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028.学徒アナスターシャ

 頭から首へ。

 胴体から足へ。

 樹液をべったり被ったサリットメシアは、声にならない悲鳴を轟かせた。


 上半身を四方に振り回しても、折れた足は固定されたように動かない。肉も煙を上げ、焦げた臭いを散布しながらその場でのたまい苦しむ。

 

 やがて声も、動きも。

 煙も。


 全てが徐々に治まるや、かつて導師だった物は見る影も残さなかった。

 上半身をほとんど失ったソレが跪けば、力なく前方に倒れ込み、ビシャリ――と。

 自ら垂れ流した体液の中へ横たわり、それがサリットメシアの最期の断末魔となった。


「――…やっと」


 導師の終焉を見届けるや、アナスターシャの声でハッと我に返った。注意を彼女に向ければ、割れた水瓶を後生大事そうに抱えている。


 中には液体がちゃぷちゃぷと小さく波打ち、まだ少量残っているらしい。樹液は摂り込めば魔力を増幅するが、原液は肉まで溶かすほどの強力な酸。

 ゆえに常用者はそれらを発酵し、薄めて飲むようにしている――と。本来アデランテが知りえない情報が脳裏を掠めるが、劇薬を抱えたアナスターシャは身体を引きずって迫ってくる。


 すぐさまウーフニールは警鐘を鳴らし、足を千切ってでも即刻退避するよう。あるいは彼女を仕留めるよう再三忠告するが、不思議と危機感を覚えなかった。

 傍目には軽そうな器にも関わらず、まるで重さに振り回されているようで。今にも倒れそうにフラつく足取りが、そう感じさせるのかもしれない。


 それとも顔や手足に見える、痛々しい痣だらけの身体がそう思わせるのか。やがて手が触れる距離まで近付いた彼女は、アデランテの手前で立ち止まった。

 ジッと目を見つめられるが、その時初めて色違いの瞳に気付いたのだろう。一瞬驚いたものの、すぐに視線を逸らせば取り繕うように瓶を傾けた。

 足元の氷へ慎重に樹液を垂らすや、途端に熱した鉄板に水を零したような音が響き、甘ったるい香りと湯気が、もくもくとアデランテの顔を覆う。


 耐え難い匂いや熱気は許容し難く、その間もアナスターシャは息も絶え絶えに、長い睫毛の先から雫を滴らせていた。

 肌は焼けるように痛むが、それはアナスターシャも同じ。顔をしかめるが背けず、自力で引き抜けるまで慎重に注いでいく。

 

 だがアデランテに掛からないよう、注意を払っていたからだろう。時間が延々と掛かってしまい、火の手は刻一刻と迫ってくる。

 持ち前の短気も手伝えば、一息吐いてグッと覚悟を決めた瞬間。素早く屈み込んで彼女の手を強引に傾けた。


「熱ッッつ…ぅッ!!!」


 途端に湯気が噴き出し、瞬く間に氷が解けていく。足に掛かるのも想定内であり、

 肉が溶ける激痛に顔が歪んでも、湯気に紛れて脱出に成功する。

 膝から下も瞬時に再生され、強烈な疼きがアデランテを襲ったが、ふやけている場合ではない。

 唇を噛み締め、辛うじて踏み堪えれば毅然とアナスターシャを見下ろした。


 誤魔化せたか判断はつかないが、ふと彼女が微笑むや――ゴトンっと。水瓶がアナスターシャの手元を離れ、糸が切れたように崩れ落ちる。


「…ッッおい、しっかりしろッ!?」


 床と身体の間に腕を差し込み、寸での所で彼女を支える。ぐったりと身体は預けられるが、胸はまだ上下に動いていた。

 ひとまず安堵するも、血の気が引いた顔から予断は許せない。弱々しい呼気はそのまま永い眠りについてしまいそうで、つい肩を乱暴に揺すってしまう。


 おかげでアナスターシャも長い睫毛を上げ、瞳には一瞬の戸惑いこそあれ、彼女の視線は至って穏やかだった。 


「……あなたは、どなた様なのですか?地上でも助けて頂きましたが、いままでお会いした記憶はありませんよ…何せ先生も言っていたようにこの身は……落ちこぼれに他なりませんから」

「何言ってるんだ。お前にはまだ可愛い弟子が2人いるだろ。メガネ野郎の子供も助け出して、ここから出たらまたやり直せばいい」

「……本当にどなた様なのですか?それに先生も樹液を飲んでいたとはいえ、仮にも大学で導師をされていた方。あそこまでのケガを負わせるなど到底…いえ、今となってはもう、どうでもいい事でしょう」


 視線を外し、研究所へ顔を傾けたアナスターシャの瞳が、炎の明かりに揺らめく。サリットメシアの消火活動も虚しく、勢いを取り戻した業火は辺り一面を焼いていた。


「…小さい頃、故郷を通りがかった魔術師が魔法を見せてくださいました。何もない所から火が出てきたり、氷が出たり、雷を出したり…とても怖かったけれど、村の子供も大人も。貧乏暇なしでいつも憂鬱そうな顔をしていたのに、その時だけは楽しそうにしていました……そんな魔術師にいつかなってみたいと、思ってしまったのがいけなかったのでしょうね」


