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002.心からの束縛

「……や、やっと…着いた」



 山を越え、川を渡り、それから森を抜けた遥か先。


 ようやく辿り着いたのは、騎士団一行が休息を取るはずだった“ゴザの町”。

 ここまでの長旅も簡単なものではなかったが、それでも故郷までの道のりは遠い。

 深い溜息を漏らせば、商店には目もくれず。

 颯爽と人混みを抜けていくが、その間も極力ぶつからないよう何度も体を傾けた。


 余計な注目を集めないため、というのはもちろんある。


 しかしそれ以上に、いま着ている服が男物ゆえ、少し大きいことが主な原因と言えただろう。

 


 通りすがりの馬車から”拝借”したため、選んでいる暇もなかった。

 無理やり蔓草で縛ってもみたが、歩く度に緩む仕様に何度服が脱げかけた事か。

 思い出したくもない回数に嘆息を零し、雑踏に注意を払って移動を続けること数分。

 やがて扉上に吊るされた“お宿”の看板前で、ピタリと足を止めれば、そこはかつての仲間が予約し、戦場から生還した暁に集うはずの場所だった。


 脳裏に浮かぶ彼らの顔を振り払い、毅然とした面持ちで扉を押し開けば、鈴の音が静かに鳴り響く。

 直後に丸眼鏡の店主がカウンターから起き上がるも、顔には机に押し付けられた痕がくっきり残っていた。


 先程までずっと寝ていたのか、客入りはあまり良くないのだろう。

 顔を軽く摩った店主は眼鏡を拭くとかけ直し、改めて接客を始めた。


「いらっしゃいませ。お泊りですかな?」

「…ウィルミントン公国騎士団で予約はないか」

「ウィルミ……ウィル…?え゛っ、あぁ、はいはい!ウィルミントン公国騎士団のご一行様ですね。ご予約承ってますよ。承ってますが…ほかの騎士様たちはどちらへ?」

「悪いが宿を使うのは私だけだ。ほかは、その…来れなくなった」


 自ら発した言葉が胸に突き刺さり、視界が一瞬歪む。

 動揺を悟られまいと振る舞うも、呆然とする店主の反応からは、上手く誤魔化せたか判断できない。


 メガネを服で再び拭き、掛け直した店主はすぐに商売人の顔に戻ると、薄くなった頭をポリポリ掻いた。


「え~、そうですかそうですか。来れないものは仕方ありませんね。それに前金は貰ってますから、今ならどの部屋でも使えますよ。何てったってウチは普段からガラ空きだからね。ほとんど貸切みたいなもんですわ」

「……できれば1番静かな部屋を頼む。窓の外から喧噪が聞こえないような、落ち着ける場所だと助かる」

「それなら丁度良い部屋がありますよ、お客さん!…えっとカギは……これですな。はい、こちらが3階奥の部屋のカギね。景色は良くなくてもお客さんの要望通り、裏路地しか見えない静かな部屋だよ」

「…どうも」

「それにしても予約されてから随分時間が経ちましたけど、なんか遭ったんですかね?」


 その質問に答えるつもりはなかった。

 鍵を握って踵を返し、階段へ向かえば「のんびりくつろいでください」と背後から声を掛けられる。

 一瞬振り返りそうになるも、止めかけた足を強引に動かした。

 段差を早足で駆け上り、逃げるように3階へと向かった。



 部屋数は各階に6つずつ。

 床を軋ませながらそれらを見送り、サッサと部屋で休みたいというのに、不思議と過去がとめどなく溢れてきた。



 腹が減っては戦も出来ぬと、早食い競争で丸1日動けなくなった新米。

 お守りを落として町中の酒場を徘徊した古株。

 騎士団員が全員泊まれるはずもないと言うのに、「生き残りの数を考えて予約した」と。

 最期まで冗談を口にしていた仲間の顔が浮かぶ。

 


