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032.旅人の川流れ

 穏やかだった川はカサを増し、迂闊に近付く獣さえ飲み込む勢いで流れていく。魚でさえ岩陰に身を潜めるなか、その上をアデランテがふよふよ通過していった。


 小腹を満たすために魚影を追い、手掴みで捕獲しようとするも失敗。濡れ石に足を取られ、全身が川に浸かってから下流に押し流されていた。

 経過そのものは事故の類だが、当人は危機感を覚える事なく、日差しを浴びながら呑気に空を仰いでいた。


「……気持ちのいい朝だなぁ。軍事訓練で沢をつたって移動した事はあったけど、のんびり川を漂うのは生まれて初めてだ……いや、バルアグの合戦場で1回あったか。意識不明の重体で浮かんでる所を地元の人に見つけてもらったんだよな。アレはアレでよく生きていられたもんだ…」

【何処まで覚えている】

「…ふぇっ?うわっぷッ!?」


 唐突な語り掛けに驚いた拍子で溺れ、水面から顔を出せば首を振って飛沫を払う。


「ぺっぺっ…なんだよ急に」

【貴様は過去を何処まで憶えている】

「どこまで、ってそんな漠然と聞かれてもな…え~っと、ブートキャップの戦で処刑寸前に助けられて、フラマンダ戦線の移動中に底なし沼で沈みかけたし…辛いことも沢山あったけど、一緒に苦労を共にしてバカ騒ぎした仲間といられたのも良い思い出だ…」

【…ならば“この”記憶に貴様は心当たりがあるか?】


 再び仰向けに漂いながら笑みを綻ばせたのも束の間。ウーフニールの声が遠のくと視界から青空が奪われ、白い霧が全てを覆った。







 場所はレンガ造りの簡素な町。紙袋を片手に抱えながら市場をウロつく様子から、買い物の途中なのか。

 他に必要な物がないか忙しなく見回すも、肩を背後から掴まれて足を止める。鉄籠手から伝わる冷たい感触は慣れないものの、不思議と嫌悪感は覚えなかった。


 それでも溜息を零し、振り返れば厳格な顔を浮かべる40代半ばの男が、ジッと視点の主を見つめてくる。

 子供なら涙を流して逃げ去っていたろうが、すぐに彼は朗らかな笑みを浮かべると、呆れたように紙袋へ視線を移した。


[また買い食いか?お前の悪い癖だぞアデランテ]

[…別にいいだろ。自分の金で買ってんだから]

[町には共同物資を買うために来てるんだ。私物を買い漁ってると下の連中に示しがつかないだろうが?副団長ならもっと隊の規律を守ってだな…]

[腹が減っては何たらってアンタも言ってたろ?大体いつまで親父面する気だよ]

[お前が嫁に出るまでだ]

[……つまりアンタが死ぬまでってことか?]

[そういうこった!]


 背中をバシバシ叩かれ、口をへの字に曲げても男の笑い声は鼓膜を震わせる。

 しかし豪快な触れ合いも、1つ1つが火打石の如く内側を温めてくれるのも否めず、呆れながら笑みを浮かべかけた矢先。

 ふいに話しかけられた第三の声に顔を上げた。


 軽快な足取りには若さが滲み、手を振りながら迫ってきた青年は目前で急停止。力強い瞳は当初2人へ向けていたが、口を開こうとした直前に紙袋へ下ろされる。

 

[ちょっと団長たちズルいですよ!私物購入禁止とか言っておいて、自分らは美味しい蜜を啜ってるなんて!]

[悔しかったらお前も早く昇進するんだな。言っとくけど、コレは私のだから分けないぞ]

[昇進って、副団長に上がる前からやってる事じゃないですか?]

[罰則が怖くて買い食いが出来るかっての]

[ちょっと待て。何で俺まで共犯扱いされてんだ!?それより何か報告があって来たんだろう?何か問題でも生じたか]


 和やかな雰囲気をピシャリと打って変えた言動に、思わず青年は背筋を伸ばした。その間もアデランテはりんごを取り出し、小気味いい音を立てながら咀嚼する。


[問題はありません!食料や物資の調達を終えて、ウィルミントン公国騎士団第3隊の出発準備も整っています!現在は町の外で全団員が待機中です]

[ご苦労。そういう事だアデランテ。さっさと紙袋の中身を始末しろ。それとこういった報告は本来君の仕事じゃないだろう] 

[上官は団内で開催中の腕相撲大会に参加していて、代わりに自分が報告に参りました!]

