であったと戒めに両頬を叩く。

 彼もまた最期まで運命に抗った、アデランテ同様の大馬鹿者。喩え救助など出来るはずもない、瀕死の身体を数十メートル引きずっても。 

 喩え我が身から魂が、点々と道に零れ落ちようと。それでも諦める事を頑なに拒み、まだ見ぬ目的地を目指して命を賭した。


 それにダニエルも闇雲に這っていたわけではない。木上を移動する“ジャイアントスパイダー”の痕跡を辿り、身体さえ動けば追い続けていたのだろう。

 冒険者である彼が持ち得た知識にして、アデランテが持ち得なかった情報を元に。


「……瀕死の貴方に唯一耳を傾けている神、か…」

【何を言っている】

「…何でもないさ。それよりウーフニール。ジャイアントスパイダー、って言ったよな。奴らの跡を追う事って出来るか?枝の折れ具合だけを頼りに進むのも心許ない。あとダークエルフの…とにかく彼女から甘い香りがしてた。匂いを辿るのでもいい」

【…女を助ける意味は】

「さっきの奴を摂り込んだ罪滅ぼし。いわば私の自己満だ…ただお前を納得させる言い方をするなら、この森一帯に出現する魔物の知識と、北にある町までの道筋とその情報料。あと“冒険者ギルド”に関する情報も私はまだ見てないけど、お前は手に入れてるんだろ?前払いの報酬としては十分だと思わないか?」


 突拍子もなく唱えられた提案に、頭内で低い唸り声が聞こえてくる。露ほども興味を示す様子はなかったが、ふいに煙で出来た青い線が視界に浮かぶ。


 説得の材料として十分だったのか。はたまたアデランテの性格を考慮し、反論する気力も失せたのか。

 どちらにしても無言の協力に微笑むと、踵を返して鮮血に背を向けた。


「そう不貞腐れるなって。通りすがりの傭兵らしく、野良仕事に努めるだけさ!」


 一息入れ、身体を伸ばしてから途端に表情を一変させると煙の方角へ駆けていく。

 森へさらに奥深く進み、ろくな獣道もない事から人間はおろか。獣すら寄り付かない区画なのだと思えば、必然的に緊張も高まってくる。


 だが想定していた敵襲もなく、やがて茂みによって稚拙に隠された洞窟に辿り着くや、入口に張り付いてソッと中を覗き込んだ。

 一見何もないようにも見えたものの、壁伝いにうっすら残る魔物の足跡が。何よりも漂う微かな腐臭が、内部に凶悪な生物が潜んでいる事を教えてくれる。


「…2人だけで対処できる連中だと思うか?」

【ここまで巻き込んでおきながら今更問うか。どういう神経をしている】

「ははっ。まぁ物の勢いってやつだ。私だって面倒事は苦手だけど勝手に約束した手前、後には引けないだろ?」

【他の誰が聞いたわけでもない約束。直ちに引き返し、町へ向かう事を推奨する】

「分かってないな。他人との約束はもちろん守るのが常識だとしても、自分に課した約束こそもっとも尊ぶべきなんだ。誰も見てないから、果たす果たさないかは自分の意思次第。簡単に破棄すればそれが癖になって堕落するらしいぞ」

【…貴様の言葉ではないのか】

「世話になった団長の口癖みたいなもんだ……よし、行くぞッ!」


 会話のおかげで身体の緊張もほぐれた。


 目的は生きているか定かではない人質の奪還であり、内部の状況は未知数。

 把握している敵勢力もジャイアントスパイダーのみ。


 ウーフニールがいるとはいえ、不確定要素しかない洞窟を前に胸の高鳴りを鎮めれば、カッと目を見開くと同時に暗がりへ踏み込んだ。

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