 そして今や彼の宣言通り、予約した宿を1人で貸し切る羽目に遭っている。


 溜息を吐き、やがて割り当てられた部屋に辿り着くと扉の隙間に滑り込んだ。

 室内には特別目を惹く物は置かれていない。

 サイドテーブルを挟んでベッドが2つ。

 窓際に簡素な机があるだけのシンプルな部屋で、窓から差し込む光が部屋を明るく照らしている。


 それらの光景に思うところもなく、マットで靴底を拭けばベッドにゆっくり腰を掛けた。

 そのまま仰向けに寝転がるや、思いのほか柔らかい弾力が心地よい。


 最後にまともな寝床を使ったのはいつだったか。

 遥か遠い記憶を手繰っていた矢先、ふと隣に空いたベッドを一瞥した。

 掴むように片手を伸ばし、だがすぐに引っ込めた掌をジッと見つめる。


「…まだ、生きてる」


 いまだ追いつかない現実に頭がボーっとする。


 最後の最期で息を引き取った団長に、不本意ながらも昇格させられた“元”副団長の初任務は、生き残った団員を率いて故郷に帰還する事。


 それからは落石に土砂。

 悲鳴。

 

 そして“自称”神との取引。


 

 後半に差し掛かるほど曖昧になる記憶に顔をしかめるも、勢いよく上半身を起こすと加減もせずに頬を両手で打った。

 痛みと熱で俯きそうになるが、無理やり顔を上げて窓の外を見つめた。


 くじけていても仕方がない。

 まずは腹ごしらえ。

 それから国へ戻らねばならない。

 

 直近の目標から片付けるべく立ち上がり、商店街へ向かう前に体をウーンっと伸ばした時。

 サイドテーブルに載ったペーパーナイフがふと目に止まった。

 便箋の封を開けるために使われ、所持品を何1つ持たない今の身には無縁の品。


 にも拘らず、自然と手が伸びて柄を掴んでいた。


 刃筋を撫でても切れ味は当然ない。

 しかし先は尖っていて、肌に突き立てられる程度の殺傷力は有している。



 それから視線は失ったはずの左腕へ移され、開閉すれば指は意のままに動く。

 肩を回せど、腕をひねれど。

 痛みもなければ、動作に支障もない。

 動かす度に感触もはっきり伝わり、腕に籠もる熱も体が感じ取っている。


 肉体の再生。

 復元。


 何と呼べば良いかは分からない。

 “液体の治癒効果”と聞かされたが、新たな傷をこさえれば一体どうなるのか。



 好奇心半分、疑念半分。

 恐る恐るナイフの先端を腕にあてがい、皮膚に押し付けた所で一旦動きを止めた。

 息を深く吸い、やがて喉を鳴らして力を籠めようとした刹那。



【ヤ め ロ】



 突如聞こえた酷く無機質で。

 極めて不機嫌そうな声に反応すると、咄嗟にナイフを背後に隠した。

 慌てて扉へ振り返り、言い訳をしようと口を開くが誰もいない。

 思い返せば自分以外に宿泊客はいないと受付時にも明言されていた。


 そもそも店主の声だったか自らに問えば、それもまた違う。

 男の声音はもっと高く、おっとりしていたように思える。



 何よりも聞こえた声はもっと近く。

 まるで耳元で囁かれたような感じがした。


「…誰かいるのか?」


 そうなれば自分以外の誰かが部屋に潜伏しているはず。

 隠れられそうな場所は、2つあるベッドの下しか思い当たらない。

 