[…まったく、どいつもこいつも好き勝手しおってからに]

[むぐむぐむぐ…ごくんっ。今から行ったら私も参加できるか?]


 眉間を揉んで嘆く団長を尻目に、青年は引き攣った笑みをアデランテに返す。

 負傷者を何人も出す彼女の前科に回答を渋り、助けを乞うように団長へ視線を向けたが、当人は我関せずに歩き出してしまう。


 残された青年は喉を鳴らすほかなく、やがてアデランテの眼差しに根負けしたように。慌てて話題を変えた彼は途端に声を潜めた。


[い、戦に勝った後の宴なんですけど、一応手配終わったんで報告しときますね]

[なんで私に言うんだ?]

[ゲンが悪いからって団長こういうの嫌うからですよ。でも終わったらまたこの町に戻って一旦休憩するじゃないですか?そん時のための宿を予約しといたんですよ。まぁ全員カンパ渋ったせいで、ろくな場所が取れなかったんですけど…ほら、町来て副団長が「繁盛してるのか?」って言った宿。あそこです]

[……全員入りきらないだろ。ウチのオンボロ隊舎より狭そうだったぞ]

[そこはほら…なんというか、全員が生きて帰れる保証はないですし、生き残りの数を考えて予約したんですよ。それに最悪皆戻って来れたら、雑魚寝でも宿の外でも好きに陣取って宴すれば良いじゃないですか]


 悪びれなく言い放つ彼を怪訝そうに見つめ、シャリっと最後のリンゴを頬張ると紙袋をクシャクシャに丸めて青年に押し付けた。

 腹はまだ膨れていないが、買い物をしている時間はもうないだろう。颯爽と彼の横をすり抜け、町の外を目指せば背後から忙しない足音が追ってくる。


 しかしふいに足を止めたアデランテに、同じく歩を緩めた青年は顔を上げた。その瞳は1軒の建物に向けられ、扉の上には“宿屋”と記した看板が吊るされている。

 今度は何を言われるのかとビクついていたが、眺めているとおもむろに軒先をビシっと指差す。


[…あの場所。私の席だからな]

[……えっ?いやいやいや。副団長を差し置いて宿で寝られるメンツは団内にいませんって。団長が外で寝るならともかく]


 戸惑いを見せる青年が再びアデランテに向くや、彼女の顔が鼻先まで迫っていた。

 両の青い目に、銀糸のかかった顔。頬の傷を忘れる程の整った顔立ちに一瞬息を呑むが、無表情だった彼女が微笑む。

 

[全員で生きて帰れたら、って話だろ?]


 冗談めかして笑う彼女に、負けじと青年は笑顔を作ろうとする。だが内心では不安に圧し潰されそうで、気持ちが顔に出てしまったのだろう。

 途端に物憂げな表情を浮かべたアデランテは、寂しそうに宿を一瞥してから踵を返し、編まれた銀糸がふわりと漂えば、遅れて青年も後を追った。


[…必ず戻ってくるさ]


 呟かれた副団長の声に、また彼の顔が上がる。


[その時は皆で街道を貸し切って、朝までバカ騒ぎだ]


 背中越しに聞こえた力強い言葉は、迷いを断ち切らせるには十分だったらしい。確固たる決意を胸に、満面の笑みを浮かべた青年は騎士の風格を漂わせた。







「…今のは、ウーフニールと初めて会った時の宿…だよな」


 白い霧は薄れ、再び青い空と耳元に流れる川の音が戻ってくる。見せられた景色を1つ1つ思い出していくが、何1つ心当たりはなかった。


「……あそこは、私が国に帰る途中で寄っただけで…なのに何で団長が…団員がいたんだ?それに予約って…そもそも何で私はあの宿に泊まった?確かそこの主人は私らを衛兵に売ろうとして…なんで…」