 皮肉な笑みを浮かべるも、すぐに表情は陰りを見せた。


 必死で働き、親の支えもあってようやく入れた魔法大学も、階層制と欺瞞で満ちた“選ばれし者”の世界で。

 魔法の修練も権威を振るう場に使われ、派閥に所属できなければ必然的に排斥されてしまう。


 学びとは程遠い世界に、やがて隅へ追いやられるが、居場所を失った学徒は甘美な毒牙に掛けられた。

 片や導師の立場を利用し、片や不要な人材を快く引き渡す。あっさり大学に切り捨てられ、唯一の居場所がサリットメシアだけになった時。

 すでにアナスターシャは、人の理から外れる事を受け入れていたのかもしれない。


「――…ここに連れて来られて、初めて魔術師らしい仕事が出来たと喜びに震えました。大学ではゴミ拾いや床掃除しか出来ませんでしたから…魔法も使えるようになって、解読した未来を……自分の研究成果も認めてもらえて、ゆくゆくは宮廷魔術師の座も夢ではないと…そのためには犠牲もつきものと…そう教えられました」

「子供の皮膚を剥ぎ取って、残った身体を樹液に変えても…か」

「…愚かな事をしました。初めて弟子をもらえた時に笑顔を向けられて…あぁやっと夢が叶ったと思ったのに。何も知らずに樹液を飲ませてしまって……樹液は判断力を衰えさせ、意識を樹木の防衛に向ける作用があります。だから交代で子供の世話をさせる事で、人としての自我を保たせて…」

「子供の魔力も練らせて一石二鳥。町に根付いた魔術師が人攫いの集団とは、酷い話があったもんだ」

「返す言葉もありません」


 咳き込むアナスターシャの呼気がだんだん弱くなる。瞳も少しずつ霞み始め、再び目が閉じられていく。


「…もう地上に戻る理由も、あの子たちに顔を向ける資格もありません。このまま仲間と共に、研究所と共に灰に還る事にします。親樹が燃えれば他の樹木も枯れて、2度と樹液が悪用される事はないでしょう…さぁ、早くここを離れてください。あの子たちを、コニーとリゼを宜しくお願いします。とてもいい子たちで、知り得る限りの薬の調合法を伝えましたから、きっと世のために役立ってくれるはずです」

「…ほかの子供はどうなる」

「樹液を薄める方法は前庭に埋めてあります。完璧ではありませんが、あの子たちなら……きっと…」



「――…ふざけるなよッ」


 それまで静かに耳を傾けていたアデランテの声音に、安らかだったアナスターシャの顔色も変わる。

 優しく支えていた腕に力強く抱え込まれ、乱暴に担がれると火の海もお構いなしに、ズンズン奥へ踏み込んでいく。


「ま、待ちなさい!どこへ連れていくつもりですか!放してくださいっっ」


 必死に押しのけようとするも、弱った身体では満足に力も入らない。

 アデランテの腕力に抗えず、間もなくアナスターシャが囚われていた空間へ連れ戻されてしまうが、すでに火の手が回り始めていた。

 熱気に部屋中が唸りを上げ、それでも否応なく視界に入るのは、この世でもっとも見たくない景色ばかり。

 顔を覆いたくとも手の自由が利かず、目を離す事は許されなかった。



 “未来綴りの織機 - アルカナの巻物”。



 部屋の奥を大部分が占め、織り出された生々しい“巻物”は、薄く開かれた窓口を通って大部屋まで繋がっている。

 担い手が不在となった今、綴り途中の巻物が掛かったままの織機は、ただ静かに火が燃え移るのを待つばかりだった。


 その手前には大小様々な試験管が並ぶ研究机に、小難しい題名で埋められた本棚が置かれている。それらの机にも、本棚にも、織機にも。

 至る所にじんわりと赤い染みがこびり付き、所有者の醜悪な内面を晒す様相に、思わず顔を歪めてしまった。


 さらに視線をずらせば、折檻用に立てかけられたバツ字の木組みが立ち、長年使い込まれた拘束具は錆びてボロボロに。

 そして赤く、元の色の判別がつかない長机には、4人の子供がそれぞれ寝そべっていた。


 傍の小机には、おどろおどろしい器具の数々が整然と並び、一見して最悪の事態が浮かんだが、子供たちの寝息は微かに聞こえてくる。

 そんな彼らを見つめ、咄嗟にアナスターシャは顔を背けようとした時。アデランテに容赦なく放り投げられるや、受け身も取れずに小机に直撃した。

 器具は床に散乱し、騒々しい音を立てようとも子供たちは起きてこない。


 その間も怪我人の扱いには程遠い仕打ちに混乱し、鈍痛を堪えてぎこちなく身体を起こせば、直後に胸倉を掴まれて引き寄せられた。

 乱暴な振る舞いに再び痛みが走るが、瞼を開けばアデランテの瞳が否応なく映り込んだ。



 炎に揺れて煌く、左右で違う金と青の瞳。そして長い睫毛や銀糸の髪も、炎で焦げないか心配になるほど美しい。

 照らされた肌も艶めかしく、顔に走る古傷が彼女の潜り抜けた修羅場の数を物語るが、怒りの形相に委縮する一方で、一国の王子と言われても信じる整った顔つきが印象的だった。


