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031.報奨と代価

{お久しぶりですねぃ、我が忠実なる信徒よ。ワタシと会えなくて寂しかったですかねぃ?}


 渦上の赤い霧が目前を漂い、青い空は夕暮れを彷彿させる暗さに変わる。奥に見える影は4つ目を愉快そうに歪め、それ以外の顔色は窺えない。

 激しい不快感に襲われつつ、隠す事なくアデランテは小さな溜息を吐いた。


「…別に」

{これはまた手厳しい回答}

「会うたびに心臓を止められたら嫌にもなるだろ」

{ほぅ、左様で……しかしよくぞアルカナの巻物を処分できましたねぃ。あなたの信仰心。しかと見届けさせて頂きましたよ}

「信仰心?」

{我が命に従って自らの足で進み、内なる隣人の協力を得て町を、そして巻物を探し出し、忠実に教えを行使した。これ以上に信仰を示す方法がありましょうか。いいえ、ありませんねぃ}

「その巻物……私らが接近する事を予知できなかったらしいけど、送り込まれた理由と何か関係があるのか?」

{すでに死という運命を刻まれ、絶えず性質を変化する隣人を内に秘める貴方の未来が予測できるとでも?……では次の布教活動についてお話をば}

「ちょ、ちょっと待て。次?次って言ったか今ッ」

{忘れたのですかねぃ…ワタシは貴方の唯一神にして所有者。ワタシへの細やかな信仰を永劫捧げ続けることが、アデランテ。貴方に許された唯一の未来なのですよ?貴方の名を伺った時、はっきりと明言したはずですがねぃ}


 話を遮られた事か。

 覚えの悪い信徒への怒りか。

 霧がさらに濃くなれば、怪しく宙でうねり出す。


 そんな話をされたかと首を傾げるも、思い出そうとしても全く脳裏をよぎらない。

 もっとも不用意な発言をすれば心臓を握られるのは明白。口をつぐめば無言を肯定と受け取ったのか、霧が元の濃さを取り戻していく。

 ゆっくり渦状に回り、再び落ち着いた声が漂ってきた。


{次の布教について、ですが…………ご自由にお過ごしください}

「…自由に過ごすことが信仰心に繋がるのか?」

{信仰心ばかり試されては信徒の身も心もダメにしてしまうでしょう?ですので次の啓示まで貴方の思うように時間をお使いください。それと此度の件について、十分な報酬を与えねばなりませんねぃ}

「金を貰ったとしても、あまり嬉しくないんだけどな…」


 褒美を今1つ想像がつかず、首を傾げながら顔をしかめた直後――。


「あ、あ゛あ゛あ゛ァ゛ァ゛アア゛、ぐぃやぐぐぅーーあっ、アッ…!!!」


 突如襲った頭痛に加え、心臓が裏返る衝撃にその場で地面に崩れ落ちた。痛みは絶えず形を変えていき、内外を掻き毟る激痛が心身を蝕む。

 もがく余裕すら与えられず、喉の痙攣が悲鳴すら押し留める中、徐々に熱が遠ざかる一方で意識が鮮明に浮かんだ。


 最初は砂嵐が走ったように断片的だったが、やがて壁一面の本棚が視界を占め、一瞬マルガレーテの研究所に見えたものの、あそこに置かれていた物は巻物ばかり。

 本棚も樹木の家と比肩できない幅を有し、思考が働く前に目の前が白ずんだ。


 再び頭が割れる痛みに身体を反らし、意識が途絶える寸前で苦しみから解放される。


「……ハァ…ハァ……ハァ、ハァうぐっ…ハァ」


 声も出せず、岩場に倒れ込めば全身からとめどなく汗が流れ落ちるが、地面に滴る事なく雫は肌に沁み込んでいく。


{随分と応えたようですねぃ。そのまま死んでしまうのではと内心ヒヤヒヤしましたよ}

「こ……殺す気、か…」

{憎まれ口を叩ける余裕が出来たようで何より。さて、予期せぬ苦しみを与えてしまったのはともかく、貴方の怪物を拘束する呪枷を一部解きました。これでいままで以上に信徒として力を発揮できる機会も増えましょう}