 自問しようと答えは浮かばず、周囲の景色を見つめた所で何も分かるはずがない。それでも瞳は魚の如く泳ぎ、左右に何度も視線が行き交った。


 今見せられたものは、ウーフニールが作り上げた幻覚か。

 あるいは覚えてすらいない夢でも見せられたのか。

 腑に落ちない疑問に、しかし真っ先に問うべき相手がいた事を思い出す。


 返す刀で意識を彼に向けたが、会話の先手を取ったのは酷く無機質で、腹底を這う聞き慣れた声だった。


【貴様とはいかなる人物だ】

「……それって前にも森で私に聞いたろ?指輪探してた奴を背負って町に戻る時に…」

【答えろ】


 回答以外は受け付けない口調に、小さな嘆息を吐く。質問に応じなければ、彼に尋ねる事も許されないのだろう。

 川の流れに身を委ねたまま、再び空を見上げれば渋々口を開いた。


「…アデランテ・シャルゼノート。元ウィルミントン王国騎士団第3隊団長。今はお前と一緒にカミサマの下僕をやってる」

【如何にしてオーベロンと出会った】

「どうって…落石に遭ってボロボロになった身体を治された時だよ」

【騎士団の壊滅。戦場からの帰還。だが戦に出向く前、貴様は何処にいた】

「……故郷から出陣したあとは街道を進んで、そのまま真っすぐ戦場に向かったぞ?」


 眉を吊り上げ、滞りなく応えたつもりだったがウーフニールからの返答はない。

 そもそも質問の趣旨を理解できず、説明も無い一方的な会話に苛立ちすら覚えた挙句、不可解な幻覚で茶化された気がしてならなかった。

 ついカッとなって悪態を吐こうとしたが、再び無機質な声に遮られてしまう。


【いつまで川に浸っている気だ】


 今度は抽象性もない、具体的な問いを投げかけられる。おかげで毒気が抜かれ、不貞腐れたように言葉を返す。


「…行く当てがあるわけでもないし、何も考えずに漂うのも結構いいもんだぞ。それにこのまま町にでも辿り着いたら面白いだろ?果実から生まれた子供が心優しいおじいさんとおばあさんに拾われる話があってだな」

【奇怪な出生の幼子が滝の落下に耐えうる肉体を有していたならば、さぞ怪物染みた生き物であったのだろう】

「急に何の話だ?“果実の子”に滝は出てこない…」


 不思議そうに虚空を尋ねるが、不自然な沈黙に違和感を覚えた。左右を見回せば、過ぎ行く陸上の草木が視界の端へ瞬く間に消えていく。

 川幅も知らない間に広がり、岸まで泳ぐには流れが強すぎた。


 ようやく芽生えた危機感に身体を立てるが、依然足が底に着く事は叶わない。それまで川に浸っていた耳は従来の聴覚を取り戻し、川のせせらぎは轟音に変貌。

 だが景色は仰向けの頃とほぼ変わらず、青い空が半分。そして世界の端に向かって流れ続ける川の終着点が、少し先に見えてしまった。


「滝かっ!?」

【そのようだ】

「何でそんなに落ち着いてるんだよ!曲がりなりにもお前の身体だろ?もっと慌ててくれてもいいんだぞ!?このままじゃ老夫婦に拾われる前に、私らが微塵に砕けるだろうがッ」

【急流を逃れる遊泳技能を持ち合わせていない。獣に変化すれば溺れ死ぬ。打つ手なし】

「ッッ~……“果実の子”はな。物語の終わりに村を襲った怪物を退治するまで平和に暮らしてたけど…英雄から程遠い存在の私らはどうなると思う?」

【死なぬために“怪物”と契約を結んだ貴様が、滝如きで生を終えるとでも思っているのか】

「さぁどうだかあぁっ!!?……ッッうおぉぉぁぁぁぁぁぁっっ!!??」


 非常事態にも関わらず、呑気に会話していたツケが回ったのだろう。為す術もなく川から弾かれたアデランテの身体は、抵抗空しく宙を漂った。

 そのまま自然の理に身を任せれば、次の瞬間には真っ逆さまに遥か眼下へ吸い込まれていた。

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