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029.贖罪の形

「…んんっ……うっ…」


 鼻をつんざく枯草の匂いに、ふと目を覚ました。


「おっ?起きたか」


 聞こえた声に導かれるかのように。ゆっくり瞼を上げれば、最初に映ったのはアデランテの顔だった。

 それも最後に魅せた朗らかな表情のまま、彼女を胸下から見上げる形で。


 咄嗟に状況を整理しようとしたが、後頭部に当たる膝の感触が全てを物語り、すぐさま身体を起こそうとすれば、鈍痛で頭すら満足に上げられない。

 その上で両肩を抑えられては、抵抗のしようもなかったろう。


「おいおい。あんま無茶するな。倒れてから3日も寝てたんだぞ。もう少し休んでいけ」


 再び膝の上に寝かしつけられ、羞恥と困惑で目のやり場に困れば、気を紛らわすべく瞳を泳がせる。

 巨木に視線が止まるまで長くは掛からず、途方もない大きさの樹木も、今や白く枯れ果てていた。

 それも目の前の1本に限った話ではなく、他の樹木も軒並み萎びて、それぞれの正面口に未練がましく扉が張り付いている。

 

 その内1軒には見覚えがあり、宛がわれて間もない頃は“我が家”と。期待に胸を膨らませた無知の象徴も、ポツンと端に佇んでいた。

 内側から黒焦げていだが、前庭は愛弟子の手入れした跡が残されている。


「……親樹は、枯れてしまったのですね」

「あぁ。戻ってきた時にはご覧の有り様だったよ。でも子供たちは無事に助け出せたし、アンタも生きてる。全部が全部とは言えないけど、終わり良ければぁ~あ…【全て良し】なんじゃないか?」

「子供たち……コニーとリゼは!?それに3日寝ていたって、あのあと何があってっ…」


 起き上がろうとすれば、すかさずアデランテが押さえ込む。

 弱々しく突き返すだけのアナスターシャに力など必要なく、ソッと手を据えるだけで牽制するや、数度の抵抗でようやく観念したのか。

 膝に頭を預けたアナスターシャは、諦めたように溜息を零した。恨めしそうに瞳を向ければ、織機が壊されてからの記憶がない事。

 そして膝枕をされるに至った経緯を求めると、困ったようにアデランテは首を傾げた。


 喉を鳴らすように唸り、やがて1つ1つ思い出すように語り始めた。



 

 織機を破壊した直後、立ち上がったアナスターシャはフラフラになりながら、コニーとリゼを抱きかかえて地上に向かったらしい。

 その間にアデランテはザクセンたち含め、檻の中にいた子供たちを救出。魔術師たちの脅威も消え、やっとひと段落ついたかと思ったのも束の間。

 弟子を寝かせたアナスターシャは、傷ついた身体を引きずって町へ向かい、住人たちにこれまでの所業を告白して回った。


 贖罪には程遠いが、生き残った子供たちの治療法を模索していく事。

 そして全てが終わった事を、最後の1軒まで報告するや、コニーたちの元へ戻る途中で力尽きてしまった。

 目を覚ます事なく、それまでアデランテが膝を貸し与える運びになった。


「――私が何度止めても全く話を聞かないで町に向かって…むしろ視界に入っていたかすら怪しかったぞ?焦点も合ってなかったし」

「意識のない身体でずいぶん動き回っていたのですね。樹液の効力で一時的にでも疲労を忘れられたのが不幸中の幸いだったのでしょう…ところで膝枕の説明をまだ聞いていませんが」

「ベッドの上に寝かせても夢見が悪そうだったからさ。そういう時は外で膝枕をするとよく眠れるって昔教わったんだ。実際気持ちよさそうに寝ていたし、よかったよかった」

「…3日、と仰いましたよね。まさかそれまでずっとその、膝の上に?」

「そうだけど?」


 当たり前とばかりに顔をしかめるアデランテに返す言葉も無かった。何よりも彼女が眩しいと思うのは、きっと差し込む太陽のせいではないだろう。

 笑顔を直視できず、再び顔を背けると静かに子樹を眺めた。


「…住人に説明して回った、という話……彼らはどのように反応されていましたか?」

「あぁ~…それはな……」


 太ももの柔らかさに顔を埋める最中、歯切れが悪くなったアデランテに視線を戻す。

 誤魔化しは許さないとばかりに眺め続け、やがて観念したのか。小さな嘆息を吐くと町の方角を見ながら。

 やはり気まずそうに重い口を開いた。



 1軒1軒。我が子を金と樹液の材料にされた事実を、アナスターシャは包み隠さず伝えたが、住人たちは極めて冷静に耳を傾けていた。

 むしろ平穏すぎて、不気味だと揶揄しても過言ではなかったろう。 


 胸倉を掴むか。

 怒鳴るか。


 最悪殺意を向けられる覚悟で護衛していたものの、住人たちは森の奥で行なわれた所業に最初こそ驚きを見せたが、アナスターシャが話し終えるや“今後の町への援助について”口々に呟いた。