 そんな彼女が何故、人でなしが集う研究所にいるのかと。疑問を口にする間もなく、胸倉を掴む手に力が籠もると鼻先が触れ合いそうになる。


「地上でも言ったはずだぞ。あの2人はお前を必要としてるって。それなのにこんな所で…悪夢が根付いたような地獄の底で死ぬなんて、私は絶対許さないからな!!」

「…樹液を服用し続ければ、それ以外の食物を受け付けなくなります。先程処罰の一環で、浴びる程注がれたこの身体はもう……巨木がなくなれば、樹液も生成されません。生きていく術はもはや無いでしょう」

「それじゃあ子供たちはどうなるんだ!」

「……それは」

「アイツらの顔をよく見ろ!」


 乱暴に突き放され、再び器具が散乱する床へ転がり込む。

 それでも視線の先には周囲の惨状に構わず、眠り続けるザクセンとカルア。そして愛弟子のコニーとリゼが。

 どちらも蒼白な肌で、悪夢にうなされるように歪んだ顔が映った。


「樹液から解放されるためにずっと1人で研究を続けてきたんだろ?今諦めたら、あの子らはどうなる!」

「……ですが、いままでの罪がっ」

「知るかそんなことッ!」


 再び掴まれるとさらに引き寄せられ、もはや唇が触れそうになる距離まで顔が迫った。


「罪は決して許されるもんじゃない。許せば救いもない。だけどな、お前が自分を許せないって言うのなら、自分を責め続けられるなら…それがお前の贖罪の形だ」

「……贖罪の、かたち」

「そのために何をしなきゃならないか。お前が1番良く分かってるはずだろ」


 奥の部屋に炎が燃え移っても、構わず2人は愛を語らうように互いを見つめ合った。

 大部屋の天井が軋み始め、ふいにアデランテが注意をそちらに向けるや、掴んでいた手首が力強く握り返される。

 アナスターシャに視線を戻せば、瞳はそれまでにない生気で満ちていた。


「…樹液は一時的に魔力を増強させ、代わりに樹木を守らせるために魔術師を惹きつける甘美な毒。ですが一方で、強い依存心によって判断能力を著しく低下させる作用があります。先せ…サリットメシアが最期に取り乱したのはそのせいでしょう……つまり今、あなたの言葉に耳を貸しているのは、きっとそのせい。樹液を飲んでいるせいなんです」

「……はんっ。その樹液にお前が抗ってなければ、今頃私もどうなってたか分からなかったんだぞ?それに魔法が使える器じゃなくても、アンタは立派な指導者だよ。仮にも先生を名乗るなら…最後まで弟子の面倒を見てやりな」


 先程までの表情から一変。慈愛に満ちた表情で笑みを浮かべるアデランテに、アナスターシャの涙が頬を伝う。


 また弱った心の隙を突かれてしまったと。己の未熟さに目元をローブで拭おうとするが、とめどなく涙は溢れてくる。

 しかし身体が突如浮き、涙が床に零れると同時に壁際へ座らされた。

 とても優しく、労わるような手放し方はとても同一人物とは思えない。咄嗟に見上げても、アデランテは部屋の奥に向かって走っていた。



 行き先は堂々と佇む織機で。それなくして研究所は存続しえないと言うのに、巻物を伝って炎が渦巻き始めていた。

 陽炎が揺らめく度に軋む音は、まるで悲鳴を上げているようにさえ聞こえる。


「ずいぶんと時間は掛かっちまったが…依頼を果たすぞ、ウーフニール!」


 炎の勢いすら掻き消す声を上げるや、机に飛び乗ると試験管が蹴散らされた。

 そのまま天高く跳び、剣を両手で掲げながら織機を見下ろす顔は、心なしか晴れ晴れとしている。


「コイツなら、切れ味は関係ないよなぁッッ!!」


 咆哮を上げながら振り下ろした直後、大木の砕ける音が一帯に轟いた。着地と共に織機は真っ二つに折れ、巨万の富は瞬く間にガラクタへと変わり果てる。


 ソレを何度いままで壊そうと思った事か。

 それでも決して近付けず、勇気もなく。

 ついには想像し得なかった未来を目の当たりにしたアナスターシャは、全ての光景を目に焼き付けていた。

 

 燃え盛る業火の中。

 まるで物語りに出てくる怪物のような、アデランテの後ろ姿と共に。

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