 素早く床に伏せて左右を見回すが、予想通り何も無し。

 あとは隠し扉の有無を調べるほかないが、部屋の構造はあまりにも簡素すぎる。

 仮に手を付けるとしても、取っ掛かりがまず思い浮かばない。

 ひとまず部屋を離れるべく、入口へ向かおうとした時だった。



 突如体の自由が利かなくなった。


 歯を食いしばって必死に動かそうとしたが、今度こそはっきりと。

 自身の内側から響く、おぞましい声が耳を震わせた。



【かラダを、かエせ】


 驚く間もなく、突如体が引き下ろされて床に倒される。

 見えない力に全身を押さえつけられ、ピクリとも起き上がれない。


「うっ、ぐ…ッ!」

【カラ゛だを、返゛セ゛ェっ!!】


 黒いモヤのような声が脳内で一層響き、徐々に喉を締めていく。

 手を回そうにも腕の自由は利かず、息苦しさに視界が歪む。



 だが同時に、違和感も覚えた。


 痛みは感じても、呼吸が出来ないわけではない。

 絞められた首や押さえつける力も憎しみこそ伝わるが、無理やり手加減されているような。

 しかし問おうにも声を出せず、床を突き抜ける勢いで圧が加わった刹那。




{はい、そこまでですねぃ}


 魔法の言葉と共に、邪悪な声は残響を震わせて遠ざかっていく。

 途端に体を支配していた圧力も消え、荒い呼気を繰り返して目一杯空気を肺へ送った。


 少しずつ落ち着きも取り戻し、ゆっくり体を起こす。

 四つん這いのまま、もう1度息を吐くがそれも溜息混じり。

 助かったといえ、1番聞きたくなかった声が今も耳に残っている。


 それでも渋々頭をもたげた先には案の定、赤い霧の渦中に”全能なる神”が浮かんでいた。



「…今回はヒラヒラしたお友達を連れていないんだな」

{ほほぅ。あの境遇から悪態をつけるだけ回復されたのは非常に嬉しい限りですねぃ…しかし2度も救われていながらその態度。神に対する姿勢にしては、少々解せませんねぃ}

「何を言って…っ?…ぐぁッ、あ゛ァァ゛ッ…がッ」


 感情を抑えていたつもりが、神経を逆撫でるには十分だったのだろう。

 途端に胸が。

 心臓が。


 力強く打っていた鼓動が止まり、息も絶え絶えに崩れ落ちる。

 


 まだ見えない力に押さえつけられていた時の方がマシだったと。

 頭の片隅によぎる僅かな思考さえ霞む最中、再び鼓動が打ち始めると体が大きく痙攣した。 

 同時に全身の強張りも解け、四方に手足を投げ出して動けなくなった。

 意識こそ失わなかったが、全ては苦痛で強引に覚醒させられていたがゆえ。


 荒い息継ぎを繰り返すや、神様は愉快そうに頭上から声を掛けてきた。


{運命は貴方の肉体を奪い、未来を奪い、命をも奪おうとした。全てを無残にも奪われた貴方に残されたのは儚く消える朧な魂のみ。そしてそれは今やワタシの所有物なのです。所有者への敬意を忘れてほしくはありませんねぃ}

「…はぁ、はぁ……はぁ。ぐっ、“所有物”とはまた、世俗に塗れた…神様もいた、もんだな…はぁ、はぁ」

{庶民派の神だと思って頂ければ幸いでございますねぃ。しかし見事なまでに肉体が修復されているとは、ワタシも想定外…ところで、その頬の傷はどうされたので?それに瞳も…}


 体を抱えたまま、いまだ満足に動けない“所有物”を心配する素振りはない。

 まるで飼い猫の様子を尋ねる声音に殺意すら覚えるも、震える手でぎこちなく左頬に触れた。


 古傷を指先で撫でれば、それだけで気持ちが落ち着いてくる。


「…ふぅ、ふぅ…ふぅー……昔負った自前のキズだ。気にするな。それに私の目がなんだって言うんだ」

{いえいえ。どうぞお気になさらず}

「それよりあの液体!それとさっき頭の中で聞こえた声は何なんだ…私に何をしたッ!飲んだ時も、ついさっきも死ぬかと思ったんだぞッ!?」

{死に直面した傷を癒すのに、安らぎがあるとでも?そんな事よりも無事に対面を果たせましたので、手短に現状の説明をば……あの液体を摂取した事で貴方の肉体は再生され、その恩恵を授かると共に、怪物がその身に宿されました。誰もが心の奥底に魔物を潜ませていると言われますが、貴方の場合は比喩ではありませんねぃ}