 人の気も知らず、陽気に語る神にギロリと。いっそ睨みつけてやりたいが、疲労の最中では気怠い眼差しを向けるのが精一杯。

 身体を起こそうとしても立てず、そのまま仰向けに寝転がった。


「…ハァハァ……んっ…拘束解いて何が出来る、ようになっ…たんだハァハァ」

{さぁ?}

「てんめぇこのヤロー…」

{神に対する口の利き方ではありませんが、その惨めな姿を拝むだけで勘弁して差し上げましょう。ですが1つだけ親切心で忠告しておきますと、何物にも代償は付きものでしてねぃ。呪枷を解いた事で力を得る代わりに、貴方の記憶が一部消滅しました}

「…はっ?」

{能力解放の条件ですよ。記憶と引き換えに…恨むなら怪物の力を収める、器の乏しい許容量を蔑むべきですねぃ}


 怪物と融合させられ、信仰を示した見返りに記憶を消された。

 淡々と告げる神に返す言葉も浮かばず、慌てて記憶の糸を手繰ってみるが、特段思い当たる空白はない。


 騎士団の仲間。

 果たすべき使命。

 オーベロンの指令。

 ウーフニールとの旅路。


 もともと人の顔と名を覚えるのが苦手なのを除けば、やはり異変は感じられなかった。


「…変わった感じは全然しないけど、記憶を消さずに私を強化するって選択肢はなかったのか?変身する時のゾワゾワする感覚を無くすとかさ」

{ワタシが干渉できるのは貴方に与えた祝福に限られますのでねぃ。それに怪物はあなた自身であり、あなた自身が怪物なのですよ?}

「……なんだろうな。ひどく罵倒された気がする」


 顔をしかめるアデランテを嘲るように霧は揺らぎ、徐々に色合いが薄れていく。周囲の明かりも戻りつつあり、オーベロンがようやく帰ってくれる兆しでもある。

 それだけの事にホッと安堵しながら指を開閉し、身体の変化を探ろうとした矢先。


{あぁそうでした。大切な話がもう1つ…}

「ん?なんだっ……ぐぷっ!?…あ…がぁっ」


 優しく声音とは裏腹に息苦しさと、身体の自由を奪われる激痛に見舞われた。自身の嗚咽に交じり、頭の中で獣が苦しむ絶叫さえ轟く。


{ワタシを信仰して頂ける限り、貴方の生き方に口出しは一切致しません。ですがもう1つの誓約は“貴方の唯一神の存在を決して他言しないこと”…もっとも、名だけの神など、教えられたところで誰も信用する時代ではありませんがねぃ}


 吸い込まれるように霧は消え、再び青空が周囲に広がった。

 静止していた世界も流れ出し、途端に大自然の息吹が鼓膜に押し寄せるが、耳を塞ごうにも手足は動かず、ようやく自由になる頃には音に慣れてしまっていた。


「くは…けほっけほっ…随分とまた、強烈な忠告を残して…くれたな。あの野郎…」

【いづか゛必゛ず喰゛い殺゛してや゛る゛】

「落ち着けって。また心臓を…止められるのは、キツい……さて、と」


 腕をつき、ゆっくり身体を起こせばソッと胸に手を置く。掌を押し返す力強い鼓動に笑みを浮かべ、一息吐くと再び仰向けに寝転がった。


 耳をすませば鳥獣の声や森。

 風。

 川。 

 