 挙句に子がいずれ戻ってくる話を切り出せば、食い扶持の心配をされる始末。


 最悪の事態こそ避けられたが、釈然としない反応にアナスターシャがいなければ。感情と拳を押し留める頭の中の声がなければ、むしろアデランテが怒りに任せて襲い掛かっていたかもしれない。


「…そうでしたか」

「町の連中は……まぁ何もなくて良かったんじゃないか?納得は行かないけど、多少の衝突はあると思っていたからな」

「責任は我々にもあります。樹液こそ飲まずとも、依存した関係は人の感情を麻痺させますから。それに辺境の町ですので先せっ…サリットメシアが来る前の経済事情も、おおよそ想像がつきますし、彼らを責める資格はありません」

「…アンタもいつか抜け出せるといいな。これまでの過去と、樹液を必要とするその身体に」

「……はい…」


 語る事も聞く話も全て終え、やっと一息吐ける。3日寝ていたとは思えない疲労がなおも残り、頬をアデランテの太腿に押し付けた。



 悪の根源は樹液だけではない。


 妬み、求め、抗い、憎む。

 そんな人の欲が生み出した醜く歪んだ世界は、もはや形容できる言葉すら浮かばない。しかし頭をアデランテに預けたまま目を閉じると、途端に悪夢が霧散していく。


 聞こえてくるのも風の音や、木々のさざめき。

 そしえ頭上で飛び立つ鳥の忙しない声に、忘れていた平穏が溢れ出し、空から降り注ぐ日差しに身も心も温まる。


 そのまま眠ってしまいたかったが、ふと鼻先をこそばゆい風が掠めた。

 気怠そうに瞼を上げれば、視界に1枚の羽根がヒラヒラ漂い。胸の上にふわりと乗るや、再び空へ舞って視界の届かない遠い空へ消えていった。


「――…フクロウ」



「何か言ったか?」


 呟かれた言葉にアデランテが反応するも、アナスターシャの耳には届かない。口が自然と動き、消えた羽根に手を伸ばし続けていた。

 

「フクロウが…突然現れて、拘束を解いてくれました。何が起きたのかよく分からなくて、顔を上げたらジッとコチラを見ていて…そうしたら煙のようにその場から消えてしまいました……心の弱さが生み出した幻だったのか、それとも高位の魔術師が使役していたのか。もしかしたら樹液の副作用……でもあのフクロウは…一体」

「……“勇者の羽根”だったんじゃないか?」

「…ゆうしゃの、はね?」

「とある村の青年が喋るフクロウと会ってな。そいつの導きで町を救って英雄になるって話。聞いたことは…まぁ、ないだろうな」


 喜色満面で語っていた顔に一瞬陰りが見えたのは、雲で太陽が隠れたせいなのか。思わず面食らってしまったが、すぐに呆れるとすかさず反論した。


「初めて聞く話ですが、所詮はおとぎ話でしょう?」

「どんな話もあながち実話が脚色されてたりするもんだぞ?それにな、実はフクロウが喋ってたのは青年がそう思い込んでただけで、導きも何もただの鳥だったってオチがあるんだ。飛ぶための羽根は、最初からソイツが自分で持ってたんだよ」


 いくら嬉しそうに話されても、やはり子供だましの物語にしか聞こえない。それも膝枕をされたとあっては、まさに寝かしつけるべく聞かされているようで。

 辱めに顔を赤らめそうになったが、一方で言い逃れできない安心感が、心の奥底から押し寄せてくる。


「3日間…その前に寝たのは、最後いつだったかしら」


 樹液のせいとはいえ、大学にいた頃も不安でろくに眠れた記憶がない。寝返りを打てる程度に気力は回復したが、心地よさの誘惑は強烈。

 太ももにグリグリ頬を押し当てれば、髪を優しく撫でつけられた。


 やはり子供扱いされている気がしてならないが、触れられる度に気分が落ち着き、むしろ酷く懐かしい、木漏れ日で横になっていた小さな頃の自分を思い出してならない。

 

 未来の事など何1つ考えない、恐ろしく純粋で、毎日が楽しかったあの頃を。

 魔術師の来訪を毎朝毎晩待ち望んでいた、遠い遠い幸せの記憶を。



 とても人前に見せられる姿ではないが、それでも今は一時の穏やかな気持ちに身を委ねるべく、ゆっくり瞳を閉じた。







「――…先生?」


 小さく、しかしはっきりとした声にカッと目を見開く。そこには見覚えのある勝気な性格をした少女と、どこか萎れたような。

 それでいて芯が通った少年の2人が、不思議そうにアナスターシャを見つめていた。


 互いにしばらく固まっていたものの、アデランテに支えられながらソッと起き上がり、わざとらしく咳払いすれば、ローブの裾も誤魔化すように何度か払った。

 いまだに突き刺さる弟子の視線は身体に応えるが、先延ばしにすれば後が辛いだけ。

 やがて地面に座り直し、少しでも威厳を保つために背筋を伸ばしたものの、途端に走った痛みを隠せたかは、不安そうに見つめる子供たちから判別できない。


「…あなたたち、もう身体は大丈夫なの?」

「は、はい。ほかの子たちは…カルアとザクセンも全然動かないけど、ちゃんと息はしてるから大丈夫だと思う」

「そう…受け答えもはっきり出来て、瞳孔も問題なさそうですね。トリノアシノセを採取出来たのはお手柄でしたよ。とはいえ、本来ならもう少し多めに採って…いえ、この話をする必要はもうないでしょう。賢いあなたたちなら分かっていると思いますけど、師弟関係を築く風習は無くなりました。町へ戻って、これからは身の丈に合った生き方をしなさい。ほかの子供たちは責任を持って治療しますから」