 愉快そうに話す様子に口答えする気力も失せたが、何よりも心臓を止められたくはない。

 保身に走る己に吐き気すら覚えるも、血反吐は嫌と言う程茂みの下で零してきた。


 重い体をゆっくり起こし、口元をグッと拭う。

 引きずるように背を壁に預ければ、気怠そうに瞳を神に向けた。


{ようやく満足に会話をできる場が出来ましたねぃ。嬉しい限りです。最後にお会いしてから随分経過しましたからねぃ}

「…やっぱり何日か経っていたのか」


 何の気なしに告げられた言葉が肩にのしかかり、ようやく落ち着きを見せた心中が再び荒れていく。



 命からがら這い出し、デタラメな力で復活は果たせた。

 だが仲間は冷たい岩の下で、今も閉じ込められたまま。


 すさんだ心情に触れる事なく、淡々と続ける神にウンザリしながらも、激痛への自己保身が口を強引に閉じさせる。

 抵抗できない自身に改めて嫌悪感を覚えるが、神との対話は幾分か明るい調子で始まった。


{それでは改めてご挨拶をば。ワタシの名はオーベロン。貴方の唯一神にして、所有者。そしてワタシのために眺め、ワタシのために聞き、ワタシのために命を燃やす…それが貴方に課せられたワタシへの細やかな信仰です。もちろん未来永劫、ですがねぃ………貴方の名を伺っても?}

「……アデランテ。アデランテ・シャルゼノートだ。それで私の神様は…」

{オーベロンと、気軽にお呼びくださいませ。その方が庶民受けしますでしょう?もちろん様付けなど不要!}

「…オーベロンは。具体的に何を求めてるんだ?布教でもしてほしいなら、生憎と巡礼者の真似事なんて向いてない…悪いが助ける相手を間違えたようだな」

{ほっほっほっほっほ。言うは易し、ですねぃ。信仰のために言葉を用いるなど、詐欺師やゴロツキでも出来ましょう。ですが真の信仰とは日々の行動で表すもの。それも功績を見せびらかすでもなく、他者に知られる事もなく……秘密裏に}


 ただでさえキナ臭い霧が怪しくうねり、中央の人影が笑っているのが分かった。

 契約を決断した時から抱いていた不安が現実味を増してくる。

 

 しかし心の臓を掴まれては、抗議するだけ無駄であろう。


 

 やり残した事はある。

 それでも神と取引した事が正解だったのか、疑問を浮かべる間もない。

 霧の周囲から弾けた火の粉が、宙に文字を形成していく。



“マルガレーテの町。アルカナの巻物を処分せよ”



 町。

 巻物。

 聞いた事もない地名。

 知りもしない書物。


 それも処分しろ、とは穏やかではない。



{方法はお任せします}


 蝋燭の火が如く文字は消え、再び赤い霧が視界に映り込む。

 声からも男のものと推察されるが、そんな彼の幻影が徐々に薄れていく。


{貴方の内なる怪物は、あらゆる物に変化する力を有しています。だからこそ貴方の“足りない肉体”を構成することが出来たのです。先程は目覚めたばかりで多少混乱していたようですが、呪枷でしっかり躾けましたので、同じ行動には出ないはずですねぃ}

「…はず?それに呪枷ってのは、私の心臓を止めたものと何か関係があるのか?」

{ソレは信仰を広めるため。貴方の目的のため。大いに役立つ事でしょう}

「質問に答えろよ」


 ムスッと問い返すが、頭の高い神にアデランテの声はやはり届かない。

 あるいは下僕に貸す耳がなく、聞き流しているだけなのだろう。


{ですが憶えておきなさい。馬は騎手が手綱を握る限り、どのような無謀な命令でも最期まで従います。しかしその支配権を失った時、その立場はいつ、いかなる時でも入れ替わるもの。貴方が自己意思を持ちうる限り、その体は貴方の物です。よろしいですねぃ?}

「……よく分からないけど肝に銘じておく」

{それではまず貴方の隣人にワタシへの信仰を説く所から始めてはどうでしょうかねぃ。そして事を成し、貴方の祈りが届いた時。再び降臨する事に致しましょう……ですがワタシは貴方の神。いつでも貴方の声に耳を傾けていますよ。ワタシの愛しいファルニーゼ}


 長い言葉を残し、赤い霧が消えていく。


 あとには静寂と森で目覚めた時に同じ。

 虚無感だけがアデランテの心中に木霊した。

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