 それぞれが無人の平穏を謳歌する歌声を響かせ、数秒前の不運を洗い流す一方で、アデランテの存在を歯牙にもかけていない気がして。

 “人間”として数えられていない気がして、つい深い溜息を零した。


 全ての理から忘れ去られた物寂しさを一瞬覚えたが、それもほんの一時の迷い。クスっと笑うや、起き上がって丘を颯爽と滑り落ちていった。

 低地に辿り着けば足元を蹴り、確かな感触が自身の存在を証明してくれる。


【…どこへ行く】


 不機嫌そうに語り掛けてくる内なる声も、たとえ地の果てに行こうと共にある。

 決して1人ではない事実に、唸り声を耳にしながら鼻唄交じりに歩き出し、ウーフニールが制止を求めるのも聞かず、1歩1歩道なき道を進んでいく。


 おかげで首を唐突に絞められ、危うく脇道へ落ちそうになった。


【無視をするな】

「かっっはッ……すまない、何か言ったか?」

【何処へ向かっているのか聞いている】


 首を擦りながら見上げるや、咄嗟に腕で木漏れ日の明かりを遮った。生い茂った木々に空の断片しか見えないが、丘にいた時より眩しく感じてならない。 

 しばし顔を覆っていたものの、やがて慣れるとゆっくり太陽へ手を伸ばし、例えフクロウに変身しても届かないだろうに、今なら触れられる気がしてならなかった。

 

「……私らが出会ってからさ。旅を始めてもう2ヵ月は経つよな」

【1ヶ月28日】

「…もう、なのか。まだ、なのか。まぁどっちでもいいよな。行く当てもないし、ただ折角カミサマからもらった休暇なら、少し楽しもうと思っただけさ」


 身体を仰け反らし、両腕を思いっきり伸ばすと肺が森の空気で満たされる。


【使命はどうした】

「……実はさっきの町に着くまでずーーっと考えてたことがあってな」

【貴様が?】

「悪いかよッ!?…私のせいで部下は皆死んだんだ。本当は今すぐにでも国へ戻って報告を挙げたいけど、手配書の件が気掛かりだ。しばらくは行方をくらまして、頃合いを見て帰郷しようと思ってる」

【落石は貴様の責任なのか】

「事前に隊を危険から守るのも団長の仕事の内さ……とにかくだ。それまでこの身体をもう少し借してくれ。カミサマも拘束の解除がどうのって言ってたし、命令を聞いてればウーフニールもいずれ私から解放されると思うしな」

【その度に肉体を危険に晒し、指示を果たせば貴様の記憶は消える】

「使命を全うするまでに私が私であればそれで構わない…それにもう1つ、町を出てから勝手に決めた事があるんだ」


 足元を眺めながら木陰に身体を預けるも、ふと気配を察して顔を上げた。茂みの奥で鹿がジッとアデランテを見つめ、人間に“見えるもの”を警戒してか。

 あるいは傍から見れば独り言を呟いているせいで、不気味に思われているのか。


 その場から動かずに佇み続けているのに、ウーフニールが珍しく反応を示さない。彼の意識は言葉の続きへ傾けられ、恐らく嫌な予感に身構えているのだろう。

 思わず笑ってしまうと鹿は逃げ去り、怪物の声がアデランテの注意を引いた。


【何を決めた】


 急かすように身体の中が揺らめき、下腹部から背筋にかけてモゾリと疼いた。


「あっはんッッ…おい、やめろ!今物思いに耽ってるところだったんだぞ!」

【何を決めたか言え】

「…ウーフニールが記憶を奪わずに済む方法を探す」


 脇を摩り、バツが悪そうに前方を見るが周囲には誰もいない。今の声と姿を見られていない事に安堵し、再び急かされる前に言葉を続けた。


「魔術師の師弟を見て思ったんだ。樹液から解放されようと抗う姿に…だから頑張ればさ。もしかしたらウーフニールも自分だけの身体と記憶をいつか手に入るんじゃないかって」