 口を挟めないようつらつら述べ、最後にこれ以上関わるなとばかりに言ってのける。だが2人は離れようとせず、むしろさらに近付いて来た。

 座ったままのアナスターシャを見下ろし、無垢な瞳が顔を覗き込む。


 突然の事に一瞬喉を鳴らしたが、動揺を隠すように毅然と振る舞えば、面と向かって2人と対峙した。

 あらゆる罰も甘んじて受ける覚悟は出来ており、何よりも子供たちは穢れた大人に貶められた正当なる裁き手。

 例え殺されても文句は言えないが、差し伸べられたコニーの手にビクついてしまった。


 ゆっくり頬に触れられると肩まで震えるも、決して暴力的なものではなく。まるで我が子を気遣う母のような、とても優しい手つきだった。


「…アタシたち……アタシがいけないの。先生があれだけダメだって言ったのに…アタシが魔法使いになりたいって言い出したから…ザクセンたちが羨ましいからって、ミケランジェリ先生の薬を飲んだばっかりに…リゼもダメだって止めたのに、巻き込んじゃったし」

「そ、そんな事ないよ!ボクだって……ボクだって魔法は使いたかったし飲みたかったよ。ただ言いつけを破る勇気がないからコニーが飲んだ時、やった!って思っちゃって…それに」

「アタシたちのために、いっぱい怪我してくれたんでしょ?そんな先生を放っておけないよ…」


 弟子たちの不安で曇った表情は増々歪み、視線は痣だらけの顔や手足へ向けられる。ローブの下は見えないが、汚れ具合から身体のケガも見て取れるのだろう。


「それにね。魔法使いにしてくれる、って約束でしょ?だから今までコキ使われても、不満も言わずにあんな頑張ったんだから、ここで引いたら全部ムダになっちゃうじゃん!」

「いや、不平不満はずっと零してたよ」

「ちゃんとやってたんだからいいでしょ!?男なら細かいこと気にしないの!そういうところ全っ然変わんないね。もうっ」

「…あなたたちに言いつけていた仕事は、魔術師になる修行とは関係がなっ…」

「と・に・か・く!ザクセンたちが使ってたインチキじゃなくて、ちゃんとした魔法使いにしてくれるまではアタシも、リゼも、絶ーーーっ対!離れないんだから!!……それでいいでしょ?先生」


 視線を逸らす事なく、ジッと見つめてくる無垢な表情のコニーに、彼女の背後からリゼも心配そうに覗き込んでくる。

 彼も同じ心境にある事は代弁されずとも理解出来た。


 それから互いに見つめ合い、どれほど時間が経ったか分からない。だがアナスターシャの腕がピクリと動き、コニーの小さな手を握り返す。

 ソッと頬から離し、彼女の身体へゆっくり戻した。


「…あなたたちの意向は分かりました。それでは今からジャリンの根。カプスの葉。セリ。イリズウム。トツクニ。コウダンの実。それと普段摘んでいる薬草を何種か採って来てください」

「え……ええええぇぇぇーー!!?せっかくいい雰囲気だったのに、二言目にはそれなの?もうちょっとデレてくれてもいいじゃん!アタシたちも結構病み上がりなんだけど!?」

「あなたの先生の言う事が聞けないのですか?そんな事ではいつまで経っても立派な魔術師にはなれませんよ」

「えっと…ほら、行こ?コニー」


 隠すことなく、反抗的な文句を叫びながらリゼに引きずられていくコニーは、それでも渡されたカゴを持つ。

 しかしその間も野生の動物を手懐けた自分なら、必ず最高の魔法使いになれると。奇妙な捨て台詞を吐きながら、森の奥へ姿を消した。


「何をバカなこと言っているのでしょうね……そういえばあの黒猫は今頃ご飯にありつけているのでしょうか…コニーたちの寝床も新しく用意しないと…あぁもう」


 誰に話すでもなく独り言を呟くや、力が抜けたようにアナスターシャが倒れ込む。再びアデランテの太ももに顔を埋め、腰に両腕を回すとギュッと強く抱きしめた。

 咄嗟の出来事にアデランテも戸惑い、コニーたちが去った方角と交互に見つめたが、ふいにアナスターシャの肩が小刻みに震えだす。

 押し殺した嗚咽が聞こえ、それまでの困惑も一瞬で溶ければ、やがて彼女の髪を撫でるように梳かし始めた。


 まるで我が子をあやすように。


 ゆっくり、静かに。


 そよ風に吹かれるがまま、彼女の小さな寝息が聞こえるまでずっと撫で続けた。

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