【可能ならば遥か昔に叶えている】

「それは奪った記憶とお前1人の力で試した結果だろ?なら2人で探していけばいい…それにウーフニールが野放しになったら、それこそ私が死んだあとに未練が残るよ」


 それまで輝かせていた瞳は夕立の如く曇り、最後には儚い視線で虚空を眺める。

 一変したアデランテの思考は、彼女の目で見。耳で聞き、口で話した事柄を全て記憶する怪物の力を持ってしても理解が及ばない。


 しかし不明瞭な善悪の判断に加え、不安定な感情の起伏。そして突飛な行動原理や戦術発想の持ち主を理解するのは、自ら毒を喰らうようなもの。

 ウーフニールの溜息に似た唸り声が木霊すれば、彼女はムッと顔を上げた。


【………最初に聞いたが、どこへ行く】


 だがアデランテ・シャルゼノートは敵ではない。オーベロンに束縛されている今、出来る事は彼女の影を辿っていく事だけ。


 会話を仕切り直すと彼女はニコッと微笑み、頬を掻いて一帯を見回す。困ったような表情を浮かべ、確証もなく歩き出すと闇雲に茂みをかき分けていく。


「う~ん、強いて言えば行ったことがない土地。大都市や大きな町に行ってみたいな。それにこの身体じゃ同じ所に長いこと腰を落ち着けるのも難しいだろ」

【ならばなぜマルガレーテに戻ろうとする。あの女にまた会うつもりか?】

「…こっちの方角だったのか?なら思い切ってあっちに…」

【そのまま進めば以前壊滅させた山賊の棲み処に戻る】


 冷淡に告げられる言葉に、降ろす場所を見失った足を漂わせたまま硬直する。それからゆっくり足を下ろし、近場の岩へ溜息を零しながら座り込んだ。


「…実はな。お前が魔術師を食べてからどうも胸焼けが酷いんだ。それで判断力が鈍ってるのかもしれない」

【因果関係は無い】

「そんな事はないと思うぞ?あの……メガネ…」

【ミケランジェリ】

「そう!その何たらって奴を摂り込んでからずっと身体が重くてな。氷柱を咄嗟に避けられなかったのも、それが少しくらいは影響してる…と、思うんだ!」

【…樹液を摂り込んだ人間の毒が残っているのか?了承した】


 何を“了承した”のか。そう問いただす暇もなく、突然身体が熱くなった。

 駆け抜ける甘美な衝動は腹に集い、徐々に丸みを帯びた、黒々とした液体が膨らむ。


 やがてプツンっ――と。岩から転げ落ちたアデランテの喘ぎ声と共に、異物は身体から離れていった。

 引き裂かれる痛みを最後に覚えつつ、顎を拭った彼女の視界に異様な球体が映れば、地面を転がったソレはグネグネ姿形を変え、後ろから尻尾をだらんと垂らす。

 柔らかそうな獣毛を表面に生やし、髭と耳を出現させた頭部にポンっと手を載せると、手加減を知らない“主人”はぐりぐり黒猫を撫でつけた。


「はぁはぁはぁ…んくっ…はぁはぁ……ふぅ…氷柱で貫かれた時より痛かったぞ」

《気安く触れるな》


 しかし声が。腹底を這うおぞましい声が内側からではなく、撫でた手の下から伝わってきた。

 ソッと指を退ければ鋭い眼差しで睨まれ、咄嗟の出来事に硬直したのも一瞬だけ。すぐに惚けたアデランテは、構わず頭を撫で続けた。


「その声でその姿。何ともミスマッチなのに、そのギャップがまたいいなぁ~」

《この身に樹液を封じ込めた。胸焼けはもうしないはずだ》

「お~ありがとうなぁ~。ほら、ニャーって鳴いてくれ。ニャーだ。ニャー」

《…最後にもう1度だけ聞く。ど こ へ 行 く》

「いやーおぞまし可愛い~…そうだな。ひとまず山賊のアジトやさっきの町とも離れた土地を目指してみるか。コッチだったか?」

《あっちだ》


 名残惜しそうに立ち上がったアデランテに、黒猫は乱暴に首を振って正反対の方角を指す。

 何処をどう見ても同じような森が奥まで続き、相変わらず自身の方向感覚に不安は残るが、その思いも1歩踏みしめる度に消えていく。

 


 いつも出ている青い煙もない、当てのない旅。

 そして未知への冒険が心を躍らせ、アデランテを嬉々として茂みの中に進ませる。


 その背後では見送るように黒猫が座っていたが、本体の楽観主義に辟易しているのか。獣とは思えない溜息を零せば、直後に紫煙をくゆらせて霞が如く消えていった。

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